南淵明宏 魂のメス、炎のムンテラ

日経メディカルカデット 2007 Summer No.1のP.11にあるコラムだそうです。一説によると「いのげチャンネル」にもテキスト化されたものがあるとの事ですが、今回のは774氏様がOCRを使って取り出してくれた分です。このコラムだけなのか日経メディカルカデット全体なのかはわかりませんが、これも774氏様によると、

    読んで下さいと無料で送ってきて、全員回覧したら研修医が感想文を書いて(笑)、返すようになっている
だそうですので、文章を引用しても問題にはならないかと考えます。もっとも一昨日の対談を読むのも相当な努力が必要でしたし、中一日で似たような内容を読むのは相当な苦行です。さらに言えば南淵氏の人柄は対談で十分わかるとも思うのですが、対談は編集されて南淵氏の人柄を歪めて伝えている可能性もあると考え、直筆コラムで再検証してみます。

南淵明宏 魂のメス、炎のムンテラ

南淵明宏 akihiro Nabuchi
大和成和病院院長、心臓病センター長
●1983年奈良県立医科大学卒業。国立循環器病センター、シド二ーセント・ビンセント病院などを経て現職。心臓外科医として年間200例以上を執刀。

悲しい国、日本

 私は30歳のときにオーストラリアに行った。日本はつまらなかった。給料も安い。このままでは一生奴隷だ。脱出の糸口は見つからない。この国で朽ち果てるくらいなら、冒険してみようと思った。「外国で働く」というシチユエーションにも憧れた。とにかく好奇心だった。失うものは何もなかった。

 ではなぜオーストラリアなのか。それは実践的に臨床を学べるからだ。米国だと面倒な試験が必要だ。研究は日本でもできそうだが、臨床力の差は日本と比べて歴然だった。向こうの心臓外科はもの凄く手術症例数が多い。それを信じられないほど少ない人数で行う。手術は素早い。というか、日本が遅すぎるし下手すぎる。あらゆる点で日本は無様だ。

 オーストラリアの病院での仕事は雑巾がけばかりだった。手術は助手として手伝うだけで、なかなか執刀医を任せてもらえない。厳しい厳しい環境だ。どんな下手でも年さえ取っていれば手術をやらせてもらえる日本とは全然違う。「クビになっても3ヵ月は居座ろう」と心に決めていた。なんとか2年半、ネズミのように居させてもらった。

 私のようなアホでも帰国後なんとか様になったせいか、オーストラリアに行く医師は増加した。私が帰国途中に下車したシンガポールも日本人は行くようになった。できの悪い私が先鞭をつけたお陰で、後に続く人はさぞかしやり易かっただろう。

 ところで、医師専用のウェブサイトには回業の医師個人を匿名で誹膀中傷する卑怯な書き込みが目立つ。最近、岡山大学の佐野俊二教授、京都大学の米田正始教授、ついでにただの民間病院の私の3人を、それぞれ中傷する記述を見つけた。そういえば、3人ともオーストラリアで腕を磨いた経験を持つ。卑怯者は3人のすぐ近くにいる同業者だろう。

 ネットの管理会社は医師間の有意義な意見交換の場を期待したはずだ。しかし、暗闇から個人を罵倒する書き込みが生み出す負のエネルギーは大きい。私は書き込み者の氏名開示を依頼したが断られた。暗闇から他人に石を投げつける卑怯者の権利が守られ、特定の個人は中傷され放題だ。これが「美しい国、日本」の愛国心に満ちた公共への奉仕の姿勢なのだろう。

 私は医道審議会をはじめとする様々な機関にこういった「医療内部崩壊」の実情を訴えている。

 それにしても、こんな「悲しい国、日本」はつくづく嫌になった。もう息もできない。またどこか海外に行きたい。

お話は南淵氏がオーストラリアに修行(留学?)に行った経験と、その経験から日本の医療を見ての感想の構成になっているかと考えます。オーストラリアの経験は南淵氏にとって素晴らしいものであった事が素直にわかります。南淵氏が卒業したのが1983年となっていますから、30歳で渡豪と言う事は、時代的には1989年頃と考えて良いかと思います。また「2年半」とコラムに書かれていますから、南淵氏の在豪期間は1989〜1992年頃になるかと考えます。

