渋茶のアカネ:マルチーズの危機

 ここまで和やかに話は進んでたんだけど、急に猛烈な不安に襲われたのよ。永遠の女神が現代にも実在するなんて、知ってはならない秘密じゃない。それをこうもアッサリ話すってことは口封じもセットのはずだって。

 たとえばコンクリート詰め。それだけじゃない、相手はとにかく永遠の女神。嫌な事を思いだした。女神の刑ってのもあったんだ。

 あの回は反乱鎮圧に次座の女神が活躍するんだけど、反乱者を金縛りした上で女神の刑を宣告するんだ。簡単に言えば死刑なんだけど、ただの死刑じゃないんだ。死に至る災厄が、逃げても逃げても死ぬまで襲いかかるとか、死にそうな苦痛が自ら死を選ぶまで永遠に続くとか。

 その惨たらしい描写が延々と何故か放映されて、怖かった怖かった。あんまり惨たらしすぎて再放送時にはなくなってたぐらい。あの回を見てからしばらく独りで夜にオシッコに行けなくなった。あれも実話の可能性があるじゃないの。

 どうしよ、どうしよ、どう考えても無事には、この部屋から出れそうな気がしなくなってきた。頼みの綱はツバサ先生だけど。どうせ逃げられないから聞いちゃえ、

    「ユッキーさん、こんな話をアカネが知ってもイイのですか」
    「アカネさん、心配しなくてもイイよ。こんな話、どうせ誰も信じないから。言えばキチガイ扱いされるだろうし、これは悪いけど、そういう風にする力もあるのよ」

 そうだった、相手は世界のエレギオンHD,さらに首座の女神。アカネなんてその気なれば合法的に社会から抹殺さえ出来るんだ。抹殺は大げさとしても、キチガイ扱いぐらいには簡単にされちゃいそう。じゃあ、無事に帰れるかも、

    「そうだユッキー、イイ機会だから練習しときたいけど」
    「でも失敗したら可哀想じゃない」

 『練習』、『失敗』なんの話だ。まさか、まさか、

    「だいじょうぶだって、アカネはわたしの弟子だから文句言わせないよ」

 やっぱりアカネが練習台だ。うぇ~ん、一番頼りにしていたツバサ先生がなんてことを。

    「そうねぇ、せっかく、アカネさんに来てもらったから、少しお礼をしといてもイイものね」

 お礼なんかいらないって、このまま五体投地、なんか違うな五体満願、これも違う、とにかく生きて帰れてたら、それで満足です。

    「シオリ、やるのはイイケド、ちゃんと加減してね」
    「それも練習だろ」
    「まあ、そうなんだけど」

 ますます嫌な予感が。なにかトンデモないことをされそう。

    「あの~」
    「な~に」
    「なにされるのですか」
    「うんとね、アカネさんを少し変えてみたいってシオリが言うのよ」

 変えるって、何に、

    「シオリの力ならなんにでも変えられるけど、たとえば・・・」
    「たとえば」
    「犬にするのだって可能よ」

 えっ、犬。犬はイヤだ、せめて猫にしてくれ。そんな問題じゃないよな。

    「だいじょうぶ、心配しないで。やり過ぎなければ、わたしが元に戻せるし、修正だってできるから」
    「やり過ぎたら?」
    「そうねぇ、犬までいったら人に戻すのは難しいかも。でも種類ぐらいは変えられるから、良かったら先に言ってくれてたら嬉しいわ。マルチーズがイイ、それともトイ・プードル」
    「じゃあ、マルチーズ」
    「わかったわ。可愛いマルチーズにして、ちゃんとここで飼ってあげる」

 こいつらマトモじゃない。小山社長は顔も声も可愛いけど、言ってることがムチャクチャじゃない。やはり最後はツバサ先生しかいない。

    「ツバサ先生、犬にするなんて冗談ですよね」
    「もちろん可愛い弟子のアカネを犬になんかするものか」

 良かった、さすがはツバサ先生。

    「そうならないように前向きの姿勢で善処する」

 うぇ~ん、善処じゃ困るって。あっ、ツバサ先生ったら指をポキポキ鳴らしてるじゃない。本気でやる気だ。

    「やるぞ、アカネ」
    「犬はヤダ」
    「シオリ、そうっとよ。わたしでも犬まで行ったらホントに戻す自信ないし」
    「わかった、わかった。さあ、アカネ観念せい。犬になってもユッキーが飼ってくれる」
    「助けて~」

