アナリスト

アナリストとはなんぞやになりますが、

  1. 精神分析医。
  2. 企業や産業界の動向を調査・分析して、投資家に役立つ情報を提供する専門家。証券分析家。
  3. 社会情勢分析家。
アナリストの前に「経済」をつけた場合、2.に該当する職業と考えられます。投資の助言屋みたいなものでしょうか。辞書の定義からは自分で投資する職業とは思えませんから、印象としては競馬場におられる予想屋の投資版としても大きな間違いはなさそうです。どちらも自信たっぷりに予想を語り、その予想で商売を行い、さらにその結果について責任を負わないのは非常に類似しています。

競馬の予想屋が競馬場で予想を売る事には競馬ファンも文句を言いません。その予想を買うか買わないかも勝負の内です。同じように投資家が経済アナリストの予想を信じて投資を判断するかどうかも投資家の自己責任です。共通しているのは予想屋や経済アナリストの予想には天気予報程度の信頼しか寄せておらず、なおかつ天気予報が外れても気象庁を訴えようと思わないのと同じ程度の存在であるという事です。だいたい予想屋や経済アナリストがの予想がそんなに当るのなら自分で買えば良いわけで、自分でも儲けるほどに勝てるとは信じていないから予想を売っているわけです。

予想屋や経済アナリストが「当るも八卦、当らぬも八卦」みたいな予想を商売しても問題視されないのは、顧客がその程度の存在との合意が得られている領域で商売しているからです。類似している分野とは言え、予想屋が投資の見通しについて語ったり、経済アナリストが競馬予想を語ったところで、これは商売どころか素人の戯言として見向きもされないのは言うまでもありません。その程度のお商売と言うことです。

もちろんですが予想屋が経済見通しを分析しても構いませんし、経済アナリストが競馬予想をしても構いません。これはあくまでも個人の投資、趣味の領域の事であり、間違っても畑違いの分野でトンチンカンな理解と浅薄な知識でデッチあげた文章で商売を行なうのは笑いものになるだけです。さらにもちろんですが、そういう類の文章を金を払ってまで掲載するのは常識や良識を遥かに超えた愚行と考えられます。

ただし世の中には二足のわらじを履ける才人は存在します。複数の分野で一流の見識を持つ人物です。数は少ないですが確実に存在しますし、凡人が自分の専門分野だけでも四苦八苦しているのに軽々とこれを極めてしまうタイプの人間です。ここにBP netに医療費のコスト削減策はこんなにあると題したコラムを「経済アナリスト」の森永卓郎氏が出されております。テーマとしては医療「経済」に関することでありタイトルは森永氏の守備範囲とも言えない事もありません。4部に分かれていて長いので原文はリンク元を読んで頂くとして、必要部分を引用しながら読んでいきます。

厚生労働省や政治家は、国民の負担を増やす前に、なぜ医療コストを削減する努力をしないのか。彼らはその点について一切触れようとしない。そして、国民に対して「高齢化が進むと医療費が増えるのが当然」だと信じ込ませようとしているのである。

のっけから凄い鼻息のトーンですが、高齢化が進んでも医療費は増えない方策を提案するようです。常識的な大前提として

  1. 高齢者は勤労世代に比べ高齢化により自然と慢性疾患が増える
  2. 慢性疾患でなくとも重病化しやすく、治療の長期間化も増える
これは医師でなくとも考えられますが、そういう前提をすべて含んでも高齢化でも医療費は増えない方策を提示していただけるようです。実効性のある提案ならまさに画期的といえます。

しかし、冷静になって考えてみると、これだけ毎年医療費が増えているにもかかわらず、医療の内容がよくなっていないのは不思議である。確かに先端医療の技術は進歩しているのかもしれないが、ごく一般の診療を見る限り、病院はどこも大混雑。さんざん待たされたあげく、5分しか診てもらえないというのが実情である。

 支払いは増えているのにサービスが低下している。これはどう考えても納得できない。医療費増大の原因は本当に高齢化だけが原因なのか。医療のコスト構造自体も、じっくりと検討すべきときに来ているのではないだろうか。

