行列化する事故調を考える

井上清成弁護士の事故調三次試案に対する見解です。MRICに医療安全調査委員会は警察の捜査開始と検察の刑事処分を制御できるのかとして書かれているのですが、法律専門家の意見として一度読まれることをお勧めします。実はこれに基づいて逐次解説しようと思っていたのですが、書き上げてみると冗長でやたらくどいだけの代物になったので、井上弁護士の見解を参考にしながらの私の意見と思って下されば幸いです。

事故調は医療事故のうち業務上過失致死のみを扱います。

    業務上過失致死 → 事故調
    業務上過失致傷 → 警察捜査
患者が重い障害を残しながらも生存していたら事故調ではなく警察捜査として取り扱われます。この辺は調査能力の限界もあるのは分かるのですが、現在の風潮からするとやや気味が悪い点でもあります。これはこのぐらいにして、業務上過失致死で警察が捜査に乗り出すキッカケは、
  1. 患者遺族の告訴
  2. 院内関係者の告発
  3. 医師法21条による異状死の届出

この3ルートであると分析しています。警察独自の調査によるものもあるはずですが、これも通常は患者遺族や院内関係者からの情報提供から行われるので、ルートとしてこの3つに井上弁護士はしたのだと考えます。

どのルートであっても警察が受理すれば犯罪の可能性があると見なされます。警察は捜査を行い、その結果が無罪であっても送検します。警察は捜査に一旦着手すれば原則として自らの判断で有罪、無罪を判定できない仕組みなっています。この規定は刑事訴訟法246条によって定められています。

第246条

 司法警察員は、犯罪の捜査をしたときは、この法律に特別の定のある場合を除いては、速やかに書類及び証拠物とともに事件を検察官に送致しなければならない。但し、検察官が指定した事件については、この限りでない。

送致された検察は二つのファクターから判断します。

  • 無罪相当か有罪相当か
  • 起訴か不起訴か

これらのファクターを考えた上で、
  • 無罪相当
    • 嫌疑不十分
  • 有罪相当
    • 公判請求
    • 略式罰金請求
    • 不起訴

こういう具合に振り分けられます。有罪相当で不起訴とは過失の程度が軽微であるとか、遺族との和解が成立しているとかで起訴する必要は無いと判断したものと考えれば良いかと思います。

ちょっと寄り道ですが無罪相当であっても「嫌疑不十分」とは嫌な言葉です。異状死の届出を法医学会ガイドラインに厳格に行なえば、そこそこの数の異状死届にになります。それがすべて無罪相当であっても、

    あの医者は何回か送検されたことがあって、そのたびに嫌疑不十分で免れている
こういう言われ方をしても法律用語としては間違いではありません。しっかし感じは悪いですね。

もう一つ井上弁護士の話で「なるほど」と思ったのは、自供で過失を認めないと不起訴と略式罰金請求の選択は無いそうです。仮に鑑定意見で有罪相当とみなしても被告が過失を認めなければ、公判請求でシロクロを争うか、嫌疑不十分で終わらせるかの二択になるそうです。略式罰金請求も過失を認める事が「反省している」ぐらいに解釈されて、公判請求まで行なわずに済ませてやろうの選択だそうです。考えれば裁判でも無罪を主張すればそれだけで罪が重くなる構造がありますから、法的解釈とはそんなモノのようです。

それはさておき、事故調試案では医師法21条ルートについては対応しています。異状死の届出窓口を事故調に一本化し、事故調が異状死の犯罪性の有無を判断することになるようですから、とりあえず回避できそうであるにしておきます。

残りの2ルート、とくに遺族からの告訴について考えてみます。遺族からの告訴があればどうなるかですが、これは三次試案別紙3に明記してあります。

問2

  遺族が警察に相談した場合や、遺族が告訴した場合に、捜査機関の対応はどうなるのか。

回答

  1. 委員会の専門的な調査により、医療事故の原因究明が迅速かつ適切に行われることになれば、遺族から警察に対して直接相談等があった場合にも、遺族は委員会による調査を依頼することができることから、警察は、委員会による調査を勧めることとなる。


