新型インフルエンザ・ガイドライン/SARS下敷き説

SARSは2002年冬(11月)から2003年初夏にかけて流行し、2004年を最後に現在発見されていない疾患です。SARS騒ぎは個人的に強く記憶に残っているもので、SARSの台湾人観光客が関西旅行をしたときには、その騒ぎの端っこの方に、ささやかながら関与しています。病院中に緊張感が走る大騒ぎでした。幸いな事に直接関与していませんが、ニアミスぐらいの状態ではありました。SARS騒ぎの時の記録を探していたのですが、当時の記録は断片的にしか見つかりませんから、ある程度記憶に頼って書かせてもらいます。記憶違いがあれば御指摘よろしくお願いします(書かなくてもされるんですが一応です)。

SARSは2002年に中国で発生して、2003年に日本に情報が届く頃には「殺人ウイルス」みたいな評価が定着していました。あの時もSARS疑いの患者がいれば保健所に通報すべしの通達はありましたし、専用外来が設置されたはずです。患者からも「SARSではないですか」の質問がいっぱい浴びせられました。正直なところ「わかるか!」でしたが、今回の新型インフルエンザ騒動とやや似た展開となりました。

対策もそうで空港を中心に検疫が行なわれましたが、今回の新型インフルエンザと異なるのは日本に上陸しなかったとされているところです。本当に上陸しなかったかどうかは、私にはわかりません。今回の新型インフルエンザでは一般医療機関(開業医でも)簡易検査キットがあり、少なくともFluA(+)程度まではチェックできますが、SARSの時はそんな便利なものはなかったですから、至極単純に疫学情報のみでスクリーニングしていました。

それでも公式の結果としては、日本のSARS対策は完封勝利の記録となって残っています。ここで今日の仮説なんですが、新型インフルエンザのガイドラインSARS対策を下敷きにしたものではないかと考えています。ガイドライン作成にあたって、近い時期の経験を活用しても不思議でも何でもない上に、SARS対策は結果として成功していますからなおさらです。

ここに平成16年1月付の厚生労働省今冬のSARS対策についてというのがあります。ここの初期対策を注目してみたいのですが、HP等による情報提供や、相談窓口の設置もありますが、検疫のところです。

(2)検疫等

 国外でSARSの再流行が起こった場合、以下の1.から4.の対応を行う予定です。また、現在も、出入国者に対しては5.の対応をしており、SARSコロナウイルス保有している疑いのある動物については6.の対応をしています。

  1. 渡航に関する助言
      SARSの流行地域へは、不要不急の旅行を延期するよう勧告を出します。
  2. 質問票の配布
      流行地域からの航空便について、機内で質問票を配布し、健康状態を確認します。
  3. 体温測定の実施
      発熱のある方を確認するため、サーモグラフィーや体温計により体温測定を実施します。
  4. 入国後の健康状態の確認
      SARSを治療している医療機関で働いている方など、SARS患者と接触のあった入国者については、入国後も一定期間(潜伏期間)、検疫所への体温等の健康状態の報告を義務付け、万一異状を生じた場合は、検疫所からその入国者がいる都道府県等に通知します。また、通知を受けた都道府県等は、入国者に対して直ちに調査を行い、入院等の必要な措置を講ずることとします。
  5. 出入国者に対する情報提供
      WHOが流行地域の指定を行っていない段階でも、SARS患者と疑われる者が発生するなどの情報が入れば出入国者に対して注意喚起等の情報提供をいたします。
  6. 動物などの輸入禁止

ハクビシン輸入禁止は懐かしいですが、まず行なうとされる1.〜4.の対策は今回の新型インフルエンザの検疫にもそのまま適用されているように感じます。今回の検疫体制の詳細は確認できないのですが、伝聞で聞く所では「ほぼ同様」としてよいかと考えます。

続いて医療体制のところを読んでみると、

(3)医療の確保

 都道府県において、SARSの診療を担当する医療機関を指定し、SARSに対する医療提供体制の整備を行っています。

  1. SARS入院対応医療機関
      全国で236施設の入院対応医療機関(入院対応病床1290床)が整備されています。(平成16年1月6日現在)。
  2. SARS外来診療協力医療機関
      全国で766施設の外来診療協力医療機関が整備されています。(平成16年1月6日現在)。
  3. 設備整備、感染防御資器材等の確保
      SARS入院対応医療機関、SARS外来診療協力医療機関に対し、感染症病室簡易陰圧装置、SARS患者とその他の患者を区分するパーティション設置等の設備整備や、マスク・ガウン等の感染防御資器材の備蓄等に対して補助を行っています。さらに、SARS患者が、一般医療機関を受診した場合に備え、一般医療機関における院内感染防御のためのマスク・ガウン等の備蓄に対しても補助を行っています。
  4. マスクの出荷状況
      医療機関等で感染防止のために用いられるN95マスクの一月当たり出荷量は約71万枚となっています。(従来は、約16万枚/月)