Wikipediaによると

    奈良県立医科大学第三外科(心臓血管外科)に入局するも、国立循環器病センターで研修を受ける。
と書いてあり、卒業と同時もしくはかなり早期から国循で研修を受けていた事が推測されます。つまり日本での研修は主に国循で行なわれたと考えて良いと思います。私は小児科医ですので成人の心臓外科医の実態はよく知らないのですが、小児心臓外科の事は少しだけ知っています。知っていると言っても1ヶ所だけなので、大きな事は言えませんが、乏しい知見を基に考えてみます。

コラムの冒頭の

    日本はつまらなかった。給料も安い。このままでは一生奴隷だ。脱出の糸口は見つからない。
当時も今も国循の給与が安いのは有名です。とくに南淵氏は研修医時代のはずですから、相当安かったであろう事は容易に想像がつきます。また勤務が激烈である事もこれまた有名です。心臓外科医に限らないかもしれませんが、外科医は執刀医になるまで相当な期間が必要とされ、初期研修は術前の準備や術後のfollowに24時間365日追い回されます。術前の準備や術後のfollowが一人前にならないうちは、執刀医になれないと感じています。

南淵氏の国循時代はそんな日の明け暮れだろうと推測します。私は小児心臓外科医の一端しか知りませんが、そこには「天皇」と呼ばれた絶対的な部長が君臨し、40歳代のNo.2でも回診中に遠慮会釈なく罵倒されていました。No.2以下の医師は部長が体力的に回らないごく一部の比較的容易な手術を稀に執刀するだけで、他は助手か、術前術後のfollowに走り回る構図でありました。成人領域はどうかはわかりませんが、20歳代の南淵氏の研修医生活も似たりよったりと考えてもさして間違いないでしょう。

そこで南淵氏は海外研修を志したようです。もっともこれもさして珍しい話でもなく、当時でもアメリカや欧州への研修はいくらでもありました。今よりは敷居がやや高かったかもしれませんが、私の知ってる小児心臓外科の「天皇」も海外研修で新技術を習得してその地位を築いていましたし、小児外科の有力スタッフも「必修」と言われるぐらい海外研修を行なっていました。

南淵氏が渡豪した以前は、海外研修を行なった事だけで経歴に箔がつき、帰国後、それだけで「海外研修帰り」として優遇された時代もあったようです。ところが南淵氏が渡豪した頃には、海外研修に行っただけでは以前のような絶対的な評価はなくなり、海外研修で日本に無い、もしくは数少ない技術を習得してこそ評価される時代に変わっていました。

南淵氏が渡豪したのが30歳。そこでの初期の経験は、

    オーストラリアの病院での仕事は雑巾がけばかりだった。手術は助手として手伝うだけで、なかなか執刀医を任せてもらえない。
これを「厳しい厳しい環境だ」としていますが、日本であってもあんまり変わらないように思います。とくに海外であれば、日本から来たどこの馬の骨かもわからない医師に、そう簡単に執刀させるとは思えません。この後の文章は、
    どんな下手でも年さえ取っていれば手術をやらせてもらえる日本とは全然違う
になるのですが、オーストラリアが日本より「厳しい厳しい環境」と言うからには、文脈上二つの条件を満たす必要があります。
  1. 日本では南淵氏は執刀できる立場であった
  2. オーストラリアでは「下手」であれば永久に執刀できない
南淵氏が国循で執刀できる立場にあったかどうかはこのコラムからは不明です。強いて推測すれば「なかなか執刀医を任せてもらえない」とあり、ここに「日本では執刀していたのに」との思いが込められたと取れないことはありません。ただ30歳までに執刀できるかと言われれば、微妙と判断するのが精一杯です。

次にオーストラリアのシステムです。「下手なら永久に執刀できない」システムであるかどうかです。私の知っている小児心臓外科のシステムはまさにそうでした。どれほど年功を積もうとも執刀医になれるかどうかは部長である「天皇」の眼力で決定され、いくつか執刀させて「下手、センスが無い」とされれば陽の目を見ないものでした。当時の国循がそれより甘かったかどうかは私にはわかりませんし、オーストラリアの当時の事情など私には知りようがありません。

