カメラのお話

 ここ1年ばかり小説連載だったので、雑談四日目です。

 シオリがフォトグラファーの設定で、そこからアカネやマドカの話を膨らませているのですが、あれだけ書いているとカメラが欲しくなります。コンデジは持っているのですが、デジイチかミラーレスクラスが欲しくなってしまうのです。

 去年もカメラ欲しい病が燃え盛って買う寸前まで進んだのですが、出不精人間に必要かのストッパーが辛うじて利いて、踏み止まっています。これが今年も再燃。

 去年思いとどまったのは、唯一カメラを使う機会がある春秋のハイキングに持って行きにくいというのがありました。これまではウエスト・ポーチに突っ込んで行ったのですが、さすがにミラーレスでもこれはサイズ的に無理があります。そこで発想を変えてみました。ミラーレスが入るようなウエスト・ポーチがあればエエじゃないかと。

 さすがにミラーレスが入るウエストポーチとなると種類が限定されますが、遺憾ながら見つけてしまったのです。従来の物より二回りぐらいは大きくなりますが、入るのは入ります。ただし入るカメラは限定されます。

 デジイチよりミラーレスの方が小型軽量なのは間違いありませんし、本体が小型のものはかなり売り出されています。問題になるのはレンズです。

 これも調べてわかったことですが、レンズサイズはイメージセンサーのサイズに比例する部分が大きい事です。これはそうなっているのか、そうしているのかわかりませんが、フルサイズやAPS-Cのレンズは基本的にデジイチと共用する傾向があるようなのです。簡単にいうとデカイ。

 これに対しマイクロフォーサースになるとレンズも小型軽量。画質はイメージセンサーの大きさに比例する部分はあるようですが、ハイキングに持って行くウエストポーチに入ると言う目的のためにはマイクロフォーサースのレンズでないと無理が出ます。

 小説ではエラそうな事を書いていますが、腕は正直なところド素人ですから、細かな画質の差は見てもわからないレベルですから、マイクロフォーサースのミラーレスの入門機にしています。

 使ってみた感想ですが、あのサイズと重さなら、なんとかハイキングに持って行けます。うん、撮っていたら相当のカメラ好きに見えるかもしれません。コンデジで撮ってるより本格的に見えるでしょうから。

 機能としてはEVFが標準で付いているのが嬉しかったです。背面の液晶で撮るのはどうしても慣れ切らなかったもので。この辺も世代の気がします。やはり写真はファインダーをのぞいて撮りたかったからです。

 この際だからとセットレンズの他に単焦点レンズも購入。単焦点は安いとあちこちに書いてありましたが、あんなに高いとはビックリしました。カメラの本体並でしたもの。

 そこまで奮発した理由は唯一つ。コンデジではどうしても撮れないボケ写真を撮って見たかったからです。そのためにわざわざ新神戸駅から森林植物園のハイキングまでやりましたが、

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 ノブドウと思いますが、初めてにしては良くボケてくれたと思います。ついでにもう一枚、

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 他は・・・聞かないで下さい。撮れたという成果に満足しています。それでもこれでハイキングの楽しみが一つ増えました。つうか使わないともったいなさすぎます。

売り物になる作品の基準

 出版社に認められる作品にどれだけの価値が必要かは気になるところです。出版社はガチの商売であり、慈善事業ではありません。費用をかけて売るからには、そりゃ厳しい基準を設けているはずです。ここで芸術的な評価は置いといて、もう少しドライな基準を考えてみます。

 風詠社さんのNO.6 自費出版本の制作に必要な費用(その2)がわかりすかったので紹介しておきます。これは書籍化された本のビジネスとしての原価計算率の一例だそうです。

 まずビジネスですから千円の本を1万部発行するとし、これを100%とみるそうです。そうなると最大収入は1000万円になりますが、そこから取次と書店の手数料が30%消えるそうです。そうなると残りは700万円になりますが、そこに返本が入って来ます。返本率の想定は20%ですが理由は後述します。そうなると収入は560万(56%)になります。

