八鹿病院の戦術

9/25付中日新聞より、

医療をまもる 総合診療  専門超え急病に対応

 「総合診療科」のドアを開けると、広い待合室。看護師が長いすの横に腰を落として、初診の患者に症状を詳しく聞いている。受け付けカウンターの中では、問診した内容を電子カルテへ入力する看護師たち。数少ない医師の事務作業を減らすために、看護師の守備範囲は広い。

 兵庫県養父(やぶ)市の公立八鹿(ようか)病院が、新病院建設に際して一昨年からスタートさせた総合診療科。長年のチーム医療の取り組みを基に、医師不足の中で効率よく医療を進めていくノウハウが、随所に見られる。

 同病院は診療所などからの紹介患者を予約制で診療しているが、総合診療科は急病患者などの受け皿。研修医を含めた内科医十一人全員で、専門の枠を超えて患者を診る。消化器が専門の医師が脳出血の患者を診ることもあるし、医師の人手が足りない外科系の初診も手がける。受診の順番は「急を要する人が先」。救急も同科の担当だ。

 片山覚副院長(53)は「大きな病院なら、循環器、消化器、呼吸器などのそれぞれに初診担当を置けるが、田舎にはそんな数はいない。当直もばらばらにやっていては大変。だからまとめてやろうよ、という発想です」と説明する。

 養父市は高齢化率30%を超える過疎の町。地域の中核病院である八鹿病院も、四百二十床、十九診療科を持ちながら、医師数は長年五十人前後で推移し、慢性的に不足状態だった。現在は四十人に落ち込んでいる。

 「もともと医師は大学を出て病院に行けば、なんでも扱うのが当たり前だったのに、専門分化が進んでそれがやりにくくなった。全体の80−90%は総合診療医で対応できます。専門医につなぐかどうかを適切に判断することも大切な能力」と片山副院長。

 「専門外だから」と尻込みすることなく、救急搬送はすべて受ける。病棟も、専門科別に分けず、当番医が看護師や薬剤師、リハビリのスタッフと一緒に回診して、入院患者の情報を共有する。内科医の木谷茜さん(28)は「他の病院で研修医だったころは指導医がついていて、自分の判断をしては駄目って雰囲気だったけれど、ここでは専門外で苦手とか言ってられない。本当に勉強になります」と話す。

 同病院は訪問看護の取り組みでも知られ、年間約二万件以上と「おそらく全国でもトップクラス」(水間忠広報係長)。総合診療科と連携する地域医療科のソーシャルワーカーや事務職員が中心となって、常に満床に近い状態のベッドをやりくりし、患者のリハビリや早期退院、在宅医療への流れを統括する。新病院建設に際しては、総合診療科内に感染症専用の待合室を別に設け、インフルエンザ流行期などの患者間での感染を防ぐ試みも取り入れた(概略図参照)。

 とはいえ、医療崩壊の現状は深刻。二十年以上も黒字経営を続けてきた同病院も、予想以上の勤務医離れや新病院建設費用の負担もあって、昨年は約五億円の赤字を計上した。地域医療の魅力をPRし、若い医師の関心を呼びたいという。

 四十年以上にわたって勤務し、職員の精神的支柱になっている谷尚名誉院長(80)は「医師が専門分化するから第一線の病院と患者さんのトラブルも多くなる。大学でも、専門医だけでなく総合診療医の養成にもっと力を入れてほしい」と話す。同病院の取り組みが刺激となり、養父市など兵庫県北部の但馬(たじま)地域では、八つの公立病院すべてに総合診療科を設置する計画が進んでいる。 (安藤明夫)

総合診療科礼賛と言うより総合医礼賛記事と受け取った方が良さそうな内容です。でもって絶賛されているシステムを検証してみます。

同病院は診療所などからの紹介患者を予約制で診療しているが

とりあえず専門科への紹介状を持つ患者への総合診療科の出番はないと考えて良さそうです。総合診療科のテリトリーは

総合診療科は急病患者などの受け皿

これだけでは漠然としすぎているのですが、公立八鹿の診察案内を見てみます。

診療科
総合診療科
総合内科
循環器内科
呼吸器内科
消化器内科
神経内科
胃腸科
小児科
外科
緩和ケア科
整形外科
脳神経外科 - -
皮膚科
泌尿器科
産婦人科
眼科
耳鼻咽喉科
ペインクリニック - - -
放射線
精神神経科 - - - -
歯科