一つ言えるのは、日本では成人の心臓外科と小児の心臓外科では症例数が違うのがあると考えています。小児は成人より症例数が少ないために、ごく少数の執刀医で賄えます。幾多の才能のうち、執刀医の椅子に座れるのは最優秀の一人であり、それ以下の才能の者は需要が無いと言う事です。激烈な競争を勝ち抜いた一人がほとんどの執刀を行い、残りは兵隊としてサポートに回るのが、私の知っている小児心臓外科の世界です。

あくまでも想像ですがオーストラリアのシステムもそれに近いんじゃないかと考えます。限られた傑出した医師がほとんどの執刀を行ない、それ以下の医師は兵隊に回るシステムです。このシステムの優れたところは、患者は常に傑出した医師の治療を受けられる事であり、欠点は治療を行っている医療機関が限られるところです。システム全体としての優劣の論議はここでは置きたいと思いますし、南淵氏がそういうシステムに強い感銘を受けた事だけは間違いないと考えます。

とにもかくにも南淵氏は2年半の研修をオーストラリアで行なっています。ここで執刀医の地位まで上がれたのかどうかは書かれていませんが、きっと上がれたのでしょう。そうでなければ心臓外科医としての、その後の経歴が説明できないからです。どうもオーストラリアに単身乗り込み、心臓外科医のヒエラルキーの頂点である執刀医の地位に、2年半で登りつめる事ができたのが南淵氏の強い自負になっているかと考えます。

自慢できる事であるのは認めても良いでしょう。少し順番は前後しますが、日本の心臓外科に関する南淵氏の評価が有ります。

    日本が遅すぎるし下手すぎる。あらゆる点で日本は無様だ。
1990年当時の日本とオーストラリアの心臓外科のレベルに、どれ程の差があったかは門外漢の私にはわかりません。南淵氏が比較に出したのは経験からして国循と考えるのが妥当ですが、南淵氏が見るところでは相当な差があると感じたのでしょう。もちろんこのコラムは帰国直後に書かれたものではないですから、「日本は無様だ」としているのは、帰国後の知見も含めて書かれている可能性も十分あります。そうなると日本の心臓外科は17年前のオーストラリアに較べてもまだ相当劣っている事になりますが、そんなものなのでしょうか。

コラムなので、文献を引用するまでの事を行なわなければならないとは必ずしも思いませんが、そんなに治療成績は日本が悪いのでしょうか。もっとも南淵氏が主張したいのは統計的な成績よりも、術者の手際の事かと解釈するのが妥当ですから、成績に現れない手腕の差について言及していると取れないこともありません。

あくまでも推測ですが、日本よりオーストラリアの方が執刀医の平均技量は高い可能性はあると考えます。上述したようにオーストラリアは少数精鋭制を敷いている可能性が高いからです。一方の日本はオーストラリアより技量の劣る医師も執刀医となっている可能性があります。平均ではオーストラリアより劣るかもしれませんが、その代わりに多くの治療拠点に医師を配する事が出来るメリットがあります。

平均技量では劣っても拠点数が多いと、より多くの患者を救える可能性が高まると言う考え方があります。治療拠点が多いほど発症から受診までの期間が短縮され、治療成績が向上すると言う見方です。そこまでの比較評価となると専門家でないとわかりませんので、私は言及できません。

そしてオーストラリア時代の回顧談のまとめです。

    私のようなアホでも帰国後なんとか様になったせいか、オーストラリアに行く医師は増加した。私が帰国途中に下車したシンガポールも日本人は行くようになった。できの悪い私が先鞭をつけたお陰で、後に続く人はさぞかしやり易かっただろう。
記憶が定かではないのですが、日本の医師の海外研修先にオーストラリアが有力候補になったのはいつからでしょうか。南淵氏の文章を素直に取るとパイオニアみたいに受け取れますが、パイオニアではありません。南淵氏がオーストラリアを目指したのは氏の希望もあったでしょうが、佐野俊二・現岡山大学医学部教授の勧めが大きいとされます。佐野氏は1985年から1990年にかけニュージーランド、オーストラリアで研修を行ない、最終的にはオーストラリアの王立小児病院で助教授にまで昇進しています。

