エア訴訟

7/20付BLOGOSに、

こんな記事が出ていました。これについてはペンより剣を選んだらオシマイとして論評させて頂きましたが、今度はChritpher Busby Foundation for Children of Fukushimaがこういう記事を出しています。前のBLGOS記事のときにも書きましたが、放射能問題は科学問題であり科学論争で考えていくものと思っていますが、そうでないと考える人は少ないのがわかります。Christpher Busby Foundation for Children of FukushimaはCBFCFと略されるそうですから、そう略しますが、科学論争を訴訟で決着をつけるの意味がわかってらっしゃるか疑問に感じます。

BLOGS記事の件は作家の広瀬隆氏とルポライターの明石昇二郎氏が刑事告発を行い、業務上過失致死傷罪に該当するとしています。狙いを額面通りに受け取ると、

  1. 検察官が告発状にある人が被曝安全説を主張した事を認める
  2. 被曝安全説が違法であり業務上過失致死傷罪に該当する事を認める
  3. これを裁判官がさらに認める
これらが成立するために必要な条件は、告発者の放射能に対する意見が単に正しいだけではなく、被告発者がこれを悪意を持って無視曲解し、故意に損害を与えた事の事実認定が必要になります。何が本当に正しいのか、未だに明確にならないのが震災以来続く放射能論争であるのに、決着を放射能の専門家でもなんでもない検察官や裁判官に委ねる考え方になります。

これは民事であっても大きく変わらず、被告・原告双方の放射能問題に対する見解の是非を放射能の素人である裁判官に判断してもらおうとしている事になります。科学論争の真実の判断を訴訟でつけようの発想はどう考えても珍妙です。卑しくも科学者の端くれであるなら思いも付かない発想ですし、自らの意見に反対の主張を訴訟で封じ込めようとする発想は、言論人としても自分の首を絞める行為に私は見えます。



今度のCBFCFの訴訟戦術はどうかと言うと、

これは、殺人・傷害の未必の故意に総統すると当会は考えております。

こんな肝心なところで誤字をして欲しくないないところですが「総統 → 相当」の誤変換と見ます。そうなると刑事告発になるとも思われるのですが、

  • これらの発言の撤回及び公式謝罪要求の訴訟を行う事を決定いたしました。
  • そのため、これらのかれらの発言が間違いであったという事を、法廷の場において認めさせ、発言撤回をさせると同時に、謝罪をさえる為の訴訟を行います。
  • 同時に、これらの虚偽の発言を行った教授達を在席させている大学にも責任があると当会は考え、これらの大学も同時に訴訟をすることに致しました。

ここは刑事と考えると不思議な表現で、刑事であれば訴訟になるかどうかは検察官の判断であり、いくら訴訟にすると息巻いたところで出来るのは告発だけです。しかし文章からは自らが原告になって被告と争うとしか読みようがありません。ここはもう少し広く解釈して、「殺人・傷害の未必の故意」ぐらいの違法行為であるから、これに相当するような民事訴訟を起すつもりだぐらいに解釈すれば良いのでしょうか。

今回、神奈川県より、ストロンチウムが検出された問題で、当会は、以下の方々に対し、『発言撤回及び公式謝罪要求訴訟』を行う事に致しました。

どうもなんですが、CBFCFは幹部会なり、世話人会なり、総会なり、定期会合なりで話が盛り上がったのだけは推察されます。盛り上がった結論が「訴訟だ!」も推測できます。結論と言うか議論として集約できたのは、訴訟のターゲットだけで、それ以外は「とにかく訴訟だ!」しか検討されなかった様に思われます。そう考えるとCBFCFの文章が理解しやすくなります。

どうもなんですが、CBFCFは民事と刑事の訴訟の区別もよくわかってらっしゃらないと考えられます。ま、ここも頑張って好意的に受け取ると刑事告発も行い、民事訴訟も行なうの意味かもしれませんが、それならそれでもう少し明確に書くのが普通でしょうから、私的には気分だけ「訴訟でケリをつける」以上の議論と決定が行なわれたとするのは難しそうに感じます。


BLOGOS記事の件と較べて大きな問題点は、BLOGOSではとにもかくにも刑事告発は行っています。つまり刑事告発人と言う立場で、自らの主張を公表しています。ところがCBFCFは「訴訟をするつもりだ」の立場に過ぎません。こんな表現が良いのかどうかはわかりませんが、訴訟予告者ぐらいがせいぜいの立場です。

