1.23ショック

「ある産婦人科のひとりごと」の一昨日のエントリーの衝撃は私には強烈でした。大袈裟に言えば最後の砦、最後の防衛戦を失った気持ちです。「ある産婦人科のひとりごと」が注目されたのは周知の事ですが福島事件の時です。非常に冷静に事実を分析し、癒着胎盤とは何か、これがどんなに発見しにくく、判明した時の処置がいかに大変なものかを、感情に走りすぎず、懇切丁寧に、なおかつ粘り強く論じる姿勢に、大袈裟に言えばネット医師のすべてが感銘を受けたと言えます。

福島事件があれだけ盛り上がったのは「ある産婦人科のひとりごと」だけの功績ではないと思いますが、「ある産婦人科のひとりごと」の存在なくしてはありえなかったと言っても良いと思います。歴史的な事件であったので医師の中には憤慨の余り、極論、暴論に走るものも少なくありませんでしたが、そのときに「ある産婦人科のひとりごと」の冷静な姿勢を読むことで、今何を論じるべきか、どう考えていくのがもっとも王道であるのかを教えられたものは数知れないと思います。もちろん私もその一人です。

その後の姿勢も見事に一貫していました。去年はとくに産科関係でこれでもかの衝撃的な事件が断続的に続いています。主なものだけでも、福島事件、堀病院事件、奈良事件とあり、それ以外の中小の事件が起こった時にも、感情を抑えた冷静な主張を繰り返されていた事をはっきり覚えています。事件以外でも私のような市井の開業医と違い、病院の立場ある責任者として、行政との折衝、地域住民との対話と、危機に向かいつつある産科医療はどうあるべきか、どうすべきであるかについて、切々といつも変わらず訴えてこられた事は誰もが知っています。

ネット医師世論の尖鋭化は事件が起こるたびに強くなった事は昨日のエントリーに書いた通りです。私などは、福島事件の後、早々に焼野原以外の再生手順はなしとの結論を出してしまい。焼野原は既定路線だが「なんとかならないか」のダメモト派といういい加減な姿勢でしたが、「ある産婦人科のひとりごと」は本当に一貫して「崩壊はくい止めなければならない」から半歩たりとも譲る姿勢がないのに尊敬の念を隠せないものでした。私がダメモト派として気楽に論じられたのも、対極として「ある産婦人科のひとりごと」があり、これが焼野原待望論への傾斜を押し止めていたと思います。

それぐらいの圧倒的な存在感があり、医師が医師たる高い志を矜持し、ブログにも、もちろん実戦においても、それを静かに粘り強く実践する姿は、ネット医師世論の偉大なバランサーであったと言えます。偉大すぎるが故に誰もが「ある産婦人科のひとりごと」の姿勢が変わるとは夢にも思わず、どれだけ先鋭化した論客であっても、「ある産婦人科のひとりごと」の主張はどこかで必ず念頭に置いて論じていた事は間違いありません。また「ある産婦人科のひとりごと」を読まずに論じるものは、それだけで勉強不足とされています。

すべての医師の尊敬を集めていましたが、とくに産科医師の尊敬は強く、苦しいを越えて、危機的、破滅的な現場にいても、「ある産婦人科のひとりごと」の言葉を最後の励み、希望として支えられていた産科医師は決して少なくないかと考えています。「ある産婦人科のひとりごと」のエントリーは決して疲弊した医師を鼓舞するアジテート的なものではありませんが、読むものにどこか勇気付ける暖かさを持っています。「この先生がおられる限り、日本の産科医療は滅亡しない」と感じさせたと言えば言いすぎでしょうか。

「ある産婦人科のひとりごと」の姿勢の変化はそれほどの大きさ、衝撃をもっています。昨日と同じような内容になってしまいましたが、どうにも昨日のエントリーだけでは語り足りない大きな出来事です。単なる医療系ブログの医師のエントリーではありません。ネット医師すべてに巨大な影響を与えた事件なのです。「1.23ショック」として今年最初の大事件として語り継がなければならないと考えています。