組織の論理のお話

話をまとめやすくするために組織は市民運動的なものとします。組織は最初、ある目的の達成のために人が集まります。個人の運動より組織の運動の方が効果的であるとの判断です。集まった人が考えるのは、もちろん目的達成のために活動する事を考えます。そのための組織化ですからね。もう一方で組織は大きいほどより効果的であることも分かります。必然的に組織の運動の方向性は2つに分かれます。

  1. 目的達成のための運動
  2. 効果をあげるための組織の増大
この2つはとくに当初は表裏一体ですから、矛盾無く存在し、活動の活発化と組織増大は両輪として動いていきます。ただこの時点では、
    目的達成 > 組織発展
あくまでも目的の達成のための補助手段として組織発展が存在します。そこそこの規模であればこれでなんの問題もないのですが、組織がある一定以上に肥大化すればしばしば変質化が生じます。組織が目的達成のための単なる装置から、大きくなった組織を維持発展させる事に意義を大きく置きだす現象です。この時点で、
    目的達成 ≒ 組織発展
だいたいこの時点で内輪もめが起こります。純粋の目的達成派と組織発展派の路線闘争です。空中分解することもありますが、生き残れば組織発展派が普通は勝利を収めます。組織発展派が勝った時に運動の目的も変質します。本来は目的さえ達成すれば組織は不要のはずです。ところが組織発展派にとって目的とは達成されてはならないものに変ります。目的の達成は組織の死を意味するからです。組織はこの時点で人の手を離れ、組織が人を使う状態になります。イメージとしては、
    目的達成 < 組織発展
組織は自分が生き残るために目的を引き上げていきます。目的達成に近づけば意図的にどんどん目的をかさ上げしていくのです。目的が無ければ人は集まりませんし、人を惹き付けるには尖鋭的である方が受けがよく、さらに単純化した方が理解されやすくなります。組織はすでに目的達成のために存在するのではなく、達成不可能な目的のために肥大化するのが目的になります。

この目的が漠然とした対象であれば問題はそれでも少ないのですが、特定対象に対するものであれば困った事態をしばしば起こします。目的の尖鋭化、単純化は果てしもなく進みますから、やがて組織の運動方向は特定対象を消滅させるところまで行き着きます。特定対象が消滅しても良いものなら構わないのですが、無くなったら本当は困るものであっても組織はそこに突き進みます。ここまでくれば

    組織発展のみ
こういう状態に陥った組織は非常に厄介です。組織の発展段階で「それはおかしい」とか「それは我々の目指す方向ではない」と意見の持ち主は淘汰整理され、残っているのは巨大化した組織で食べている人、変質した目的が達成できると信じ込んだ人ばかりになります。さらにどちらの比重が多いかといえば組織で食べている人です。彼らは目的達成などどうでもよく、組織が肥大化することにのみ関心があります。彼らにとって目的達成を信じ込んでいる人も組織の宣伝道具に過ぎません。

組織の主導権が食っている人間に移れば、特定対象への攻撃に一切の妥協はなくなります。妥協しても組織の肥大化にとって何のメリットもなく、妥協しない事で特定対象と紛争状態になる事の方が望ましいと言う事です。敵対し争っている方が組織は結束しますし、新たな構成員を呼び寄せるのが容易になります。ダラダラと戦争が続くほうが儲かる軍需産業みたいなものと言えばよいでしょうか。

軍需産業にとって適当な戦争は歓迎すべき事です。戦争は巨大な浪費ですから、続けば続くほど儲かる事になります。軍需産業にとっては前線でいくら兵士が血を流そうとも、国家が疲弊しようが興味はありません。彼らの需要を満たす浪費がありさえすれば、自国民がいくら死のうが、相手国民が死に絶えようがどうでも良いことです。

組織がすべてそうなるとはもちろん言いません。そこまでの段階で自制している組織もたくさんあります。ただ一部組織は確実にそうなりつつあります。ここで酒飲みの段階の話があるので比較すると妙に当てはまります。

初期段階 人、酒を飲む 人、組織を動かす
中期段階 酒、人を飲む 組織、人を動かす
末期段階 酒、酒を飲む 組織、組織を動かす


常識でもって相手が出来るのは中期段階ぐらいがせいぜいで、末期段階になれば手のつけようがなくなります。最近つくづくそう感じています。そうそう、この話は特定の団体を念頭に置いた話ではありませんから、くれぐれも誤解無いようにお願いします。