開原レポートからの連想

ステトスコープ・チェロ・電鍵様の医師数は過剰、それとも過小?からなんですが、

この見解は、つい数年前まで公式見解であった。

が、「医師が足りない」という声を受けて、つい2年ほど前に医師不足という公式見解に180度方向転換する。

しかし、どうして方向転換することになったか、についてはウヤムヤなままだ。現政権は、現場の反対を無視して、医学部増設を行う積りらしい。その増設の本命候補といわれる大学が、こちら北関東にある。どういうわけか、その学長は、上記の検討会報告で名前の挙がっている、開原研究班の開原氏ご自身だ。

開原氏には、どのような経緯で、医師過剰路線から、不足路線に変更し、さらに「不足」を補う(という触れ込みの)医学部増設の首謀者になったのか是非伺ってみたいものだ。学者としてのプライドがないのだろうか。

「この見解」とは医師の需給に関する一連の検討会のうち1994年に開原氏が研究班長と参加した時の事を指します。nuttycellist氏が取り上げた開原氏が気になったので、判る範囲で経歴を調べてみます。

Date 経歴 補足
1937 御生誕
1961 東大医学部卒業
1969-1973 東京大学 助手 フルブライト留学生として、米国ボルチモア市 Johns Hopkins Hospitalに留学
1974-1975 東京大学 講師
1975-1983 東京大学 助教
1983-1997 東京大学 教授、中央医療情報部長兼任 この間、厚生省、日本医師会等で多くの審議会委員を歴任し、1986年から3年間は国際医療情報学連盟の会長も務めた
1996-2000 国立大蔵病院長、医療情報システム開発センター理事長
2000-現在 国際医療福祉大学教授・大学院長・副学長
2003-現在 (財)医療情報システム開発センター理事長


幾つかあった経歴の寄せ集めなのと、年代がハッキリしないところがあるので正確とは言い切れませんが、実に華麗な経歴であるのだけはわかります。それでもって御専門は、
    医療管理学、医療情報学
この専門と経歴で何を感心したかと言えば、1944年生まれの九大の医療情報学教授が退官後に再就職された診療所(好き好んでかどうかは不明)と較べてしまったからです。九大前教授は7歳ほど年下ですし、東大教授と九大教授を同列に比較するのはいささか無理があるかもしれませんが、同じ専門でもエライ差があるというのが正直な感想です。お二人とも残念ながら教授在任中の実績は存じないのですが、ここはさすがに東大としておいたら良いのでしょうか。

さすが東大と言い切ってしまうと開原氏に失礼なんですが、

    1986年から3年間は国際医療情報学連盟の会長
大袈裟に言えば、肩書きでは医療情報学の頂点を極められたと言っても良いかもしれません。ただどんなに頂点を極められても教授には定年があります。退官後の再就職先の国立大蔵病院と言ってもよく知らないのですが、ググってみたら2002年2月22日に閉院になっています。2002年3月から国立大蔵病院と国立小児病院を統合し、国立成育医療センターを開設となっています。

開原氏は閉院の一代前の院長として勤められ、2000年6月31日まで在籍されたようです。1937年生まれですから63歳のはずですが、その後に今度は国際医療福祉大学教授・大学院長・副学長に迎えられています。とかくの噂もある国際医療福祉大学ですが、副学長がさらなる再就職先であるのはやはり素晴らしいと言う事になるんじゃないでしょうか。

さらに副学長であっても単なる飾り物ではないようで、2003年に(株)医療福祉経営審査機構の設立に伴いCEOに就任されています。名前がなんとなく某機構に似ているのでアレルギーが出そうになるのですが、正直なところどんなものか存じません。穿って考えるとこの会社を作るために国際医療福祉大学から招聘されたと見えないこともありません。真相は知りませんけどね。

それでも経営は順調なようで、設立1年後のコラムみたいなものに、

現在は、銀行から依頼される医療機関の審査、医療機関から依頼される経営診断とコンサルテーション、格付け、の4つが我々の仕事です。おかげさまで設立以来たいへん順調で、忙しくしております。

実質としてどれほど経営にタッチされているかは知る由もありませんが、CEOとして素直にみれば「ほぉ〜」っと言うところでしょうか。



さて開原氏と医師の需給に関する検討会との関連ですが、


年月 検討会 開原氏の参加
1982.9 医師数抑制を閣議決定
1986.11 「将来の医師の需給に関する検討委員会」報告 不明
1994.11 「医師需給の見直し等に関する検討委員会」報告 研究班長として参加
1997.6 医師数を抑制する旨の閣議決定
1998.5 「医師の需給に関する検討会(1998)」報告 委員として参加
2006.7 「医師の需給に関する検討会(2006)」報告 参加せず


