学会は説明せよ

病気腎移植に関する話題の蒸し返しなのですが、まず万波医師の病気腎移植への手続きや、診療記録の管理等について杜撰な面があったことは、確度の高い情報として記しておいて良いかと思います。

そのうえで万波医師が行なった病気腎移植という道に対して、賛否両論があり、詳しいデータが公表されていない以上、最後は水掛け論になってしまいますが、当ブログに寄せられたものとしては、

compya様

健康な人間から正常な臓器を摘出する方がよっぽど倫理的に問題だと思うのは私だけでしょうか。
ドナーの意志次第とはいえ、人間関係で断りにくいという場合も大いにあるでしょうし。

病気で摘出された腎臓を再利用するのはレシピエントの厳密な同意が得られていれば誰も割を食わない合理的かつ倫理的な治療に思えます。
癌は移植で移らないということらしく、文書による同意取得や臓器の感染検査を厳格に行うことを規定して進めていくのが望ましいような。

まあそうなっては困る人たちも居るのでしょうかね…

NATROM様

病腎移植自体の医学的な評価はさておいて、インフォームドコンセントや、ネフローゼ腎摘出の適応など、万波医師にはかなり杜撰なところがありました。特に、HBs抗原陽性・HBe抗体陽性ドナーから移植については、「肝臓専門医にコメントを求めたところ、当時の肝臓病の常識として感染性はないと判断されるとのことです」などとコメントをされておられます。肝臓専門医とのコミュニケーションに大きな問題があったようです(付け加えれば、移植医なんだからHBVの感染力ぐらいは内科にコンサルトするまでもなく把握しておいて欲しいと思います)。

ただ、それはそれとして、保険医療機関指定取消・保険医取り消し処分については、処分が重過ぎると感じます。先進的な医療と、保険診療の境目があいまいな医療について、厚生労働省が恣意的に判断し、罰することのないように願います。

griotte様

いつもブログを拝見しております。
当方泌尿器科医で、この件に関するの調査委員会のメンバーも直接知っておりますし、今回病院に直接出向かれて処分を伝えられた厚労省の参与もよく存じております。

さまざまな意見があるのは承知しておりますが、万波医師の病気腎移植は手術やその前後の記録があやふやで、移植後もやりっぱなしでまともなフォローがなされていないのは事実のようです。何より、移植腎の定着成績も非常に悪いものである、というのは動かしがたい事実です。
ここから先は聞きかじった情報ですので明確には書けませんが、某疾患のドナーのクレアチニン値は1くらいだったそうですが・・・・・という結果も聞きました。
今どきこんな医療が日本で行われていると知ってゾッとしました。必ずしもすべての情報が表に出ているわけではないようです。
患者思いで腕さえ良ければ何をしても良いという時代ではないのは、このブログでさんざん言われていることではないでしょうか。万波医師の他疾患に対する手術適応も常識外れであったと、愛媛県のある泌尿器科医から聞いています。
そして、一医師としてのわたしの意見ですが、この処分でもあまりにも軽すぎると思っています。

ひろひろ様

これは、客観的には、「よい悪い」を判断するにあたってのデータが決定的に不足しているというべきです。万波医師の症例は高齢者、および再移植・再々移植の患者さんがほとんどですが、これは両者ともに通常移植手術をはなから拒否される方々ばかりです。国内での腎移植において、初回移植の占める割合が確か95%前後といいますから、再移植・再々移植に関する限り、通常の移植と万波グループの移植を比較して成績を云々できるほどのデータが、そもそもないだろうと思われます。高齢者の移植についても同様ではないでしょうか?

そして、今回の一件が突きつけた最大の問題は、まさにここにあると考えます。万波グループの移植とそれ以外の移植医の方々の移植は、根本的な考え方が違う。手術を希望し、腎臓が手に入る限り手術を行う、という発想と、優良な術後成績が期待できない限り手術は行わない(結果として高齢者や再移植者は排除される)、という発想の、ふたつの腎移植術が日本にあるということです。

高齢者の要腎移植者は日本に数多くいます。そしてまた、腎臓の生着率の問題が劇的に克服できない限り、再移植、再々移植を希望する患者さんも今後数多く出てきます。彼らに対して「手術はしない、今後は透析のみ」と宣言するのが良心的なのか、それとも、ドナーが用意でき、本人が納得するのであればしてあげるのが良心的なのか。病気腎は単にスキャンダラスな一事件ではなく、もう少し広い視野から移植医療の将来を考えるための機会であるように思います。

一つ一つのコメントの内容について論じるつもりで上げたのではありません。賛否両論が確実にあり、現時点では透析で苦しむ患者に対し、病気腎移植の道を完全に塞いでしまう結論は性急すぎるのでは無いかと考える医師は、決して少ない事を示したかっただけです。私は完全に門外漢なのでこの問題に対する理解は非常に浅く、正直なところ「病気の腎臓を移植したら、その元の病気にならないか」ぐらいで気色悪がるレベルであることは白状しておきます。