  2. また、遺族から告訴があった場合には、警察は捜査に着手することとなるが、告訴された事例について委員会による調査が行われる場合には、捜査に当たっては、委員会の専門的な判断を尊重し、委員会の調査の結果や委員会からの通知の有無を十分に踏まえて対応することが考えられる。

ゴチャゴチャと回答が書いてありますが結論は明瞭で、

    遺族から告訴があった場合には、警察は捜査に着手することとなる
警察が受理すれば上述した通り、
    警察受理 → 警察捜査 → 送検
これは自動的に進行します。ここで事故調試案で有名になった「謙抑的」がどう働くかを考えてみます。別紙3の謙抑的の原文は、

その結果、刑事手続の対象は、故意や重大な過失のある事例その他悪質な事例に事実上限定されるなど、謙抑的な対応が行われることとなる。

これは改めて読むと刑事手続きのどこを謙抑的にしているか不明の文章です。警察が受理した瞬間に送検までは自動的に粛々と行なわれます。刑事訴訟法246条では受理した案件は

    司法警察員は、犯罪の捜査をしたときは(中略)速やかに書類及び証拠物とともに事件を検察官に送致しなければならない。
この「速やかに」には2つの例外が書かれています。
  1. この法律に特別の定のある場合を除いて
  2. 検察官が指定した事件については、この限りでない

医療事件が「特別の定」にあたると思えませんし、検察官が医療事件を必ず「指定した事件」にする確約も無いと考えます。厚労省法務省と協議した密約が、医療事件をすべて検察官が「指定した事件」にするならビックリですが、検察の独立性は非常に強いものがあり、そんな事が成されているとは常識的に信じられません。そうなると事故調の有無に関らず家族が告訴すれば刑事手続きを謙抑的にさせるものは無いことになります。

ここでそれでも警察が「謙抑的」になる要素はあります。警察が送検にあたり必要な材料は、

  1. 被告医師の自供
  2. 警察協力医の鑑定意見

自供に関しては警察のお仕事ですから「速やかに」行なわれると思います。問題は鑑定意見でこれの取得に警察は難儀しているとされます。警察が事故調に求める最大の役割は警察協力医の鑑定意見の肩代わりです。正直なところそれしか無いと言っても良いかと思います。鑑定意見を得るために「謙抑的」になる可能性はありうるということです。

ただ警察協力医の鑑定意見を得るために待つと言っても無限に「謙抑的」になれるかと言えばそうでもなさそうです。4/4の参議院厚生労働委員会の質疑応答を再掲します。

岡本委員

     結局ですね、この調査が進まなければですね、場合によっては行列ができてしまうと。調査の究明に行列ができてしまう。
    で、遺族から警察なり検察にですね、なんとかしてくれといわれる。
    調査委員会があるからそちらへどうぞといっても、行列ができてしまっている。
    そういった場合には、警察・検察動かざるを得ないとそういう認識でよろしいのでしょうか?
警察庁米田刑事局長
     現在検討されていますこの委員会の、枠組みの中では、刑法上の業務上過失はそのままでございます。で、警察は警察捜査をする義務がございます。従いまして、その患者さんあるいは御遺族の方からの訴えがあれば、それは私どもとしては捜査せざるを得ない。
     ただこの仕組みで期待されておりますのは、委員会で十分な調査が行われ、遺族の方々の処罰感情とかそういったものも解消されて、わざわざ刑事手続きにもってくることが少なくなるということが期待されているとは考えたいです。

