日曜閑話4

今日のお題は「走り幅跳び」です。オリンピック競技の中でも「王者」って感じがするのは、あくまでも個人的にですがシンプルな競技です。ごくシンプルに競技者の能力を競い、勝ち負けがはっきりわかる競技です。走り幅跳びもその範疇に入りますし、古代オリンピックからある伝統の競技です。この走り幅跳びなんですが、世界記録更新は非常にユックリしたペースで行なわれています。ユックリの理由はいろいろあるでしょうが、どうも何十年に1人、天才ジャンパーが登場して記録を塗り替えるという感じです。

たしかにシンプルな競技なので、比較的用具の改良の影響は少ないでしょうし、革命的な新技術もそうは出ないとも思われますので、アスリートの生の才能が記録に直接反映される競技なのかもしれません。古くはジェシー・オーエンスが1935年に作った8m13(世界初の8m越え)は1960年まで実にに25年間も破られていません。さすがに8m13の記録映像は残されていませんが、1936年のベルリン五輪の映像があります。



1960年になり新たな天才ジャンパーが出現します。ラルフ・ボストンは25年ぶりにオーエンスの記録を塗り替える8m21を記録、その後も計5回の世界新記録、1回の世界タイ記録を樹立し、1965年までには8m35まで記録を伸ばす事になります。このボストンの記録映像を探したのですが、ニュース映画の中に数秒それらしきものはありましたが、残念ながらそれ以上のものは残されていませんでした。

このボストンも参加したメキシコ五輪で途轍もない記録が生まれます。メキシコシティは標高2300mの高地に位置し、平地に比べ空気が薄いために、短距離や跳躍系は空気抵抗が少なくなって記録が出やすい(逆に長距離系にとっては地獄)ので、幾つかの驚異の記録が生まれましたが、その象徴とも言えるのがボブ・ビーモンの8m90です。ボストンの記録を一挙に55cmも更新する大記録で、「世紀の記録」と言われることになります。その映像ですが、




このボブ・ビーモンの記録は「20世紀中には破る者はいない」とまで言われたのですが、1980年代後半から90年代初頭にかけて、それこそ世紀の天才ジャンパーが続々と現れて脅かし、ついに更新されることになります。後述しますが走り幅跳びの公式記録で8m90を越えたものはわずかに2人、8m80でさえ4人しかいません。ボブ・ビーモンを少し例外とすれば8m80を越える公式記録を持つ天才ジャンパーは3人で、彼らがほぼ同世代である事に驚かされます。

今回の話を調べていて恥ずかしながら初めて知ったのですが、1987年にロベルト・エミアンが8m86の大ジャンプを行なっています。これは現在でも歴代第4位の大記録です。大したものでこれも映像がYouTubeにあります。



公式記録として残されていますから、もちろん公式の競技会なのでしょうが、助走路の様子やスタンド風景を見る限り、かなりマイナーな大会で達成された記録のように見えます。もっともエミアン選手については何にも知りませんが、ローマの世界陸上で2位(8m53)で2位に入っていますし、当時の有力ジャンパーである事は間違いありません。いや有力どころか世界歴代でも屈指の天才ジャンパーになります。

ところでボブ・ビーモンの記録は現在では高地記録に分類されるものです。しかし高地記録と言う規定が出来たのがメキシコ五輪の後ですから、ビーモンの記録は正規の世界記録です。この世界記録の平地での更新に執念を燃やしたのが「天才」カール・ルイスです。陸上は記録が残酷なまでに刻まれる種目なので、カール・ルイスの記録といえども現在の記録と較べると「こんなもの」みたいなところは無いとは言えませんが、私が現役時代を知るアスリートの中では最高峰の選手であることは間違いありません。

カール・ルイスはロス五輪で100m、200m、走り幅跳び、100×4リレーで四冠王になっています。走っても無茶苦茶速かったのですが、もっとも得意としたのは走り幅跳びであったとされ、オリンピック4連覇の偉業を達成しています。当時「今世紀(20世紀)中には破られない」とまで言われたビーモンの記録に一番近かったのはルイスです。1991年の東京世界陸上の頃も短距離ではやや翳りが見える(それでもこの大会で100mの世界記録更新)とされていますが、走り幅跳びではまさに独壇場で、ルイスは当時この種目65連勝を続けています。世界記録まではさておき、優勝はルイス以外に考えられない状態であったと言えます。それぐらいルイスの実力は飛びぬけていました。

