9/21付Asahi.com群馬の医療事故で娘を亡くした平柳利明さんに聞くを読んでみます。一問一答形式のインタビューなので、それに合わせて考えてみたいと思います。まず記事の冒頭部分です。
医療事故に対応する仕組みづくりが本格化している。下仁田町出身の歯科医師平柳利明さん(58)は、01年に東京女子医科大病院の医療事故で娘を失ったことを機に、患者と医師の両方の視点から医療事故を見つめ、患者やその家族の支援にあたっている。高崎市の医師佐藤仁さん(71)に話を聞いた先週に引き続き、福島県立大野病院で帝王切開手術を受けた女性が亡くなった事故をめぐる受け止め方を平柳さんに語ってもらった。
インタビューを受けた平柳利明氏は紫色先生が御苦労されている東京女子医大事件の遺族の方のようです。インタビューの順番が前後するのですが、まずこの部分が重要なポイントになるかと考えます。
――医師への信頼が損なわれたのはなぜでしょう。
「本当の姿が見えてきただけだ。教師から『聖職』のイメージがはがれ落ちたのと変わらない。医師も普通の技術者だと思った方が良いかもしれない」
ちょっと感動しました。『聖職』であるとは思ったことはありませんが、医師としての高い倫理観は暗黙のうちに求められるものと考えていましたが、それは「本当の姿」ではないと喝破されています。教師を引き合いに出すのは教師にとって大変失礼な表現かと思いますが、医師は特別の倫理観を求められる職業でなく「普通の技術者」に過ぎないは大いに共鳴できる指摘です。
医師が暗黙のうちに矜持していた倫理観は、世界医療史上の奇跡であるアクセス、コスト、クオリティの並立を曲がりなりにも実現させました。実現不可能な事を実現させた原動力は医師の倫理観そのものであり、その医師の倫理観にもたれかかってさらなるコストの削減とアクセス・クオリティの向上と言う破滅的な要求を行なった事が医療崩壊の主因とされています。無謀な要求に医療システムを支えていた医師の倫理観が変質した、俗に「心が折れた」と評される現象です。
医師は倫理だけで生きるのではなく、その前に一人の人間であるという大きな意識変化です。この変化は医師の倫理と言う建前下に2人前、3人前の仕事を行なって当然と言う意識から、医師だって人間であるから1人前の仕事で十分じゃないかの考え方になりつつあります。しかしそれでも医師であるからの意識は濃厚に残っており、まだまだ医師と言う職業を
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普通の技術者
ここでこの偉大な主張をされた平柳氏は歯科医師です。医師も歯科医師も物事の主張に高い論理性を要求されます。要求されますというか、出来ない者はあまり敬意を集める事はできません。ましてやダブルスタンダードやカメレオン的な御都合主義の主張は歓迎されません。「医師は普通の技術者」との画期的な主張を行われた平柳氏のその他の主張がどうであるかを中心に検証したいと思います。
――大野病院の医療事故で医師の無罪が確定しました。どんなお気持ちですか。
「証拠から判断する限り、無罪は当然だ。ただし、個人の責任が立証できなかっただけで、落ち度はあった。医療界は、この事故でどうすれば助けられる可能性が高くなったのかを検証してほしい」
「無罪だからといって医療への信頼は回復しない。医療界が裁判で医師側ばかりに肩入れしたのは、信頼回復にマイナスだったと思う。医療事故の裁判で患者側の証人になった医師を裏切り者呼ばわりする手合いがまだいる」
冒頭の主張はやや矛盾を含んでいるかと感じられます。
- 証拠から判断する限り、無罪は当然だ
- 個人の責任が立証できなかっただけで、落ち度はあった
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医療界は、この事故でどうすれば助けられる可能性が高くなったのかを検証してほしい
それ以上の事は「普通の技術者」である医師の手が及ぶ範疇ではなく、国策としての医療の根幹に関わる部分になります。平柳氏においても十分御存知の事かと思われますが、少々不可解な主張です。
さらに続く文章については表現と指し示す範囲にかなりの問題が含まれており、今後の発言ではより慎重に為されることをアドバイスとさせて頂きます。
――医療界には都合の悪いことを隠蔽(いん・ぺい)する体質があると指摘する声も聞かれます。
「そこは、劇的な変化を遂げたと思う。昔は事故がないのが当然で、事故対応など考えなかった。隠蔽もカルテの改ざんも日常茶飯事だった。今は隠すと損だという環境ができてきた。東京女子医大ではカルテの改ざんを理由に、医師が保険医登録を取り消された。事故はゼロにできない。こじらせないためには医師が正直なことが大事だ」
どうも平柳氏は断言してしまう事に特徴があるのですが「日常茶飯事」は過度の表現かと存じます。ここは明らかに医師に対する中傷表現であり、「昔」と「今」の時代表現をもう少しはっきりさせないと、現在の医師の大部分が「日常茶飯事」の共犯者と指し示しているのと同様になります。「隠蔽」も「カルテ改竄」も犯罪行為であり、その犯罪行為を行なっていると指摘することは重大な発言です。そこに「日常茶飯事」という表現が加われば、包括的に医師全体と言う解釈が可能であり問題発言になる可能性が生じます。
もっとも
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事故はゼロにできない
――医療安全調査委員会(仮称)の構想について。
「実現するかどうか、医療側の良心が試されている。強制力は必ず持ってほしい。特に、医師を聴取する強制力を。調査に協力した人は、しない人より処分を軽くするといいと思う。ちゃんと調査して行政処分を下す仕組みができれば、警察が動く必要もなくなるだろう」
短い文章なのですが、
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医療側の良心
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強制力は必ず持ってほしい。特に、医師を聴取する強制力を
――東京女子医大では患者参加型の事故調査の仕組みができました。
「病院が自らの欠点を発見できるところが良い。院長の権限が強まるし、教訓を全科で共有できる。ただ、運用は楽ではないし費用もかかる。患者側も大変で、まず多くの類似事例を調べ、病院に納得してもらう必要があった」
「私は医師と患者双方の考えが分かるから仲介役になったが、特に、重度の障害が残った患者のためには医師側と妥協するまいと思った。一方で、医師側の事情も分かる。落としどころを探る作業はしんどかった」
ここは私もよく知らないお話ですからパスさせて頂きます。
――こうした取り組みで十分でしょうか。
「往診先で患者と茶飲み話ができる医師は、医事紛争と無縁だ。トラブルは感情的な問題で起きることが多く、患者への接し方一つで解決したりこじれたりする」
「医師は書類の記入など雑用が多すぎる。もっと本来の仕事に専念し、じっくり診察できるようにしなければならない。患者も、自分で信頼できる医師を探す努力が必要だ」
ここは難しいところですが、
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往診先で患者と茶飲み話ができる医師
ただしこの部分は評価します。
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医師は書類の記入など雑用が多すぎる。もっと本来の仕事に専念し、じっくり診察できるようにしなければならない
あくまでもこの記事を読んだ印象での平柳氏ですが、時に表現が論理性を損ねるところがありますが、おそらくですが、平柳氏の意識の中に「医師は高い倫理観が必要」とか「医師は聖職である」がまだ抜け切っていないのだと考えられます。「医師は普通の技術者である」の主張は画期的なのですが、意識の全てを完全に切り替えて論理構成するには心理的な抵抗感が残っている状態と推察します。
望むらくはそういう古臭い意識を一刻も早く取りさり、
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医師は普通の技術者である