しょせん高望み

10/1付読売新聞・編集手帳より、

 毎日100万円ずつ貯金して、6800億円ためるのに何年かかる? 経済記者をしていたころ、知人に問われたことがある◆ざっと1800年はかかる。「卑弥呼(ひみこ)の昔からこつこつ蓄えたお金で金融機関を助けるとは気前がいい」と皮肉を言われた。住宅金融専門会社、いわゆる「住専」に政府はためらわず税金を投入すべし、という記事を書いた時である◆「マネーゲームでさんざん儲(もう)けてきた連中の尻ぬぐいに、われわれ庶民の税金が使われるのは許せない」という素朴な感情の前では、「金融危機の連鎖を断つことが何よりも大事」という説得はいつの世も旗色が悪い◆米下院で金融安定化の法案が否決された。株は暴落し、世界経済は大揺れである。投入されるはずの税金は74兆円、毎日100万円ずつ貯金して20万年かかる巨額なものだが、手当てが遅れるほど傷口は広がり、費用は膨らんでいく◆世の“素朴な感情”におもねった否決を悔やむ日が来るだろう。「夏に歌っていたのなら冬は踊って暮らせ」。寓話(ぐうわ)のアリのように、落ちぶれたキリギリスを追い払えないのが金融危機のむずかしさである。

経済問題は詳しいとは言えないので、その点は割り引いてお願いします。

アメリカでは深刻な金融危機が起こっています。放置すればアメリカだけではなく全世界を恐慌に巻き込むほどの深刻さであり、早急の対策が望まれています。対策として立てられたのが政府による巨額の金融支援です。政府もそれなりに根回ししたはずですが、なんとこの金融支援法案が否決されてしまいました。金融系のサイトでは大騒ぎのようです。

否決された理由としては様々あるのでしょうが、有力な物に感情論があります。支援対象の金融機関は巧みな金融操作でそれこそ巨額の収益をあげてきており、その社員にはアメリカ人でも妬むぐらいの巨額な報酬が支払われていたそうです。そこで出てきた意見として、

    マネーゲームでさんざん儲(もう)けてきた連中の尻ぬぐいに、われわれ庶民の税金が使われるのは許せない」という素朴な感情
私も感情的には理解します。儲ける時には好き放題儲けておいて、マネーゲームで失敗したら税金で尻拭いなんてチャンチャラおかしいの感情論です。さらにその上での状況がアメリカにはあります。大統領選及び下院議員選挙も近づいています。日本も格差社会が言われていますが、当然のように先輩アメリカはもっと凄まじい格差社会になっています。格差社会とは一握りの「持てる者」と大多数の「持たざる者」に分かれ、それが固定する社会の事です。

選挙さえなければ「持たざる者」の意見などは格差社会では無視されるのかもしれませんが、選挙となれば話は別です。選挙では大多数を占める「持たざる者」の支持が無いと当選しません。ここで「持たざる者」は「持てる者」、とくにマネーゲームで巨額の報酬を得ていたものへの反発は強力ですから、政府の金融支援を感情論から喜びません。議員にとっても多数派の不興を買う議決には躊躇することになります。

しかし大局的には金融支援することがどうやら正しいようです。その金融支援もタイミングが大切で、時機を逸すればそれだけ被害が鰻上りになると予測されています。日本で例を取るとバブル崩壊後の金融危機の時の公的資金注入みたいな感じと考えれば良さそうです。つまり現在の事態に対しては感情論を抑えこんで政府による金融支援を速やかに行うのが最善の選択であるとの考え方です。

本当にそれが最善の策であるかどうかの判断は私には出来ませんし、またそれを論じるのが今日のテーマではありません。あくまでも金融支援が最善の策と仮定してコラムの主張を見ると、

    世の“素朴な感情”におもねった否決を悔やむ日が来るだろう。
世論としての多数派の意見に反してでも金融支援を行うべきだの姿勢を明確にしています。冷静な分析で「正しい」と判断される事は感情論に流される事なく、これを断固行なうべきだの意見です。それだけでなく多数派への説得も敢然と行なっています。
    手当てが遅れるほど傷口は広がり、費用は膨らんでいく
    「夏に歌っていたのなら冬は踊って暮らせ」。寓話(ぐうわ)のアリのように、落ちぶれたキリギリスを追い払えないのが金融危機のむずかしさである。
ここは感情論ではなく対極的な立場で物事を考えようの意見表明です。

コラムの内容自体はまずまず申し分はありません。それは良いのですが、これを国内の報道でも同様にやれないかの高望みです。あくまでも自称ですが「社会の公器」「社会の木鐸」としていますので、問題についてあくまでも冷静に判断を下し、たとえ世論が反対しようとも正しいと信じればあくまでも自らの意見を主張し、反対派もなんとか説得しようとする態度です。もちろん感情論などには与せず、むしろそういう感情論を排した位置、俗に言う大所高所からの大局的な判断で物事を論じる姿勢です。


ここでなんですが、こういう意見をもしマスコミにぶつけたと想定して返ってくる答えと私の感想なんですが、

  1. 「国内でもそうだ」と心の底から言えるようなら処置無し
  2. 「経営的にそうは言っていられない」と言うなら「社会の公器」「社会の木鐸」と自称するのを速やかにとりやめ「我こそはタブロイド紙である」と宣言すべし
  3. 「反省してそうなるように努力する」なら次世代に生き残る可能性が出てくる
正解はどれかと考えてみます。今回の記事はアメリカの事件です。記事が対象にしている読者は日本人であってアメリカ人ではありません。アメリカの多数派の「持たざる者」が読む可能性が極限までにゼロに近い情報発信です。日本の場合、「持つ者」も「持たざる者」もアメリカ発の金融危機が日本に波及し不況になるのは好まないという事で利害は一致しています。言ったら悪いですがアメリカの「持たざる者」がどうなろうと対岸の火事です。

問題への関心は日本への飛び火の影響が出来るだけ少なくなる事に絞られます。少なくなるためには現時点で客観的に考えて政府の金融支援が成立する事が望ましいになります。政府の金融支援が遅れた時やましてや行なわれない時のバッドシナリオは歓迎しません。「持つ者」はより深刻に考えるでしょうし、「持たざる者」も好景気といわれてもこんなに生活が苦しいのに不景気となれば考えるのもゾッとするで一致します。

読者が読みたい答えがそろっている時の記事は大変書きやすくなります。金融支援成立への記事をひたすら書けば読者は満足しますし、今回の悪者はアメリカ人ですから普段にまして存分に叩けます。この構図での記事作りは金太郎飴のように各社共通しており、まるで共同作業で記事を書いているかのように全く同じに私には見えます。

今回はタマタマ日本の国益と言う部分で共通項が出来たために正論的な報道記事になったと考えるのが妥当のように考えられます。そうなると答えは「処置無し」になり、普段と同じ報道姿勢で出来上がっただけの記事と考えて良いかと思われます。ちょこっとマスコミに高望みしましたがしょせんは高望みと考えた方が良さそうです。

報道被害者の常連ですから僻みが入っているのは割り引いといてくださいね。