医師数は算術か

いつも鋭い切り口で楽しませて頂いている癌治療医のつれづれ日記様のA System of Health Accountsがすごい興味深かったので、今日はそこから話を始めます。

医療費が今後5年間で1.1兆円削減されるのは国策として決定されています。しかしごく単純に見ると現在の医療費32兆円を31兆円に減らすだけなのに、そこまで大騒ぎするのは「ちょっと変」と感じられる人も少なくないかと思います。もちろんほんの少し考えれば、医療が高度化することによって上昇する価格分、高齢人口が急増して必然的に増える医療費を無視して「削減」するのですから、影響は大きい事ぐらいはある程度わかります。

ところが癌治療医のつれづれ日記様を読むと、本来増えなければならない医療費を削減する以上の影響が日本の医療にかかっている事が分かります。詳しくはリンク先を読んでもらえば一目瞭然なのですが、かいつまんでお話します。

日本の医療で大きな役割を果たしている公立病院、いわゆる国立病院や県立病院、市民病院などですが、これらの病院の設備投資、すなわち新築増築、高額の医療機器の購入は国及び自治体の予算で行われていると言う事です。簡単に言うと税金で行われ、税金で行われた分については医療費にカウントされていないと言う事です。医療費にカウントされていないとはどういうことかと言えば、予算で購入された物の代金は公立病院は返済する必要が無いと言う事です。

税金のような公的資金で行なわれている部分を含んだ医療費をA System of Health Accountsとと言い、日本語では総保健医療支出ぐらいに訳すのが適当となっています。医療費の国際比較を行なうにあたり、総保健医療支出でするのが相応しいとしてOECDも報告を求めているとされています。では日本はどの程度かというと40兆円となっています。32兆円から増えたので、世界に冠たる低医療費国家の汚名返上かと思ったたのですが、この額はイギリス以下のG7最低額であることには変わりありません。

この税金などの公的資金分ですが「40兆円−32兆円=8兆円」になります。医療費の見方が変わっても「だからどうだ」の声が聞こえそうですが、国及び自治体の財政逼迫によって公立病院のあり方が近年大きく変わっている事は御存知かと思います。一番分かり安いのは旧国立病院で、このほとんどが独立行政法人国立病院機構になっています。旧国立病院の名前が変わって、どう変わったかと言えば「独立採算」になった事です。地方自治体の公立病院でも独立採算性に変わっているところは増えています。

独立採算制に変われば、これまで医療費に含まれなかった税金などの公的資金分が返済しなければならない借金に変わります。つまり病院経営の新たな支出として医療費に含まれる事になります。もちろん8兆円がいきなりすべて病院負担になったわけではありませんが、目指すゴールはすべて医療費に転嫁する事です。その圧力も確実に強くなっており、1.1兆円の表向きの医療費削減の裏で、8兆円の医療費付け替えも確実に進行しています。

そんな単純計算にはならないでしょうが、現在削減されようとしている医療費削減は32兆円から31兆円にする事ではなく、40兆円から31兆円に減らす政策になっていると見てよいという事です。そりゃ、医療経営がどこでも悲鳴が上るわけです。

このお話をしみじみ読みながらまず考えたのですが、医療といえども財源規模以上の事は出来るはずが無いという単純な事です。医療をすこし特殊な産業と見るから話がややこしくなるのですが、他の産業であれば、その産業の売り上げによって規模は決まります。1億円産業なら、その規模に応じた店舗数、従業員の上限があり、1兆円産業でも基本的に同じです。医療の場合、売り上げは医療費と言う国が決める枠があり、それ以上の成長拡大は経済法則からして不可能のはずです。

40兆円から31兆円に産業規模が縮小するならば、通常の対応はどうするかです。平成大不況で行なわれたリストラ手法になりますが、

  1. 不採算部門の切捨て
  2. 不採算店舗の切捨て
  3. 上記二つを断行した上での大胆な人員整理
これを断行しないと生き残れません。医療と言えども経営ですから、この方針を鉄の意志でやりぬいたところしか生き残れず、出来ないところは放漫経営の烙印を押されて消え去ります。もちろん政府が建前として話している「医療費を削減しながら医療を充実させる」なんてのは最初から矛盾した論理で、まったくの絵空事であるのは明らかです。

リストラ方針を医療に当てはめると、これから医療規模は医療費削減に伴って縮小しなければならないのですから、当然医師も含めた医療従事者は削減しなければなりません。医学部の定員を増やすなんて経済法則からすると全くの間違いになります。医療の適正化とは、削減された医療費で「適正」に雇用される数に医療者を削減させるのが正しいやり方になります。

ここまで書いてきて、厚生労働省が今でも基本的に変えていない「医師は足りている」がやっと理解できました。厚生労働省の公式会議である「医師の需給に関する検討会報告書」の本当の趣旨もやっと理解できました。厚生労働省の主張通り、「医師は足りており」「緩やかに余剰」に向かっています。この言葉に嘘は無く、報告書には書かれていませんが、算数的といってよい明快さで根拠を説明できます。

厚生労働省の「医師は足りている」は医療費の予算内で賄える「医師の数は足りている」だったのです。「緩やかに余剰に向かう」も医療費の削減が続けば、食いっぱぐれる医師が算数的に出現し「余剰」になります。今まで医師の需給は医療需要に対するものと考えていたから厚生労働省の主張が理解できなかったのであり、医療費に「適正」なと言う視点で見ればすべて説明可能です。

報告書の表向きにそんな事を書けば大変な事になりますから、本来「医療費に適正な数」の報告を「医療需要に適正な数」と粉飾する必要があります。その巨大なギャップを統計的に辻褄を合わさなければならず、その大変な作業を長谷川俊彦氏は苦心惨憺作り上げなければならなかったのです。それは無謀に近いような壮大な作業であったと思います。

厚生労働省の「医師は足りている」は「医は算術」ならぬ「医師数は算術」に基づいた非常に論理的な主張である事がやっと判明しました。まさに厚生労働省恐るべしです。