 すうっとアカネの体の中に何かが流れ込んだ気が。これが女神の力とか。

    「シオリ、それぐらいで」

 うわぁ、やられた、どうなった。

    「だから言わんこっちゃない。やりすぎよ」
    「そうかな、もうちょっとやっても」

 ああ、ツバサ先生。やり過ぎたってことは、犬だろうか、猫だろうか、それともペンギン。マルチーズにしたら大きいから、秋田犬とかセント・バーナード。

    「アカネさん、ごめんなさいね。やっぱりシオリはやりすぎちゃった。これじゃ、元に戻せない」
    「アカネ、ゴメン」

 ゴメンで済んだら警察いらんわ。もっともこんな化け物みたいな連中じゃ警察でも通用しないだろうな。

    「でもシオリ、さすがはフォトグラファーね」
    「そらそうよ、これで何年メシ食ってるって思てるのよ」
    「でも、そこまでやると、もう変わんないよ」
    「イイじゃない、わたしの弟子だから道連れよ」

 なんだ、なんだ、この話の展開は、

    「アカネさん、化粧室に行ってごらん」

 おっ、足で歩けるから人に近いみたい。手もまともだけど、顔は、

    「これは誰ぇぇぇぇ」
 たぶんアカネだと思う。アカネの面影あるもの。でも綺麗すぎる。細くて一重だった目はつぶらな瞳になり、ペシャンコの団子鼻はスッキリと筋が通った小鼻に。唇だって、ホッペだって、耳だって・・・髪までチリチリ天パが艶やかなロングじゃない。

 それだけじゃない、とにかく胸が重たい。こわごわ見たらドデカイ肉の塊が二つ。アカネのブラがはち切れてる。ヒップもデ~ンでジーンズも破れそう。でもデブじゃない、ウエストがギュッとしまって格好イイ。

    「アカネ、それで男が寄って来なかったら、重度の性格ブスだぞ」

 うるさいわ。アカネの体を練習台にしやがって。

    「そうそう、アカネさん、シオリがやり過ぎたから・・・」
    「アカネはどうなっちゃうんですか」

 そこにツバサ先生から、

    「喜べアカネ、師匠の道連れで歳取らないぞ」
 えっ、えっ、えっ、アカネも不老の仲間入りとか。イイのか、悪いのか猛烈に複雑。とにかく女神は怖ろしい。でもなんとか生きて帰れそう。とにかくだいぶ変わったけど人だし、見間違えてなければマルチーズじゃない。

渋茶のアカネ:めくるめく世界

 豪華なテーブルに豪華な食事がテンコモリ。それにしても立派な台所、いやあれだけになると厨房だな。

    「アカネさん、頑張って作ったんだけどお口に合うと嬉しいわ」
    「アカネ、ここのルールは遠慮なく食って、飲むこと。足りなきゃ、いくらでも出て来るから安心しな」

 食べてみたらとにかく美味しい、

    「アカネさん食べるのはイイけど、お酒は注意しといてね。この三人は底なしだから、一緒にペース合わせると病院行きになっちゃうよ」

 見てると食べっぷりも凄いけど、飲みっぷりなんて水とかお茶飲んでるようにしか見えないもの。小山社長なんてあんなに華奢な体のどこに入るのかと思うぐらい。

    「ユッキー、尻拭いさせて悪い」
    「気にしないで。まだシオリは慣れてないし、これぐらいは大したことないよ」

 まさかこれから秘密を知った、いや探ろうとしたアカネをドラム缶のコンクリート詰めにして海に沈められるとか。はたまた、海外に連れていかれて売り飛ばされるとか。う~ん、コンクリート詰めより売り飛ばされる方がマシだけど、問題はアカネが売れるかどうかかも・・・そんな最悪状態での究極の選択を考えても仕方ないか。

    「アカネさんは『愛と悲しみの女神』は見たことがおあり?」
    「ええ、見てましたし、原作の漫画も読んでます」
    「なら、話が早いわ。あれは実話よ」
    「えっ、実話って、どこまで」
    「だいたい」