医療費の増大理由を考えるのに、医療需要の増大があるという事は「冷静になって考えて」も念頭に無いようです。高齢者の増加は平成18年版高齢白書によると、


年齢分類 2000年

(千人)
2010年

(千人)
2010/2000
75歳以上すべて 8999 13779 1.53
70歳以上すべて 12900 20649 1.60
65歳以上すべて 20006 28374 1.42
15〜59歳 78484 71745 0.91


高齢者人口が10年で約1.5倍に増える一方で、いわゆる勤労者人口は0.9倍に減少しています。高齢化するほど病気が増えるのは自然の摂理であり、病気が増えれば医療費が自然に増大します。勤労者世代が減少する分だけは医療費が減るでしょうが、高齢者医療の増加分と差し引きすれば、それこそ微々たる影響です。

10年で1.5倍に高齢者人口が増える速度は世界的に見ても早いペースです。医療費は高齢者の増加によって増大するのは当然であり、また受診数が同じように増えるのもまた当然です。これは単に少子高齢化現象を説明しているだけですが、これによって起される医療への影響は、

  1. 高齢者人口の増加による患者数の増大
  2. 患者数の増大による医療費の増加
これぐらい事は小学生でも分かります。さらにここで全国保険医連合会の資料を引用します。
グラフは1981年を基点の100として、現金給与総額指数、消費者物価指数、診療報酬改定率が示されています。ここで現金給与総額指数は置いといて、消費者物価指数と診療報酬改定率で見てみます。消費者物価指数は解説するまでもありませんが物価の指標です。これが上れば物価が上り、下がれば物価が下がっている見なしてよいものです。もう一つの診療報酬改定率ですが、診療報酬とは医師の給与の事ではありません。診療報酬とは医療行為すべての公定価格のことです。つまり医療の定価です。

つまり物価は1981年から2006年までの間に約1.25倍上昇しています。一方で医療の定価はほぼ横ばいからむしろ下がっています。物価が上り、定価が同じであるのに総医療費が増大しているのは、医療を必要としている患者が増えたという事であり、患者が増えた原因はもちろん高齢者人口の増加です。物価が約1.25倍になっているにも関らず、定価が据え置かれればどうなるか。これは医療だけではなく、いかなる職種でも起こりうることですが、これで内容が向上する事は「ありえない」です。

  • これだけ毎年医療費が増えているにもかかわらず、医療の内容がよくなっていないのは不思議である
  • 支払いは増えているのにサービスが低下している。これはどう考えても納得できない

「不思議である」とか「どう考えても納得できない」と考える方が余ほど不思議な発想です。
    本当に高齢化だけが原因なのか
1981年の65歳以上の高齢者人口は1064万7000人です。これが2000年には2000万6000人、2010年には2837万4000人になると予測されています。1981年より倍率で2.8倍、実数で約1800万人高齢者が増えているのですが、これだけじゃ説明として不足でしょうか。どうにも森永氏はこの程度の「微々たる」高齢者の増加で医療費が増えるのが納得いかないようですし、物価が上っても定価の変わらない医療でサービスが向上しない事を大問題視している事だけは分かります。

森永氏の話は続きます。

なぜ、医療コストが下がらないのか。その理由は明らかである。需要が爆発的に増えているのに、供給を増やしていないからだ。高齢者が増えて患者は増大しているのに、医師の数が絶対的に足りない。

こういう初歩的な話に付き合うのは本当は億劫なんですが、森永氏の主張の基本は「需要 > 供給」状態であるから経済原則からコストの上昇が起こっているとの見解です。通常の市場経済ならそうなるはずですが、医療は統制経済です。医療機関の経営状態を無視して公定価格は設定されます。公定価格は1981年以来変わらず、むしろ下がっています。消費者物価指数が30年の間に約1.5倍になっているにも関らず下がっています。これは通常「医療コストが下がっている」と表現しますが、経済アナリストの分析では「下がっていない」になるようです。ここで医師の数が増えればどうなるかですが、現状なら医師が増えた分だけ医療需要が更に増大し、同じコストであっても総医療費は増大します。