◎…予約なしで受診可能です

△…総合診療科で受診可能です 

○…予約優先です

※…各科にお問い合わせください



・予約なしで受診された場合、希望される診療科で診療できない場合もあります。

・「◎」で表示の場合でも、予約状況等により診療できない場合もあります。


あくまでも診療案内から見る限りですが総合診療科のテリトリーは、
  1. 専門科への紹介状がある者は診ない
  2. 小児科と皮膚科、とくに小児科の患者は診ない
  3. 1.と2.を除いたすべての急病の初診患者
小児科・皮膚科は黄色で強調しておきましたが、総合診療科と同様に予約なしで受診できるため「迷って」総合診療科を受診する人以外は無いだろうと考えます。とくに小児科と総合診療科の受診を迷う患者は少ないと思われますから皆無に近いかと考えられます。それと診療案内を見ればお分かりの通り、ほとんどの診療科が予約優先で診療を行っています。ですから対象となるのは予約できない急病による初診患者が主なテリトリーと考えて良さそうです。

初診後の再診は総合診療科で診察する事もあるでしょうし、各専門科に割り振られると考えます。とくにある水準以上の疾患であれば、衰えたとは言えこれだけの専門科があるのですから、速やかに割り振っていくのが主な業務であると考えても良いかもしれません。専門科があるのにわざわざ総合診療科で診療を続ける必然性はないというところです。そうなると業務としては当然の事ですが、

消化器が専門の医師が脳出血の患者を診ることもあるし、医師の人手が足りない外科系の初診も手がける。

何かすごい事をしているように書いてありますが、普通のお仕事です。どう普通かと言えば時間外の救急診療では当たり前の事として全国で連日連夜行なわれています。そこでは「消化器が専門の医師が脳出血の患者を診る」レベルではなく「精神科が専門の医師が脳出血の患者を診る」レベルも珍しいとは言えません。そんな事は公立八鹿よりまだ充実している公立豊岡でも行なわれていますし、他でも数え切れないくらい救急病院で行なわれています。

救急外来より恵まれているのは日勤中なので迷えばいつでも専門科の応援が可能な事です。こういうお仕事は外科系も見るという点を除けば大病院でも一般内科というシステムで運用しているかと思います。ただ公立八鹿では外科系医師の不足が著しいらしく、一般内科だけではなく外科系の初診の一部を診るようなので一般内科ではなく総合診療科の看板にしていると考えます。

総合診療科に属する医師は

研修医を含めた内科医十一人全員

内科の医師が全員所属しているのであれば、これも当たり前ですが、

救急も同科の担当

ちなみに公立八鹿の各診療科・各部のご案内には総合診療科は存在しないので、総合診療科が救急の担当と言うより、総合診療科の医師が内科医だから当直があたり救急業務に自然に従事すると考えた方が良いと思います。

片山覚副院長(53)は「大きな病院なら、循環器、消化器、呼吸器などのそれぞれに初診担当を置けるが、田舎にはそんな数はいない。当直もばらばらにやっていては大変。だからまとめてやろうよ、という発想です」と説明する。

これもなかなか意味深な発言です。どうもなんですが従来は当直も「循環器、消化器、呼吸器」てな感じで置いていた時期があるようです。しかし医師数が減って維持できなくなったので内科当直という事で一本化したものと考えます。実際はどんな当直体制か知る由もありませんが、研修医を入れて11人しかいませんから、3人も当直を置けば負担はかなりのものになります。

批判的に書いているように受け取る方もおられるかもしれませんが、この取組み自体は全面否定はしていません。戦力減のカバーを戦術で補おうの方針だからです。戦力の低下はどの程度かといえば、

医師数は長年五十人前後で推移し、慢性的に不足状態だった。現在は四十人に落ち込んでいる。

これも補足しておけば2004年4月で49人、2006年4月で45人ですから、2006年から2年でさらにまた5人減っている事になります。わずか4年間で9人も減ってますから非常に厳しい状態で、病院の戦術方針として現有戦力のレベルアップを考えているのだと思っています。レベルアップとは個々の医師の専門分野以外の技量のレベルアップと考えています。

