読売から御提案の大きな課題

4/27付読売新聞(Yahoo !版)より、

被災者が病院転々、情報伝達不足でトラブル続出

 東日本大震災の医療活動で、患者情報の伝達不足によるトラブルが相次いでいたことが分かった。

 病院や避難所を転々とする被災者が続出し、病院や高齢者施設が患者らの転院先や死亡情報を把握できなかったり、病状が引き継がれないまま患者が死亡したりした。事態を重視した厚生労働省では、患者情報の伝達を徹底するよう自治体に通知。大規模災害時の医療情報の取り扱いは今後も大きな課題になりそうだ。

 宮城県石巻市石巻赤十字病院では震災直後、南三陸町の公立志津川病院に脳梗塞などで入院していた千葉茂さん(85)を受け入れた。家族によると、約1週間後に問い合わせたが「該当者はいない」と回答。今月中旬、宮城県警から「搬送から4日後に石巻赤十字病院で亡くなった」と聞かされた。病院関係者は「震災後に安否情報センターを設けたが、混乱で患者の情報を十分に管理できなかった」と話す。

 南三陸町特別養護老人ホーム「慈恵(じけい)園」では震災直後、病院などに搬送された10人以上の入所者の所在が一時つかめなくなった。搬送される入所者の腕に氏名、生年月日を書き込んだ医療用テープを貼っており、家族らと複数の病院などを探し、4月上旬ようやく全員の所在が判明した。

 福島県でも3月中旬、大熊町の双葉病院に入院するなどしていた高齢者ら21人が避難所への搬送中や搬送後に亡くなった。県によると、避難所にいた医師らに症状がうまく引き継がれなかったことなどが原因だという。厚労省は、都道府県を通じて被災地の医療現場に、避難所などに患者を搬送する際、病状や服用する医薬品などの引き継ぎを徹底するよう依頼した。

いつの話かをまず確認する必要があります。読売記事は3つの具体例をあげていますが、

石巻赤十字 特別養護老人ホーム「慈恵園」 双葉病院
3月11日14時46分18秒 震災発生
搬送時期 震災直後 震災直後 3月12〜15日
搬送元 志津川病院 特別養護老人ホーム「慈恵園」 双葉病院
搬送先 石巻赤十字 他の病院 避難所


搬送時期は記事以外の情報も参考にしています。また「震災直後」の表現は3月11日から3月12日未明あたりまでを指すと考えます。


ここで志津川病院も特別養護老人ホーム「慈恵園」も南三陸町にあります。南三陸町津波の被害が大きかったところで、津波の襲来時刻は地震発生の30分後ぐらいとされています。津波は襲来してから10分程度で高台を除く南三陸町を破壊しつくしています。

志津川病院は5階建てでしたが、津波はその4階の天井部分にまで達しているとされています。当時の画像が見つかったので提示しておきます。

これは結構有名な画像ですが、手前の鉄骨剥きだしになったのが南三陸町の防災対策庁舎で、3階建てだったのですが屋上まで冠水し、アンテナにつかまって町長が九死に一生を得ています。この防災対策庁舎の後方にあるオレンジ色に緑十字のマークのビルが公立志津川病院です。


特別養護老人ホーム「慈恵園」の被害は4/20付ZAKZAKにありますが、

 震災当日、健吾さんは、町を破壊しながら押し寄せる波を見た。慈恵園の入所者68人はほとんどが寝たきりだ。

 「とにかくもっと上へ」。裏の高台にある志津川高校までは急坂が50メートルほど続く。十数人の職員と近くにいた高校生が集まり、お年寄りを一人一人抱え上げリレーのようにして運んだ。助けられたのは約20人。無我夢中で、施設が津波にのまれるところは見ていない。

ここも施設が津波に飲み込まれる被害を受け、68人中20人ほどが辛うじて救助できた状態です。志津川病院入院者も、特別養護老人ホーム「慈恵園」入所者も助け出された人は、まさに命からがらの修羅場であった事が確認できます。


双葉病院については、時系列で経過をまとめると、

日付 状況
3/11 約340人の入院患者と近くにある系列の介護老人保健施設にも約100人の入所者が存在
3/12 病院と施設の自力歩行できる患者ら209人と多くの職員が避難
3/15 残り98人が脱出


双葉病院の件は有名なので細かい説明はあえて省略しますが、3/12の避難命令の時に大多数の職員も同行し、その後は院長と病院職員4人が約98人の患者とともに救出を待っていたことになります。双葉病院自体は震災とともに断水・停電状態になっています。双葉病院からの避難劇には幾多のエピソードが重ねられましたが、あえて今日は置いておきます。



私が調べる限り志津川病院も、特別養護老人ホーム「慈恵園」も、双葉病院も震災発生とともに厳しいサバイバル状態に陥った事が確認できます。とくに志津川病院と特別養護老人ホーム「慈恵園」は津波により一瞬で壊滅状態になっています。医療情報を伝えるための紹介状作成の余裕どころの話ではなかったとしか思えません。とにかく生き残った患者を病院から運び出すのが精一杯の状態であったと見えます。

それでも読売記事は手厳しく、

    東日本大震災の医療活動で、患者情報の伝達不足によるトラブルが相次いでいたことが分かった。
患者情報の伝達にトラブルが相次いだそうです。私はここを読んだ時に、被災地でも、もっと平穏な状態の患者情報の伝達のトラブルと思っていましたが、読売記事が挙げた「典型例」と言うか「具体例」を読むと、津波に飲み込まれた病院であっても情報伝達が出来なかったのは、
    大規模災害時の医療情報の取り扱いは今後も大きな課題になりそうだ。
この記事の部分の解釈のポイントは、この部分は伝聞でなく読売の見解である点です。読売の見解の根拠は、2つの材料から導かれており、

宮城県の見解 県によると、避難所にいた医師らに症状がうまく引き継がれなかったことなどが原因だという。
厚労省の対応 厚労省は、都道府県を通じて被災地の医療現場に、避難所などに患者を搬送する際、病状や服用する医薬品などの引き継ぎを徹底するよう依頼した。


好意で取ると、宮城県厚労省が本当に志津川病院や、特別養護老人ホーム「慈恵園」や、双葉病院のケースを指しているかは不明で、あくまでも一般論として「可能ならば出来るだけ」程度と解釈することも可能です。しかし読売記事の編集では、志津川病院や、特別養護老人ホーム「慈恵園」や、双葉病院程度の被害であっても「当然そうするべきだ」になります。

「事件は会議室ではなく現場で起こっているんだ」のセリフは有名ですが、県庁の役人とか厚労官僚は、まさに会議室で事件を検討されておられるので「まだしも」です。常々「現場が第一、現場が命」としているブン屋が「大きな課題」と断じるならば、現場の惨状を見られ、現場を取材した上で、それでも患者情報を伝達できる余裕は十分にあったと「現場感覚」で判断されている事になります。

「大きな課題」として丸投げしてお茶を濁さずに、志津川病院や、特別養護老人ホーム「慈恵園」や、双葉病院のようなケースでも、どうすれば患者情報を伝達できるかを、現実的かつ具体的な方法で提案される事を是非「医療に強い読売」に期待します。私のような凡人では、被災地から遠く離れた関西に居ても到底思い浮かびません。