佐野氏が帰国したのは1990年ですから、南淵氏がオーストラリアに研修に行けたのは、佐野氏が在豪中であった可能性もある事になります。在豪中でなくとも帰国直後である可能性は十分で、佐野氏のコネでオーストラリア研修が可能になったのはまず間違いないでしょう。なんと言っても南淵氏が渡豪した頃には佐野氏は相当な有力者であったと考えられるからです。

ここで誤解して欲しくないのは、南淵氏が佐野氏を頼ってオーストラリアに行った事は問題ではありません。そういう形態の研修や留学はありふれたものです。ただし、もし南淵氏に才能が無くとも、後に続く人材はオーストラリアに渡ったかと思います。別に南淵氏が「アホ」であったからオーストラリアに研修に行く医師が増えたのではなく、オーストラリアが研修先として魅力的である事がわかったから増えたのであろうと言う事です。これは欧米での研修に成果を挙げられずに帰国した医師も少なくないはずですが、そこに研修に向かう医師の数は変わらないことが傍証になるかと思います。

ここから先は一転してWeb批判になります。ここで例として挙げられている「医師専用のウェブサイト」は具体的にどこかはわかりませんが、可能性としてm3を指しているとも考えられます。m3かどこかは大きな問題ではないかもしれませんが、南淵氏のWeb批判は下記の点かと考えます。

    岡山大学の佐野俊二教授、京都大学の米田正始教授、ついでにただの民間病院の私の3人を、それぞれ中傷
かつてのm3は膨大なスレがあり、すべてに目を通すのは至難の業だったと言えますが、そこに南淵氏批判のスレを見つけられたようです。私は読んでいないからわかりませんが、南淵氏は「誹膀中傷」「罵倒」と感じたようです。どういう内容であったかは知る術もありませんが、そう感じて快く思う人間はいないでしょう。

でも思うのですが才があり、ある程度の地位の人間に批判が出るのは世の常かと思います。俗に言う「出る杭は打たれる」です。特にパイオニアと目される人間には常に批判がついて回ります。そういう批判を打ち消すには、ひたすら業績を積み上げる事が一番の特効薬と考えます。批判者がグーの音も出ないほどの実績を積み上げて黙らせるのが王道だと言う事です。先人達はそれを行い、批判者を沈黙させ、尊敬を勝ち得たと思います。

匿名のWebの世界をどうとらえるかで見方は変わりますが、Webの世界は言うまでも無く玉石混交の情報が飛び交います。噂話に尾鰭がついて膨れ上がる時もあったり、情け容赦が無い中傷情報が飛び交う事も珍しくありません。その中で珠玉の情報と、瓦礫の情報を見分ける能力が要求されます。また中傷情報が出たとしても、それが根も葉もない中傷であればやがて立ち消えたり、「そうではない」の反論が出てくるのもWebです。

すべてのウェブサイトでそうかどうかは確信がもてませんが、医療系サイトであれば某巨大掲示板でさえそういう良識はあります。少なくともそう私は感じています。甘い考えかもしれませんが、正しい事を行なっていれば、中傷される事は一時的にあっても、いつかは正しい事を評価する人間が多数派になると言う事です。もちろん自分で反論するのも自由にできます。

ところが南淵氏の考え方はやや違うようです。

    私は書き込み者の氏名開示を依頼したが断られた。暗闇から他人に石を投げつける卑怯者の権利が守られ、特定の個人は中傷され放題だ。これが「美しい国、日本」の愛国心に満ちた公共への奉仕の姿勢なのだろう。
「氏名開示を依頼」とありますから、中傷コメントの主を特定して抗議でもする気であったかと考えます。中傷がどの程度であるかは氏の感性で異なりますが、ネット上の表現の許容度は相当広いと考えます。また中傷される対象によってもその許容度が異なります。公人の地位に近ければ近いほど許容度は拡がるかと考えます。

