次回作の紹介

 紹介文です。

 隠岐にツーリングに出かけたコトリとユッキーがフェリーで見かけたのがドカの女。西郷の宿で再会したのですが、これがなんと女優の三田村風香でした。


 三田村風香と言えばハリウッド映画にも出演してアカデミー賞で助演女優賞を取ったほどの名女優。島前でマスツーすることになったのですが、風香はどうにも魔性の女である感触を抱いていきます。そう、風香はなんらかの目的をもってエレギオンHDの社長と副社長に接近してるに違いないと。


 風香の狙いはなんなのか。コトリとユッキーはどう動くのか。

 ツーリング日和シリーズを続けるにはツーリング先を見つけると言う難作業が待っています。あれこれ探しているうちに見つけたのが隠岐です。動画もいくつか上がっていて、隠岐なら神戸からでも行けるじゃないかと取り上げました。

 ですが隠岐は遠かった。このシリーズの弱点となっている小型バイクの設定です。隠岐も高速を使えば大阪からでも1日で行けるところではあるのですが、下道専科の小型でのツーリングですから、果てしない距離になるって感じです。

 そこで開き直って二泊取って奥津温泉から蒜山、大山と回るツーリングにしてみました。隠岐のツーリングも大変で、あそこは大きく分けると島後と同然に分かれるのですが、隠岐に渡るのも、隠岐の島々を巡るのもフェリーになります。

 それでも知夫里島はかなりの絶景として良さそうです。絶景であるだけでなく、他ではまず見ることが出来ないお馬さんや、牛さんとの接近遭遇もあります。おそらく自分で行くことはないでしょうが、ツーリングコースとして取り上げられるだけの値打ちはあると思いました。

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ネットで話題の死体検案書

 知らない人のために、話題になったツイートをリンクさせて頂きます。この話題には誤字とか、死亡時刻についても取り上げられていましたがパスします。私がやりたいのはこの死体検案書から考えられる臨床経過の推測です。


死体検案書を書いたのは誰だ?

 誰だも何も医師であるのは間違いないのですが、最初に読んだ時に解剖医が死体検案書を書いたとしているのに少し引っかかりました。病院で剖検を行うのは病理医ですが、病理医が死体検案書を書くのは見たことがなかったからです。

 はて? でしたが、よくよく思い出してみると、かつて勤務していた病院の事を思い出しました。その病院でも病理医が剖検を担当していましたが、病理医と言っても一人であり、どうしても手が回らない時には資格を持つ内科医が剖検を行っていました。

 もっとも剖検と言っても解剖だけで、そこから標本を作製し病理報告を行うのは病理医です。そこから考えると内科医が死体検案書を書き、そこから解剖まで行うのはあり得ることです。ですが解剖を担当したとはいえ、解剖を担当した内科医が解剖所見を踏まえて死因の診断を下したかと言われると疑問が残ります。

 人が死ぬとすぐに引き続いて行われる行事は葬儀です。これは私も経験しましたが、葬儀日程を決めるのは火葬の日になります。火葬がいつになるかを決めるためには、死亡診断書か死体検案書を持って役所に死亡届を提出しなければなりません。そこで火葬の日の決定などの埋葬許可を得る段取りです。

 ここで病理診断なのですが、今でも日数が必要です。卑近な例なら剖検ではありませんが、私の腫瘍摘出後の病理診断は入院中には出ていません。それぐらい時間がかかるものですが、これを待っての死体検案書となると葬儀が遅れますし、それまで御遺体を保管しておく必要が生じてしまいます。

 そうなると死体検案書を書いた医師は、御遺体の表面と、剖検時の肉眼所見、後は遺族から聞き取った病状から死因を決めた可能性が高いと考えられます。


死亡診断書でない点

 死亡診断書でなく死体検案書になるのは、あれこれややこしいのですが、シンプルには医師が患者を看取れば死亡診断書になります。この看取りの範囲がまた煩雑なのですが、仮に故人が在宅医療を受けていれば、細かな規定はあれこれありますが、医師が死亡の現場に立ち会っていなくても死亡診断書になります。