研究班長と言うのは検討会においてかなり結論を左右するというか、実質として殆んど結論を作っているような作業を行なうところです。2006年では長谷川レポートが妙に有名になりましたし、1998年は井形レポート、そして1994年は開原レポートと言う事になります。

開原レポートの内容はもう解説は不要かと思います。そもそもなんですが、既に閣議決定が為されている状態で、まさか「医師が足らない」なんて衝撃のレポートを出すはずがありません。医師過剰の命題に副って粛々と見事なレポートを開原氏も作り上げられています。とくに1994年は医師過剰論が真っ盛りの時代だったとも言えますから、無難にレポートをまとめられたと言っても良いかと思われます。

さてさてnuttycellist氏が気に為されたのは、国際医療福祉大学の姿勢と言うか宿願です。この大学が医学部設置を悲願としているのは有名です。副学長になられた2000年当時は医学部新設は夢物語でしたが、今年になって夢では無くなって来ました。この大学が医学部新設の有力候補の一つになっているのも事実として良いかと思います。

今年になってから医学部新設の動きが鮮明になった理由はこれまた明らかで、医師不足の解消のためです。つまり開原氏が1994年にレポートを作り、1998年に委員として賛成した医師過剰論に反する事になるんじゃないかと言う事です。自らが出した結論に反する事を副学長として勤めている大学が行なおうとしている事は如何なものかみたいな感じでしょうか。

理屈としてnuttycellist氏の気持ちはわかるのですが、開原レポートが作られたのは1994年で16年も前のお話です。16年前の予想が外れた事にそれほど良心の呵責は感じられていないと思われます。あくまでも形の上ですが、1994年の開原レポートは、1998年に井形レポート、さらに2006年の長谷川レポートによって追証されています。

開原レポートを覆すためには、先に長谷川レポート、井形レポートを覆す必要があり、この2つのレポートを覆した上で16年前の予想と言う状況設定を論破しないと非難されません。長谷川レポートの問題さえ公式にはノータッチですから、開原レポートまで行き着くことはまずないでしょう。

医師数抑制論は遡れば土光臨調まではたどれますから、土光臨調から意図的に間違っていたのか、その後のどこの時点で修正のチャンスがあったのかは今だ多分不明です。1997年の閣議最決定は一つのポイントですが、これだって経緯の真相は不明ですし、1997年当時に医師不足論はカケラもなかったのだけは記憶しています。

では研究者としての良心はどうかになりますが、予想と現実が食い違うことに必ずしも責任を感じる必要はないとも言えます。開原氏の予想はその後2回も追証されているわけですし、最終的な結果が異なっていても、予想に固執するのではなく現実を受け入れて新たに対応する姿勢は必ずしも悪いとは言えません。それでも「どうだ」の意見もあるでしょうが、そこから先は個人の感性の問題になります。

それでもなんとなく割り切れない感覚が残ると言うのは同意します。私も2006年報告に関与した委員をユダとまで評しましたから、開原氏も同類と見なせない事はありません。ただ1994年・1998年、とくに1994年が2006年と同列に扱えるかと言えば、少しニュアンスが変わりそうな気がします。あえて言えば「良い時代に活躍された」と言う事でしょう。



ところでなんですが、医師の需給に関する検討会は2006年以降は「どうやら」開催されていないようです。医師過剰論から医師不足論に大きく方向性が転換したのですから、本当は今こそやるべきもののはずです。検討会が結果を出したからと言って、それがどれだけ信用できるかは別次元のお話ではありますが、どこかで医師をどれだけ増やすかの設定を行なわなければ、医学部定員を何人にするべきかの政策決定が行ない難いはずです。

医師の間で医師増員が必ずしも一概に歓迎されないのは、現在の方向性が「とにかく闇雲に増やす」と感じられるためです。どういう医療の未来像を目指し、それによる医療需要がどれだけ発生し、それに必要な医師の数は何人かが全く見えないためです。ひたすら増やしさえすればすべての問題は一挙に解消みたいな思考に見えてしまう点です。

医師不足も医師過剰も一度そういう状態になれば、それを解消するには10年単位の年月が必要です。増やすなら増やすで、なぜに検討会を行なわないのか極めて不思議です。政府にしても検討会を行なっておけば医師過剰になっても責任転嫁できるはずだからです。考えられるのは、

  1. 過去の検討会の総括が厄介
  2. 将来の需要予想に「厚労省(医系技官)」の展望が定まっていない(未だに医療費亡国論による医師数抑制論が健在の可能性)
  3. とにかく政治主導でやりたいヒトが頑張っている
他にもありますかね・・・。