ムハンマド風刺画事件

まったくえらい騒動になったものです。極東の一角から見た素直な感情では、公平に見て欧州の方が良くないと見ます。どんな国家、民族、宗教にもタブーはあります。外部の他者から見れば時に滑稽と思われようが、当事者にとっては絶対の価値観を有している事もあります。これを理解し尊重する事がお互いの尊敬を得る第一歩であると考えます。

イスラム教は世界の大宗教です。決してポッと出の泡沫新興宗教ではありません。またどこぞの国のように葬式だけに血道をあげている衰え行く宗教でもありません。世界中に十億人と言われる信者は濃淡の差はあるでしょうが、少なくとも日本の仏教徒一般より百倍熱心であり、敬虔にイスラムの教えを信奉しています。

一つの文化であるイスラム教のもっとも基本的なタブーである、偶像崇拝を禁じる事と、広い意味で教祖と言ってよい預言者ムハンマド(日本ではマホメットの方が通りが良いですが・・・)を侮辱する事が、どれだけの影響をイスラム社会の人々に与えるかに全く気がつかなかったとは、無知無礼の極みと酷評されてもいたし方無いと思います。

詳細は情報がやや錯綜しており真相がはっきりしない部分もあるのですが、火つけ元のデンマークでは掲載された後、国内のイスラム団体から抗議があり、これに謝罪していったん事は収まりかけたそうです。ところがイスラム団体が抗議した事を「表現の自由」への侵犯と判断した欧州の他国の新聞がこれを転載、一挙に火の手は広がったという部分があるようです。

この事をとらえて「表現の自由」と「宗教の尊重」の対立としてどちらも言い分があるかのような記事が散見されますが、私は「表現の自由」を履き違えているような気がしてなりません。欧州側の言い分を聞いていると「表現の自由」の下、何を表現しても自由との解釈が出来ます。欧州には触れてはならないタブーが一切存在しない事になります。そうではない事は少し考えればすぐわかります。

たとえば人種問題。日本人への欧州人一般が持つ蔑視の表現である「ジャップ」「極東のチビ眼鏡猿」なんて事を、日本関連のニュースで常に用いたらどれだけの問題になるかは容易に想像がつきます。風刺漫画に描かれたら日本政府は抗議するでしょう。ユダヤ人に中世以来の蔑視の言葉である「賎民」なんて表現を用いたらイスラエルから厳重な抗議が来るのも当然です。

このような蔑視の表現をする事は良識として許されない事であるとのタブーがそこにあるからです。掲載する自由はあるかもしれませんが、掲載する事で掲載者の常識が疑われ、社会的に厳しい批評があるからです。これらの事は暗黙の了解としてのタブーになっていると言う事です。

ワールドワイドの時代になり、情報は国境を越えて瞬時に拡がります。人や物の交流も日進月歩で便利になり、拡大しています。そういう時代ですから国内常識を越えた国際常識が必要とされます。国際常識の基本は相互理解です。一つの価値観を世界中に押しつけるものではありません。その点で今回の件で欧州の傲慢は際立っていると言ってよいかと考えます。

たしかに20世紀をリードしてきたのはアメリカを含む欧州文明であったかと思います。近代文明の発達は欧州の産業革命に始まり、またそれにより卓越した力を有し、世界中に進出した事も間違いありません。さらにその力により欧州文明の価値観を世界中に広めたています。もちろん悪い面ばかりではなく、良い面もたくさんあります。ただし今回の件では身勝手な言い分であるとの印象がぬぐいきれません。

欧州は長年にわたり欧州以外の国々に対し非常に優越的な地位を誇っていました。欧州の文明、文化、価値観以外は遅れた物であるとの意識が余りにも濃厚です。自らの価値観が絶対であり、これを受容理解しないものは許さない意識が驕りに見えます。偉大なイスラム文化を侮辱してもこれを表現の自由と等価値に置く愚かさが見えていません。ここでの相互理解、歩み寄りがない限りこの騒動の早期鎮静は期待しにくいかと思っています。

最後にイスラム教の皆様、日本語で書いても読む人はほとんどいないでしょうが、あえて書かせて頂きます。残念ながら私にはイスラム教徒の知人も、イスラム教を深く理解している知人もおりませんので、あくまでもどこかで読んだ話を書いていると御理解ください。

イスラム教は非常に寛容な宗教であると聞いています。昨今話題になる「原理主義者」も大多数のイスラム教徒にとってのイメージは、異端とまでは言いすぎでしょうが、少数派の過激派であるとも聞いています。「原理主義者」がイスラム教の主流と思って欲しくないとも聞いたことがあります。

欧州側の無礼を怒る気持ちはわかります。それを放置できないのもわかります。抗議するのも当然でしょう。しかしそれでも偉大なるイスラム教の叡智で寛容の度量を見せてくれる事を願って止みません。対立を煽るのは容易ですが、対立がエスカレートしたところで得る物は何もありません。イスラム教の本質は決して「武」ではないとも聞いています。平和を愛する教徒としての理性ある大人の対応を期待しています。