例の朝日記事を巡る騒動

昨日のエントリーはタイミングとして失敗でした。個人的に朝日がダンマリ戦術を当分使うの予想をしていましたので、来週以降へのつなぎとして配置したつもりでしたが、騒動は新たな展開を見せ始めています。ここまでの展開を可能な限り単純にまとめると、

1st Stage 1年以上の取材期間をかけ、朝日が満を持してスクープと判断し報道
2nd Stage 東大医科研が抗議、学会も抗議に連動
3rd Stage 朝日は「記事は確かな取材に基づくものです」と抗議を一蹴


昨日の段階では4th stageまで加えましたが、今日は思いなおして、3rd stageまでに修正させて頂きます。ここも注釈を加えると、東大医科研の抗議行動も当初は「記事に対する批判」であったと見なしています。朝日新聞社そのものへ抗議を行ったと言うより、朝日記事を批判していたと言う事です。記事に対する批判は自由に行えますし、それに対して朝日新聞社が反応しようが無視を決め込もうがこれまた自由です。

逆に言えば記事に対する批判段階で「これは拙かったかもしれない」なんて事がもしあれば、その段階で訂正記事なり、修正記事で対応可能な時期であるとも言えます。しかしこの段階での朝日の対応はダンマリでした。まあ、それぐらいで話が終息していく事も多々あるのですが、記事批判レベルの抗議から団体からの正式な抗議の申し入れに抗議はステップアップしたと見ています。

私が今朝の時点で把握している正式の抗議の申し入れは、

  1. 10/22付オンコセラピー・サイエンス社「抗議文」
  2. 10/22付「朝日新聞の記事(10月15・16日)に関して-- がん関連二学会からの抗議声明 --」
  3. 10/29付東大医科研「抗議文」
  4. 中村教授の抗議文
これらの抗議についても朝日新聞社が必ずしも回答する義務はあるかと言えば、必ずしもありません。回答するかどうかは会社としての姿勢、世論の反応を勘案してになると思われます。私の探す限りオンコセラピー・サイエンス社の抗議文と東大医科研に対する回答は無いようです。あるのかもしれませんが、公開されている形跡は無さそうです。

あるのはがん関連二学会に対するものと、中村教授に対してのものです。そこで情報整理の意味で、がん関連二学会の応答と、東大医科研の抗議文、中村教授への朝日の回答をまとめておきます。


がん関連二学会

まず抗議声明です。

朝日新聞の「臨床試験中のがん治療ワクチン」記事(2010年10月15日、16日)には、東京大学医科学研究所で開発した「がんワクチン」を用いて同附属病院で行われた臨床試験に関して、大きな事実誤認に基づいて情報をゆがめ、読者を誤った理解へと誘導する内容が掲載されました。

その結果、ワクチン治療を受けておられる全国のがん患者さんに無用なご心配をおかけするとともに、今後の新たながん治療開発に向けた臨床試験に参加を希望される、多くのがん患者の皆様にも、多大なご迷惑をおかけする事態となっております。また、この記事は、がん患者さんに、より有効な治療を提供するべく懸命に努力している医療関係者、研究者、学生の意欲を大きく削ぐものであり、この分野での我が国の進歩に大きなブレーキをかける結果を招きかねません。

より良いがん治療の提供を最大の目的として設立され、活動を続けている学会としては、このような記事を容認することはできません。ここに朝日新聞に対して強く抗議するとともに、速やかな記事の訂正と患者さんや関係者に対する謝罪を含めた釈明を求めます。

これに対する10/24付朝日記事による回答です。

医科研記事、癌学会など抗議 朝日新聞「確かな取材」

 日本癌(がん)学会の野田哲生理事長と日本がん免疫学会の今井浩三理事長は、東京大学医科学研究所が開発したがんペプチドワクチンを使った付属病院の臨床試験で起きた有害事象が、ペプチドの提供先である他の医療機関に伝えられていなかったことを報じた15、16日付朝日新聞朝刊の記事への抗議声明を両学会のホームページに掲載した。「大きな事実誤認に基づいて情報をゆがめ、読者を誤った理解へと誘導する」としている。

 朝日新聞社広報部の話 記事は、薬事法の規制を受けない臨床試験には被験者保護の観点から問題があることを、医科研病院の事例を通じて指摘したものです。抗議声明はどの点が「大きな事実誤認」か具体的に言及していませんが、記事は確かな取材に基づくものです。

朝日の回答のポイントは

  • 抗議声明はどの点が「大きな事実誤認」か具体的に言及していません
  • 記事は確かな取材に基づくものです
指摘されてみれば確かにそうで、がん関連二学会の抗議声明は、それまでのMRICなどを通しての東大医科研の抗議を踏まえたようで、具体的な事実誤認の項目を挙げていません。MRIC記事を朝日が「我、関せず」とすれば、抗議声明の中に事実誤認の具体的な指摘は存在しない事になります。つまり朝日の回答としては
    事実誤認があると抗議されても、記事のどの部分が事実誤認か判別しようがありません。朝日として言えるのは「確かな取材」に基いた正確な情報であると答えられるだけです。
やり取りとしては肩透かしみたいな感じでしょうか。