訴訟予告者では形式であれ実質であれ、タダの人(団体)です。ちょっとわかりにくい表現かもしれませんが、訴訟の場ではかなり強い表現が許容されます。細かいルールは法の素人ですから詳しくはありませんが、刑事告発人、民事訴訟の被告・原告、また法廷の内外で許される表現の範囲は変わってくるはずです。これに対し訴訟予告者はあくまでもタダの人(団体)に過ぎないと言う事です。

タダの人(団体)が公然と

ここまで表現するのは如何なものだろうと思わないでもありません。ここもですが、強い表現を避けるために「相当」の表現を避けて、あえて「総統」にしている高等戦略も考えられなくもありませんが、そこまで戦略的な文章とは思えないところです。

もう一つ、訴訟を起す権利は国民のすべてに保障されていますが、一方で「訴訟をするぞ」の表現で相手に何らかの物事を強要する行為も宜しくないとされています。実際に訴訟を起こした上でなら問題は無いのですが、言葉だけで訴訟を強要の道具に使うと犯罪行為に該当する事があるとされています。CBFCFがこの発表と同時に刑事告発なり、民事訴訟を起しているのなら構いませんが、これも普通なら「起こしました」と書くはずですから、「まだ」と私は見なします。



それでもなんですが、CBFCFが「訴訟する」としてターゲットにされた方々は歯牙にもかけられないような気がします。とくに震災以来の放射能問題で主張された方々は、CBFCFだけではなく激しい批判に襲われています。放射能問題に限らずなんですが、ある立場で主張し、これに反対する見解のものがあればかなり強烈な批判を受けるのは世の常です。

そんな批判にイチイチ目くじらを立てていたらキリがないと言う事です。あえて反論・反撃するのは、相手の存在が無視するには巨大で、その発言を放置すると自分の立場が危うくなる時に自己防衛のためにやむなくぐらいの時に通常は限られます。訴訟一つ起せば猛烈に精力が消耗させられますから、喧嘩を買うなら厳選してみたいなところと言えば宜しいでしょうか。

言ったら悪いですがCBFCFと言われても、素性もよくわからない団体ですし、果たして実態なんてものがあるのかどうかすら不明の団体です。この程度の団体に「人殺し」と言われようが、エア訴訟の宣言をされたところで、イチイチ気を回すほどおヒマな方々とは私には思いにくいところがあります。


それと少しでも法律に詳しい方なら容易に指摘できるところですが、「訴訟する」と息巻いたところで、訴訟への道程は容易ではありません。刑事告発でも、告発に必要な条件はあります。告発は誰でも可能ですが、告発の条件が整っていないものは受理さえされません。CBFCFの気分を具体的に告発と言う形式で警察に受理させるのはかなりの手腕が必要です。

民事でも同様で、訴訟を起す権利は誰にでも認められていますが、訴訟が受理されるための条件が求められます。気分だけ書いて訴状を提出しても、裁判所は受理してくれないと言う事です。

私もそんなに詳しいわけではありませんが、CBFCFの気分を刑事告発なり民事訴訟に持ち込むだけで相当の力量が求められそうな気がします。世の中には辣腕弁護士がいますから、そういう方が知恵を絞れば不可能でないかもしれませんが、辣腕であると言うのは一方で計算も高いので、こんな筋の悪そうな訴訟をそうそう引き受けるとは思いにくいところがあります。

逆に弁護する側は論駁できるポイントはゴマンとあり、こちらは逆に辣腕弁護士も容易に引き受けやすいと私は見えます。ま、弁護士も仕事にあぶれている方が出てきているのが実情とされていますから、生活費のためにCBFCFの仕事を請ける人も出てくるかもしれませんが、その程度の弁護士では刑事告発民事訴訟の受理までたどり着けるかも少々疑問のように思います。


BLOGOS記事の件の時にも指摘は多かったですが、刑事告発をするとか、訴訟を起す事で注目を集める戦術は存在するそうです。旬の話題でそういう行動を起せば、マスコミ露出が可能になり名も売れるみたいな方法です。刑事告発後にそれがどうなったかはまず注目されませんし、訴訟だって年単位で時間が必要ですから、判決が出る頃には誰も見向きもしなくなっている計算です。

そういう戦術もあんまり好ましいと思いませんが、それ以前のエア訴訟戦術では効果も薄そうに私は思います。