個々の医師にはそれぞれ専門分野がありますが、専門分野だけでは実際の診療は出来ません。専門領域の周辺の他の専門分野と重なり合う部分の知識技量が不可欠なものです。これを病院内での専門の垣根を出来るだけ取り払う事により、他の専門分野の専門家との交流を容易にし、その事により周辺知識の厚みを増し、お互いにカバーできる領域を増やそうの考えと私は受け取っています。

これを行なうには強いリーダーシップが必要ですし、そうする事によりお互いがラクできるメリットが必要です。もちろんですがこの戦術に協力せざるを得ない環境が不可欠です。書くだけならたやすそうですが、利害の異なる専門家をまとめあげるには多大な努力を費やしていると考えられます。

ただしなんですが全面否定はしていませんが、全面肯定もしていません。「実は」と強調するほどの事ではありませんが、メジャー科の医師である分野の専門家レベルであれば、周辺知識のレベルアップはさしての難事ではありません。もちろん求めるレベルによりますが、実戦的に有用なレベル程度なら、環境さえ整備されれば習得は容易です。もちろん他の分野の専門レベルと同等の能力まで求めると目の眩むような話ですが、有用な補助戦力程度なら短期間で養成できます。

一つの専門分野の一人前の医師と言うのはそれぐらいの基礎知識と経験はもっているという事です。医療において専門家になるというのは、専門領域のポールを登りつめる事ではありません。専門家の高みがあるだけではなく富士山のように広い裾野を同時にもっているという事です。広大な裾野があるからこそ、裾野を少し持ち上げれば容易に補助戦力程度にすぐに達するという事です。

しかし研修医は別です。研修医の出発点は極論すればゼロです。そこから一人前への長い階段を登っていくのですが、こういう状態で「総合医」と称して養成すればどうなるかです。どれだけ研修しても各専門分野の裾野レベルで終始し、その程度の医師しか育ちません。下手すると私が内科を診るより全体として低いレベルになる可能性も十分あります。こういうシステムはまずある領域の専門分野に達したものが裾野のレベルアップに使うのには有効ですが、研修医にはかえって害のあるシステムになると考えます。


最後に笑ったのは〆の部分です。

同病院の取り組みが刺激となり、養父市など兵庫県北部の但馬(たじま)地域では、八つの公立病院すべてに総合診療科を設置する計画が進んでいる。

但馬には9つの公立病院がありますが、どういう状態になっているかといえば、

病院名 2004.4 2006.4
豊岡 76 81
日高 14 9
出石 6 4
梁瀬 6 5
和田山 10 6
八鹿 49 45
村岡 4 4
香住 10 4
浜坂 10 5
合計 185 163
このうち公立八鹿が現在40人になっているのは上記しましたが、日高は7名に減っています。さらに但馬の医療確保対策協議会の計画が推進されていれば、出石、梁瀬、村岡の3病院は常勤医が3名になっているかもしれません。この程度の人数の病院ならば嫌でも総合診療科にならざるを得ないと考えるのは私だけでしょうか。公立八鹿や公立豊岡クラスなら診療科の垣根が出来るほどの医師数がいますが、その他の公立7病院では力瘤を入れて総合診療科の看板を上げることの意味合いが良く分かりません。

記事にもある片山覚副院長は大変な熱意を持ってこの総合診療科プロジェクトを推進しておられるようです。これはssd様が提供してくれた資料でもよく分かります。戦術としては非常事態に有用なところは評価しますが、あくまでも戦術の有効性だけです。但馬の医療の緊急の大課題は減少し続ける医師数に歯止めどころか拍車がかかり、これを押し留める戦略が存在しない事です。その減少数は既にデッドラインに達しています。ここで思い出される言葉としては、

    戦術のミスは戦略でカバーできるが、戦略のミスは戦術ではカバーできない
言い古された言葉ですが、公立八鹿と言う局地戦ではある程度有効な戦術ですが、残念ながら戦局を転換する戦略にはなりえないと考えられます。まあ、現場が精一杯の戦術を駆使してなんとか支えているうちに戦略が有用に働き出すのが理想ですが、戦術を戦略のように賛美しているようでは見通しは明るくないと感じます。そして戦略は県レベルではどうしようもない状態です。