この無敵の天才ルイスの前に立ち塞がったのがマイク・パウエルです。パウエルはソウル五輪の銀メダリストであり、ルイスに挑む一番手であったの確かです。この時のルイスとパウエルの死闘は陸上競技のハイライトシーンとして、見たものに未だに語り継がれています。有名な死闘なんですがさすがに17年前の話なので詳細な記録がどうも完全には残っていないようです。一番詳細そうなのがUNCONVENTIONAL WORLD RECORDSのAthleticsのthe greatest long jump competition in historyなので、そこを中心に引用してみます。

場所はもちろん東京の国立競技場で、競技当日(1991.8.30)は微妙な追い風が吹いており、これも記録と勝負の綾に絡む展開となります。走り幅跳びは6回の試技で行なわれますが、まず1回目です。

    パウエル:7m85
    ルイス:8m68
当時のルイスは短距離とのかけもちが多かったので、走り幅跳びは最初の1〜2回の試技でやめてしまうことがよくあったとされます。それでも8m50ぐらいはラクラクと跳んでしまい、他の選手は全く追いつく事が出来なかったのです。ちなみにこの8m68もこの時点の世界陸上新記録になります。ちなみに東京の世界陸上は第3回ですが、第1回(ヘルシンキ)の優勝記録が8m55、第2回(ローマ)が8m67でどちらもルイスの記録です。「もうルイスで決まり」の空気が早くも漂います。続いて2回目、
    パウエル:8m54
    ルイス:不明
このルイスの2回目が不明なんです。跳んでファウルだったのか、それとも1回目で優勝するのに十分な記録を残せたのでパスしたのかは分かりません。とにかく記録としては残っていません。しかしここでパウエルがルイスに迫る記録を出してきたので、ルイスが燃えたとも考えられます。そんなルイスの3回目ですが、
    パウエル:8m29
    ルイス:8m83(追い風参考)
追い風参考とは言え空前の大ジャンプです。過去にこれを上回るジャンプは上記のエミアンとメキシコ五輪のビーモンしかなく、人類は史上数少ない8m80台のジャンプをこの目にする事になります。この日のルイスは絶好調であったようで、ルイスはこのジャンプの感触から「世界記録を狙える」と感じたのではないでしょうか。そして4回目です。
    パウエル:ファウル
    ルイス:8m91(追い風参考)
ファウルになったパウエルのジャンプも凄くて9mは越えていたとされます。しかしルイスのジャンプは追い風参考とは言えビーモンの「世紀の大記録」をついに追い越す事になります。この時点で誰しもルイスの歴史に残る勝利を確信します。「さすがはルイスだ」「さすがはスーパースターだ」と。このルイスの大記録の興奮の余韻が醒めない中、パウエルが運命の5回目に挑みます。
    パウエル:8m95
国立競技場が騒然となりました。ビーモンの世紀の記録はもちろん、ルイスの追い風参考の記録まで塗り替えてしまったのです。この後のパウエルの6回目は不明ですが、ルイスは敢然とパウエルの記録に挑みます。東京世界陸上が名勝負とされるのは、パウエルが5回目で世界新記録を出した後のルイスの跳躍にあると言ってよいと思います。王者のプライドと世界記録をかけて5回目、6回目をルイスは跳びます。
    ルイス5回目:8m87
    ルイス6回目:8m84
目を剥くような大ジャンプをルイスは続けますが、ついにルイスはパウエルに届かず東京世界陸上のタイトルはパウエルの手に落ちる事になります。ルイスは生涯で五輪で9個、世界陸上で8個の金メダルを獲得しています。バトンミスがあったソウルのリレーを除くと、1988のソウル五輪200m、1993シュツットガルト世界陸上200mと、この東京世界陸上走り幅跳びがたった3つの主要大会での敗戦記録になります。

銀メダルとは言えルイスは追い風参考ながら8m91を跳び、正式記録として8m87(ルイスの自己ベスト)を跳んでいます。ルイスは幅跳び史上唯一の8m90を越える跳躍を行ないながら負けた選手として歴史に残る事になります。いや8m80を越えるジャンプで負けた唯一の選手としてもよいかと思います。東京世界陸上から既に17年経ちますが、現在の走り幅跳びの歴代世界10傑は、