 そこに本の製作料が必要になります。列挙してあるのを整理してみると、

  1. 印刷・造本代20%・・・200万円
  2. 編集費(印税、装幀、校正費その他)12%・・・120万
  3. 広告費10%・・・100万円
  4. 返品のための倉庫代3%・・・30万円
  5. 人件費10%・・・100万円
 これらの新規に出版するための支出を合計すると55%(550万円)になり、売り上げと差し引きすると利益はなんと1%(10万円)になります。これだって返本率が30%になれば売り上げが490万円になりますから、赤字が60万になります もっと売れ行きが悪くて返本率50%になったりすれば200万円の赤字です。

 出版社が儲かるようになるのはベストセラーになった時で、返本率がゼロになれば15%(150万)の利益になります。10万部になれば1500万円、100万部になれば単純計算で1億五千万円になります。この辺は増刷分になれば造本代や、編集費が安くなると考えられるのでもっと儲かる気もします。

 この原価計算の取り様なのですが、本気で本で商売しようとするなら、

    千円の本を1万部作って、8000部売れる
 これが最低ラインで、それ未満の売り上げしか期待できない作品はボツとされるで良いと思います。見ての通り1万部作って8000部売れてもギリチョンですから、これ以上を期待できる作品にならないと採用してくれない事になります。

 他の分野でもそうですが、有名作家なら固定ファンがいるので出版されやすくなりますが、無名の新人ではよほど元の作品の質が高くないと採用へのハードルが高くなるのは必然です。

 こうして見ると出版社に書籍化して出版してもらうのは容易なことでないのが良くわかります。もちろん出版社もそれだけ厳しい基準で選んでもハズレる時はハズレますから、ベストセラー作家がどれほど怪物的な存在かわかると思います。

自費出版雑感

 昨日の話の補足みたいなものですが、本が売れるには、

    必要条件:作品の質
    十分条件:作品のプロモート
 いくら優れた作品を書いたとしても、これを世に知らしめ、読者に存在を知らせて買ってもらう作業が必須として良いでしょう。この辺は小説に限らず、芸術系で売れるためには同様と見ています。

 自費出版を売りにするところでは、全国の有力書店に陳列すると謳っているところもありますが、あれも実態は闇とされます。そうしてくれるところもあるかもしれませんが、口先だけのところもあって問題になったことも少なからずあるようです。なかなか自分の足で調べられものではありませんし。

 それとこれも指摘されて気づいたのですが、本屋に並んだだけでは、そうそうは売れません。本と思うからわかりにくいだけで、コンビニやスーパーで買う時と似てるかもしれません。並んでいてどれを選んで買うかです。どうしても定番とか、慣れ親しんだ物に手が出るのは人情で、あえて手を出すのは、

    売り手の努力
 これも見慣れた風景ですが、いかにその商品が優れているかのアピールです。本ならいかに面白いかのアピールをどれほどしてくれるかです。これは作者には手の届かない仕事になります。出来るのは出版社とか本屋ということになります。

 平凡すぎる結論ですが、本とは出版社が本気で売る気にならないと、そうそうは売れるものではないということです。これだって出版社が力を入れたからといって、必ずしも売れるものではありません。ましてや、出版社が本気でない作品が突然売れるなんて奇跡に近いとしか言いようがありません。この辺は自費出版を扱う風詠社の自費出版本の書店陳列の仕組みに、

 自費出版本も上に述べた流通システムで書店に並べられることになります。つまりは、制作を依頼した出版会社等から取次を経由して書店に本が配本され、売れなかった本は取次を通して出版会社に返品されることになるのです。


 ここで重要なことは、書店への配本の決定権は取次にあり、配本された本を書棚に並べるかどうかは、書店の判断によるということです。


 出版会社等がいくら自分のところで制作した本を書店に並べたいと思っても、取次が配本せず、配本されたとしても書店がその本を書棚に並べてくれなければ、その本は書店で売られることはないのです。


