地域の事情

2/23付河北新報より、

 東日本大震災津波被害は、もともと医療過疎が深刻だった岩手、宮城、福島3県の沿岸部の地域医療に大きな爪痕を残した。震災発生後、医療従事者は被災地の医療を懸命に支えたが、一方で医師・看護職員と地域住民の離散が加速。街の将来像が定まっていないこともあり、被災地の地域医療は綱渡りが続いている。(高橋鉄男、菊池春子、東野滋)=5回続き

 午後2時半、宮城県南三陸町の仮設施設の公立南三陸診療所。常勤医の渡辺源也さん(29)は、重い体を車の座席に沈めた。この日は前夜の宿直に続き、午前の外来をこなした。

 「夜間診療は町民の安心感につながる。だけど、貴重な日中の時間を移動で奪われ、仕事も疲れもたまっています」

診療で35キロ移動

 ハンドルを握り、沿岸から内陸へ車を走らせる。目的地は約35キロ先。隣接する登米市米山町に移った公立志津川病院だ。

 大津波南三陸町唯一の病院は全壊した。間もなく町内に、病床を持たない仮設診療所が設置された。佐藤仁町長は「新病院建設まで病床を確保したい」と昨年6月、登米市よねやま診療所の病床を借り、38床の「間借り病院」を構えた。

 その日から、渡辺さんは片道1時間をかけて、2拠点を週に3、4回行ったり来たりしている。

 土曜は診療所で外来と宿直。日曜は昼が診療所で、夕方、病院に駆け込むと、入院患者を診て宿直もこなす。翌日は昼が登米、夜が南三陸で宿直、翌々日は昼が南三陸、夕方は登米…。

 渡辺さんは登米市民病院を経て、昨年5月に赴任した。二つの施設を常勤医6人でやりくりしている。体制はぎりぎり。最も若い自分の役回りも分かっている。「自分一人でも欠けたら大変なことになる」。疲労を使命感でまぎらす日々が続く。

 2拠点体制は病院の致し方ない事情もある。

 仮設診療所だけでは仕事が限られ、看護師の手が余る。だが看護師を切り捨てれば、今後、確保できる保証はない。院長の鈴木隆さん(59)は「新病院ができるまで、人材をせき止めるダムが必要だった」と説明する。

 3県沿岸部の勤務医数は震災前から、全国平均の6割前後にとどまっていた。震災後、医療ニーズが拡大し、以前から医療過疎に悩む被災地では、医師にしわ寄せが及ぶ悪循環に陥っている。

ここで取り上げられているのは公立志津川病院です。ここも津波被害が壮絶だったところで、当時の光景をあえて出しておけば、

病院が瞬時に壊滅したのは言うまでもありません。壊滅後に再建が行なわれているのですが、現在の体制は
  • 仮設施設の公立南三陸診療所
  • 登米市よねやま診療所の病床を借り、38床の「間借り病院」
ここも診療所に38床の病院?? と思ったのですが、よねやま診療所はもともとはよねやま病院であり、病院時代は

○病床数 一般35床,療養18床

これだけの規模がありました。ほいじゃ、いつ診療所に移行したかですが病院沿革に拠れば

平成23年4月 病院再編により「登米市立よねやま診療所」となる

ここに公立志津川病院が間借りしたのは「昨年6月」となっていますから、病棟閉鎖から2ヵ月後であり、まだまだ活用可能状態であったのは確認できます。この昨年6月時点の公立志津川病院の様子はwikipediaより、

6月1日より同所を臨時の「公立志津川病院」として、医師3人、看護師30人、入院病床39床(一般27床、療養12床)で運用開始した

病床数が微妙に違いますが河北新報wikipediaのどちらかがtypoしたとして、医師は当時3人であったらしいがわかります。もう少し確認すると河北新報はこの時も報じており、2011.4.19付記事ですが、

