これは医者として支援します

先日書いた福島の産婦人科医逮捕の件です。その後それなりの続報が入り、事実関係が明らかになるにつれ、この事件を放置すれば医療全体の崩壊につがるものだと私は信じるようになりました。当ブログでも執刀医の加藤医師をささやかでも支援します。

この件についてはある産婦人科のひとりごとで管理人氏が詳細に解説し、また多くの補足意見が寄せられていますので、是非目を通して欲しいと心から願います。管理人氏はエントリーやコメントから推測すると50歳代の産婦人科の勤務医のようで、知識も経験も豊富な温厚な人柄の医師であることは容易に想像されます。事実関係や詳細はそのブログを読んでもらうのが一番なんですが、なにぶん医療用語が飛び交う世界なので、幾分補足と言う事で付け加える事にしておきます。

事件は出産での帝王切開手術のときに起こります。妊婦は部分前置胎盤との術前診断を受けています。前置胎盤とは妊娠時に胎盤が子宮に付着する場所が、膣口に覆いかぶさるような状態になっており、経腟分娩(普通の分娩)では非常に出産が困難な状態と理解されればよいと思います。そのため加藤医師は帝王切開術を選択することになります。この選択以外に他の方法は無いといってよいぐらいの妥当な選択枝です。また術前に出産後の胎盤の状態によっては最悪子宮摘出術が必要になるかもしれないとの説明も行なっています。さらに輸血の必要性も説明しています。

ここで争点となっているのが加藤医師が癒着胎盤の可能性を深く考慮しなかった事が逮捕の原因となっています。なじみの無い病名ですし、私もはるか医学部時代の知識でしかないのですが、癒着胎盤とは胎盤の一部が深く子宮壁の中に食い込む状態のことを指します。通常胎盤は子宮粘膜の上に付着するように乗っかっており、出産時に剥離するようになっています。ところが癒着胎盤は子宮壁に深く食い込んでいるために、剥がすと大出血を起すものです。ややあらい解説で申し訳ありませんが、この辺でご容赦ください。

前置胎盤に癒着胎盤が発生する確率は、他の部位に胎盤が付着した場合と較べても高いそうです。それでも今回の妊婦のように経産婦で前回出産も帝王切開であった場合には、一般的に発生頻度が低いという事です。ここで発生頻度が高いとか低いとかを漠然と書いていますが、産婦人科医にとって癒着胎盤に遭遇する可能性は一生のうちに1回あるかどうかの頻度なのです。

それぐらいの頻度のもので、なおかつさらに低い可能性の今回の場合では、加藤医師が癒着胎盤を強くたがう根拠はどこにもありません。また癒着胎盤の術前の発見は現在では不可能とされています。帝王切開術で実際に開腹し、胎盤を剥離し始めて、出血量のあまりの多さで始めて気がつくのが癒着胎盤です。

前置胎盤による帝王切開術に臨んだスタッフは執刀医の加藤医師、助手の外科医(この病院では産婦人科医は加藤医師のみ)、麻酔科医、看護婦4名です。帝王切開術でまず胎児を取り上げ、続いて胎盤剥離を行ないます。ここで癒着胎盤が判明し大出血が突然起こる事になります。

この辺は経験者しかわからないとこですし、私も想像の範囲を出ませんが、猛烈な出血だそうです。出血も線として出るのではなく、面として噴き出すように起こり、見る見るうちに血の海となるそうです。時間とすればほんの1〜2分もかからないそうです。それでも加藤医師はがんばり、この場合の唯一の救命手段である子宮摘出術まで行なっています。おそらく血の海の中の手探り作業であったろうと産婦人科医の皆様は口をそろえて話しています。

それでも妊婦は死亡しました。死因としては大量の出血である事はもちろんです。ここでも加藤医師は術前の準備において責められています。加藤医師は癒着胎盤の可能性を高いものとは考えてはいなかったので、通常の帝王切開術で必要になる1リットル(5単位)の輸血しか用意してませんでした。これが悪かったというのです。