 取次にしても書店にしても、著名な作家の本や話題本など売れる見込みのある本を配本し、書棚に並べたいと考えていますから、無名の作者の海のものとも山のものともわからない自費出版本の取り扱いには消極的です。


 自費出版本が書棚に並ぶためには、取次がその本を書店に配本してくれるか、配本されたとしても、書店がその本を書棚に並べてくれるのかという二重のハードルがあるのです。


 その上、書店の一角に無名の著者の本が並べられたとして、書店を訪れた読者がその本を買いたいと思うかどうか。


「書店に本を並べますよ。並べは本が売れますよ」といった甘言を用いる出版会社等には要注意です。自費出版本の書店販売を目指す著者は、書店に本が並べられるだけでは、無名の作者の本が売れる確率は限りなく低いことを肝に銘じておかなければなりません。

 平たく言えば自費出版でヒットする確率はゼロに近いということです。それでも自費出版はそれなりに需要があるようです。ちょっとググっただけでワンサカ出てきました。もちろん自費出版も様々で、私蔵版の拡大程度で、友人知人に配布して満足する者もいます。学術書なんかで、赤字覚悟でも、この世に残すのに意義があると考えて出されるものもあります。

 ただ他人のことは言えませんが、たまたま書き上げた作品に自信を持ちすぎると危険な罠が待っている気がします。調べると痛い目に遭った方の経験談も転がっています。出版社側にも言い分はあると思いますが、キモは、

  • システム的に無名の作家の無名の作品が自費出版で売れることはありえない。
  • 売れると判断したら出版社が正式に出版するはず
 この二つを常に念頭に置いた方が良いと思います。自費出版社にもタチの悪いところも含まれているようで、やたらと夢を持たせて出版させて、売れなきゃ、
    カネの切れ目が縁の切れ目
 こういう商法を手広くやって問題になり倒産したところもあるそうです。夢を食い物にしているところは確実にあるようです。


 自費出版の本当のメリットはなにかですが、キチンとした紙の本が出来上るところに尽きると思っています。プロの校正・校閲がされて、綺麗な装丁の完成品の紙の本が手元に置けるぐらいです。

 その次の書店販売経費は言ったら悪いですがドブに捨てているようなものです。ですから私蔵版として50冊ぐらい作って、知人に配るぐらいにするのが良さそうな気がします。これなら50万円ぐらいで出来ると思います。もう少し安いかもしれませんが、自費出版で一山当てようと夢見ると、最悪食い物にされてしまうようです。


 もう一つ懸賞商法もあるようです。懸賞もピンキリなのですが、おおよそで言えば一等賞を取ると書籍化と副賞がいくらか出るところが多いようです。一等賞の作品はとりあえず置いとくとして、落選作品に時に罠を仕掛けてくるところもあるようです。

 こういう懸賞の本当の建前は有望な新人作家の発掘です。ことは文芸ですから一等賞になれなかった作品にも可能性を見出されて・・・こういうシチュエーションもゼロとは言えません。内情は良く知りませんけどね。

 そういう場合に出版社が書籍化すると言うのならシンデレラ・ストーリーも夢じゃないかもしれませんが、持ちかけられたのが自費出版なら上記した通りになります。とにかく作者サイドに大きな費用負担を要求するものは要注意と見て良いでしょう。


 文芸もまた才能むき出しのプロの競争世界です。才能があっても見出されずに埋もれてしまう人もいるでしょうが、そういう人はホントのレア・ケースと良いでしょう。出版社サイドもかなり目を広げて新人発掘に取り組んでいるからです。

 懸賞も大手出版社が新人対象にちゃんとやっているものもあります。もっとも千とか二千の作品に競り勝つ必要があります。それぐらいの関門を越えられないと売れる本は出て来ないと見ても良い気がします。