 エレギオンの女神は美しいだけでなく不老。さらに魂は永遠に人から人に渡って行き不死だけど

    「わたしの記憶はね。五千年を遡るわよ」
    「えっと、えっと、五千年の記憶を持つ女神は首座と次座」
    「ピンポン、正解で~す。わたしが首座の女神で、ローマの時にいたコトリが次座の女神よ」
    「でも首座の女神は氷の女神・・・」
    「あら、見たいの。ちょっと怖いよ」

 ニコニコと可愛いお顔の小山社長の顔が見る見る・・・ションベンちびった。だから今では氷の女帝って呼ばれるのはわかったけど、あんなに怖いんだ。絶対に怒らせないようにしようっと。そしたらサッと表情を戻して、

    「ゴメンね、ちゃんとやらないと信じてもらえそうになかったから。シオリに聞いたんだけど、オフォス加納では人を担ぐのにかなり大仕掛けなことをするから、アカネさんもなかなか信じないって思って」

 信じる、信じる。あんな怖い顔を二度と見ずに済むのならなんだって信じる。

    「シオリはね、主女神なんだ」

 えっ、あのエレギオンの最高神。でも、首座の女神は眠れる女神、決して目覚めることはなかったはず。

    「ずっとそうだったんだけど、ちょっといじくったら、主女神が目覚めちゃったんだ」
    「でも主女神は記憶を受けつがいなし、時に暴虐の神にもなると」
    「ピンポ~ン、正解。よくできました。主女神は本来そうなんだけど、なぜかシオリとして復活したのよ。記憶の継承能力も出来たんだけど、覚えてるのは加納志織からだけ」

 じゃあ、あのフェレンツェの時は、

    「ピンポ~ン、またもや正解です。あれが主女神の力。あの時に何が起っていたかを聞きたかったら、後でシオリに聞いてね。ここでは長くなるから省略」

 そうだ前から気になっていた。

    「麻吹つばさはどうなったのですか」

 今まで楽しそうに話されていた小山社長が少しだけ悲しそうな顔をされて、

    「漫画のタイトルはある意味、よく付けてると思ってる。女神は魂ではなく意識を宿主に移していくのよ。だからわたしも小山恵に宿ってる。宿主にされた人の方の意識は消えるわ。そうね、記憶装置を初期化して新たにインストールする感じと言えばわかるかな」
    「あ、はい」
    「そうすることで永遠の生を得る事はできるけど、そのために人の一生を乗っ取り、台無しにしてるの。そう、女神は決して神じゃない、ただの寄生虫よ。宿主の寿命が来たら新たな犠牲者を探して回ってるってこと」

 アカネもターゲットにされた可能性もあったんだ。おおこわ。じゃあ、麻吹つばさからツバサ先生への変身は、

    「女神は記憶だけでなく能力も技能も受け継ぐの。さらに体型を自在に変えられる。いつまでも歳を取らないのも、その能力の使い方の一つ」

 なるほど自分の好みの年齢の容姿に固定できるってことか。信じろと言うのは無理があるけど、現実が目の前でしゃべってるし。それと五千年の経験を経営に活かせば、エレギオンHDをこれだけ大きくするぐらい簡単なのかもしんない。

    「ツバサ先生に女神が宿ったのはいつですか」
    「シオリが三十二歳の時よ」
    「その時の加納志織の記憶はどうなったのですか」
    「隣に座ってるじゃない。シオリが初代で記憶の始まりと思えばイイよ」

 だから加納先生は若返ったんだ。

    「他にも聞きたいことがある?」
    「神が見えるってどういうことですか」
    「強大な能力を持つ神は相手に宿る神が見えるのよ」
    「じゃあ、及川氏は」
    「あれは特殊例。わたしたちは使徒の祓魔師と呼んでるけど、神が見える能力が優れているだけ。能力はさほどじゃない」

 及川氏も神だったんだ。

    「では及川氏もツバサ先生やユッキーさんの神が見えたのですか」
    「強大な神は力の劣る神に力を見せないようにできるのだけど、シオリにも、ミサキちゃんにもそんな芸当が出来ないから、わたしも見せといた」

 神同士の仲は悪く、出会えば必ず殺しあうってなってるけど。

    「そういう神が多かったのは事実。わたしも百人近い神を殺してここにいる。ミサキちゃんに至っては五百人ぐらいだから、神世界の記録保持者かな」
    「どうしてミサキを引き合いに出すのですか。あれは特殊世界の例外ケースです」