岡本委員の質問の設定は事故調の処理能力への疑問で、行列が出来る事故調になり調査が長期化すれば、警察はどう対応するかの質問で、ここで警察庁米田刑事局長ははっきりと

    刑法上の業務上過失はそのままでございます。で、警察は警察捜査をする義務がございます
「じゃあ」になりますが、事故調に行列が出来ずに速やかに調査報告書が作成できれば良いになります。事故調の調査システムは基本的にモデル事業を下敷きにしています。僻地の産科医様に掲載されている野村麻実先生の記事には、

モデル事業には色々な問題があるのですが、ひとつの問題は終了するまでに時間がかかり過ぎていることが挙げられます。調査結果を遺族に説明するまでに要した期間は、モデル事業中央事務局の最新(5月1日時点)の情報で平均10.1カ月(48例)となっています。モデル事業に関わったある医師に聞きますと、関与した案件2件のうち、1件は家族に結果報告するまで1年6カ月を要し、遺族から「どうしてこんなに時間がかかったのか」とクレームを受け、もう1件も調査開始から1年を超えていますがまだ報告できていないということです。さらに、愛知の例では、モデル事業の途中にご遺族が結局刑事告訴をして打ち切りとなってしまった例がありました。

なんとモデル事業での調査期間は、

    平均10.1カ月(48例)
そうなると1年を超える案件はザラにあることになります。この平均はまだ調査が終了していない案件を含んでいますから、さらに長くなっている可能性すらあります。また事故調で調査される予想件数はなんと、
    2000件
ここで調査期間を短縮するためには調査に当るメンバーの習熟も必要ですが、人数と調査に従事する期間の延長がやはり鍵になります。2000件から考えるでラフに試算しましたが、
    解剖医1002人、臨床医2505〜3006人
これだけ動員しても調査期間が短縮できるとは誰も言えません。事故調の調査に当る医師は経験の浅い若手では無理で中堅以上になります。事故調調査も重要ですが、調査期間短縮のために調査人数をさらに増やしたり、調査従事期間をさらに長くすれば、肝心の医療現場が手薄になります。現状から言えば手薄程度ではなく、崩壊の危険性が生じますし、手薄になった医療機関医師不足であるがための二次的な医療事故を発生させかねません。

ここで警察の本来の業務を思い出して欲しいのですが、警察は受理した案件を速やかに送検するのが仕事です。医療事件の送検のためには鑑定意見が必要であり、これを事故調が提出してもらうために「謙抑的」にしています。しかし行列化した事故調ではいつまでも「謙抑的」にしてられません。警察が欲しいのは必ずしも事故調の報告書ではなく、送検に必要な鑑定意見が欲しいだけなのです。

行列化した事故調でも警察には利用価値が残っています。調査途中でも事実関係がある程度整理されていれば、警察協力医の仕事がラクになります。別に事故調の最終意見が必要なわけではなく、誰かの鑑定意見があれば警察にすれば必要にして十分ですから、その頃を見計らって謙抑的の抑制を外せば良いわけです。

もうひとつ行列化した事故調について考えて欲しいのは、遺族も調査の長期間化は嫌がります。一刻も早く真相が知りたいわけですから、事故調ルートより警察ルートの方が早いと知れば当然のように利用が増えると考えられます。医師が主体となってしまうと思われる事故調よりも、警察が捜査したほうがより真相が得られると判断しても不思議ありません。事故調の行列化は警察ルートの多用を促進すると考えられます。また警察ルートに一本化しなくとも事故調の調査促進のために警察への告訴をセットにするぐらいは起こりうる行動であり、それを事故調試案では容認しています。

ふぅ、後は検察の起訴判断が事故調報告書に縛られる担保は無いであるとか、検察が不起訴や嫌疑不十分にしても検察審議会が二度起訴相当と決議したら起訴になる話も書こうと思いましたが長くなるので止めておきます。それにしても事故調が出来ても異状死問題以外はあんまり変わらない様な気がします。それでも異状死問題での成果を大きいと見るか、小さいとみるかで意見は分かれているようです。分かれていると言っても、日医幹部と一部学会首脳とその他大勢なんですけどね。