    だが、そんなことはありえない。供給が増えれば値段が下がるのは必然であり、国民が支払う医療費を抑えることができるはずだ。
どうもなんですが、森永氏の理解は「医療費の増大=医療コストの増加」と解釈し、医療コストの高騰は「需要 > 供給」のため生じるとしているようです。現実はかなり違い、定価据え置きで客が増大した状態で、見かけ上の売り上げは増えていますが、経営としては原価割れがあちこちに生じている状態です。医療経営の実態のデータの提示は今日は控えますが、病院は常に満床状態で辛うじて経営黒字を搾り出せる状態です。また満床であっても患者の状態によってはすぐに赤字が発生します。


とにもかくにも森永氏は「医者さえ増やせば医療費は下がる」という理論をこうやって作り上げています。医師も現在の医療情勢から医師不足が深刻であるのは共通認識ですから「医者を増やす」という一点だけ主張は同じなのですが、完全に同床異夢の意見であることがわかります。森永氏の主張は医者の促成栽培論に流れていきます。

例えば、こうしてみたらどうだろうか。建築士と同じように、医師の資格も1級と2級に分けて仕事を分担するのである。

1級、2級と言ってもいろんな考え方や定義づけがあるのですが、

 確かに、先端医療の場合には、高度な知識や技術が必要なことはわかる。しかし、中高年やお年寄りに多い慢性疾患の場合は、さほど高度な医療判断が必要だとは思えない。極端なことを言えば、医者は話の聞き役にまわればよく、出す答えもほぼ決まりきったもののことが多い。もし、手に負えない症状であったり、急性疾患の疑いがあれば大病院にまわせばいい。

どうも2級医師に森永氏が求めているのは、

  1. 中高年やお年寄りに多い慢性疾患の場合は、さほど高度な医療判断が必要だとは思えない
  2. 医者は話の聞き役にまわればよく、出す答えもほぼ決まりきったもののことが多い
  3. 手に負えない症状であったり、急性疾患の疑いがあれば大病院にまわせばいい。
慢性疾患の管理には「高度の判断」は不要な安易な技術だそうです。これだけで少なくとも日本中の医師から石を投げられて当然なんですが、面倒くさいですが補足しておきます。私のような町医者の医療はしばしば森永氏の主張のような医療に見られることがあります。そうである部分もある程度はあります。しかし実際は違います。専門に分かれていても医学には大系があり、大系を知らないと医療は行なえません。実際に先端医療に近いところまで学んでからないと町医者などできるものではありません。

よほどバカでもできる思われているようですが、「手に負えない症状であったり、急性疾患の疑い」があっても、まずそうであると診断するのに技量が必要で、さらにこれを診療所で診察するのか病院に紹介するのかの判断は豊富な経験、それも大系を踏まえた上の経験が不可欠です。

そこで重要になってくるのは、先端医療技術よりもコミュニケーション能力である。そうした技能の優れた人を養成して、2級医師にするわけだ。2級医師は4年制で卒業可能として、とりあえず大量に育成する。

医学部定年については教養をぶっ飛ばせば4年でも3年でもOKの主張はありますが、重要なのは医学部卒業までの年数ではなく、卒業してからの経験年数です。これは昔から10年といわれ、今でもこれが短縮されたとは思えません。10年の間にいかに多くの患者に接し、いかに多くの病気の治療を経験するかが医師養成のすべてと言って構わないかと思います。医学部の授業は実戦経験を積むに当って最低限の知識を求めるだけのものであり、6年が4年に短縮されれば一人前になるのが16年から14年に短縮されるだけの事です。

最近の若者には、福祉の分野で働きたいという意欲を持つ人が多いから、人は集まるだろう。病院が彼らを年収300万円ほどで雇えば、若年層の失業対策にもなる。

今春にも新たに医師免許を得た7000人ほどの研修医が誕生しているはずですが、彼らに今すぐ森永氏の2級医師の条件である、

  1. 中高年やお年寄りに多い慢性疾患の場合は、さほど高度な医療判断が必要だとは思えない
  2. 医者は話の聞き役にまわればよく、出す答えもほぼ決まりきったもののことが多い
  3. 手に負えない症状であったり、急性疾患の疑いがあれば大病院にまわせばいい。
こんな仕事でよいから実戦よろしくと言えば、裸足で逃げ出すかと思います。論外の主張である「300万」でなく「1000万」でも応募する医師はゼロです。彼らは森永氏が嬉々として語る「300万の2級医師」よりはるかに優秀であり、医学知識も優越しているかと考えます。そんな彼らでも森永氏の条件で医療を行なうのは拒否します。人の生命を預かる職業がどれだけ重いかについての認識が問われるところです。