 香坂常務もタダ者じゃなさそう。

    「でもね、殺し尽くした感じかな。結果として生き残っている神は争わないタイプが殆どしてよいわ。だって見てごらん、ここに三人の女神がいるけど殺し合いしてないでしょ」

 たしかに漫画でもエレギオンの五女神は仲良しだし。

    「及川氏は・・・」
    「また移っていくよ」
    「誰に」
    「それはわからない」

 ここでツバサ先生が、

    「小次郎の夢はわたしと結ばれること。でもわたしがカズ君に心を移して焦ってた。なんとか取り戻そうと、ついに神の能力を使おうとしたで良さそう。でも、出来なかった」
    「どうしてですか」
    「わたしに眠れる主女神が宿ったから。それは小次郎には見えるし、その圧倒的な力の差に指をくわえて見てるしかなかったのさ」
    「ではルシエンとは」
    「ルシエンはベレンのカズ君に奪われた。でもカズ君はいずれ死ぬ。ルシエンはトールキンの話では死ぬけど、小次郎のルシエンは復活する。それだけの話だよ」

 えっと、えっと、そうなると。

    「ルシエン計画とは」
    「たいした話じゃないよ。次の宿主の時に今度こそってお話さ」
    「いえ違うはずです。ツバサ先生はウソを吐かれています。及川氏は加納先生を深く愛されています。深く愛されていた加納先生に突然神が宿り、手の届かない存在になったことを悲しんだのがルシエン計画です」
    「おっ、言うね」
    「及川氏はせめて愛する加納先生の姿を、自分の作ったカメラで撮っておきたかったのです。それこそがルシエン計画」
    「アカネは人にしたら出来過ぎだよ」

 ふう、そうだサトル先生の問題をまだ聞いてなかった。

    「女神は人と結婚できるのですか」
    「出来るよ、子どもだって生める」
    「なにか男の方に条件とかあるのですか」
    「あるよ、女神が惚れるぐらいイイ男であること」
    「それだけ?」
    「そうよ。女神と言っても体は人からの借り物。べつに特別製でもなんでもないのよ」
 良かったね、サトル先生。後はサトル先生の決断とツバサ先生の心次第。つまりは、ごく普通の恋ってこと。サトル先生とツバサ先生じゃ、サトル先生は見劣りするかもしれないけど、サトル先生のツバサ先生を愛する気持ちは本物だ。ちょっと優柔不断だけど、掛け値なしに優しい人だから、きっとツバサ先生を幸せにしてくれると思う。

 そうだ、そうだ、二人の結婚式の時はアカネが撮ろう。だって他にオフォス加納で撮れる人なんていないじゃないの。その代わり、アカネの時にはツバサ先生に撮ってもらおう。サトル先生でもイイけど、やっぱりツバサ先生かな。

 問題はまだ相手がいない点だけど、な~に、そのうち見つかるさ。アカネを世界一大切にしてくれる素敵な、素敵な旦那様がね。その時だったんだけど、トンデモないことにアカネは気づいてしまったんだ。

渋茶のアカネ:小山社長

 エレギオンHDは世界三大HDの一つに数え上げられる日本一の大会社。それぐらいはアカネでも知ってる。そして、これを率いる小山社長はまさに雲の上の人。調べてみて腰が抜けそうになった。まさに数々の伝説に彩られた氷の女帝。

 伝説の始まりはクレイエールの社長就任。秘書からのいきなりの大抜擢で社長だよ。クレイエールは世襲会社じゃないし、当時だって神戸でも指折りの大会社。この時にまだ二十八歳と言うから驚くしかないじゃない。

 社長に就任した年に彗星騒動、さらにその八年後に宇宙船団騒動が起ってる。アカネはまだ生まれてなかったけど、お父さんやお母さんに聞いたらリアル・パニック映画の世界そのものだったって。

 日本は比較的平穏だったらしいけど、世界中で大規模な暴動が頻発し、この世を悲観するあまり投げ売り一色となり経済は大混乱だったらしい。そりゃ彗星激突で地球が吹っ飛ぶとか、謎の宇宙船団が頭上を十隻も何ヶ月もグルグル周回されたら、そうなるよね。

 そんな時に小山社長は機敏に動いたってなってる、国家予算規模の借り入れに成功し、手当たり次第に会社・株・債券・不動産を底値、いや捨て値というかタダ同然でゴッソリ買い込んでるんだ。