例えば年金問題で安倍首相の対応に不満を持つものは、公然と「首相は馬鹿だ」と話しますし、Web上に書き込みます。これに対し国家が首相を中傷罵倒したとして介入する事はありません。マスコミに登場する人物もまたそれに準じるところがあります。某ニュース番組のキャスターの発言がトンチキであれば、情け容赦なく「無能」の言葉が飛び交います。これも捜査の対象にはなりえません。

南淵氏は本人の自覚は別にして、マスコミへの露出度が高く、芸能人に準じての許容度が要求される地位にあると考えるのが妥当です。自分が語った言葉、思想に対して、これに反する意見の持ち主が反論批判する事は許されています。影響力の強い立場にある者には、自由に批判が行なえるのが自由な社会の原則かと考えます。

Webは一面、井戸端会議の側面もあり、井戸端会議的な強い表現も頻出します。Web普及以前はそういう陰口は本人には聞こえにくい構造でしたが、Web普及後は敷居が相当低くなって流布します。これはWebの特性です。それでも根も葉もない話は長続きしません。それもまたWebの特性です。

だから南淵氏が読んだ誹謗中傷も、これまでは本人が聞こえないところで囁かれていたのが、Webのために本人が読めるところに書かれる様に変わったと考えられます。こういう批判の声はこれまで聞こうとしても聞くことが難しく、古来優れた指導者はこの批判の声を集めるのに腐心しています。側近の阿諛ばかりを聞いていたのでは、大勢を見誤る事を熟知していたからです。逆にこういう批判の声を封じ込めようとした指導者の末路にロクなものはありません。

批判を聞いて、根も葉もない事であれば聞き流すなり論拠を持って反論すれば良いでしょうし、耳に痛い事でも正論であれば、苦い薬と思い飲み下す度量が必要です。とくに芸能人に準じる立場に身を置き、影響力の強い言葉を発せられる立場であるならなおさらです。

批判を浴びた時に人間の真の度量が問われるかと思うのですが、南淵氏の考え方は封じ込めに傾いているようです。

    私は医道審議会をはじめとする様々な機関にこういった「医療内部崩壊」の実情を訴えている。
あくまでも見解の相違ですが、南淵氏のようなスタイルである事を主張すれば批判は昔からあります。昔からありましたが、情報伝達手段に乏しかったため、広がりも遅く、限定的にしかならない事も多かったと考えます。ところがWeb普及により瞬時に広範囲に批判は広がるようになりました。これは情報伝達手段が進歩しただけの違いです。格別「医療内部崩壊」なんて大層なものではなく、時代が進んで情報の広がりが速くなっただけの事かと考えます。

もう一つだけ、南淵氏は自分が実名である事にこだわりをもたれています。自分が実名で物を言っているのだから、匿名で反論するのは許せないの主張かと考えます。一見正論ですが、発言力の大きさに相違がある点を失念されているかと思います。南淵氏の意見に対し無名の医師が実名で反論しても発言力は小さなものです。ある論争を行なっても、その反論を南淵氏は講演会、著書、マスコミ報道で幅広く行えます。一方で無名の医師は叩かれっぱなしを余儀なくされる事になります。この差は小さく無いかと考えています。

また実名であるからいかなる発言も許される思想も問題と考えます。一昨日の松原氏との対談の言葉、

    今の日本は医者が全然ダメ。無秩序で、無統制、おまけに無道徳
無秩序や無統制はまだ許容範囲と考えますが「無道徳」は相当な放言であると感じます。それに反論するのも実名しか許さないというのが南淵氏の考えのようです。実名でしか反論を許さない社会が「愛国心に満ちた公共への奉仕の姿勢」と受け取れば良いのでしょうか。

もっとも南淵氏が何を考えようが、何を主張しようがそれは保障されています。医師は職人集団ですし、職人はヘンコツが多いのが宿命ですから、この程度の人物など掃いて捨てるほどいます。ただし他の掃いて捨てる者は影響力が小さく、属する小集団以外には無問題な存在です。南淵氏は好むと好まざるに関わらず、一定の影響力を行使できる立場にあるのですから、その影響力に対する配慮が求められると考えます。