療養病床削減と都市型医療崩壊

大層なタイトルですが、療養病床大幅削減と在宅医療誘導がもたらす影響を論じ続けてきた一応のまとめです。療養病床削減や高齢者医療については小児科医には苦手な分野であり、十分な知識や経験があるわけでなく、高齢者医療の概要やその実情について実感があるわけではありません。しかしその一方で遠くない将来に自分の親、もしくは私自身が関係する事であり、そういう視線で分かる範囲で理解した事と思って頂ければ幸いです。このシリーズは重複に重複を重ねている分が多いですし、皆様のコメントを広く引用させていただいている事を先に陳謝感謝させて頂きます。

まず現在の入院医療の流れです。これは元田舎医様からご教授頂いた流れで、事実上これ一本のルートでのみ現在は入院も含めた施設医療は成り立っているという事です。

ちょうど川の流れのように患者の病状の変化に応じて上流から下流に流れていくイメージです。人は病気になるとまず最上流の一般病床で入院治療となります。そこで急性期、重症期の治療を終え、症状が慢性化、固定化すると療養病床に移ります。後は同様で順次老健、さらには特養と移っていくと考えれば良いと思います。もちろん治療の必要性に応じて、すべてが終着駅の特養に流れるわけではなく、各段階に留まる事もあるでしょうし、容態の変化により上流に戻る事もありますが、基本システムはこうなっています。

では現在はこの流れが円滑に動いているでしょうか。これも周知の事ですが、病院ではなく介護施設に分類される老健や特養は常に満員状態で入所や入居のための長い順番待ちがあります。順番待ちは在宅でしている人もいますが、在宅治療は家族に大きな負担をもたらすため、ひとつ上流の療養病床で多くの患者が待つ事になります。下流に流れられないのですから、当然起こる現象です。本来なら介護施設で対応するのが相応しい患者が療養病床で滞留すると、これもまた当然のように療養病床で治療するのに相応しい患者が一般病床に滞留する事になります。

療養病床で介護施設への入所、入居待ちをする患者に対して、10/7付のエントリーで取り上げた厚労官僚はこう評価しています。

「調査の結果、療養病床にはほとんど医療の必要性のない患者が約8割もいることが分かった。介護施設や在宅に向かわせるべきだ。」

この発言のうち介護施設に向かわせるべきだはそれなりに正論です。ただし現状ではホイホイと空きがある訳ではなく、順番待ちが必要なのですから空論です。介護施設に移るのが嫌な人が療養病床に居座るケースもあるでしょうが、間違い無く受け皿の下流施設である介護施設の絶対数が不足しています。ここが空いているのならこの主張は正しいでしょうが、空くのを待っている人に、厚労官僚の発言は天に唾するものです。

現場の先生方には単純すぎるまとめ方と思われるかもしれませんがお許しください。施設医療の流れが滞りがちになった影響はどういう風に現れているかを勤務医様が簡潔に説明してくださいました。

  1. 療養病床に流れない患者が一般病床に滞留し、見かけ上満床状態に近くなる。経営者は病床利用率の向上に喜ぶが、内容は一般病床に相応しくない慢性期の入院が長期化している事の裏返しである。一般病床の平均在院日数が延びる日が近づいている。
  2. 療養病床の引き受けてが見つからない患者の手術を控えるようになってきている。これは受け皿を考えずに手術をしたら、療養病床に回せず一般病床で不良債権化するため、手術条件として受け皿の療養病床を確保する事が必要になってきている。これは満床に近い病床利用率にも関わらず手術件数が減るところが出現している事で裏付けられている。
この現象がどれほど広がっているのかは知見が足りませんが、地域により顕在化、深刻化しつつあるような様子だけは窺えます。そういう状態で療養病床を大幅削減すると厚生労働省は決めています。療養病床38万床を15万床に減らすと言うのです。厚生労働省が描く治療の流れは下記の通りかと考えます。

一般病床療養病床老健特養
在宅療法

厚生労働省はこの流れのうち、現在の療養病床への流れは療養病床を4割削減し、さらに下流介護施設は増設を抑制していますから、物理的に在宅に流れざるを得ない構造になります。あくまでも施設療法を望めば、削減された療養病床になんとか入り込み、療養病床を追い出されないうちになんとか老健施設に割り込まなければなりません。療養病床に入り込めなかったら在宅に押し出されますし、療養病床から老健に割り込めなかったらこれもまた在宅に押し出されます。