 もっと敷居の低い懸賞も用意されています。小説投稿サイトの懸賞なんかそうです。あれだって賞を取るのは容易なものではありませんが、商売物になる本はあれぐらいは取らないと始まらない気がしています。落選した作品は出版のプロから見るとゴミ同然になります。

 それでも夢を捨てきれない人を食い物にする自費出版業者も少なくないのが実情のようです。もちろん良心的な業者もいますが、良心的な業者で自費出版しても売れないのは同じです。

 良心的とは過剰な費用を請求せず「売れる、売れる」のバラ色の夢をふりまかないところになります。それと「せめて」と思う校正や校閲、装丁に手抜きをしないところぐらいでも良いかもしれません。

 以上が自費出版を一時的にも検討した雑感です。

小説家になろう計画の今

 二年前の盆休みに取りかかった「小説家になろう」計画です。小説家になるには、とにもかくにも小説を書かないと始まりませんから、処女作に取りかかりました。書くにはネタが必要なのですが、これだけはアテがあって、歴史ムックにしてみようでした。

 とにかく処女作ですから、ネタはあってもどうやって歴史ムックを小説の物語にするかは難題でした。今から思えば、猛烈な手間をかけていまして、まず歴史ネタの部分を私のブログ・スタイルでまとめるところから入っています。

 これだけでも大変ですが、これでは小説でなく論文に近い代物です。問題はこれをどうやって人が読んでもらえる物語にするかでした。導き出した方向性は謎解き形式です。作中で主人公にムックさせる形式です。そういうスタイルはこれまでも良く使われています。

 何人も登場人物を増やすのは厄介ですから、ムックに参加させるのは二人にしています。二人ならやはり男と女が良いはずですし、男と女が主要登場人物なら作中の伏線として、二人が魅かれあうラブ・ロマンス的な要素が入れば待望の小説になると踏んでスタートです。

 処女作はそれでもあれこれ盛り込んでいまして、バーでムックする形式にして、そのたびに飲むカクテルに何か暗喩的な意味を含ませてなんてのもチャレンジしています。


 で、どうだったかですが、正直なところ失敗作です。ですから作品ナンバーには入れていますが、誰にも読ませたく代物になっています。ただ、この時に教訓を得ています。

    中途半端な歴史ネタは受けない
 世に歴史小説、時代小説はゴマンとあり、あれはあれで読者の数も多いのですが、そういう読者はガチの歴史物が好きということです。処女作は歴史物とラブ・ロマンスの融合を目指したようなものですが、これでは歴史好きには嫌われ、ラブ・ロマンス好きには歴史部分で拒否されるぐらいです。

 どうも読者層は相反している部分がありそうで、両方を取り込もうとするのは無理があったぐらいです。もちろん歴史・時代小説にもロマンスは出てきますが、それは歴史の中の作中人物のロマンスであって、現代のロマンスが被っても拒否されるだけぐらいでしょうか。

 そこで第二作は処女作のラブ・ロマンス部分だけ膨らませたものにしています。一人の男を巡って美女が群がる妄想のラブ・ロマンスとでもすれば良いでしょうか。これもストーリーに盛り込みすぎの部分はありましたが、事実上の第一作として辛うじて合格点を与えています。

 大きな転換点は第四作で、当世流行の超能力的な要素を持ちこんでいます。以後はその能力を持つ女神の冒険譚で書き進んでいます。これは書き安くなりました。女神のルーツ、過去の因縁、さらには女神のルーツの母星からの宇宙船の到来・・・


 えらく長くなりましたが、とりあえず作品群は書きあがりました。ネットでもこうやって公開しています。これだけでも小説家になったようなものですが、次のステップとして紙の本が欲しくなりました。ネット小説へ大きく流れ出しているのは知っていますが、その辺は世代です。でもって作ってみました。

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 一冊当たりの費用はおおよそ千円ぐらいでしたが、送料が入るのでページ数にもよりますが1300円ぐらいになります。大量発注すれば1000円ぐらいになりますが、そんなに不要ですからね。