整理のために簡単な比較対照表を作ってみます。

項目 SARS 今回
検疫体制
1)渡航に関する助言

2)質問表の配布

3)体温測定の実施

4)入国後の健康状態の確認

5)出入国者に対する情報提供

1)メキシコへの渡航制限

2)質問表の配布

3)体温測定の実施

4)濃厚接触者の健康確認

5)感染情報の提供

6)疑い例への簡易検査施行
入院対応 全国で236施設の入院対応医療機関(入院対応病床1290床) 第一種感染症指定医療機関(32施設61床)
第二種感染症指定医療機関(314施設1618床)
外来対応 全国で766施設の外来診療協力医療機関が整備 発熱外来約800ヶ所


今回の検疫体制はマスコミ情報と伝聞に基づくものですが、対策としてはほぼ同じであったと見なしてよいかと判断します。対策の基本構想は、
    第一弾:検疫により感染者を阻止または侵入する感染者を極力減らす(水際作戦)
    第二弾:ごく少数の侵入した感染者と濃厚接触者を隔離して感染拡大を防ぐ(封じ込め作戦)
誤解して欲しくないのですが、新型インフルエンザ・ガイドライン策定に当たってSARSの教訓を活かそうとした事自体は批判していません。むしろ活かさなかったら怠慢の謗りを受けかねません。ここでまず示したいのはあくまでも、SARS並みの体制で今回の新型インフルエンザに対応したことです。

このSARS対策が策定されたのは2004年の1月です。SARS騒ぎがピークだったのは前年の2003年で、2003年に実際に行なった対策が2004年に反映されていると考えます。SARSはもう一度繰り返しますが、日本上陸が行なわれていません。ですから、判断として水際作戦が非常に有用であったとの評価があったと考えます。それも2003年の検疫体制で十分機能したとの評価です。

だからガイドラインの戦略もこの経験が濃厚に反映されていると推測します。つまり戦略の基本として、

  1. 2003年のSARSの防疫体制で水際作戦はかなり有用に機能し、完封ないしは国内侵入があってもごく少数である
  2. 水際作戦がそこまで機能するから、国内体制はごく少数の侵入感染者対策で十分封じ込める
どうもなんですが、水際作戦を決戦場と考え、そこに戦力を注ぎ込むことが戦略の基本であったと考えて良さそうです。現実に新型インフルエンザに対する水際作戦が発動されて10日間ほどは発見も無く、厚労省や政府の発言もこの成果を高く評価していたように記憶しています。高く評価したのは結果として発見が無かったことももちろんですが、そうでなければ全体の戦略に誤算が生じる側面もあったんじゃないかと考えています。だからこそあれだけ水際作戦に執着したと考えれば筋が通ります。

成田で感染者が初めて発見されたときも、これは戦略の範囲内の出来事であり、粛々と予定通り隔離して、さらに水際作戦重視の姿勢を続けたと見てよいと考えます。このまま終わればSARS同様に感染対策は大成功だったのですが、そうは問屋が卸さなかったのが今回の展開です。ここでSARSウイルスの評価ですが、実質1年程度で流行が終わってしまったので異論もあるとは思いますが、それでも厚労省の公式見解としては、

SARS患者と接した医療関係者や同居の家族など、患者のせきを浴びたり、痰や体液等に直接触れる等の濃厚な接触をした場合に感染

感染力は高くないとの評価をしています。毒性の最終評価も微妙ではありますが、公式見解としては「高い」としていたで良いと考えます。毒性は高いが感染力の低い病原体であるなら、SARS対策に準じた戦略でもある程度まで機能した可能性はありますが、今回の新型の感染力は「高い」です。高い感染力をもった感染者が侵入すれば、感染の伝播も速やかに広範囲に広がる可能性があります。

これも結果としてわかっていますが、神戸・大阪で国内発見された時には既に国内対策である「封じ込め作戦」が使えない状態に陥っています。国内戦略は水際作戦で感染者がごく少数になるという事と、感染力が高くないので蔓延期に至るまでかなり時間がかかるとの前提で構築されているように思えます。しかし感染力が高かった今回の新型は、一度侵入を許すと二次感染・三次感染をたちまち起こし、それこそ気が付けば封じ込め戦術が通用しない蔓延期に至るものであったと言う事です。

未知の感染症に対する対策ですから、事前の予測と齟齬が生じる事は当然あり、これを予見義務違反と切って捨てるのは良くないとは考えます。ただ未知の感染症がどういう振る舞いをするかの予想が出来ないからこそ、新たに発見される情報に対しての柔軟な対応が必要とされるかと考えます。今回の新型インフルエンザ対策への一番の問題点はそこではないかと考えています。

責任者として難しい立場になるのは理解しなければいけないのですが、今回の対策の経緯は、

  1. メキシコ発の新型インフルエンザをWHO情報もあり強毒性とまず判断した
  2. この新型を強毒性であるが感染力が低い感染症対策(ガイドライン)で迎え撃った
  3. しかし現実として感染力が高かったために、水際作戦を突破されると速やかに国内蔓延状態になった
強毒性対策であったため、初期に新型インフルエンザは怖いとの評価が世論的に定着したのもここでは大きなポイントです。そういう状況で新しい情報が入ってきます。どうやらですが今回の新型は弱毒性らしいとの情報です。強毒性対策であるからこそ、経済の混乱よりも人命重視で厳しい対策が行なえるのですが、弱毒性であれば過剰対策の批判が出てくることになります。

