事業仕分けは文化大革命ってか

私は猛烈に努力して現政権への批判を控えるようにしています。さすがに新型ワクチン問題は直接ふりかかる切羽詰った問題なので、ある程度の批判を行なってはいますが、あれでも頑張って抑制しているつもりです。なぜに抑制しているかと言えば、アメリカでは政権が変わると100日は政権批判を控え、新たに打ち出す政策の評価や効果を見るという慣例があると聞いているからです。

別にアメリカがそうだからと言って、日本もそうしなければならない義理はないのですが、大きな政策変換は必然的に混乱を招き、新たに利益を享受する人間も出れば、不利益を蒙る人間も出てきます。不利益を蒙る人間の声だけを聞いて局所に目を向けると、全体の評価を見逃すかもしれないからです。それを待つ期間が100日ほどあっても良いんじゃないかと考えるからです。


とは言え絶対に批判してはならないという事はなく、必要なものは批判すべきだと考えます。私だけでなく各所に取り上げられていますが、11/13付タブロイド紙より、

仙谷由人行政刷新担当相は、「事業仕分け」について「予算編成プロセスのかなりの部分が見えることで、政治の文化大革命が始まった」と意義を強調。

新聞報道の読み方ですが、「」で括られた部分は実際の発言の引用です。もちろんそれさえ切り貼りが猛烈に行なわれますし、ソースがタブロイド紙であるというのも信用性を損なう部分ではありますが、自社系列の情報誌のシンポジウムの取材ですから、仙谷大臣は間違い無く事業仕分け

これになぞらえているとしても良いと判断します。

今行っているまたは起こっている物事をなにかに喩えて説明するという表現手法はポピュラーなものです。思いつくままに書けば、関税引き下げを「第二の開国」としたり、外資の進出を「現代の黒船」としたりは良く見かけます。「○○維新」なんてのも良く使われる表現です。当然ですが比喩として使うときには、元の比喩となった出来事を十分に踏まえたものである事はもちろんの事です。

民主政権にとって「事業仕分け」は政権のこれからに影響する重要な作業のはずです。この作業の成果だけでも政権の先行きを大きく左右します。それほどの作業の比喩に文化大革命を持ち出すと言う事は、事業仕分けの目標とか、理想するのが文化大革命であるという事になります。数ある比喩の中でわざわざ文化大革命を持ち出したという事に驚かざるを得ません。

政治家の発する言葉は重いものです。政治家でも責任が重い立場であるほど重くなり、事業仕分けに関する仙谷大臣の言葉は非常に重いと考えるのが妥当です。民主政権にとって最重要作業であるはずの事業仕分けの比喩には、担当閣僚の1人として慎重に言葉を選んだはずです。シンポジウムでの発言ですから、内輪のお話ではなく、国民に発するメッセージとして選びに選んだはずと言う事です。


文化大革命についてはwikipediaがコンパクトにまとまっているので読まれることをお勧めします。日本では未だに文革を違った面で評価する人間がいるようですが、仙谷大臣が用いたのは比喩であり、比喩とは聞くものが一般的にイメージしているものになります。文革について仙谷大臣がどう評価しようとも自由ですが、聞く方は一般的なイメージでこれを受け取ります。

一部を引用しますが、概要として、

文化大革命のきっかけとなったのは毛沢東劉少奇からの政権奪還を目的として林彪に与えた指示であり、これに基づいて林彪が主導して開始されたとされている。その後、林彪毛沢東の間に対立が生まれ、林彪による毛沢東暗殺未遂事件が発生(林彪事件)。林彪は国外逃亡を試みて事故死するが、彼の死後も「四人組」を中心として、毛沢東思想にもとづく独自の社会主義国家建設を目指し、文化大革命が進められた。しかしながら、実質的には中国共産党指導部内の大規模な権力闘争であり、これが大衆を巻き込んだ大粛清へと発展していった。

文化大革命においては、まず共産党指導部に煽動された暴力的な大衆運動によって、当初は事業家などの資本家層が、さらに学者、医師、弁護士などの知識人等が弾圧の対象となった。その後、弾圧の対象は中国共産党員にもおよび、多くの人材や文化財などが甚大な被害を受けた。文化大革命が起こる要因ともなった大躍進政策もあわせると、行方不明者を含めた虐殺数は、推計で約3000万人-約7000万人[1][2]といわれ、これらの政策によって中国の経済発展は30年遅れたと言われている。なお現代中国政治を専門とする政治学者の中嶋嶺雄中華人民共和国が建国後、起こした人民への弾圧・迫害・虐殺行為など犠牲者総数は2億人前後に及ぶと推計している[3]。

どういう状況に陥ったかと言うと、

文化大革命中、各地で大量の殺戮が行われ、その犠牲者の合計数は数百万人から1000万人以上ともいわれている。またマルクス主義に基づいて宗教が徹底的に否定され、教会や寺院・宗教的な文化財が破壊された。特にチベットではその影響が大きく、仏像が溶かされたり僧侶が投獄・殺害されたりした。