東大医科研

がん関連二学会の抗議声明とそれに対する朝日の回答を参考にしたのか、非常に具体的に事実誤認に対する指摘を行った抗議文を作成しています。がん関連二学会に較べると少々長いのですが、三分割して引用していきます。

 去る2010年10月15日、朝日新聞朝刊1面に『「患者が出血」伝えず 臨床試験中のがん治療ワクチン東大医科研、提供先に』、社会面に『関連病院「なぜ知らせぬ」』と題する記事が掲載されました。

 社会面『関連病院「なぜ知らせぬ」』の記事には、臨床研究を実施している病院の関係者とされる人物への取材に基づいた生生しい内容の記事が掲載されており、この記事は読者に、東大医科研が有害事象を隠蔽したという印象を与えました。しかし、医学的事実の誤りに加え、捏造と考えられる重大な事実が判明いたしましたので、ここに強く抗議いたします。

ここは抗議文の冒頭部にあたる部分ですが、これだけで終わったのががん関連二学会の抗議声明であったと考えても良いでしょう。この後に具体的な事実誤認に対する抗議があるのですが、東大医科研も知恵を絞ったのか2点のみの抗議にしています。2点とは、

  • 医学的事実の誤りについて
  • 捏造と考えられる重大な事実について
ではまず「医学的事実の誤りについて」です。

 第1、我々は東大医科研病院の共同研究施設ではなく、独自の臨床研究が行われた東大医科研病院の有害事象について、情報の提示を受ける立場にはありません。したがって、記事見出しの「なぜ知らせぬ」という表現は、我々自身も不自然な印象を受けます。

 第2、本有害事象は、発表された論文からも原病である膵癌の悪化に伴った食道静脈瘤からの出血と判断されています。進行がんの一般臨床において、出血が起こりうることは少なからず起こることであり、出血のリスクを有する進行がんの患者さんにご協力を頂き臨床研究を実施する危険性について、我々の中では日常的に議論され常識となっております。

 第3、原病の悪化に伴う出血の有害事象については、医科研病院の有害事象が発生する以前に、既に我々のネットワークの施設で経験をしています。ペプチドワクチンによる有害事象とは考えられないが臨床研究実施中に起こった有害事象として、2008年2月1日の「第1回がんペプチドワクチン全国ネットワーク共同研究進捗報告会」にて報告がなされ情報共有が済んでおります。したがって、ペプチドワクチンとの関連性が極めて低いと判断され、原病の悪化に伴うことが臨床的に明らかな出血という既知の事象について、この時点での情報共有は不要と考えます。

ここは記事の主要部分に対する反論になるので不可欠なところですが、ここについてはこれまでに当ブログでも言及しているところなので、あえて今日の解説は省略します。問題は次の「捏造と考えられる重大な事実について」になります。実際問題として「医学的事実の誤りについて」は医療関係者なら理解が早いのですが、そうでない方には難解な議論になってしまう側面があります。

そのためか東大医科研は記事のパーツの1点を突き崩す戦術を取ったようです。それもあえて事実誤認とかの甘い表現を取らず、喧嘩を売るような「捏造」と言う強い表現をあえて使っています。マスコミにとって捏造指摘は大きな問題になると考えてのものと思われます。

 記事には、『記者が今年7月、複数のがんを対象にペプチドの臨床試験を行っているある大学病院の関係者に、有害事象の情報が詳細に記された医科研病院の計画書を示した。さらに医科研病院でも消化管出血があったことを伝えると、医科研側に情報提供を求めたこともあっただけに、この関係者は戸惑いを隠せなかった。「私たちが知りたかった情報であり、患者にも知らされるべき情報だ。なぜ提供してくれなかったのだろうか。」』とあります。

 我々は東大医科学研究所ヒトゲノム解析センターとの共同研究として臨床研究を実施している研究者、関係者であり、我々の中にしかこの「関係者」は存在し得ないはずです。しかし、我々の中で認知しうるかぎりの範囲の施設内関係者に調査した結果、我々の施設の中には、直接取材は受けたが、朝日新聞記事内容に該当するような応答をした「関係者」は存在しませんでした。

 我々の臨床研究ネットワーク施設の中で、出河編集委員、野呂論説委員から直接の対面取材に唯一、応じた施設は7月9日に取材を受けた大阪大学のみでした。しかし、この大阪大学の関係者と、出河編集委員、野呂論説委員との取材の中では、記事に書かれている発言が全く述べられていないことを確認いたしました。したがって、われわれの中に、「関係者」とされる人物は存在しえず、我々の調査からは、10 月15 日朝刊社会面記事は極めて「捏造」の可能性が高いと判断せざるを得ません。朝日新聞の取材過程の適切性についての検証と、記事の根拠となった事実関係の真相究明を求めると同時に、記事となった「関係者」が本当に存在するのか、我々は大いに疑問を持っており、その根拠の提示を求めるものであります。