言い換えれば弱毒性情報を入手した時点で、新型インフルエンザ対策は医療の問題と言うより政治の問題に変質したと私は考えます。政治の問題とは当初に強毒性対策を打ち上げた落としどころを探る問題です。強毒性対策は神戸、大阪、京都の惨状を見ればわかるように、地域経済に大きな損失を与えます。これは強毒性対策であるから許される損失であり、弱毒性であるならやりすぎ批判が時間とともに必ず出てきます。

しかし弱毒性判断への転換は、一つ間違うと後で「やっぱり強毒性だった」みたいになった時に強烈な批判が巻き起こります。これは当初の強毒性のPRによる世論への定着がありますから、決断が非常に難しい問題になります。状況として強毒性対策を継続すれば地域経済に深刻な影響を及ぼし、弱毒性判断を誤れば世論の猛烈な批判が巻き起こる状態です。


ここでなんですが、厚労省及び政府の考えとして、最初に発動したガイドライン対策の面子は守りたいは前提としてあるかと考えます。ガイドライン対策を行ったのがミスだったと認めればそれだけで政治問題に発展します。そのため取られる対策は、ガイドラインの基本は守りつつ、内容を順次緩和しながら、なし崩し的に弱毒性対策に移行する方針ではないかと考えています。

なし崩しを行なうためには、まず新型インフルエンザの国内発見をできるだけ早期に鎮圧してしまう事です。国内発見がある限り、政府の弱毒性転換方針が非常にやりにくくなります。この国内発見抑制対策の実態については皆様の現場レポートにある通りだと考えています。国内発見を抑制しつつ、季節の推移を待てば遠からず国内から新型が消えます。

国内から消えれば世論の関心の移ろいは早いですから、注目されなくなった頃を見計らって国内鎮圧宣言を出し、実質的に弱毒性対策に切り替えしまう算段と推測します。現在は過渡期ですから、見ようによっては珍妙な緩和策が出される事になります。先週末に打ち出された新指針では、今回の新型が季節性並の弱毒性である事をアピールしながら、強毒性対策の枠内の緩和方針を打ち出しています。つまり、

    感染地域を非蔓延地帯と蔓延地帯に細分して感染対策を行なう
これはガイドラインが想定する感染力の低い感染症なら、まだしも説明がつく対策です。感染力の高い新型では地域の政治的な事情に合わせただけのものと感じられます。もっとも現時点ではこの程度が精一杯の緩和と理解しなければならないのかもしれません。いきなり180度の方針転換を行なえば、結果評価以前に方針転換そのものに強い批判が出ると考えられるからです。

もう一つ、国内発見抑制対策と並行して季節性のアピールのために必要なのが、ある程度感染発見が広がる事も必要です。神戸や大阪のように無秩序に拡がれば大混乱を再び起こしますから、封じ込め戦術が通用する範囲での発見です。神戸や大阪だけではなく、他の地方でもコントロール可能な発見例を出しながら、感染が鎮静化することを世論誘導する戦術と見ます。封じ込め戦術はガイドラインの枠内で処理できますからね。

鎮圧宣言の時期もそうなると政治的思惑が絡んでくるのではないかと考えます。政治日程として総選挙は重要ですが、これの日程は不明です。総選挙に絡める選択は十分にありますが、とりあえず既知の重要な選挙として東京都議選があります。都議選は与党のうちとくに公明党が重視している選挙ですが、この日程は1/21付けAsahi.comによると、

東京都選挙管理委員会は21日、7月22日に任期満了となる都議会議員(定数127人)の選挙日程を協議し、7月3日告示、12日投開票とすることを決めた。

東京都議選までに鎮圧宣言を出すシナリオはあっても不思議はないかと思っています。


政治的側面はこれぐらいにしておいて、ガイドラインを実行してみて見えてきた大きな問題があります。今回の騒ぎで政府も苦慮しているのは、ガイドライン弱毒性オプションがなかった事じゃないかと考えています。戦術上では感染力が高い病原体対策も乏しかった事も問題ですが、戦略的には弱毒性オプションが無かったことが、今回の新型騒動の脱却に苦慮する一因になっているように感じています。

もし弱毒性オプションがあれば、いつそれを判断・選択するかだけの問題に焦点が絞られますが、無いばっかりに、そういう気運を政策的に一から作り出す必要に迫られているのが現在の状況と私は考えます。


最後に余談ですが、SARS対策のところにおもしろい記述がありました。

    一般医療機関における院内感染防御のためのマスク・ガウン等の備蓄に対しても補助を行っています
そう言えば医師会からサージカル・マスクを一箱配給を受けましたが、これが補助のすべてだったのでしょうか。それとも別枠で補助をもらった方はおられるのでしょうか。私はちょうど開業した頃で、そういう細かい補助に目を向ける余裕が無かったので存じませんが、補助をもらって備蓄されている方がおられれば情報下さい。