それでも透析に苦しむ患者の声ぐらいは知っていますし、患者が透析から解放されるための現状の最善の方法が腎移植である事も知っています。さらにこの腎移植が数としてまったく足りない状態であることも知っています。正常の腎移植で足りないのなら病気腎移植への道が開かれれば、患者への福音になるんじゃないかとも素直に感じます。

ところが、

2/24付読売新聞より、

病気腎移植をした病院、「生体腎」も診療報酬なし…厚労省方針

 厚生労働省は23日、日本移植学会などが認定した医療機関以外は保険診療で生体腎移植が実施できないよう、4月からの診療報酬改定に合わせて、施設基準などを変更する方針を決めた。

 病気腎移植の原則禁止を徹底するためで、病気腎移植を実施したり、学会の認定を受けなかったりした病院は、通常の生体腎移植の診療報酬も請求できなくなる。

 見直しの背景には、愛媛県宇和島徳洲会病院の万波誠医師らが行った42件の病気腎移植がある。これらの移植に対し、移植学会などは昨年3月、臓器提供者の同意確認が不十分で、「実験的な医療で医学的に妥当性がない」と結論付けた。

 同省は昨年7月、臓器移植法の運用指針を改正、臨床研究以外での病気腎移植を禁止。同省は、病気腎移植は保険適用が認められないとして、宇和島徳洲会病院など2病院に、診療報酬の返還を求めたり、保険医療機関の指定を取り消したりする方針を示している。

 一方、超党派の国会議員が今月21日に発足させた議員連盟や患者団体は、万波医師らの病気腎移植の再検討を求めている。

厚労省は病気腎移植の禁止を打ち出しました。病気腎移植を行なえばその施設から通常の腎移植を行なう許可も取り消すという徹底したものです。おそらくですが、宇和島の例からすると、保険医療機関取消処分が同時に行なわれても不思議ありません。つまり厚労省は、この日本から「病気腎移植」を禁じられた治療にするとの姿勢を明確にしたと考えて良いかと思います。

もちろん自費診療で行なった場合の禁止は謳っていませんから「完全禁止」ではありませんが、保険適用が罰則付きの完全禁止になれば、「病気腎でも良いから移植してくれ」と願う患者がいても、それが可能な資力を持つのみしか移植は不可能になります。手術そのものだけではなく、術後の免疫抑制剤も自費になる可能性がでてくるからです。

病気腎移植は本当に、現段階でここまで禁止を徹底しなければならない治療法なのでしょうか。そのための納得する回答を我々は示されていない様な気がします。示されていないが故に患者だけではなく医師の間でも肯定論と否定論が渦巻いています。私自身も判断がつきませんし、両者で論議しても結局は伝聞系の情報による果てし無い論争にしかなりません。

こういうものこそ説明が求められると考えます。厚労省の禁止の根拠は学会による「否定」を受けてのもの考えるのが妥当でしょう。厚労省に説明を求めても「学会が否定したから」の説明以上のものは期待しにくいため、やはり学会に説明を求めたいと思います。学会の否定は短い記事内容でしか情報を把握していませんが、否定の内容として2種類のものが想定されます。

  1. 完全否定:厚労省の示した通り、日本での病気腎移植を完全禁止にする。
  2. 部分否定:現時点の病気腎移植は否定的だが治療法として検証も考慮すべき。
完全否定であるなら、根強く残る病気腎移植肯定論を明快に否定する論拠を提示して欲しいと考えます。学会ですから医学的検証を綿密に行なったはずですし、その検証情報は秘匿されなければならない性質のものでは無いと考えます。学会による検証内容がわからないので肯定論が根強く残るのであり、厚労省がここまでの方針を打ち出したのですから、その根拠として広く公開説明しても良いはずです。

部分否定であるなら、厚労省の方針は学会の見解と異なることになります。病気腎移植は国内だけではなく海外でも評価する声は確実にあり、日本で否定禁止したこの療法が海外で再評価され確立する可能性があります。その時に厚労省が赤恥をかくのはともかく、学会までも赤恥をかくのは如何なものかと思います。もしそんな事態になって「実はあの時・・・」みたいな後出しで検証内容や見解を公表しても学会への批判は免れません。

腎透析に苦しむ患者にとって病気腎移植は大きな希望です。その希望が虚像であってトンデモ治療に過ぎないのか、評価できる部分もあって、しっかりした管理の下に検証作業を行なう価値のある治療法なのかの、それこそ「真実」が知りたいと願っているかと思います。

その期待に学会は応えるべきかと考えます。