4回目の2.18

今年は署名企画ではありませんからお間違えないようにお願いします。2.18は2006.2.18に福島大野病院産婦人科医師の逮捕報道で始まりました。ある産婦人科医のひとりごと氏のところに当時の新聞報道が保管されていますので引用させて頂きます。

帝王切開で出血死、福島県立病院の医師逮捕

 福島県警富岡署は18日、同県大熊町、県立大野病院の産婦人科医師○○○○容疑者(38)(大熊町下野上)を業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反の疑いで逮捕した。

 医師が届け出義務違反で逮捕されるのは異例。

 調べによると、○○容疑者は2004年12月17日、同県内の女性(当時29歳)の帝王切開手術を執刀した際、大量出血のある恐れを認識しながら十分な検査などをせず、胎盤を子宮からはがして大量出血で死亡させた疑い。また、医師法で定められた24時間以内の所轄警察署への届け出をしなかった疑い。胎児は無事だった。

 医療ミスは、05年になって発覚。専門医らが調査した結果、県と病院側はミスを認めて遺族に謝罪。加藤容疑者は減給1か月の処分となった。

(2006年2月18日 読売新聞)

まあベタ記事ですし、正直なところ即座に反応した医師は一握りであったのは事実です。私もこの記事をリアルタイムで読んだかどうかに全く自信がもてません。当時もブログは書いていましたが題材に取り上げようとする気もなかったのは確かです。当時は2chも読んでませんでしたし、m3も入っていませんでした。読んでいるブログもほんの数ヶ所しかなく、たぶん知らなかったんじゃないかと思います。

これもある産婦人科医のひとりごと氏のところに保存されている続報記事です。

癒着胎盤での帝王切開は未経験…逮捕の産婦人科

 福島県大熊町の県立大野病院の産婦人科医師○○○○容疑者(38)が業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反容疑で逮捕された事件で、○○容疑者が数多くの出産に立ち会っていたものの、今回死亡した被害者のように、子宮と胎盤が癒着している状態での帝王切開手術の経験はなかったことがわかった。

 県病院局によると、○○容疑者は、医師免許を取得して9年目の中堅医師で、2004年4月に同病院に赴任後、唯一の産婦人科医として年間200回の出産に立ち会っていた。

 しかし、「癒着胎盤」の状態で帝王切開が行われたのは03、04年度、産婦人科がある4つの県立病院で今回のケースが唯一で、○○容疑者も経験がなかったという。

 県は昨年1月、専門医らで作る調査委員会を設置。同3月に、事故の要因を「癒着した胎盤の無理なはく離」「対応する医師の不足」「輸血対応の遅れ」などと結論づけ、遺族に謝罪していた。県は遺族と補償問題について交渉中という。

 会見した秋山時夫・県病院局長は、警察へ届け出なかったことについて、「当時、医療過誤という判断はなかった」と釈明した。

(読売新聞) - 2月19日0時30分更新

これも今から読むとベタ記事ですね。もうちょっと刺激的な記事がないかと見直していると、これもまたある産婦人科医のひとりごと氏が保管してくれている2006.3.3付の福島民友の記事がありました。

忠告無視し執刀か 逮捕の産婦人科

 大熊町の県立大野病院で一昨年十二月、産婦人科医が帝王切開した女性を死亡させた医療過誤事件で、業務上過失致死と医師法違反の疑いで富岡署に逮捕、送検された執刀医の○○○○容疑者は、手術前に病院関係者から手術の危険性を指摘されながら独断で手術に踏み切った疑いが強いことが、二日までの同署の調べで分かった。○○容疑者は、女性の手術に当たって十分な設備やスタッフがそろったほかの病院に移送すべきといった忠告も受けていたという。同署は引き続き、病院関係者から事情を聴くなどして手術の経緯や対応 などを調べるとともに、当時の病院側の対応も含め事件の全容解明を進めている。同署は事件発覚後、医療の専門家に分析を依頼するなど約一年にわたり捜査。その結果、○○容 疑者が手術の危険性を認識していたとの見方を強め、逮捕に踏み切ったとみられる。調べでは、○○容疑者は一昨年十二月十七日、胎盤の癒着で大量出血する可能性を知りながら 、十分な検査や高度医療が可能な別の病院への転送などの安全対策をせず、楢葉町の女性の帝王切開手術を執刀。癒着した胎盤を手術器具で無理にはがし、大量出血で女性を死亡 させた疑い。また、女性の死体検案を医師法で定められている二十四時間以内に警察に届けなかった疑い。