病院としても、そうした2級医師を採用して「早い、安い」を売り物にすれば人気が出るだろう。高齢者にとっては、待ち時間が減って、話をじっくり聞いてくれるので喜ばしい。こうした医療機関が普及すれば全体の医療費を下げられる。みんなハッピーになるのではないか。

    2級医学部卒業の今年の新人で〜す。
    お話の相手ならお任せくださ〜い。
    でも難しい病気はよく分からないからごめんね!
    その代わり料金はお勉強価格で〜す
こんな感じのキャッチフレーズでしょうか。少なくとも森永氏はそういう医療を受けるだけで心から満足されるようです。私は嫌ですけどね。最後に、

なかでも麻酔ならばお手のものだ。病院での麻酔医の不足が大きな問題となっているなか、日常的に麻酔を使っている歯科医は貴重な存在である。麻酔医を増やすためのコストがほとんどかからないので、確実に医療費の削減につながる。

ここについては一言のみです。

    麻酔科を舐めるな!
森永氏の名誉のために補足しておきますが、最後の麻酔歯科医は荒唐無稽とは言い切れません。麻酔科医不足の対策の一つとしてアメリカのように麻酔看護師の導入の是非の議論はありますから、その延長線上の感覚で歯科医師を麻酔に使うと言う考え方は主張として可能の範囲だとは思います。現場を知る医師・歯科医師から反発が出るのは当然ですが、森永氏は医療関係者でなく経済アナリストですからそこまでの知見を求めるのは無理があるとも考えられます。

それと「医師を増やせば医療コストが下がる」論は、何度か読み直すとこうとも解釈できます。かなり強引ですが、

  1. 医療コストとは総医療費の事を指している(普通はそう読めませんが)
  2. 総医療費増大は需要増と理解している(高齢人口の増大が原因ではないと書いていますが)
  3. 年収300万の医師を量産すれば医療単価を引き下げられ、総医療費が抑制できる
要するに医師の人件費抑制論と単純に解釈すれば無理やりですが、経済アナリストらしい主張と理解する事が出来ます。またこれも経済アナリストらしく、医療単価の引き下げのためには医療の質の低下は容認しています。年収300万の医師に現在の医師のような能力を期待していないという点です。コストダウンのためにはクオリティの低下は当然としているところは見ておく必要があります。

医療の成立条件はaccess、cost、quallityの3つですが、このうちquallityは通常の感覚では無条件に保持しようと考えます。quallityを保持した上で、accessとcostのどちらかを優先しながら成立しているのが先進国の医療への姿勢です。ところが森永氏の発想の斬新さはquallityを下げてaccessとcostを成立させようです。「医師」と名がつくものが診察や医療行為を行なえば、

    みんなハッピーになるのではないか
発想の転換と言えば褒め言葉ですが、経済アナリストにしては重要なコストを忘れているように思います。訴訟コストの増大はどう考えておられるのでしょうか。quallityが下がればこれも当然のように医療事故は増大します。2級医師にたいしての刑事民事免責論で逃げたいかもしれませんが、それがいかに困難かは事故調問題ではっきりしています。年収300万の2級医師であっても1億を超える巨額の賠償はごく普通に行われます。さらに賠償額の増加は医賠責をどういう形で運用しようが保険料の更なる増額は避けられません。

年収300万で医賠責の保険料を払えるかが焦点になります。ここで保険料を払わずに巨額の医療訴訟に負けたら身の破滅で終わらしてしまう考え方もあります。しかし年収300万でそんなリスキーな仕事を選択する必然性が思い浮かびません。あえて選択するのは、他に食べていく職業がどうしても見つからない人間に限られると考えるのが妥当です。とくに森永氏が強調する「コミュニケーション能力」に優れた人間であるなら確実に忌避する職業と思ってしまいますが、そこの考察についてはコラムでは不明でした。