愛人は嫌だけどコータローとの縁が切れるのはもっと嫌だと悩んでたら、またお泊りツーリングに誘われてしまった。これもどうしようかと思った。だってさ、行けば求められるのは決まってるようなものじゃない。
行くと言う事は千草がOKしたことになるのは百も承知だし、そうなることに抵抗はない。無いこともないけど、そこは良い歳の女と男だ。それぐらいは覚悟できる。問題は結ばれた後になる。
結ばれただけで深い関係の恋人にはなるのだけど、そうなった千草をコータローは愛人にするのだろうか。身だしなみのお世話の話題が出たからには、やり捨てはないと思ってるし、セフレじゃ出来るはずも無いもの。
だからお泊りツーリングを断るのも選択肢としてあるはずだけど、了解してしまったからにはどうしようもない。もう女は度胸でやるしかなくなってる。日本海の方の温泉に行くはずだけど、
「シンプルに行くで」
どこかがシンプルだ。西脇から多可に出て県道八号で高坂峠を越えるのはバイク乗りの感覚だろうが。
「福崎回るのつまらんやん」
そうじゃなくて高速が走れないからだろうが。コータローも加西市内を抜けるのは好きじゃないものね。
「千草もやろが」
西脇市内を抜けるのも好きじゃないけどね。高坂峠を越えたら神崎になり、そこからは生野街道をひたすら北上になる。生野峠を越えたら朝来市になるけど、ここって前から疑問だったのだけど、どうして朝来市になったんだろ。
だってさ、朝来市には生野だって、竹田だって、和田山だって含まれているんだ。普通に考えたらせめて和田山になりそうだものだ。
「宍粟市が山崎市にならんかったんと同じやないか」
わかりにくいと言うかわからんぞ。
「朝来市は旧朝来郡や」
そういうことか。市町村合併で新たな合併名で揉める時は揉めるのぐらいわかるよ。吸収合併ならまだしも、朝来市も町同士の対等合併みたいなだものね。だから旧朝来町由来と考えるのじゃなくて、旧朝来郡と考えて朝来市で妥協が成立したのかもだ。
この道は和田山からさらに豊岡まで行く道ではあるけど、コータローが五歳から六歳を過ごしたのが豊岡だよね。
「ああそうや。エラいとこやった。雪は積もるし、冬なんかずっと曇りやねんよ」
但馬も昔ほど雪は降らなくなったとされてるけど、暮らすとなると大変だろうな。それと、
「イジメはなかったけど、なんとなく他所者扱いはあったわ」
どうしたってそうなるよね。でも二年で帰って来れたから良かったじゃない。
「千草、それ寝言か。親父が開業したんは上やぞ」
ああそうだった。田舎の人間関係は血縁と地縁で、血縁が縦糸、地縁が横糸って感じかな。田舎の地縁って単にそこに住んでるだけじゃないのよ。
「地縁って、ある種の身分証明書みたいなもんやし、履歴書でもあるよな」
上手いこと言うな。そんな感じは確かにある。その地縁だけど取得条件が厳然としてあるのが田舎クォリティだ。それはね、そこで生まれ育つことになる。逆にそうじゃなかったら地縁が無い者としてされて、
「他所者や」
この地縁だけど地元なら二層構造になるかな。旧市街の昔からの分け方に上と下があるのよ。これは上下関係って意味じゃなくて、東西とか南北のようなものなんだ。この区分は、
「小学校の校区もそうやし、祭りもそうや」
地元は田舎にしたら盛大なお祭りがあるけど、上と下では神社も祭りの日も別なんだよね。で、その上と下にはさらに町がある。今は町名整理とかで変わってるところが多いけど、地元の人間は旧町名で今も分けてるもの。
千草なら下の新家町だけど、コータローなら上の平岡町みたいな感じ。ちなみにどっちもナビの地図にさえ出て来ない地名だ。この地縁は地元で暮らしていると、コータローの言う通り身分証明みたいなものなのよね。
千草なら下の新家町の千草って言うだけで通じてしまうぐらい。血縁は地縁の上にさらに誰それの娘が付くぐらい。とにかく生まれ育っているから、何をしたかとか、どうなってるの情報が筒抜けみたいなのが田舎なんだよ。だから履歴書のようなもの。
「オレはな。地元の人間ではあるけど、上の人間でも、下の人間でもあらへんねん」
そうなるのか。コータローが地縁を取得できるのは生まれた新家町だけなのがルールみたいなもの。だから平岡町に何年住もうが、
「新家町から来た人間になるねん」
じゃあ、じゃあ新家町の人間かと言えば、
「地縁ってな、あれは人の縁やねん」
そ、そうなるのよね。同じ町内で生まれた時から知っている人の縁として良いと思う。コータローは五歳の時に離れてるから、申し訳ないけど新家町の人間がコータローを認めているかは疑問なんだよね。
都会の人から見たらやたらと煩雑で、古臭いと思うだろうし、実際のところは住んでる人間だって息苦しい時はある。
「オレが地元に戻らんかったんは、他の理由はいっぱいあるけど、それもあるのはある」
あれはあれでラクなところもあるけど、コータローはちょっと違うかも、
「ああいうものって、何の気なしに暮らしてる時は気にもならんねんけど、節目節目で露骨に出るからな」
そ、それはあると思う。どこかで一線引くって感じになるのよね。
「オレが勝手に思い込んでる部分もあるけど、なんかずっとエトランゼやってる感じがあってん」
エトランゼって異邦人って意味だし、それは他所者になるとは思うけど、
「わからんかな。オレかって根は田舎者やから根っこが生えてない感じがしてまうんよ」
コータローが地元の人間であるのは誰もが認めるだろうけど、地元のどこの人間であるの感覚が無いのだろうな。言うまでもないけど地縁は田舎の横の繋がりではあるけど、それがすべてじゃない。
小学校とか、中学校とか、高校の同級生関係だってあるし、仕事場の人間関係だってあるし、個人的な親交だってある。色んな人間関係の横糸の一つぐらいだ。
「そっちも殆ど残らんかった」
コータローならそうなるのか。コータローは明文館だけど、あの中学から明文館に進めるのは、それこそクラスに一人か二人だ。大学となると、
「高校の先輩もおらんかったし、後輩も誰も入って来んかった」
大学だからそんなものだと言えなくもないけど、たった一人だと地元との縁は薄くなるよな。医者になってからは、
「あそこも人間関係はあれこれあるねん。その辺は普通の会社もそうやと思うけど、面倒になってフリーランスになっとるからな」
コータローがとくにって訳じゃないけど、
「そうやねんけど、ある時に自分の故郷ってどこやろうと思てん」
そ、それは地元だけど、えっと、えっと、
「やっぱり新家町やねん」
気持ちはわかるけど、あそこにコータローの地縁はないよ。
「それはわかっとる。あるのはあの頃に暮らしていた新家町や。いわば心の故郷や。そこに帰るのが一つの夢や」
それ無理あるよ。過ぎ去った時間が戻るはずないじゃないの。
「まあ、そうやねんけど、そこは色々あるねん」
なんだよ色々って。