労働基準法のお勉強

信じてもらう限り私は医師なので、法学を系統的に学んだわけではありません。医療問題で医師、とくに勤務医の労働環境に大きな問題が起こっており、必要に迫られて労働基準法に首を突っ込み、泥縄式に知識をまだらに身につけているに過ぎません。そういう状態ではありますが、久坂部羊氏のコラムから滋賀の労働基準法違反問題をエントリーしたときに、法務業の末席様から労働基準法についてまとまった見解を幾つか頂きました。専門家の意見であり、そのうえ素人にもある程度わかりやすく解説してあったので、何回か読み直すうちに「こう考えるんじゃないか」と言うのが漠然と分かってきた気がします。

そんな個人的な感想を書いてどうすると言われそうですが、これからも労働基準法のお話は持ち出す事は多いと思いますし、自分の考え方が間違っていたら思わぬ誤解を広める事になるので、ここで考え方をまとめて意見を伺っておこうとの趣旨です。なお素人でも理解しやすくするために、話はかなり単純化しているのと、労働基準法の5条、32条、36条を中心にしてますのでその点は御了解宜しくお願いします。

まず労働基準法は何のためにあるかとなりますが、源流は憲法18条を具現化するためのもです。

憲法第18条

 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

この憲法18条から労働基準法に反映されているのが5条で、

第5条

 使用者は、暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によつて、労働者の意思に反して労働を強制してはならない。

一般には「強制労働の禁止」とされる項目です。これがどれほど重いかといえば、

第117条

 第5条の規定に違反した者は、これを1年以上10年以下の懲役又は20万円以上300万円以下の罰金に処する。

労働基準法の中で一番重い罰則となっています。

ここで強制労働とは何かになります。法学的にはいろんな考え方があるとは思いますが、ごくシンプルに考える事にし、業務命令による労働と解釈します。もちろんイコールではなく含まれるとの考え方です。強制労働が業務命令による労働なら仕事が成り立たないんじゃ無いかと言われそうですが、そのために32条があると考えます。

32条

 使用者は、労働者に、休憩時間を除き1週間について40時間を超えて、労働させてはならない

  1. 使用者は、1週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き1日について8時間を超えて、労働させてはならない。

32条は語尾に「させてはならない」との強い表現がなされています。これは1日8時間、週に40時間までは業務命令による労働を使用者は行わせることができる除外条件と考えます。この時間の範囲であるなら使用者は労働者に強制労働を行わす事が出来ますが、これを越える事は32条違反だけではなく、5条違反にもなるとの意味合いが「させてはならない」になっていると考えれば分かりやすくなります。また32条は強制労働だけではなく、あらゆる労働も規定する時間以上に働く事を禁止しています。

ここで32条のポイントを整理しておきたいのですが、

  1. 1日8時間、週に40時間は限り強制労働(業務命令による労働)を使用者は労働者に命じる事ができる
  2. 強制労働以外の自主的な労働であっても法の定める範囲以上の労働は禁じられる
32条において時間外労働は禁止されるものであり、強制労働を行わせれば5条違反、自主的に労働者が働いても32条違反に問われる事になります。

それでも現実的に32条を越える労働が発生することがあります。1日8時間を1分1秒でも越えたら5条や32条違反で罰せられるのでは困るので、36条が存在する事になります。

第36条

 使用者は、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者との書面による協定をし、これを行政官庁に届け出た場合においては、第32条から第32条の5まで若しくは第40条の労働時間(以下この条において「労働時間」という。)又は前条の休日(以下この項において「休日」という。)に関する規定にかかわらず、その協定で定めるところによつて労働時間を延長し、又は休日に労働させることができる。ただし、坑内労働その他厚生労働省令で定める健康上特に有害な業務の労働時間の延長は、1日について2時間を超えてはならない。

