もう一歩先に進まないかな〜

元検弁護士のつぶやきのブログで医療訴訟議論が盛り上がっているようです。議論の質自体は比較的良質で、一度読んでみてくださいと言いたいところですが、リンクしたページでその4ですし、その4となればその1、その2、その3があるわけで、すべてROMするには相当な気合が必要です。コメンターはかなり力が入っているので、コメント一つ一つがそれなりに長文で、なおかつ医学用語をふんだんに散りばめてありますから、医者ならともかく、一般の方々では頭痛を起すかもしれません。

質は悪くないのですが、ROMしている方からすると足踏みしているというか、壮大な堂々巡りをしているような気がしてなりません。管理人のモトケン氏は弁護士なので医療訴訟を巡る論議が中心で、モトケン氏以外にも何人か弁護士ないし法律関係に詳しい人物が参加しています。議論の基本的構図は法曹関係者 vs 医療関係者で現在の医療訴訟の問題点を論じています。

論議はある程度多岐に渡っていますが、焦点は医療側がトンデモ判決と受け取っている判決を巡るものです。医療側、法曹側の主張を簡潔にまとめると、

  • 医療側は、判決内容が命じる事は、現在の医療水準では遵守不可能な神のレベルの領域を求めており、こんな判決が生み出され続けると医療自体が成り立たなくなる。
  • 法曹側は、言わんとする事は分からなくもないが、現在の司法手続きではある程度如何ともし難いものがある。
どうにこうにもこの2点を延々と主張しあっている様に感じられてなりません。主張する事は必要ですし、上記2点の論議をしっかり深めておかないと次の論議に進めないほど重要なんですが、そこで足踏みしている印象がぬぐえません。あくまでもROMしている個人的印象ですが、このポイントを天王山として相手を論破しようとしのぎを削っているように思えてなりません。

重要な論点ではありますが、私はこのポイントは入口論議に過ぎないと考えています。入口論議ではあるのですが、一方で双方が譲り難いポイントでもあり、百万言費やしても現状では一歩も譲れない議題の性質があると考えます。医療訴訟問題は何度か触れましたので重複になりますが、訴訟のルールの初歩的なところをもう一度おさらいしておきます。

  1. 訴訟は誰にでも自由に起せる基本的権利の一つである。
  2. 訴訟の場で直接論議するのは、原告、被告の双方の代理人である。
  3. 代理人の主張を聞いて判決を下すのは裁判官である。
これは現在の司法ルールの基本中の基本です。法曹関係者は司法の立場に立つものであり、司法とは定められた法の枠内で争うのが原則です。また訴訟の場も長年の経緯と慣行によってルール化したものが定着しており、そのルールに従って争うのも司法の原則だと言う事です。法曹関係者にとってこれらの原則はある意味絶対のものであり、中には現状にそぐわないものがあったとしても、良く言われる「悪法でも法は法」として遵守するのが大前提です。

悪法があり、社会が被害を蒙っていてもこれは原則ですが、司法が直接法を変える権限は無いと言う事です。国法の大原則である三権分立がここにあり、法を適用執行するのが司法府であり、法を立法改正するのが立法府であるからです。もちろん司法も悪法の度が過ぎれば、運用により事実上の空文化させることはあり、その上で立法府に改正を求める姿勢を取ることもあるでしょうが、これは常にそうあるわけではなく、立法権限は立法府にあるものなんです。

こういう背景を法曹関係者は常に背負っているわけであり、これを破る事はそう簡単には請け負え無いと言う事です。だから医療関係者がトンデモ判決の不当性をいかに力説しても、「なるほど、じゃあ明日からルールを変えよう」とはまず言い出さないということです。同じような理屈で、現在の司法手続きの不当性を医療関係者がいかに論じたてても容易には首を縦に振らないのにも通じます。

つまり訴訟には訴訟のルールが厳然とあり、このルールで不都合な事が少々あろうとも、その度にフラフラと変えれる物では無いということだと解釈しています。法曹関係者の主張はこの線を厳守していますし、法曹関係者なら医者が医の倫理を守るように守らなければならないものと考えているのもそれなりに理解できます。

先にこの論議は入口論議であるとしました。入口論議としたのは、これまで法曹側も医療側もお互いの世界の実情とか常識、慣行について知識が乏しかったからです。知識が乏しかったが故にトンデモ判決が生み出されたと私は考えています。法曹側と医療側の溝を埋めるためには、まずお互いの世界の知識を蓄え増やす事が第一歩であるからです。

入口論議をする事によって法曹側は医療側がトンデモ判決がどうトンデモなのか、そのトンデモを立証するには医学的にどういう理論体系が存在するのを学びます。医療側も訴訟の場でのルールとか運用で医学知識、医学常識がどう反映され、どう利用されるかを学びます。二つの世界の常識を法曹側、医療側の双方がまず知らないと次に進めないからです。

ただし入口論議は相手の主張を論破して終わるものではありません。仮に医療側の主張にこのブログに参加している法曹関係者が「御説御もっとも」と白旗を掲げても、たかが数人の法曹関係者の心持が変わっただけで医療訴訟の大勢にはまったく影響しません。逆に医療側が法曹側の主張を受け入れて「そんじゃ、しかたがない」と引き下がっても現状がさらに悪化するだけでなんの実りもありません。

私が欲しいのは次の論議です。医療側が目的とするものは、現状にマッチした医療常識が反映される司法ルールです。そのために次に進まなければならない論議は二つに分かれると考えます。一つは究極的にはこうなって欲しいという理想論の論議です。理想のルールを策定し、そのルールが実現するための道筋を考えていく論議です。もう一つは、現状の司法の枠内で少しでも医療側の主張が反映されていくようにする現実的な方法論の論議です。

この二つの論議は最終的には一つのものです。まず必要なのは現行の司法ルールにどう医療側の主張を反映させていくかの方法論を考える必要があります。なぜなら「今」困っているからです。一方で改善の方向性としてゴールを見据えていく事が重要です。ゴールを見ながらそこに近づくための地道な運動を重ねざるを得ません。一足飛びにいきなり理想世界が実現するほど世の中甘いとは思えないからです。

順路としては理想論をまず考え、それに向かっての現状改善運動が望ましいですが、医療側の知識だけでは現実的な理想論を築くのは難しいかと考えています。また理想論は一度策定してもその後の動向により手直しする必要も出てくると思います。だから理想を考える論議と、現状改善論議は距離があまりに遠い故に同時に進めておく必要があると考えます。改善が進み、ゴールが近づけば自然に一体化するでしょうが、現実は二つの論議が必要と考えます。

これまでなされた入口論議ですが、これだけで十分なのか、まだ不十分なのかは私には判断がつきません。ただ私は入口を一刻も早く通り過ぎて次の段階に進んでくれる事をひたすら願っています。間違っても入口論議で双方が死力を使い果たして壊滅状態にならない事を祈っています。