在宅に押し出されて再び施設療法を望めば、老健や特養に在宅から入り込む事は不可能ではないでしょうが、元々の療養病床からの本流があり、優先度的には療養病床からの方が優先されそうな気がします。ただしこの辺は微妙で、介護施設は買い手市場であり、少しでも手のかからない患者を優先したい本音がありますから、条件的にはなんとも言えません。

現実的には療養病床は大幅に削減されますから、あくまでも施設治療を望む患者は、現段階ではもっとも自由に入院できる一般病床への入院を狙うことになります。何と言ってもその下流の療養病床、老健、特養はどう考えても満員状態が続くでしょうし、わずかに出来る空きを待つために順番待ちが出るのは確実だからです。

下流が満杯になればしわ寄せはすべて最上流の一般病床と言う事になります。一般病床のしわ寄せは強烈です。例えば手術が必要になっても、その後の治療に療養病床での治療が必要と判断されるなら、これを確保しない限り出来なくなります。確保せずに手術をすれば行き場の無い患者を一般病床に溜め込まざるを得なくなります。すべての治療、手術が下流の治療施設を確保できるまで待てれば良いですが、緊急を要するものはどうしようもありません。

では患者家族が厚生労働省の思惑通りホイホイと在宅医療に向かってくれるかと言えば、そうはいかないと考えるのが普通です。とくに大都市部では在宅療法に必要な介護力は枯渇しています。在宅療法を行う事は家庭崩壊につながる家庭も数多くあります。家族の命運がかかってくるのですから、いかなる手段を用いても退院拒否戦術を行なうのは当然です。もちろん在宅治療を受け入れる家族も出てくるでしょうが、これが大勢になるとはどうしても思えません。

今はまだ一般病床にやや余力があるのでこの矛盾をそれなりに吸収していますが、療養病床が大幅削減されれば起こりうる事態としては、

  1. あくまでも施設療法を望み、療養病床への流れに乗れない患者が一般病床に滞留し占拠する状態が訪れる。
  2. 一般病床が塞がれると、本来なら入院が必要な患者が入院できなくなる。一般病床への入院も長い順番待ちが生じる。
  3. 手術も下流医療施設の確保が無いと行なえず、英国並みの長い待ち時間が必要となる。
  4. 長期入院で不良債権化する入院患者を極力排除するため入院適応の厳格化が行なわれる。
こういう都市型医療崩壊は在宅治療を受け入れる余地がまだ残存している地方で弱く起こり、介護力が枯渇し在宅治療が家庭崩壊に直結する大都市部で強く起こると考えます。地方で弱く起こるから地方の方が医療は確保されるかといえばそうは言えません。地方はもう既に医療自体が崩壊に向かいつつあり、これ以上に崩壊因子が加われば崩壊が加速されるだけです。

大都市部は現在医療関係者が問題視している医療崩壊の影響が少ないところです。少ないといっても足許にはじんわり忍び寄っています。見た目は著名な大病院が軒を並べていますが、内実は皆様の御指摘の通り、お世辞にも磐石と言う状態ではありません。入院医療の流れが滞留する影響は確実に忍び寄っています。そこにより流れをせき止めるような療養病床の大幅削減が計画通り断行されれば、懸念している都市型医療崩壊が一挙に顕在化します。

首都東京は医療水準、医療体制が日本で一番充実しているかと思います。一番かどうかは異論があるかもしれませんが、屈指の充実地帯である事は言っても良いと思います。そこで都市型医療崩壊が顕在化すればどうなるか。東京を締め出された患者は次善の策として首都周辺の医療を目指すでしょう。命がかかっているのでそれぐらいはするでしょう。ところが医療難民と化した患者が周辺地方に押し寄せようとも、周辺地方のほうが一足先に地域医療の崩壊状態に近づいています。ほとんど受け入れる余地が現段階でも無いのじゃないかと思います。

そうなればどうなるか。厚生労働省の目論見どおり、そこまでいけば在宅医療への道を患者があきらめて進んでくれるでしょうか。「進まざるを得なくなるから進むはずだ」が厚生労働省の考えだと思います。他に進路が無いのであればそうならざるを得ないとも考えられますが、あきらめて納得するよりもあまりの痛みに耐えかねて不満を爆発させる人が続出する可能性の方が高いと考えます。

療養病床大幅削減計画はたった6年で推進されるそうです。この6年は医療の焼野原化を一気に推進させる政策に私は見えます。地方医療の崩壊は確実に拡がり、既に小手先の手法では押し留める事が難しい段階に至っています。ここでさらに都市型医療崩壊が炸裂すれば・・・後はご想像にお任せします。