内モンゴル自治区においても権力闘争に起因し多くの幹部・一般人を弾圧、死に追いやった内モンゴル人民党事件が起こったほか、旧貴族階級などの指導階級を徹底的に殺戮した。

毛沢東の1927年に述べた「革命とは食事に客を招くことではなく、上品で温順でつつましやかなものではない。革命は暴動だ。一階級がもう一つの階級を打ち倒す暴力なのである」という言葉がスローガンとなって多くの人々を動かし暴力に走った。だが、中華人民共和国政府はこの事に対する明確な説明あるいは謝罪を行っていない。(1996年 中国中央電視台文革を反省する特別番組を放送している。)

この文革がどういう風に終わったかは、

1970年代に入ると、内戦状態にともなう経済活動の停滞によって国内の疲弊はピークに達し、それに合わせるかのように騒乱は次第に沈静化して行った。

そのような状況下で、1971年には従来台湾の中華民国政府が保有していた国際連合における「中国の代表権」を奪取(国際連合総会決議2758)、翌1972年にはアメリカのリチャード・ニクソン大統領が訪中し毛沢東と会談を行ったほか、日本の田中角栄首相も中華人民共和国を訪問、第二次世界大戦以来の戦争状態に終止符が打たれて日本との間で国交が樹立されるなど、文革中の鎖国とも言えるような状況も次第に緩和されていった。

その後1976年には、文革派と実権派のあいだにあって両者を調停してきた周恩来、この混乱の首謀者であった毛沢東が相次いで死去、新しく首相となった華国鋒は、葉剣英李先念、汪東興等の後押しを受け同年10月四人組を逮捕した。

翌1977年7月失脚していた勝g小平が復活し、同年8月、中国共産党は、1966年以来11年にわたった文革終結を宣言した(ただし、左派勢力に配慮し「第一次文化大革命を勝利のうちに終結した」と表現し、「第二次文化大革命」が将来ありうるような表現とした。)。1981年には四人組と林彪グループに対し、執行猶予付きの死刑から懲役刑の判決が下された。

文革最大の指導者であった毛沢東が死去し、その後に政権を握った者たちが文革の残存指導者を弾圧してようやく終結したという凄まじいものです。とりあえず現中国共産党政権の見解は、

  • 1981年6月に中共11期6中全会で採択された「建国以来の党の若干の歴史問題についての決議(歴史決議)」では、文化大革命は「指導者が誤って発動し、反革命集団に利用され、党、国家や各族人民に重大な災難をもたらした内乱である」としている。
  • 公式コメントでは、「わが党が犯した最大の過ちである」と認識、謝罪した。

文革の位置付けは現在の共産党政府でもデリケートなものらしく、簡単に言えば共産党政府による恥部として深く触れない姿勢であるとしてよいと思われます。それぐらいの大混乱、莫大な損害をもたらしたのが文革であるとしてよいと考えられます。取扱いが難しいのは建国の英雄である毛沢東が自ら指導して起した騒乱であり、毛沢東を歴史的に否定するわけには行きませんから、モゴモゴと歯切れの悪い対応をせざるを得ない政治問題とすれば良いのでしょうか。

喩えとして良いか悪いかわかりませんが、旧ソ連スターリンによる大粛清を旧ソ連が取り扱いに困ったのと類似しているかと思います。スターリンは第二次大戦の救国の英雄の位置付けですから、完全否定はできなくなっていますし、大粛清ももちろん肯定できないジレンマです。旧ソ連はそれでももう1人の偶像であるレーニンがいましたから、スターリン時代をモゴモゴとケリをつけています。

しかし中国における毛沢東はレーニンであり、スターリンであるわけですから、後継政権はあんまり表沙汰になると非常に困る問題であり、早く歴史上の出来事に風化してくれないかとひたすら願っていると私は見ています。


事業仕分けを比喩として文化大革命を理想・目標として行なうのであれば、これは否定されなければならない事業になります。それぐらい否定的な比喩と受け取るのが一般的だと考えます。この発言が野党から出るのであれば、政権への一つの批判でありますが、政権与党の担当閣僚自らがそう明言するのであれば、過失犯でなく確信犯になります。

文革がもたらしたものは、混乱と殺戮と破壊であるというのが一般的なイメージです。私の知る限り肯定的なイメージは何も思い浮かびません。そんな文革事業仕分けの比喩にわざわざ持ち出すセンスが全く理解できません。もっとも事業仕分けの作業事態が文革時代の人民裁判に似ているかと言われれば、たしかに良く似ていますが、吹き荒れた人民裁判が何を中国にもたらしたかまで説明する必要はないかと存じます。

今は不思議とも感じなくなりつつありますが、マスコミ様はこの程度の発言は気にもならないようです。いろいろあった末に新聞に500億円が新予算の目玉政策として登場してきても、きっと驚いてはいけないのでしょう。さすがに新聞に500億円は来年度予算ではなく、再来年度予算と予想していますが、文化大革命ですから何が飛び出すかは誰にも予想できません。


追伸

YouTube画像が入手できましたので、upしておきます。文革発言は27秒からです。

なぜかうまく貼れないので、リンクだけ示しておきます。