 在宅医療中で死体検案書になるのは、その死に異状死の可能性が残された時になります。ただし、その場合は異状死の届け出から警察マターになりますから今回のケースは違うと見ます。

 それ以外のケースで死体検案書になるのは、死亡までの24時間以内に診察を受けておらず、さらに発見時にすでに完全に御遺体になられたケースです。これもまたあれこれ煩雑なところがあるのですが、今回であれば発症から死亡まで「約2日」と明記されています。この場合、医師が診察を行うチャンスは2度ぐらいで、

  1. コロナワクチン接種時
  2. 接種後に体調不良を訴え受診した時(それも死亡の24時間以上前)
 ワクチンは接種されていますから、接種時の体調に大きな問題はなかったと見るしかありません。接種から死亡までの約2日の見方ですが、
  1. ワクチン接種は午前ないし午後の日勤帯の可能性が高い
  2. 接種翌日は生存していた可能性が高い
  3. 接種翌々日に御遺体となって発見された
 この日程で受診機会があるのは、接種当日に体調不良を感じて受診されたか、接種翌日の朝一番ぐらいに受診したぐらいになってしまいます。接種翌日の午後なら遅すぎるとするのが妥当でしょう。

 ここで問題になるのが死因である急性心筋炎です。これは医師にとっても大変怖い病気であり、悪化すれば三次救急が全力を尽くしても救命は運次第になるほどのものです。ですから受診したした時点で急性心筋炎の診断までに至らなくとも、その可能性を疑ったならば、帰宅させて経過観察を行うのはあり得ないとして良いかと考えます。


急性心筋炎の診断の難しさ

 幸いにも私は急性心筋炎に遭遇した事はありませんが、この病気の手強さは診断の難しさもあります。 診断のためのあれこれ所見はありますが、どれも特異的な所見と言える物でありません。

 それこそ死後に結果として急性心筋炎と後付けで結び付けられる程度です。診断するには、外表からでもわかる所見では難しく、どこかの時点で急性心筋炎を念頭に置いての検査を行い、それとの合わせ技でもやっとかどうかになってしまいます。

 今回のケースで言えば、急性心筋炎を疑ってのエコーなり、心電図なり、胸部X-pなり、採血検査が行われた可能性は極めて低そうな気がします。そこまで検査をしても診断は容易ではなく、結果として見逃したと医療訴訟に発展しているケースもあるぐらいです。

 それと急性心筋炎では、通常は前駆症状としてウイルス性の感冒書状があります。ですが今回のケースは死亡の「約2日」前にワクチン接種をされています。その時点で感冒症状を認めなかった、認めたとしても軽微であったとしか考えようがありません。

 さらにコロナワクチンが誘因となっての急性心筋炎との診断が下されています。これは通常の急性心筋炎と異なる経過を辿ったとも考えられ、診断の難度はさらに高くなっていたと見て良い気はします。


死亡診断書にならなかった小さな疑問

 故人の家庭環境の情報は皆無ですから推測するしかないのですが、まず在宅医療を受けていた可能性は死亡診断書であることから低いと考えられますが、家族との同居か独居であったかについては微妙な点が残ります。というのも、同居親族がおられたら、故人の病状の悪化に通常は気づくはずです。

 気づけば救急車を呼ぶなり、家族がクルマで救急受診をしそうなものです。もしそうであれば、故人の発見時から搬送途中のどこかで死亡していたとしても通常はDOAになり死亡診断書になるはずです。これはあくまでも聞いた話ですが、DOAにする範囲はかなり広かったはずですが、今回は間違いなく死体検案書なのです。

