軽く検証

6/25付の産経ニュースより、

飛行機内で救命中、傍観乗客の視線と写真撮影でPTSDに

 航空機内で心肺停止した男性に蘇生(そせい)措置をして助けた女性が、やじ馬状態のほかの乗客に写真を撮影され、恐怖心などから心的外傷後ストレス障害(PTSD)になった。

 女性を診察した国保旭中央病院(千葉県)の大塚祐司医師によると、女性は会社員。救急法の指導員資格があり、機内で倒れた男性に独りで人工呼吸や心臓マッサージをした。男性は呼吸が戻り、規則的な心拍も回復して命を取り留めた。

 この間、多くの中高年の日本人男性乗客らが「テレビと同じ」「やめたら死ぬんでしょ」と携帯やビデオで撮影。女性は中年男性が集まる場所で過呼吸症状が出るように。カメラのシャッター音が怖く携帯のカメラも使えなくなった。「やじ馬の罵声(ばせい)と圧力の怖さは忘れないと思う」と話しているという。

 客室乗務員は手伝わず、AEDを頼んだが、持ってこなかったという。

この記事に関する正面からの批評は勤務医 開業つれづれ日記・2様を、少し捻った批評はssd's Diaryを御参照ください。記事内容自体に関しては私がそれ以上付け加える事はありません。

二番煎じとしては角度を変えて見てみたいと思います。この記事は良く見ると詳しそうな割には必要なエッセンスを幾つか欠いているように感じます。ごく簡単なところでは、

  1. いつの事件なのか
  2. どこの航空会社の話なのか
欠いてはならないとまで言いませんが、通常は入るべき項目だと感じます。それともう一つ違和感を感じるのは時事記事なのか特集記事なのかの位置付けがはっきりしません。さらっと読めばごく最近の出来事に対する時事記事のような印象を受けますが、上記したように日時も場所も不明と言うのはやや不可解です。事件の細部の描写が詳しいのに較べると場所や時間の特定があまりにも漠然としている感じです。分かる範囲で検証してみましょう。

航空会社について智様から、

こんな航空会社は敬遠したいと思い検索したらヒットしました。
ベトナム航空ですね。

機内での人命救助
http://plaza.umin.ac.jp/~GHDNet/06/q9-cpr.htm#1563

なるほどと思っていたら、さらに勤務医 開業つれづれ日記・2様に優駿様のコメントがあり、

なぜ今頃新聞に載ったんだろう。
ケースレポートになっています。

http://plaza.umin.ac.jp/~GHDNet/08/cprtrauma.htm

優駿様の紹介ページは航空機内での心肺蘇生の実施により心的外傷を負った1例としてネットにも公開されており、総合病院国保旭中央病院神経精神科 大塚祐司先生が宇宙航空環境医学(Vol. 44, No. 3, 71-82, 2007)にケースレポートとして報告されたものである事が確認できます。大塚祐司先生は記事中に紹介されている医師と同一人物であるのは間違いないところです。

このケースレポートによれば事件が発生したのは

平成18年2月17日金曜日,成田発東南アジア行きの外資系航空機

まず2年以上前のお話である事が確認できます。ケースレポートから補足すると、「東南アジア行き」とはベトナムホーチミンが目的地であった事が分かりますし、智様のコメントから「外資系航空機」とはベトナム航空である事も分かります。これで冒頭に書いた小さな疑問点への回答は満たされた事になりますが、ケースレポートを読むと記事との類似点が出てきます。順次検証してみます。

まず記事冒頭部分ですが、

航空機内で心肺停止した男性に蘇生(そせい)措置をして助けた女性が、やじ馬状態のほかの乗客に写真を撮影され、恐怖心などから心的外傷後ストレス障害(PTSD)になった。

これに相当するケースレポート該当部分ですが、

加えて多数の他の乗客が野次馬と化して現場に殺到し,心肺蘇生の現場を写真やビデオで撮影した。当の男性は軽度の手指の運動障害を残したのみで,元の勤務先に復帰した。しかし救命した女性は心肺蘇生時の出来事が元で惨事ストレス症状を呈して急性ストレス障害,外傷後ストレス障害を発症し,帰国後も長期間に渡って社会生活に支障を来たす状態が続いた。

同じ事件のレポートなので類似性はありますが、同じとは言えません。記事の次の段落ですが、

女性を診察した国保旭中央病院(千葉県)の大塚祐司医師によると、女性は会社員。救急法の指導員資格があり、機内で倒れた男性に独りで人工呼吸や心臓マッサージをした。男性は呼吸が戻り、規則的な心拍も回復して命を取り留めた。

これに対するケースレポートは、

同機にたまたま乗り合わせていた日本赤十字救急法指導員を持つ個人客(31歳,女性,会社員)が1時間に渡り1人で心肺蘇生を行い救命した。

これもまた類似性はありますが、同じものとは言えないと考えます。さらに記事の次の段落です。

この間、多くの中高年の日本人男性乗客らが「テレビと同じ」「やめたら死ぬんでしょ」と携帯やビデオで撮影。女性は中年男性が集まる場所で過呼吸症状が出るように。カメラのシャッター音が怖く携帯のカメラも使えなくなった。「やじ馬の罵声(ばせい)と圧力の怖さは忘れないと思う」と話しているという。

ここについてのケースレポートですが該当しそうな部分は3ヶ所あり

  1. 乗客であった多数の中高年日本人男性が群れをなして押し寄せて「テレビと同じのをやっている。」「あの人が止めたら死ぬんでしょ?」などと言いながらカメラや携帯電話で写真を撮ったり,ビデオ撮影をしたりしていた。

