ネットの礼

ネットは不特定多数が意見を交流できるツールです。リアルの場とは違い匿名で相手の顔も見ずに発言できるところから、本音に近い意見をぶつけ合う事が出来るのが特徴とも考えます。匿名で本音を語れるところと言っても、多数の人間が意見を交流するところですから最低限のルールは必要です。

ルールとは礼と考えています。礼と言っても礼儀作法といった形式的なものではありません。作法は礼儀に基づいた所作の事であり、さらに儀は礼の精神を表す行動様式のことです。では礼とは何かになりますが、宇宙の中で自分が置かれているポジションを自覚することです。これを十分に自覚することが礼と考えます。

たしかにネットの中の発言は自由であり、自由であることに大きな価値があります。ただこの自由にも制限はあるかと考えます。その制限が礼の範囲と私は考えます。自由であることと礼としての制限が存在する事は一見矛盾しているようですが、人間であるからにはコミュニケーションの場を形成するについてルールが存在する事は必須の事です。

礼と言うから高尚な表現になりますが、これは現在の日常世界でも頻用されています。本来の礼とは意味合いが若干異なるかもしれませんが、「KY」とか「空気嫁」も礼の一種かと考えています。時に議論が極北の世界に乱舞する某巨大掲示板でも、「荒らし」や「粘着」は許容しません。しばしば起こるブログ炎上も礼の範囲を余りに越えるため起こると考えています。

某所でのある方のコメントですが、

    ネットは匿名で顔を見ずに発言するので普段の倍ぐらい丁寧に発言してちょうど良い
私も素直にそう感じています。そうするように心がける事がコミュニケーションを拡げるのに大事と肝に銘じるようにしています。

またネット世界での発言は文章がすべてです。宙に発した言葉なら紛れ忘れられる事もあるでしょうが、書き込んでしまえばそれは読み返され記録されます。注目度の高いところに書き込めば書き込むほどそれは拡がり記憶されます。このブログもしがない存在とは言え、相当数の人間がこれを読んで記憶されているのです。

礼に基づいて発言すると言っても、堅苦しい言葉を並べるという意味ではありません。笑いを取る表現や、おふざけてきな発言も礼の範囲に余裕で含まれます。それでも礼は厳然と存在します。どこに存在するかと言えば、他者を故無く傷つける発言です。

そんな事を言えば批判はできなくなると言われそうですが、批判するという行為はもちろん礼の範疇に含まれます。問題は批判する表現法です。昨日コメント欄で問題になった「マスゴミ」という言葉も禁止用語ではありませんが、こういう厳しい言葉を使うためにはそれだけの配慮、表現法が求められるということです。

他者への厳しい指摘、峻烈な批判は行なってもまったく差し支えはありませんが、表現法には十分な配慮を施すのが礼です。暴言、極言の使用も可能ですが、使うからには使うだけの理由説明が求められると考えています。暴言、極言を並べただけの批判は単に相手の感情を逆なでするだけで、そこから何も生まれません。批判とは自分の不満を表現する部分もありますが、相手に聞いてもらう部分も存在するからです。

批判もまた議論の一形態であり、コミュニケーションの手法です。一方的に暴言、極言を相手に吐き散らして、自己のストレスを発散させるだけのものではありません。批判を行なって、自分の不満や納得できない事を相手に伝えるのが本当の目的のはずです。相手に自分の批判の意を伝えるために強い表現を使うことは礼の範囲ですが、感情の爆発は礼の範囲を越えるものと考えます。

これはとくにここで発言して頂いている医師と見なされているコメンテーターへのお願いです。医師だからのレッテル貼りは不快かもしれませんが、それでも医師だからの礼は存在します。それも守ってよい礼と私は考えています。ここに集う賢明なるコメンテーターの方々なら、この程度の礼を守るぐらいは朝飯前だと思っています。

暴言や極言を使っての表現を行なわなくとも、もっと強烈な批判を行なうのは難しい事ではありません。暴言や極言を使うにしても、それを列挙して「意見でござい」みたいな幼稚な手法しかとれないほどの知性とは思っておりません。使うからにはもっと効果的な手法は幾らでもありますし、それを駆使するのは医師なら容易なことです。

礼はこのブログだけではなくネットの精神と考えています。とくに医師として発言されるなら、この程度の初歩的なことは守れて当たり前の事だと思っています。