 そうなると故人が発見された時にはDOA扱いにも出来ない状態であったとしか考えようがありません。だから独居であったと思いたいのですが、家族は解剖まで行っています。行っても悪いわけじゃありませんが、少なくとも家族は故人の病状の推移をあまり知る位置にいなかった可能性はあるように思います。


ポイントは死体検案書になってしまう

 こんな少ない情報で症状や診療経過を推測するのは無謀なところがあるのですが、発症から死亡まで「約2日」と「死体検案書」の2つのキーワードが推測の幅を狭めてくれました。これがもし死亡診断書であればこうは行きません。

 患者の病状の悪化に伴い入院しても不思議でもなんでもないからです。入院となれば各種検査が行われ、さらに死亡していますから、その病状の経過から急性心筋炎の診断に至った事は十分にあり得るからです。

 ですが死体検案書であり発症から「約2日」で死亡していますから、死体検案書を書いた医師が診たのは御遺体になった故人になってしまいます。それもDOAですらない完全な御遺体です。

 もちろんこれは正真正銘の本物であるとされ、真偽を疑うのなら訴訟も辞さないとされています。私も故人や遺族を貶める気は毛頭ないのですが、どうにもどういう症状の経過で、どうして急性心筋炎の診断に至ったかがわかりにくいところです。

 外野からでは説明が付きにくい事であっても、真相を知れば、な~んだ、そうだったのかはあるので、今回のケースもきっとそうだぐらいにしか言えそうにありません。ですが、私如きでは本当は何があったかなど推測しようもないぐらいを結論とさせて頂きます。

EV化になるのか

 個人的にはガソリン車が好きですが、世界的にはEV車へのシフトが流れになっているようです。環境問題は大事ですからね。クルマがそうならバイクもって流れもあるみたいです。この辺はガソリン車が減ればセットでガソリンスタンドも減るからでも良いかもしれません。

 実用どころか、量産販売されているEV車も出ていますが、素直に見て弱点はバッテリーです。寒さに弱い、充電に時間がかかる、時に火を噴いてしまう、バッテリーの寿命とその交換が高価すぎるぐらいが目に付きます。

 今のバッテリーはEV車を実用レベルに押し上げる能力はあっても、まだまだ欠点も多く、商品とするには弱点がまだまだるぐらいでしょうか。さらなる改善が望まれるのですが、こういう技術革新はある日突然って感じで起こる事もありますが、そうは問屋がって部分もあって、ガソリン車の後継は水素車なんて話も出るのはその辺だと思っています。

 水素は水素であれこれ問題は残っていると思っていますが、長くなるのと詳しいとも言えないので、これぐらいにしておきます。


 クルマはさておき、バイクのEV化どうかです。バイクはクルマより軽い点は有利でしょうが、バッテリーを搭載するスペースの問題はあるとは思っています。その辺は設計次第かもしれません。そうですね、電動ママチャリをもう少しパワーアップしての原付レベルならすぐに出来るとは思います。

 問題はバイクはクルマよりも、さらに趣味性の高い乗り物の点はあると思っています。とくに中型以上のバイク乗りなんて、バイクの実用性を重視する人は少数派の気がしています。クルマだってガソリン車に比べると不利な点はありますが、中型以上のバイク乗りはデメリットをより重く見そうな気だけはしています。

 クルマ乗りにサンデードライバーと言われる人もいますが、趣味のバイク乗りもサンデー・ツーリストの面が濃いところがあります。もちろん普段の通勤通学に使われている人もいますが、休日にだけツーリングを楽しもうって人が多いから趣味性が高いぐらいと見ています。

 あえてクルマにたとえれば、高級スポーツカーを買って走らせてるのに近いかもしれません。高級スポーツカーに実用性を求める人は少ないですものね。

 そうなると、これはクルマだって同じですが、いざ走ろうと思ったら、充電が足りなそうは出て来ると思います。サンデードライバーなら語感から毎週乗るってイメージもありますが、実際のところは天候とか他の用事もあって、月に2度とか、もっと少ないケースも少なくないはずです。