 作品は出来た、紙の本も作ったとなると次の段階は正式の出版です。ここのハードルは目が眩むほど高いものになります。自費出版について調べたこともありますが、おおよそでいうと単行本2000冊で350万円、文庫本3000冊で300万円ぐらいです。

 もっと安いところもありますが、百万単位の費用が必要と見て良いと思います。自費出版でも印税は入るのですが、元を取ろうと思えばだいたい二万部ぐらい必要で良さそうですう。自費出版の最大の問題はそこで、出した本が売れることはまずないということです。


 話は回りまわって、出版で売れるためには出版社に認めてもらうことになります。オーソドックスには出版社への原稿持ち込みとかでしょうか。まあ、そんなヒマも熱意もさすがにないので、お手軽に狙えるのは賞への応募です。

 これも調べてみるとお手軽に参加できるのがわりとあります。小説投稿サイトも複数出来ていて競争しているみたいで、より人気を集めるためのエサみたいなものでしょうか。この辺はサイトの性格にもよるみたいです。

 それでも商品として書籍化があるのが多いですし、賞金が出るのもあります。これだって激烈すぎる競争がありますから、賞の獲得なんて宝くじ並みですが、自費出版より優れている点があります。

 自費出版には百万円単位の元手が必要ですが、懸賞ならタダみたいなものです。それと選ばれれば本が売れる必要条件の出版社による広告やプロモートもそれなりに期待できます。何回でも応募できるのも大きなメリットです。

 
 後は夢と妄想で楽しんでいます。賞が取れて売れれば次回作はすぐに出せます。数だけなら一生分ぐらい書いてますから、十冊でも二十冊でもシリーズは続けられます。夢の印税生活が待ってるってところです。心境は宝くじを買って、当たった時の夢をあれこれ見てるぐらいでしょうか。

 わかったのは小説で食べるのは容易じゃない事で、選ばれし者の棲む世界だということです。

宇宙をかけた恋:あとがき

 言うまでもなく流星セレナーデの後日談的な作品です。流星セレナーデでは、二回目の宇宙船着陸で終っていますが、今回の作品はその後にエランで何が起り、それが地球と再び関わる話としました。

 宇宙物の難点は、とにかく時間経過が長くなることです。エランと地球の航海時間は片道二年間程度としていますが、このために往復に五年ぐらいかかってしまいます。そう、作中人物の年齢が五つ上がることになります。

 流星セレナーデでは三回も宇宙船を地球に来させたために、一挙に登場人物の高齢化が進んでしまい往生しました。ですから、今回で終結させるために書いています。

 少しでも時間の経過を有効利用するために、ミサキとシノブの宿主代わりに利用させて頂きました。これもまた宿主代わりの度に大学生をやる設定をクリアさせるためです。小細工を盛り込んだ結果、久しぶりにエレギオンの女神のそろい踏みが出来ました。

 話の中心は絶滅に瀕したエランになりますが、こちらの方はシリアス・タッチにせざるを得なくなります。エラン再生に命を懸けるジュシュルの運命や如何にです。ジュシュルとユッキーの対決、その二人の間に生まれる信頼関係です。

 最初は純愛にしていましたが、それでは話に厚みが出ないので、関係として踏み込ませてみました、ただジュシュルとユッキーは悲恋にしないと締まらず、コトリが結ばれても締まらないというか、この後のシリーズに困ります。

 その辺の味付け方法を模索しましたが、こういう時は定番良いと判断しています。やはり日本人は浪華節が合ってる気がします。気づく人は気づくと思いますが、ディスカルのエラン脱出シーンの下敷きはさよなら銀河鉄道999です。

 全体の構成も揺らいだ部分があって、その辺が前半部分のアカネのシーンです。当初はアカネでナレーター役を押すつもりでしたが、さすがに無理があり、途中でミサキに代わってもらっています。

 そろそろシノブに恋をしてもらわないといけないのですが、それが出来るかどうかは乞ご期待です。