鳥人間コンテスト

 1977年から始まったとなっているので半世紀近い歴史があることになります。見なくなって長くなりますが、初期の頃(はっきり言うと20世紀の間)は良く見ていました。

 見てたぐらいですから面白かったです。こんなもの本当に飛べるのか思うのが予想通りに即ダイビングになったり、飛んだと思ったら失速して墜落になったり、あっと思ったら翼が折れて墜落もありました。初期の頃は100m飛べるのが一つの壁であり勲章だったように記憶しています。

 それでも毎年やってると距離は伸びて行き、やがて200m越えの大記録が打ち立てられたぐらいの流れだったはずです。あんなに飛べるのだと感心した記憶が残っています。ですが滑空機ではその辺が限界だったと思っています。

 そこに台頭してきたのがプロペラ機。これも初期の頃からあるにはありましたが、最初の頃は色物クラスの能力しかありませんでした。要するにすぐ落ちて、プロペラはついているだけ邪魔みたいな状況です。

 そんな能力しかなかったプロペラ機がまともに飛ぶようになってしまったのが大会の転機だった気がします。これも大会の初期からあったフレーズですが、その日の飛行目標を聞かれて、

    対岸です
 滑空機時代には冗談でしかなかったものが実現してしまったのです。これはこれで初めて見た時には素直に感動しました。人力飛行機もここまで飛べるようになったんだって。

 それでも大会は続きますし、機体の性能向上も続きます。記録と言うものは打ち破られると、それを基準に争われる法則が活き活きと動き続けたぐらいで良いかと思います。競技としては正常の進化なのですが、SNS(だったかな?)で批判的な声が出ていました。読んでいると、

    そういう風に煮詰まったのか!
 初期の頃のバラエティ感が失われたことへの批判ぐらいです。これはどこを見どころと考えるのかみたいな話になりますが、初期の頃は飛ばない機体が殆どで、たまに飛ぶぐらいです。もう少し付け加えると優勝した機体でも飛行時間はしれています。ですから編集として派手に飛ばなかった機体にスポットが当てられていた気がします。

 その失敗ぶりが面白みになっていた部分があったのですが、現在の優勝争いをする機体の飛行時間はかなりどころでない長時間です。優勝機ぐらいはほぼ放映するでしょうし、優勝争いの機体にもかなり放映時間は割かれると思います。

 そうなると初期の頃にスポットが当てられた失敗機への割り振り時間が減ります。これは競技のレベルや性質が変わってしまったぐらいしか言いようがありません。

 それと競技レベルがこれだけ上がると、技術的難度も上がっているはずです。当たり前の話ですが、機体を設計製作できるだけのカネとヒマがあるところが有利になります。それと技術的な収束みたいな話になるのでしょうが、優勝を争う機体はどこも似たり寄ったりになっていきます。

 見る方からすれば、似たような機体の優勝争いのシーンばかりになり、そればかりが延々と放映される編集に飽きが出てしまったぐらいでしょうか。

 言いたい事はわかるのですが、だからと言って初期の状態に戻せばすべて解決にもなりません。そうやって進化してしまったからです。今さらデコレーション機体によるダイブ合戦に戻すわけにもいかないでしょう。

 こういう事は今までもあったことです。かつて似たようなジャンルの番組としてビックリ日本新記録とか、TVチャンピオンもありましたが、参加者が人気が出た特定の競技にガチになり過ぎてレベルが途轍もなく上がった例はいくらでもあります。

 レベルが上がる過程自体は面白いのです。そこまで出来るかとか、そこまでやるのかで素直に楽しめます。ただ上がり過ぎるとバラエティの枠を越えてプロ競技会の様相に転じてしまいます。たぶんですが、そうなっても楽しめるかどうか、テレビですからぶっちゃけ視聴率はどうかに話はなると思います。

 鳥人間コンテストもレベルが上がり過ぎて、初期のコンセプトからは完全に逸脱してしまったぐらいに見ています。それでどう扱いを変えるかの路線問題で迷走している気がします。本質はガチの競技会になっているのに、どうしてもバラエティ枠に押し込みたいテレビ局側の意向のせめぎあいみたいなものでしょうか。

 個人的には50周年の節目まで続くかどうかは興味深いところです。