 電力が足りなければ充電となるのですが、現状では給油よりはるかに時間がかかります。前日に充電しておけば良いような話ですが、ほぼ毎日使っているではありませんから、いざ乗ってみたら「あちゃ」は現実的に起こると思っています。

 そんなもの気を付けていればの意見も当然出るでしょうが、休日の朝にフラッとツーリングに出かけようと考える人も少なくないと思いますから、いきなり充電時間でつまずいたら、

    こんちくしょう
 これはバイクだけでなくクルマだってあると思います。ほぼ毎日乗る人ばかりじゃないですからね。とは言うものの、世の中って流れが出来てしまうと、あれよ、あれよと変わるのは何度か見ています。レコードやカセットが、あっと言う間にCDに置き換わったり、さらにDLになったりです。

 もっとも世の中の流れは怖いので、流れが出来たらバッテリーの弱点の充電時間、充電場所の問題も速やかに改善されるだろうことも予想されます。価格だってマーケットが広がれば下がるはずです。一方でガソリン車に固執しようと思っても、給油も、メインテナンスも大変な状態になってしまうぐらいです。

 もう十年ぐらい生き残れたら、結果は見れる気がします。そうなれば孫にでも(いたら良いですが・・・)、

    昔のクルマはガソリン燃やして走ってたんだぞ
 こんな話をして嫌われているかもしれません。

バイク待ち15か月

 永遠に来ないのじゃないのかと漠然たる不安さえ抱く今日この頃です。まあこれだけ品薄になるとホンダドリーム店が優先になるのは理解します。その点では失敗したかと思わないでもありませんが、後のメインテナンスを考えると・・・

 ドリーム店だってちゃんとやってくれると思いますが、担当の責任者が変らない方が個人的には好きなんです。個人経営の店は逃げ場がないですからね。

 さてと言うわけじゃないのですが、しばらく見ていなかったレビュー動画を見ていました。レビュー動画はあれこれ役には立つのですが、違和感を抱く時はあります。たとえばプロのレビュー。さすがに手際よく仕上がっていますが、

    手放しで褒めすぎだろ
 これはプロの動画であったかは怪しいのですが、いくらなんでも250ccに匹敵するはやりすぎです。では、では、素人ならどうかですが、レンタバイクのレビュー系では知見の狭さが気になる人がいます。

 レビューですから比較対象があっても良いのですが、ちょっとエグイと思ったのはずっと乗り継いでいたハーレーとの比較でした。ジャンルが違い過ぎるだろうです。

 この点はハーレーに限らず大型を乗っている人に出やすい通弊の気がしました。ここも誤解ないようにして欲しいのですが、そういう人でもちゃんとレビューしている人もいます。ですが、パワー不足だとか、振動を強調され過ぎると、

    そんなものは当たり前だ!
 パワーや振動で大型を上回ったりしたら、それこそ化物バイクです。バイクはクルマ以上に乗り手を選びますし、乗る目的も変わります。さらに言えば趣味性が高い乗り物です。小型に、それもモンキーにパワーとスピードを求められても困るじゃないですか。

 この辺は、そういう物を求める人が買ってはいけないのアドバイスと見なせない事はありませんが、この情報社会ですから、10馬力も無い小型バイクの能力の限界ぐらい承知で買おうとする人の方が多いと思っています。

 それと目に付くのは50ccの旧モンキーとの比較です。したって悪くないのですが、フォルムは受け継いでいる部分はありますが、中身もコンセプトも別物でしょう。旧モンキーはクルマに載せて出先で楽しむコンセプトはあったはずです。

 そのためにあれこれ妥協している部分は多々あります。それが味として人気を集めてたのは認めますが、今のモンキーは普通に走れるのがコンセプトだと思っています。だから面白みがなくなったとするのはわかりますが、返す刀で面白味がなくなってしまい価値は無いは言い過ぎの気がします。