  1. 厚生労働大臣は、労働時間の延長を適正なものとするため、前項の協定で定める労働時間の延長の限度その他の必要な事項について、労働者の福祉、時間外労働の動向その他の事情を考慮して基準を定めることができる。
  2. 第1項の協定をする使用者及び労働組合又は労働者の過半数を代表する者は、当該協定で労働時間の延長を定めるに当たり、当該協定の内容が前項の基準に適合したものとなるようにしなければならない。
  3. 行政官庁は、第2項の基準に関し、第1項の協定をする使用者及び労働組合又は労働者の過半数を代表する者に対し、必要な助言及び指導を行うことができる。

36条は一般的に時間外労働の許可みたいな形で考えられますが、当然ですが5条、32条の制約の下に存在します。36条で許可される労働は強制労働であってはならないのです。36条で許可される時間外労働は32条が禁じた時間外労働のうち、労働者が自主的に時間外労働を行う事を許可する条文となります。もちろん36条に基づく協定(三六協定)があってもこれが強制労働であるなら5条違反になります。

ここで法務業の末席様のコメントを引用しますが、

三六協定に超過労働義務の定めを置いた場合、労働者に対する超過労働命令を発する使用者の権限の根拠とみなせるかと解釈できるのか。この論点については昭和20年代には根拠となるとする学説などもありましたが、現在では学説・判例・行政解釈ともにこうした権限根拠としては認めておりません。その理由は、一片の協定で超過勤務労働を義務化すると、労働者の自由意志を奪い憲法ならびに労基法5条の強制労働の禁止に抵触すると解釈されるためです。

使用者が時間外労働を命じるには、「就業規則や個別の労働契約のなど、別途に超過労働を根拠付ける規定が必要」とするのが現在の法解釈であり、三六協定の存在そのものは、使用者が三六協定の範囲内で超過労働させても、使用者が労基法32条(労働時間)違反や同35条(休日)の規定違反に問われず、それらの規定違反での罰則(労基法119条により6月以下のの懲役または30万円以下の罰金)から免れる、いわゆる「免罰的効力」があるに過ぎないとされています。

法務業の末席様の表現された「免罰的効力」のさらに補足のコメントも引用します。

法定労働時間超過の勤務は、あくまでも使用者と労働者が締結した労働契約(私法)での合意が前提であって、三六協定を締結すれば使用者は超過勤務を強制できて労働者はその命令に従う義務がある、と巷間で言われているのは誤った法解釈です。

このコメントが分かりやすいのですが、三六協定の免罰的効力(免罪符)は32条の労働時間の制約を超えることには有効ですが、5条の強制労働の禁止には無効になります。三六協定はあくまでも労働者が自主的に労働時間を延長するときにのみ有効なものです。従って使用者は三六協定があっても労働者に時間外労働を命じる事は出来ないのです。

ここで36条には違反の罰則がありません。厳密には一部にありますが、単純には無いとして良いと思います。ですから三六協定に違反した長時間労働を行なわせても、それだけでは使用者は36条違反として罰せられません。しかし36条に違反するという事はごく自然に32条に違反する事になります。32条違反の免罪符が36条ですから、36条の免罪符の効果を越えれば自動的に32条違反になるからです。

また36条の免罪符は時間外労働が強制労働で無い事が条件です。業務命令による時間外労働であるなら、これが何分であっても32条ではなく5条違反に該当するからです。業務命令はあくまでも32条の労働時間の枠内でしか行えないのです。ここでも法務業の末席様のコメントをお借りしますが、

三六協定の締結は、労基法32条の法定労働時間の規定適用を免除する効果を持っており、その結果として労基法32条の法定労働時間を超えて労働が発生した場合(※)において、使用者に科せられる労基法119条1項での罰則が免責されます。これが三六協定の持つ「免罰的効果」というヤツです。
(※:命じた場合ではないことに注意。労働者が使用者の命令無しに自発的に超過勤務しても、法理論上は労基法32条違反で使用者に罰則です)