距離 名前 所属 日付
1 8m95 マイク・パウエル アメリカ合衆国 1991年8月30日
2 8m90 ボブ・ビーモン アメリカ合衆国 1968年10月18日
3 8m87 カール・ルイス アメリカ合衆国 1991年8月30日
4 8m86 ロベルト・エミアン ソビエト連邦 1987年5月22日
5 8m74 ラリー・マイリックス アメリカ合衆国 1988年7月18日
5 8m74 エリック・ウォルダー アメリカ合衆国 1994年4月2日
7 8m73 イルビング・サラディノ パナマ 2008年5月2日
8 8m71 イバン・ペドロソ キューバ 1995年7月18日
9 8m66 Louis Tsatoumas ギリシャ 2007年6月2日
10 8m63 カリーム=ストリート・トンプソン アメリカ合衆国 1994年7月4日


パウエルの記録は未だに世界記録であり、ルイスの記録も世界歴代3位です。そもそも世界で8m80以上の記録を残している選手はこの時点で4人しかおらず、現在でも4人です。ほんの少し後にイバン・ペドロソが台頭し、幻の8m96を記録していますが、残念ながら正規の記録になっていません。記録を残すにはある程度の運も必要と言うことです。この歴史に残る8m80以上の天才ジャンパーの4人のうち2人が東京でベストの状態で競うと言う奇跡が起こった事が確認できます。走り幅跳びだけではなく陸上競技史上に残るハイライトシーンであるのがよく分かります。

東京でルイスに勝ち世界記録保持者になったパウエルですが、以後はルイスに勝てず、東京世界陸上の前にあったソウルも、東京世界陸上の後のバルセロナも銀メダルに終わります。一方でルイスの走り幅跳びの主要大会の戦績は、

大会 記録 順位
1983 ヘルシンキ世界陸上 8m55 1位
1984 ロサンゼルス五輪 8m54 1位
1987 ローマ世界陸上 8m67 1位
1988 ソウル五輪 8m72 1位
1991 東京世界陸上 8m91 2位
1992 バルセロナ五輪 8m67 1位
1996 アトランタ五輪 8m50 1位


これを見ても東京世界陸上のレベルの高さが分かりますし、東京世界陸上の時のルイスの好調さが窺われます。またルイスが最後に出場したアトランタ五輪なんて8m50で優勝しています。これもちなみになんですが、アトランタ五輪の後の優勝記録は、

大会 選手 記録
シドニー イヴァン・ペドロソ 8m55
アテネ ドワイト・フィリップス 8m59
北京 アービング・サラディノ 8m34


1991年の東京世界陸上のパウエル、ルイスのレベルは、現代でも見られないハイレベルである事が分かります。

パウエルの事を究極の一発屋と評する向きもあります。ルイスに勝った東京世界陸上でも優勝記録の8m95以外には、8m54、8m29、7m85です。それに対してルイスは記録に残る5回のジャンプで8m80以上を4回跳んでいます。もう1回も8m68です。パウエルの東京以外の記録は見つかりませんが、8m95に次ぐ記録は8m70程度だったとも言われています。

パウエルはその才能でルイスに劣っていたのは間違いありませんが、ルイスさえいなければ十分王者の実力はあります。余りにハイレベルだったので軽視されがちですが、パウエルの8m54はアトランタアテネ、北京の優勝記録を上回っています。パウエルが不幸だったのは同世代に絶対のスーパースターであるルイスが君臨していた事で、ルイスの後塵を常に拝してきた男の唯一の優曇華の花が東京世界陸上であり世界記録であったと思っています。

世界世界陸上と言う大舞台、また王者ルイスも生涯最高のジャンプを見せ付けた大会での奇跡の記録。いつの日かパウエルの記録も塗り替えられるでしょうが、パウエルとルイスの東京の伝説はいつまでも語り継がれると思いますし、語り継いで行きたいと思います。

ではでは最後に東京世界陸上YouTubeをご覧下さい。世界のLong Jump史上に残る驚異の大跳躍の競演と、走り幅跳びの神が降臨したあの東京の夜を・・・