 また、10月16日、朝日新聞社説においては、捏造の疑いのある前日の社会面記事に基づいて、『研究者の良心が問われる』との見出しで、ナチス・ドイツの人体実験まで引用し、読者に悪印象を植え付ける形で、われわれ研究者を批判する記事が掲載されました。これら一連の報道は、われわれ臨床研究を実施している研究者への悪意に満ちた重大な人権侵害であり、全面的な謝罪を求めるものです。

 今回の捏造と考えられる重大な事実について、我々と患者さんを含めた社会が納得できるように、一連記事と同程度の1面記事を含めた紙面においての事実関係の調査結果の掲載を要求すると同時に、われわれ研究者への悪意に満ちた重大な人権侵害に対する全面的な謝罪を求め、ここに抗議いたします。

東大医科研が注目したのは、こういう記事にある定番の関係者の証言です。

    記者が今年7月、複数のがんを対象にペプチドの臨床試験を行っているある大学病院の関係者に、有害事象の情報が詳細に記された医科研病院の計画書を示した。さらに医科研病院でも消化管出血があったことを伝えると、医科研側に情報提供を求めたこともあっただけに、この関係者は戸惑いを隠せなかった。「私たちが知りたかった情報であり、患者にも知らされるべき情報だ。なぜ提供してくれなかったのだろうか。」
この部分のポイントは、
  1. 記者が7月にペプチドワクチンの臨床試験の関係者に会っている
  2. 記者はその関係者からコメント取っている
そういう取材姿勢自体はまったく問題はありませんが、東大医科研はその関係者の特定調査を行ったようです。これは施設が特定可能な上に朝日記者の接触時期まで明記されていますから、不可能な調査ではありません。その調査結果が
    我々の臨床研究ネットワーク施設の中で、出河編集委員、野呂論説委員から直接の対面取材に唯一、応じた施設は7月9日に取材を受けた大阪大学のみでした。しかし、この大阪大学の関係者と、出河編集委員、野呂論説委員との取材の中では、記事に書かれている発言が全く述べられていないことを確認いたしました。
ここも東大医科研が「犯人さがし」をやっているのバイアス指摘はどうしても出てくるところです。それでも報道被害を受けたと考える側としては、対抗手段として行なわざるを得ないとは考えます。東大医科研の調査結果は、
  1. 7月に朝日との対面取材を行ったのは7月9日の大阪大学のみである
  2. 対面取材で記事にあるような発言は行われていない
これもこれで一つの調査結果です。まあ、かつての変態記事事件の最中に毎日.jpが閉鎖されるの報道が為された時に、報道の翌日ぐらいに「そんな発言を行った毎日社員は存在しない」とした件よりも信頼は置けそうな気がします。少なくとも朝日の対面取材があった事自体まで隠す必要性はそんなに高くないんじゃないかと思います。

これに対する朝日の回答はまだないようです。


中村教授

これは朝日の10/28付回答記事しかありません。

教授の人権侵害と朝日新聞社に通知書 東大医科研報道

 東京大学医科学研究所が開発したがんペプチドワクチンを使った付属病院の臨床試験で起きた有害事象が、ペプチドの提供先である他の医療機関に伝えられていなかったと報じた15、16日付朝日新聞朝刊の記事に関し、中村祐輔・東大医科研教授は代理人の弁護士を通じて、「一連の報道は重大な人権侵害」だとする通知書を、27日付で朝日新聞社の秋山耿太郎社長あてに送った。

 通知書では「記事には基本的な医学的知識ないし表現の誤りや基本的な事実に関する事実誤認が含まれている」などとして、事実関係や取材経緯について検証を行い、その結果を明らかにするよう求めている。

 ■朝日新聞社広報部の話 当該記事は、薬事法の規制を受けない臨床試験には被験者保護の観点から問題があることを、東大医科研病院の事例を通じて指摘したもので、確かな取材に基づいています。

ここは事実関係を簡単に整理しておきます。朝日記事では今回のペプチドワクチンの開発者を中村教授とし、さらに中村教授がオンコセラピー・サイエンス社と深い関り(大株主だそうです)を報じています。web記事にはないようですが、関連記事としてペプチドワクチン、中村教授、オンコセラピー・サイエンス社の関連を指摘した上での批判記事を展開し、目に見える被害としてオンコセラピー・サイエンス社の株価がストップ安となる事態を招いています。

事実としては、中村教授は朝日記事が問題視したペプチドワクチンの開発者でもなく、当然の様にそのワクチンの特許も有していません。さらにそのペプチドワクチンの製造供給にオンコセラピー・サイエンス社は関与していません。それでも朝日の回答は

    確かな取材に基づいています
騒動はまだまだ続くようです。


訂正とお詫び

昨日段階で10/28付朝日記事の回答対象が東大医科研であるとしていましたが、これは私の大きな事実誤認でした。謹んでお詫びさせて頂きます。10/28付記事は中村教授の通知書に対する回答でした。