注釈部分に注意して欲しいのですが、

    命じた場合ではないことに注意。労働者が使用者の命令無しに自発的に超過勤務しても、法理論上は労基法32条違反で使用者に罰則です
ここの部分のもう少し具体的な説明として、

なおこうした法廷時間外の労働の事実認定については、法令では使用者が文書による命じることは要件とされておらず、使用者の口頭での指示や、労働者の時間外労働の事実を使用者が事後に承認することも、全てが「時間外労働が行なわれた場合」として扱われます。

あくまでも法解釈上ですが、三六協定下で勝手に労働者が協定を超える時間外労働を行っても、使用者は32条違反に問われる事になるのです。だから使用者は労働者が三六協定を結んで時間外労働を行っていても、これが協定を超えないように管理する義務を負わされていると考えて良いかと思います。労働者が勝手に働いても責任は使用者側に存在するというわけです。財界がホワイトカラー・エグザンプションに血道を挙げた理由が良く分かります。

個人的には労働基準法の本来の趣旨と言うか考え方が整理されて嬉しい気分に浸っています。もちろん実務上はもっと解釈は複雑でしょうし、さらに現実の労働現場ではこんなに杓子定規に適用運用されないでしょうが、本来はこれだけの権利を労働者は保障されているわけです。しかし労働基準法の実際の運用は強制法でありながら実態は極めて親告罪に近いものがあります。つまり法を知って、法に基づく権利を主張しなければ活かされないという事です。黙っていたらいつかは労働基準局が乗り出してきてくれるという幻想を抱くのは甘いという事です。

労働法の運用が甘いのは、厳格に適用すると職場が成立しない、すなわち倒産してしまい失業する危険性を含んでいるからだと言われています。ですから労働基準局も内部告発などで問題が表面化するまでは、違反があっても「労使の納得づく」として積極的には動かないとされます。医療現場でもそうで、ほんの2〜3年前まで医師が「労働基準法の外の人種である」とし、その労働実態を労働者として受け入れていると見なせば完全に不干渉です。つまり法は法として厳然としてあっても、職場内ルールを相当な裁量内で黙認するのが運用の慣行として良いかと思います。

医師も長い間、ほんの数年前まで「労働基準法はどこの国の法律」状態で納得していたと言えます。あの頃はそれでも良かった時代であったとも考えています。しかし時代は変わっています。医師も労働基準法の必要性を認めだしたのです。余りに増え続ける負担に「しんどすぎるんじゃないか」の疑問がごく自然に湧きあがって来たためと思います。もっと言えば我慢強い医師でさえ悲鳴をあげるほど締め上げ過ぎた結果とも言えます。

医師の意識も様々で労働基準法の完全厳格適用派から、昔ながらの「労働基準法はどこの国の法律」派まで存在しますが、大勢は労働基準法を知り、これに少しでも近づけるべきだの意見が強くなっています。労働基準法裁量権の広い運用が行なわれる法であり、労働者の意識の持ちよう一つで、様々な労働形態が成立します。一部の医師を除いて完全適用では医療は成立しない程度の良識は残っており、どの程度の条件で妥協するかが現実的な課題です。

妥協するの言葉のニュアンスは良くないですが、妥協の合意の主導権は医師側にあります。厳密に適用すれば病院が吹っ飛ぶので、違法部分にしばらく目を瞑ってやっても良いが基本姿勢です。もちろん永遠に目を瞑るのではなく、労働基準法の適用条件が整うまでです。しかし医師の意識の変化の急激さは私でも把握しきれませんから、使用者側が強気のゼロサム姿勢で出たりすると、どういう反応になるかはわかりません。なんと言っても医師は病院への帰属意識が極めて薄く、完全適用の結果が病院が倒産する事にあまり関心が無いからです。

医師の過酷な職場への抵抗手段は逃散でしたが、必ずしも過酷な現場で無い職場では労働基準法による改善運動の動きは、滋賀の事件のように今後出てくると思います。本当に新しい時代に変わりつつあります。