 比較的参考になるのは、実際に買って走り込んでいる人のレビューです。なんでもそうですが、使い込んでこそわかる部分は大きいからです。使い込むことでわかるメリット、デメリットこそ本当の実感の気がします。

 どんなバイクにもメリット、デメリットはあり、その差引勘定が評価になります。もっとも買って乗り込んでいる人のレビューにも弱点はあります。レビュー動画を上げるぐらいですから、気に入ってしまってるバイアスが発生します。

 バイクなんて取り回しの難儀さ(維持費用も含む)と走行性能のトレードオフの部分がある乗り物です。どういう点を重視するかは乗り手の価値観の問題に尽きるぐらいです。クルマだってそういう部分はありますが、バイクの方が遥かに大きいですからね。

 ぶつぶつと書きましたが、様々な角度からのレビュー動画あるのはありがたいことで、あれこれと想像だけは膨らみます。結局のところ、自分で乗ってみないとわからないのがバイクですが、15か月は待たせ過ぎがやはり結論になりそうです。

藤井五冠、強すぎる

 将棋はまったくのヘボです。それでも、なんとかぐらいですが、棋譜の解説を後で聞けば、なるほどあそこが勝負の流れを変えたのかとか、あれが悪手だったのかとか、妙手とされるのはそういう事かぐらいは理解していたつもりです。

 ネットで棋譜解説をされているのはアマでも強豪クラスのはずです。元奨励会員の肩書の人もいますもの。そう言う人は、私なんかと桁がいくつも違うレベルで藤井五冠の棋譜を理解できるはずですが、最近の藤井五冠の棋譜の解説には苦労されているようです。

 極論すれば、どこが勝負の分かれ目であり、どの手がどう具体的に良かったとか、悪かったを探し出すのさえ苦労しています。それこそ最新AIをフル回転させて、

    どうもこうのようだ
 それが間違っているとは思わないと言うか、それはそれで説得力もあるのですが、どこか違う気がします。その局面で相手がその手を選んで指してしまうような状況に既に追い込まれている気がします。

 今年の棋聖戦の解説を渡辺名人が動画でされていましたが、第3局の最終盤に渡辺名人に勝ち筋があったそうです。これは感想戦でも出なかったそうで、対局後にそれこそAIをフル回転させて見つけたで良さそうです。ですが、対局中にそれを見いだせたかと言えば、

    30分あればなんとか・・・

 ここのニュアンスが微妙ですが、せっかくの勝機を見逃してしまったという感じではなく、

    それぐらいしか勝機はなかったですね
 この辺は勝負師ですから、どこまで本音かは察しにくいところですが、勝ち筋を見逃がしてしまって悔しいと言うより、その手まで見つけないと藤井五冠に勝てないぐらいに受け取れそうな気がしました。

 もう一つ印象的だったのが、敗着とまで言わないまでも流れが変わる一着とかみたいなものです。緩手としても良いのですが、指した時には無難ぐらいに思われていたのが、指し進んでみると、ちょっと弱気だったとか、消極的な部分があったとかです。

 そういう一手は接戦の将棋なら普通はあって、あれが結果的に敗因につながったは定番のはずですが、これも渡辺名人の棋聖戦第3局の解説からですが、

    遡って行くとになりますけど、最初の構想自体が・・・
 これもどこまで話しているかは私如きでは判断しようがないのですが、見ていた時の印象で言えば、序盤も、中盤も、いや終盤だって、これと言った勝負の分岐点になるような局面はなく、あれだけ指してAIをフル回転させてようやく見つけ出した勝ち筋しかなかったぐらいに受け取りました。

 つまりどこかの一手が勝敗を決したようなものじゃなく、ああいう展開の将棋にしてしまったのが敗因みたいな感想でしょうか。この感想は最近になって増えているような気がします。名だたるトップ棋士が局後の感想で、

