保険病名雑談

悪の権化のように言われる保険病名ですが、おそらく医師が考えている保険病名と医師以外の方が思い浮かべているのではかなり違います。何が正しい定義の保険病名になるか私も自信がないのですが、保険請求上の保険病名の定義はこんな感じです。

    診療録一号用紙の病名欄とレセプト請求の病名が一致しないもの
なんの事かよく分からない人がいるかも知れないので解説しておくと、医師は患者を診察すると診療録(カルテ)にその内容を記載します。それぐらいは誰でも知ってられると思いますが、同時にカルテの一号用紙(表紙)にある病名欄に診断名も記載します。レセプト請求(保険請求)はカルテの記載内容に従って作成するのですが、この時にカルテの病名も転記します。ここまでは自然な作業です。

ところがレセプト作成時にチェックと言うのを行ないます。何をチェックするかといえば、レセプト請求で出される診療行為(検査、処置、処方など)が病名に合致しているかどうかを確認します。診察時に記載するのが原則ですが、どうしても書ききれずに落ちている時があるからです。気がついた部分をレセプトの病名欄に追加記入するのですが、本来は同時にカルテの病名欄も追加訂正する必要があります。

このカルテの修正作業を怠ればレセプトの病名がカルテには無いと言う事が発生します。レセプト請求、すなわち保険請求にのみある病名なのでこれを「保険病名」と呼ばれ、こういう事が発覚すると厳重な指導を頂きます。カルテの病名とレセプトの病名は完全に一致していなければならないのです。これは開業時の指導でコンコンと指導されますし、私はクソ真面目に守っています。


ただこの保険請求上の保険病名の定義では違和感を持つ方が多いと思われます。医師の間では違う意味でこの保険病名と言う言葉が使われる事が多いですし、医師以外の方もそう考えてられる方もおられます。

一部を除いて大部分の日本の医療は保険診療です。保険診療には療養担当規則を始めとして有形無形の多数の約束事があります。おそらくですがそのすべてに通暁されている方は日本にいないと思われます。一人ぐらいはいるんじゃないかとも言われそうですが、有形部分はともかく無形部分は不文律であり、全国にローカルルールは多数存在し、そのうえ何の通告も無しにこれは変更されます。

最近ではレセ対(レセプト対策)と称する専属チームが作られ、全国の不文律情報をかき集めて研究に研究を重ねているところも少なくありませんが、それでも満点回答を出し続ける事は限りなく無理の世界です。それぐらいレセ請求は難解かつ手強い代物であるという事です。このレセ対の一環として保険病名問題が出てきます。

わかりやすい例なら薬の問題があります。医師は治療のために自由に薬剤を選択し投与できるのが大原則です。自由にと言っても薬には副作用、投与量などの情報が医師にも必要です。そこで薬剤には効能書きといわれるものが添付されています。そこにはどんな構造の薬になっており、標準投与量はこの程度、作用機序、副作用などの他、公認された適用症が記載されています。

公認された適用症とは臨床試験を行ない国がこういう病気なら投与しても構わないと認めたものです。これにはさらに適用範囲もあり、子供や授乳婦、高齢者、また併発疾患のときの適用も書かれていたりします。もちろん医師も十分にこの効能書きを確認して患者に処方します。

医師が病名の診断を下し、それに有用な薬剤を適応症に従って選択し、患者が速やかに治癒するのであれば何の問題も生じません。ところがギッチョン必ずしもそうはいかないのが医療の世界です。私のような町医者レベルでも存在しますし、先端に行けば行くほど著明になると言っても良いかもしません。薬剤の効能書きには無いがその治療に非常に有効な薬剤と言うのが多数存在します。比較的多いのは海外では適用が承認され成果を上げているが、日本では適用症として認められていないものです。

病気の治療が少し長引く程度であれば適用症に無いから使わないはできますが、これが生死に関わるとか、使わなければ重大な後遺症が現れるとなればなんとか使おうと考えるのが医師としての心情です。しかしそのまま投与すれば「適応外」で保険請求は却下(査定)されます。こういう薬剤の大部分は非常に高価な薬剤が多く、査定されると下手すると経営に響くほどのものになります。またその薬剤だけ自費診療とするという対策も日本では事実上禁止されています。

そうなれば患者の治療のために必要という事で、本来その患者の病気でない病名を必要な薬剤の適用症に合わせて記載するという手段を用います。これは薬剤だけではなく検査や他の治療手技でも多数存在します。こういう本来の病名でない、保険請求を通すためだけの病名を医師の間では保険病名と言います。一種の裏技みたいなものです。保険病名を患者に告げて同意させれば共犯と言う考え方も出来るかもしれません。

こういう行為は好ましいとは言えないのは確かです。ところが保険病名で患者に治療を行なった積み重ねが結果として日本でも蓄積されます。蓄積され成果が学会などで認められると今度はどうなるか。日本でも十分な効果が確認されたので適用症として認めようという動きにつながっていくのです。表だって角を立てればあまり好ましくない行為の積み重ねが晴れて正式承認の呼び水になるという流れが日本にはあります。皮肉と言うか不思議な流れですが、間違い無くそういう流れがあります。

回りまわれば適用症の承認審査の遅れが現場で必要な治療と保険適用のギャップを産みだしていると言ってもよく、間に立った医師がその矛盾をなんとか便法で取り繕っていると言う見方も出来ます。

ところがこの保険病名に大きな不満を持つ方々がおられます。医師は「裏技」とか「便法」と言っているが単なる不正であり、これをビシバシ取り締まれという意見です。取り締まれば保険財政の赤字も縮小するから、見逃すことなくチェックしろ言う意見も小さな声ではありません。医師は患者に本当の病名を告げますが、保険病名は告げません。だから調べてみると「○○病」と書いてあり、虚偽の病名で不正な検査、薬剤を投与してあくどい利益を上げているとの考え方です。

もちろんそんな医師がこの世にいないとまで言いません。医師が全員聖人君子であるはずなどないからです。26万人もいれば儲け主義に走る医師も絶対存在するからです。ではそういう不逞の輩を取り締まるために保険病名を全面禁止にしたらどうなるか。あまり患者にとってメリットのある話とは私には思えません。

もっとも治療を受けるのは患者自身であり、患者側が金輪際適用症がある治療しか受けたくないとの国民的合意が為されるのなら、医師はこれに服します。考えようによっては非常に仕事が楽になります。治らなくとも「他に治療法は存在しません」は金科玉条になり、これがお墨付になります。治せる治療があっても適用外ですから禁じ手になり、後は手を拱きながら「残念だな」と思いながらお看取りする事になります。

しょせん保険病名なんて医師が「患者のために」と考えての独善ですから、「必要悪」だと抗議勢力を説得するのもおかしな話なのかもしれません。完全に保険枠内での治療に徹すれば医療レベルこそ下がりますが、医療費の節減には大きな効果があり、保険診療に満足できない人のために混合診療自由診療の道が開かれます。「不正、不正、不正」と言われながら「必要悪」と弁解するより「じゃ、やらない」の方がスッキリします。問題は国民的合意が無いと「保険診療で適用が無くとも患者の救命のために・・・」てな判決を下す司法がいる事ぐらいでしょうか。

つう事で今日は雑談でした。