福島が熱かった日

過ぎちゃいましたが、福島大野事件の判決は2008.8.20でした。判決日には緊急シンポジウムが福島で急遽開催され、moto様も一肌脱がれた事を思い出しています。あれから5年です。当日の自分のブログですが、

本日付NHKニュースにて、

帝王切開で死亡 医師無罪判決

4年前、福島県立大野病院で行われた帝王切開手術をめぐり、無理な処置で女性を死亡させたとして業務上過失致死などの罪に問われた産婦人科の医師に対し、福島地方裁判所は無罪の判決を言い渡しました。

他の続報については情報が手に入り次第追加したいと思います。とにもかくにも、

被告産科医師は無罪

この一報に無邪気に喜びたいと思います。

こんだけしか書いてませんでした。書けなかったんだと思っています。判決があると言う事は逮捕とかもあるのですが、有名な片岡康夫次席検事の

    「経験もないのに、いちかばちかでやってもらっては困る」
これと共に逮捕報道が駆け巡ったのが2006.2.11です。ここからになると既に7年半が経過しています。これも過去ログを読んでみると私は恥しいぐらい反応が鈍く、ようやく2006.2.23になって反応しています。どうも「ある産婦人科のひとりごと」様の主張を泥縄式に咀嚼していたみたいです。この時はまだ「アレ?」って感じで、2006.2.28になってようやく「エライこっちゃ!」になったぐらいでしょうか。m3も入っていませんでしたから蚊帳の外感がタップリの反応です。私もようやく目覚め始めたぐらいと振り返っています。


この2006年は振り返ると事が多かった年で、主要な物として記録されているものだけで、

事件
1月 ・開業する医師への僻地経験義務が提案される
・救命病院の機能分化案が提案される
2chにて「JBM」の言葉が初出
2月 ・知事が公立・公的病院に僻地医療の支援を命じる権限を付与の提案
福島大野病院事件が報道される
・瀬棚事件、村上智彦医師が診療所を去るメッセージが2chに載る
3月 ・予算員会で「(医師は)あくまで総数は足りていて、偏在の問題と認識している」
福島大野病院事件起訴
・杏林割り箸事件一審無罪(医師の過失は認定)
・日本外科学会で立ち去り型サポタージュの特別講演が行なわれる
4月 ・第3者評価機関モデル事業1号報告される
・杏林割り箸事件一審無罪(医師の過失は認定)
5月 ・三重で医学部5年次卒業の地域限定免許の特区の提案がなされる
小松秀樹著「医療崩壊−立ち去り型サポタージュとは何か−」出版
6月 ・日米投資イニシアティブ報告書(2006年版)
7月 ・診療科定員制度が話題に出る
・診療報酬の改訂に技能によるランク付けの提案が出る
・政府の規制改革・民間開放推進会議が外国人社会福祉士介護福祉士の受け入れを答申
・医師の需給に関する検討会報告書が「それでも医師は足りていると」とする
8月 ・医学部定員の地域枠の提案がなされる(新医師確保総合対策)
・医療事故調の設置の検討が正式に決まる

・堀病院事件(内診問題)が起こる
9月 ・無過失補償制度の設立を厚労省が検討開始
・尾鷲の産婦人科問題が話題になる
・日医が後期研修医の僻地義務化を提言
10月 ・奈良大淀病院事件が報道される
11月 ・奈良救急事件(五條病院)が話題になる
・桑名事件の報道
12月 ・岡山IVH事件が話題になる
・千葉亀田事件が報道される


さてどれだけ覚えてはられるでしょうか。まあこれだけ事が続けば、単に医師が書いているだけだったブログが医療系ブログと呼ばれるようになり、さらには医療崩壊系ブログとなったのも「さもありなん」ってなところです。書くネタは無尽蔵って感じだった気もしています。それと今から振り返ってみても「今に続く」事柄が多い事に気が付かされます。それでも年月を感じるところがあり、安倍首相はwikipediaより、

第90代 内閣総理大臣
任期 2006年9月26日 - 2007年9月26日

この後に「福田 → 麻生 → 鳩山 → 菅 → 野田」と続き再び安倍に戻っています。そう考えると遥か前の感覚が出ますが、一方でなんちゅうか内閣が変わっても医療政策は案外一貫しているんだなぁってところでしょうか。だからどうしたのお話かもしれませんが、福島大野を知らない若手医師も増えてきているようですから、たまには書いとく意義ぐらいあるかもしれません。


それでもですが熱気はある意味醒めちゃいましたねぇ。ブログを書きながらの反応を見ていると、福島大野判決で大きな峠を越えたぐらいに思い返しています。これも微妙なところで2007年4月にはもう一つの重要訴訟である奈良大淀が始まっています。ただ奈良大淀の場合は訴訟が始まる前の盤外戦時点で盛り上がりの頂点があり、医療に重点が置かれたというより、マスコミの報道姿勢とか、原告側の訴訟戦術に注目が妙に集まっていた気がしています。

それと醒めたと言っても、無関心になったわけではなく、2006年の福島大野から蓄えられた幾多の知識の上で、個人としての対応に動きが変わった気もしています。福島大野時期はネット上では盛んに発言はあったものの、これをリアルに反映させるにはやや時間差があったぐらいです。これが歳月と共にリアルにその知識を使う動きに変化したぐらいと漠然と思っています。


福島大野の判決の日には当たり前ですが普通に診療してましたが、あの日の福島は暑かったと聞いた気がします。でもそれ以上に熱かった日であったと私の記憶には刻まれています。