警察の逮捕より以前に病院内の事故調査委員会でもこの点を取り上げ、その報告書で2リットル(10単位)以上の輸血を用意すべきであったと結論付けています。この点についても産婦人科医の意見は噴飯ものだと批判します。この時の出血量は20リットル、準備した血液が1リットルであろうと2リットルであろうが結果に差が出るわけが無いと。もちろん院内には他に緊急用の血液などはありません。また術中に血液の追加発注を行なっていますが、これが75分かかっています。これも血液センターからの距離を考えればこれ以上どうにかなるものでありません。

この事件の処理ですが、加藤医師は院長に報告しています。院長ともども癒着胎盤による病死であると判断し、異状死とは判断せず処理しています。この病院の内規では異状死の最終判断は院長が判断し、警察に届けるものとなっているとのことです。また異状死の定義自体も現段階では曖昧さが残るものであり、今回の死亡については病死と判断する事に産婦人科医のみならず、他の診療科の医師も賛同するものが多数派です。

ここで一般の方々が素直に抱くであろう疑問があると思います。なぜ加藤医師は万が一の可能性を考慮して血液の準備をしなかったんだろうと。血液は非常に高価なものです。また使用期間が非常に短いものです。単純に理解してもらうのでしたら、使わなかったからといってポンポンと返品できるものではないのです。値段も記憶が誤ってなかったら1単位が1万円ぐらいで、使わなかったら病院負担にすべてなります。

今回の場合、加藤医師が癒着胎盤の可能性も考慮して、たとえば10リットル(50単位)ほど用意し、癒着胎盤でなく5単位程度の輸血しか必要でなかったら、残りの45単位(45万円)はすべて赤字となります。この辺の輸血の種類や輸血量、保険請求の関係はもっと複雑なんですが、単純にはこの程度になります。こういう治療はさせてもらえません。毎度毎度こういう治療準備をする医者は病院から放り出されます。この辺は医療従事者の常識で、必要最低限量の輸血しか準備してはならないのが鉄の掟と思っていただいたらよいかと存じます。だから加藤医師は万が一に配慮しての輸血準備をしなかったのです。

また加藤医師には「前置胎盤で癒着胎盤の可能性があるにもかかわらず、設備人員の整った他の病院へ搬送する注意を怠った」との容疑もつけられているようです。ここまで来れば、これへの反論は上述した分で十分ではないかと思います。

ちょっと煩雑になりましたが、

    加藤医師は術前診断不可能の非常に稀な重大な病気を診断できず、診断できなかった故に設備人員とも不足した病院で治療を行なった。そこでは術前に診断できていないために、治療に対する準備が極めて不十分であり、結果として患者を死に至らしめた。そのうえ異状死であるにも関わらず病死と判断し警察への届出を怠った。
このあたりがどうも容疑となっているようです。さらにどう考えても逃亡の恐れが低いにもかかわらず、逮捕で拘置所に抑留されています。

容疑の大本は癒着胎盤が診断・予想できなかった事になります。今回の癒着胎盤産婦人科医が口をそろえて術前不可能と断言しています。不可能なものを診断できなくて罪に問われるなら医者は仕事が出来ません。またわずかな可能性のための膨大な準備は医療経営から許されません。これはたとえ加藤医師が予想して準備したいと申し出ても100%断られます。

ちなみに前置胎盤であるだけなら、後方病院に搬送せず帝王切開を行うのも産科医の常識だそうです。しかし今回の逮捕で先ほどの産科医のブログの意見でも大いに動揺が見られます。癒着胎盤前置胎盤で頻度が高いとはいえ、他の場合でもごく稀にあるそうです。その稀に当たるたびに産科医が逮捕されるのなら、帝王切開術自体がほとんどの病院で出来なくなります。

逮捕の衝撃は産科医以外の外科医や他の診療科の医師にも広がっています。予測不能であっても起こる確率が0%でないのなら、準備をしていなかった医者が悪く逮捕される前例となるからです。

医者という職業がそこまで無謬性がある事を当然とされ、神に等しい予知能力が要求されるのなら、私のようなヤブはもちろんの事、ほとんどの医者が医師免許を返上する必要があります。それよりもそんな医者がこの世に存在するかどうかも疑問です。

私は加藤医師を支持します。加藤医師が断罪されるなら私も医者を続けていくかどうか真剣に考える必要があるからです。無謬でなければ逮捕なら、医療のように不確定要素が多い職業を遂行する事は不可能であるからです。