    どこが悪かったかわからない
 少し前の藤井五冠なら「AI越え」とか「神の一手」みたいな妙手が称賛されましたが、最近ではどうして負けたかの原因が、対局中の棋士さえすぐにはわからないのかもしれません。

 今では優勢、劣勢がAIで常に表示されますが、対局中の棋士にはわかりません。ですがプロ棋士は指しながら優勢、劣勢を肌身で感じるとされます。どうもぐらいにしか言えませんが、AI判定以上の微差の優劣が藤井曲線が描かれる前に出ている気がします。そうですね、対局中の棋士ならわかるぐらいの微差で、

    局面は互角だが、どうも指しにくい
 互角であれば、そこから優位に導く手順が必要なのですが、それがいくら考えても出て来ず、藤井曲線がAIが描く頃には、対戦している棋士からすると苦し過ぎる状況に陥ってしまってるぐらいの感じです。


 将棋は先手の優位さはあります。囲碁はこれがはっきりしすぎていて、コミが入るのですが、将棋の場合はそういうハンデはありません。ここでなんですが、もし先手がすべて最善手であれば先手が勝つはずです。最善手と言ってもAIレベルですけどね。

 後手が勝つには先手のミスを待つしかありません。これまではトッププロであっても、必ず悪手までいかないものの緩手が飛び出し、それで形勢が逆転とか、二転三転させるのが将棋だったと思っています。将棋の先手後手でハンデがないのは、それが将棋ですから勝率に大きな差が出なかったからで良いと考えています。

 ところが藤井五冠が最善手を指す確率はトッププロと較べても非常に高いと分析されています。こんな単純化すれば怒られそうですが、最善手の確率が高い方が勝つのが将棋なら、これだけ藤井五冠が強いのが説明出来てしまう気がします。そうですね、対戦相手はまるで最新AI相手に指している気分になるのかもしれません。

 もちろん藤井五冠とて人の子ですからミスも出ます。ミスも出るから負ける事もありますが、ミスが極度に少ないので驚異的な勝率を残しているとして良いはずです。藤井五冠の勝率はデビュー当時から高いのですが、今の対戦相手はトッププロが大半です。それで変わらず勝ち続ける驚異をこれぐらいでしか説明できない気がしています。


 これは妄想レベルになりますが、藤井五冠は将棋の勝ち方を会得している気さえします。将棋は様々な局面に進展しますが、こういう駒組に持って行けば勝てると言うか、勝てる駒組にもっていく手法を会得してしまったぐらいの見方です。

 対戦相手からすれば手の広い、難解な中盤戦に見えても、藤井五冠からすれば、勝利への道筋が見え、それに向かって指し進み、ふと気づけば藤井曲線に抵抗しようもなくなっているぐらいでしょうか。最近の先手番での圧倒的な強さがそれを物語っている気がしてなりません。

 人がAIに負けたのは将棋界にとって衝撃的な出来事であったはずです。あの時に将棋界は打倒AIじゃなく、人のチャンピオンを決めるところに路線変更したぐらいに思っています。それぐらいAIは強かったですからね。

 AI将棋の特徴は人が定跡とか、手筋とか、常識としたものを一切斟酌しない思考過程で最善手を選ぶぐらいと考えています。それにトッププロが勝てないのを見て、気づいたのじゃないかと考えています。人の思考過程じゃなく、AIの思考過程を取り入れたら強くなるはずぐらいです。

 その申し子が藤井五冠かもしれません。トッププロが蹴散らされてるのは、ALの思考を取り入れようとしても、これまで積み重ねて来た人の思考の常識がどうしても出てしまうのが弱点のような気さえします。これも渡辺名人の解説ですが、

    こうなったら〇〇を取り返さないと損得が合わないと考えるじゃないですか・・・
 ギリギリの終盤になると時間も切迫していますから、従来の将棋常識が顔を出してしまうのを物語っているような気がします。そうなってもAI思考で判断できる藤井五冠と他のトッププロの差が今の成績になっているのじゃないでしょうか。