  2. Y氏は大衆居酒屋などの多数の見知らぬ中年男性が集まる場所などで過呼吸症状が出るようになり,食事は女性同士で個室のある飲食店へ行くことが多くなった。またシャッター音が怖くなり,携帯電話に付いているカメラが使えなくなってしまった。

  3. 心肺蘇生の経験について「ただただ怖かった。野次馬の罵声と圧力の怖さは一生忘れないと思う。そして自分一人しかいない状況での救護活動がどんなに大変なものかも分かった。」

ここはどうもこの3ヶ所を繋ぎ合わせて作られたように感じます。もちろんこの記事には、

女性を診察した国保旭中央病院(千葉県)の大塚祐司医師によると

こうなっており、記者が大塚医師を取材し、ケースレポートになった事件の経緯を直接聞き、そこから結果としてケースレポートに似た話になっているのならもちろん問題はありません。しかし取材時に参考資料としてケースレポートを受け取り、そこから抜き書きして記事を作ったのであるなら、引用の方法がラフすぎる様な気がしないでもありません。

ところがですが、大塚医師はケースレポートを書かれていますが「診察」されたかどうかに強い疑問を感じています。これもケースレポートにあるのですが、

著者はY氏に本事例を活字として残したい旨を伝えて2006年12月16日と2007年4月21日に福島県相馬市及び宮城県仙台市にて面会し,救命時及びその後の状況について詳しく聞いたのでここに報告する。

著者とは大塚医師のことであり、「Y氏」とは救命に当った女性です。大塚医師はこの話をどこかから知り、このケースを報告として残したいと考え女性と「面会」しています。女性の住所と大塚医師の勤務病院を考えても、今回の心的傷害で受診・通院したとは思いにくく、レポートでもはっきり「面会」と明記しています。救命された男性と救命した女性の住所はケースレポートにあり、

宮城県南部と福島県北部に居住する両者が会うことはなかった

これだけじゃ愛想無いな!やめておこうと思いましたが、少しだけケースレポートからの補足をしておきます。ケースレポートの本旨は

 事件・事故や自然災害などの悲惨な状況においては,被災者だけではなく救助活動を行った消防・救急隊員,警察官,自衛隊員,医療従事者などの救援要員が,それまでの職業人生で培ってきた対処能力をはるかに超えた状況にて任務を遂行することにより,悲惨さ,恐怖,もどかしさ,悔恨,後悔,悲しさ,無力感,罪悪感,自己嫌悪など,様々な感情を抱くことがある。そしてこれらがストレスとなり,心的外傷として残ると考えられている。

これについての考察です。このケースレポートでは救援に当った女性が、

  1. 野次馬によるストレス
  2. 協力者がいないストレス
主にこの2つのストレスにより心的外傷を受けた経緯が書かれています。協力者が名乗り出なかった問題については、良きサマリア人の法の問題がでてきて複雑化するのであえてエントリーでは触れませんが、野次馬については客室乗務員の不手際と結論されています。客室乗務員の不手際として、
  1. 野次馬規制の不手際
  2. 救命作業への不協力
  3. 緊急着陸への対応不備
ちなみに日本航空ではこういう事態が発生した場合、

  1. 病人発生の報告を受けた客室乗務員は,直ちに症状確認とバイタルサインをチェックする。
  2. 他の乗務員に必要に応じ次の事項を依頼する。ドクターコール,AEDキット,レサシテーションキット,ドクターズキット及び酸素ボトルの用意,同乗者より既往歴・常備薬の確認,協力を申し出た医師に,患者の状態を説明するとともに,医療キットの内容一覧を提示。以降,医師の指示に従う。
  3. 地上の医師からの支援システムを活用する。
  4. 機長は医師の助言を参考に,最寄の空港への緊急着陸を考慮する。
  5. 着陸前には地上と連絡を取り,到着空港に救急隊の手配を支持する。
  6. 客室乗務員は病状と行った処置を記録し,傷病者発生記録に記載する。

こうなっているそうです。しかし今回に関しては、

 しかしながら発展途上国の航空会社にどこまで期待できるのかという問題が生じる。日系航空会社ですらAEDが搭載されるようになってから5年しか経っておらず,発展途上国の航空会社ではAEDが搭載されていないか,搭載されていても客室乗務員が十分なトレーニングを受けていない可能性も考えられる。また,現時点においては日系航空会社や一部先進国の航空会社については機内搭載医療品が公表されているものの,多くの外資系航空会社からは公表されていない。そのために航空機内に居合わせた医師・看護師などが急病人の援助に躊躇している可能性がある。

なかなか難しい問題がありそうです。それと心無い野次馬によって傷ついた救命に当った女性のその後の小さなエピソードですが、

2006年10月,人間不信が続いていたY氏の考え方が大きく変わった出来事があった。その日,地元の消防署員と居酒屋で飲んでいたときに,衝立の向こうにいた中年男性達が会話に割り込んで来た。彼らは「自分は火事があったら見に行く。」「心臓マッサージがどんなものか見たくなる。」と言っていたが,その一方で「(蘇生の)現場を見たくて写真を撮ったからあなたのことは覚えていないと思う。」「その人たちだって病人が助かって良かったと思っているはず。」などと言っていた。Y氏が忌避していた機内の野次馬と同世代で恐らくは同じ考え方を持っていた人たちが「助かって良かったと思っている。」と言ったことで彼女の不信感が軽減して気が楽になったという。

今日はまとまりが悪いですがこの辺で。