 志津川病院は旧よねやま病院の1階の一部と2、3階を借り、入院患者を受け入れる。借り受けの期間は5年程度。病床数は調整中。

 志津川病院は移転先に医師3人と看護師30人、薬剤師、検査技師、X線技師を1人ずつ、事務職員2人を配置する。

 よねやま病院は許可病床が53床あったが、登米市の病院再編で4月から5床の診療所となっていた。同市は病床の貸し出しに伴い、診療所の無床化も検討する。

これは計画時の記事ですが、2011.6.1朝日記事には開設時のものがあり、

 南三陸町の中心地から内陸に約20キロ離れた登米市立よねやま診療所。空いていた入院病棟に1日午前、「公立志津川病院」の看板が掲げられた。

 一般病床27床、療養病床12床を5年間無償で借り、医師3人、看護師30人らが診察にあたる。3室の診療室はホールをベニヤ板で区切った。

現在のよねやま診療所のHPには入院案内がないので残っていた5床の入院病棟は廃止されたのかもしれません。そいでもってよねやま診療所にはどれだけの医師がいたかです。これがまた雲をつかむような話になるのですが、平成21年度病院経営分析比較表(宮城)では4人となっています。一方で登米市市立病院の現状と課題には、

常勤医師については、平成16年4月1日に内科2名・外科2名であったが、17年4月1日には内科1名・外科2名となり、18年4月1日時点で内科1名・外科1名となっている。

現在がわからないのですが、診療科案内外来案内を見る限り2人の可能性が高そうに思います。



よねやま診療所の話はとりあえずこれぐらいにして、昨年6月時点で3人と報道されていた公立志津川病院の医師数がどうなっているかですが記事には、

    二つの施設を常勤医6人でやりくりしている
開設時3人だったはずの医師が6人に本当になっているかです。探してみるとホームページがありました。

機関 肩書き 卒業年度
病院 院長(整形外科) 昭和53年卒
副院長(外科) 昭和58年卒
医師(外科) 平成15年卒
医師(内科) 平成19年卒
医師(内科) 昭和55年卒
診療所 内科診療部長 平成9年卒
歯科口腔外科部長 昭和61年卒


ちなみに昭和55年卒の内科医は「埼玉県三郷市医師会から支援」となっています。卒業年次からの年齢推定になりますが、院長と医師会からの派遣医師は60歳を確実に超えています。副院長はストレートならギリギリ50歳代に引っかかるぐらいです。内科診療部長で平成9年卒ですから40歳ぐらいです。後は歯科医師を除いて格段の若手に成っています。

ごく単純には3人の高齢医師と1人の中堅と2人の若手の構成になっていると考えられます。そうそう大事な確認ですが、記事にある通り、仮設診療所と間借り病院を合わせて6人の医師がいる事は間違いありません。


ある程度感覚的なお話ですが、38床なり39床の病院で常勤医師5人(病院分)はそんなに少ないとは言えません。附属診療所的なものをもつと言っても、そこにも常勤医が配置されているわけですから、十分とは言えませんが、この手の地域としては「それなり」の充実度と思わないこともありません。何がネックになっているかですが公立南三陸診療所案内に、

救急対応:平日夜間・土日は日中・夜間と日当直医を置いて対応しています。。

げっ、フル当直体制だ。そうなるとバイト当直の応援があるにせよ6人体制で

  • 間借り病院は医療法上の必須事項として当直が必要
  • 仮設診療所もまたフル当直体制
単純計算としては3人体制で当直を回しているのと同じになります。ここもなんですが3人体制(応援付き)ぐらいで当直を維持している医療機関も珍しいとは、とくにこの地域では言えないかもしれませんが、南三陸町公立志津川病院及び公立南三陸診療所から外来診療のご案内を見て目を剥きそうになりました。
機関 診療科 診療時間
病院 整形外科 午前
外科
診療所 内科 午前
午後
循環器内科 午前
午後
外科 午前
午後
整形外科 午前
午後
小児科 午前
午後
耳鼻咽喉科 午前
午後
眼科 午前
午後
泌尿器科 午前
午後
皮膚科 午前
午後
歯科 午前
午後
これは昨年6月時点の更新情報なんですが、こちらの方が新しそうな公立南三陸診療所診療案内には土曜日も午前・午後診をやっているとなっています。おそらく内科だけ(歯科もかなぁ、外科はどうなんだろう)とは思いますが、こりゃなかなかのスケジュールです。間借り病院の方は「たぶん」よねやま診療所が内科だけしか外来をやっていないので、外科系を開いているぐらいに解釈しています。


2拠点方式といえば格好が良いですが、結局のところ病棟部門と外来部門をほぼ完全に分離した診療スタイルである事がわかります。普通と言うかなんと言うかですが、外来と病棟は一つの建物、最低でも同一敷地内に存在します。外来と病棟の行き来は精々10分とかと言う単位で可能のはずです。建て増し、建て増しで迷宮の様になっていても20分も必要なところは珍しいと思います。