あくまでも記憶に頼りますが、地元紙はかなり一貫して批判記事を続けていたかと記憶しています。福島大野病院事件は、この後に問題として医療史に残さざるをえないほどの巨大化を遂げるのですが、あくまでも仄聞する限りですが、福島の反応は産婦人科医師に冷たかったとされています。これについては様々なアングラ情報がありますが、それについては触れないことにしておきます。

そうそう福島大野病院事件といえば忘れてはならない記事もありました。これもまたまたある産婦人科医のひとりごと氏が掘り出された記事ですが、

朝日新聞:医師逮捕事件 富岡署を表彰
**** 朝日新聞、福島、2006年4月16日

医師逮捕事件  富岡署を表彰 
警察署長会議に80人

 県警は14日、今春の人事異動後初の警察署長会議を開いた。県内全28署の署長や県警本部の幹部ら80人が参加。重大事件を解決した警察署などへの表彰があり、 富岡署が県立大野病院の医師を逮捕した事件で、県警本部長賞を受賞した。

 綿貫茂本部長は冒頭の訓示で、当面の重点課題として?職員の意識改革を基礎とした合理的・ 効率的な業務の運営?重点を指向した犯罪抑制対策の推進?犯罪の徹底検挙による、 県民の安全・安心の確保 ?効果的な交通事故防止対策の推進?国際テロ対策の強化―などを挙げた。

これも警察内部の事情とかいろいろあるそうなんですが、至極単純に憤慨したのを覚えています。これは私も医師逮捕起訴は県警本部長賞ものとしてエントリーしていますが、文章が若いですね。非常にストレートに書いているのに3年の月日を感じます。この県警本部長賞は今でも名誉の記録として富岡署に飾られているのでしょうし、これで栄転した警察官もおられるのでしょうし、警察の論理としては間違い無くお手柄であるのは今も変わりないと思います。


今日はコピペばかりで手抜きなんですが、福島大野病院事件の衝撃はビックリするほど大きかったのを噛みしめています。いろんなところに今もその影響は続いています。すべてを書けるものではありませんが、ネットに対する影響だけでも書いておいても良いかもしれません。事件前にも医師ブログはありました。当時に医療系ブログと言う呼び方があったかどうかは自信が無いのですが、多分無かったと思います。あくまでも医師が書いているから医師ブログないし医師のブログだったと思います。

医師ブログが書いている内容も、疾患解説、診療こぼれ話、医師が書いているというだけの雑談風ぐらいが殆んどだったと記憶しています。私も例外ではありません。ですから女医ブログなんてのが妙に人気があったはずです。期待しても何も出てこないんですけどね。つまりと言うほどの事はないのですが、今から思えば嘘のように平穏な時代であったということです。

ところが事件をきっかけに医師ブログに新しいジャンルがはっきり出現します。私のように従来の路線から転換したものもいましたし、新たに参入するものも多数出現し、医療問題・医療崩壊について鋭く追及する路線が確立されたと言っても良いかと思います。初期の頃は新医療系ブログと呼ばれた時期もありましたが、現在では医療系ブログといえばこの路線の事を指すぐらいと言っても良いかもしれません。

医療系ブログはその路線で書く者が増えただけではなく、その意見に注目が集まるようになったのも大きな変化です。もちろんまだまだ限られた人数ではありますが、ネット内では医療問題の解説や意見は医療系ブログの意見を調べる傾向が明らかに出ています。それを読んだ人の意見が少なからぬ影響を及ぼしているのも事実として良いかと思っています。私もかなり初期の方から医療系ブログ路線で書いていましたから、その変わり様は驚くばかりとして良いかと思います。


医療系ブログの影響力がとくに大きかったのは医師の意識に対するものであったと考えています。もちろんこれは医療系ブログだけではなく、2chやm3も大きな影響力を及ぼしていますが、医療系ブログが果たした役割もそれなりにあったと考えています。もちろん正確な計算はできませんが、ネットが無ければ10年単位で必要であった意識変化の時間が、年単位でなされていると感じています。これがどれだけ驚異的な事かは誰にも書かれない医療史の側面になるかと考えています。

そういう変化の出発点が2006.2.18の福島大野病院事件です。もちろん先駆者・先覚者はたくさんおられます。割り箸事件で奮闘されたいのげ氏もおられますし、「あの時代によくできた」と感心する労働闘争と2chで先駆的な人気スレを立て続けているお弟子氏も忘れてはなりません。他にも私も知らないような先駆者・先覚者の方々の火種が、一気に着火したのが福島大野病院事件であると言い換えた方がより的確かもしれません。

私はこの日を、この事件を永遠に忘れません。