それが公立志津川病院では、

    ハンドルを握り、沿岸から内陸へ車を走らせる。目的地は約35キロ先。隣接する登米市米山町に移った公立志津川病院だ。
ちょっと外来から病棟に行くのに片道35kmが必要と言う事です。こりゃ、かなり厳しいのは間違いありません。それと間借り病院でも外来はやっていますが、南三陸町医療機関ですから、外来のメインはあくまでも仮設診療所の位置付けであろう事も、診療科・診察時間の割り振りからして間違いありません。フル当直体制を敷いているのもそのためかと考えます。

もちろん無理はテンコモリあり、

    土曜は診療所で外来と宿直。日曜は昼が診療所で、夕方、病院に駆け込むと、入院患者を診て宿直もこなす。翌日は昼が登米、夜が南三陸で宿直、翌々日は昼が南三陸、夕方は登米…。
往復70kmをピンボールの球の様に医師は移動せざるを得なくなっていると言うわけです。そりゃ疲弊もするでしょう。



ここでなんですが、医療関係者以外の方で、よねやま診療所と公立志津川病院は同じ建物内にいるのだから協力してはどうかとお考えになられる方もおられるかもしれません。しかし制度として出来ません。同居していても医療法上は2つの医療機関はまったく別の医療機関になります。運営主体だって診療所は登米市であり、病院は南三陸町です。

わかりますか? 間借りしている病院と診療所の関係は一体ではなく、言ってみれば医療モールの中にある別の医療機関みたいな関係です。そうなるとどうなるかですが、そもそも受付からまったく別のものが必要になります。もちろんカルテも別で、当然ですが看護職員以下もまったく別になります。もし診療所から病院、病院から診療所に受診すれば、それぞれに初診料が必要になります。

たとえばよねやま診療所に受診した患者が入院が必要になれば、よねやま診療所は公立志津川病院に宛てに紹介状を書き、患者は紹介状を持って病院を受診し、入院手続きを取ると言う事になります。さらに言えば検査部門も完全に別建てになります。共用は基本的に不可です。当直問題にしても、もしよねやま診療所も当直を置いていたら、同じ建物内に別の医療機関の当直医が2人いる事になります。



それにしても医師には猛烈な負担がかかる勤務体制なのですが、

     2拠点体制は病院の致し方ない事情もある。

     仮設診療所だけでは仕事が限られ、看護師の手が余る。だが看護師を切り捨てれば、今後、確保できる保証はない。院長の鈴木隆さん(59)は「新病院ができるまで、人材をせき止めるダムが必要だった」と説明する。

あくまでも参考ですが平成21年度病院経営分析比較表(宮城)で、平成21年時点の常勤医師数、看護師、准看護師数が確認できます。これと現時点の数と比較して見ます。

分類 所属 平成21年度 現時点 備考
医師数 病院 7 5 公立志津川病院・病院案内
診療所 2 公立南三陸診療所診療案内(うち歯科医師1名)
看護師数 病院 58 30 2011.6.1朝日記事。ただし病院分のみ、診療所については不明
診療所
准看護師 病院 11
診療所


常勤医師数は平成21年時点と変わっていないようです。看護師数は微妙なんですが、診療所では最大8診ぐらいが立ちますから、診療所にも10人程度はいるのかもしれません。平成21年度時点で69人ですから、10〜15人程度は減っている可能性はあります。確かに医師に較べて看護師の目減りの方が数字上は重大視されてるのかもしれません。

問題は「いつまで」なんですが、とりあえずの間借り期間は5年となっています。これは5年に以内には「確実」にと思いたいところですが、どうなっているでしょうか。南三陸町津波被害は深刻ですので、課題とされる高台移転を行った上での病院再建計画はどれほど進んでいるのかは気にはなるところです。情報が乏しいので確たる事は言えませんが、おそらく再建工事はまだ始まっていないと考えています。


それにしても外野から見ると、もっと単純によねやま診療所を病院に復帰させるという選択枝はなかったものかと思います。合わせれば8人になりますから、算数上は少しでも当直やピンボール現象も緩和されそうな気がしないでもありません。そうはいかないのが地域の事情と言うか、自治体の管轄範囲の差と言う事でしょうか。これほどの事態になっても集約化とは、かくも難しいものかと考え込んでしまいました。