 彗星騒動も宇宙船団騒動も実害としては殆どなかったんだけど、騒動が終わった後に反動で空前の好景気になったんだ。そう、小山社長が『これでもか』と買い込んだ会社・株・債券・不動産は天文学的な価値に膨れ上がり、エレギオン・グループを形成してるんだよ。

 これだけでも十分に伝説的なんだけど、神戸空港に着陸した宇宙船団の代表に対して、地球側全権代表となって交渉に当たってるんだ。理由なんてわかりようもないけど、エラン語を小山社長は話せるだけでなく、読み書きも出来たそうなんだ。ちなみに今でもエラン語は読みも、話せも出来ないとされてる。そりゃそうよね、宇宙語なんてわかる方がどうかしてる。


 小山社長のプライベートは謎に包まれていて、どこに住んでいるのかさえ不明なんだ。顔写真とかが、ネットでもさっぱり見つからないのはエレギオンHDの力と見て良さそう。いわゆる財界活動は最小限らしいけど、政界への影響力は巨大らしい。この政界ってのも日本だけじゃなくて世界って感じで、アメリカ大統領でも、ロシア大統領でもいつでもサシで話が出来るなんて評判さえあるもの。

 マスコミでさえ相手にならないと見てもイイかもしれない。マスコミったって広告収入が命みたいなものだから、エレギオン・グループを敵に回す度胸があるところはないだろうし、敵に回して生き残れるところなんてあるはずもないぐらい。

 これだけだったら影の支配者みたいな感じだけど、小山社長はちゃんと会社には出勤してるし、社員は小山社長にも会ってるし、話もしてるみたい。だから小山社長の画像はなくても、小山社長がどんな容姿かの情報はある。

 小山社長は今年で六十四歳のはずだけど、誰もが口をそろえて二十歳過ぎにしか見えないって言うのよね。そりゃ怖い人みたいだからお世辞もあるとは思うけど、お世辞も限度ってのがあるじゃない。女性に若く見えると言えば喜ばれるかもしれないけど、六十四歳を二十歳過ぎなんてすれば普通は嫌味になるよ。

 この若く見えるに関連してるんだけど、全然歳を取らないとも言われてる。そうなの加納先生と同じ不老現象が小山社長にもあるとしか考えられないの。でもそれだけ若く見えたら、たとえどこかで会ってもアカネでもわからないと思う。


 及川氏は小山社長に会えと言ったけど、どうやって会ってイイのかさえわかんないのよ。でもただ一つだけ手がかりはあるの。ツバサ先生がホテル浦島に行った時に、小山社長となぜか同席してる。意を決してツバサ先生に頼んでみた。

    「小山社長と会うことは出来ますか」
    「無理だろうね。あっちは雲の上の人だよ」

 これでオシマイ。そうこうしてたらサトル先生から、お酒に誘われた。連れて行かれたのは、

    『カランカラン』

 そうあのバー。サトル先生も知ってたんだ。

    「アカネ君はツバサ先生のことをあれこれ調べて回っているようだね」
    「そりゃ、お師匠様ですから」

 サトル先生は優しくて怒った顔なんて見たことがないとまで言われてるけど、今日のサトル先生の顔はちょっと厳しい、いや真剣ってした方がイイかも。アカネはよほど拙いことをしたかと思ってたら、

    「ツバサ先生がアカネ君にどうして教えないのか不明だ。だから知らない方が良いのかもしれない。でも、知っておいても良いと思う」

 なんだろ、聞くのはなんとなく恐いけど。

    「オフィス加納が復活した時のスタッフなら全員が知っていることだ。ツバサ先生は加納先生だ」

 ああ、やっぱり。

    「でも知っているのはそれだけだ。どうしてシオリ先生が麻吹つばさとして復活したのか、いつからそうなってるのかも誰も知らない」
    「サトル先生でもですか」
    「そうなんだ」

 ずっとアカネが抱いていた疑問の答えは出たけど、そうよね、本当の謎はどうしてそうなってるかだし、どうして歳を取らないかだものね。

    「ところでサトル先生はエレギオンHDの小山社長を御存じですか」」

 サトル先生が知ってるとは思わないけど、

    「ああ、知っている。小山社長は加納先生の古い友だちで、加納先生の葬儀を取り仕切ったのも小山社長だ」
 えっ、えっ、えっ、加納先生と小山社長が友だちだって。これはサトル先生の弟子入り秘話みたいなものだけど、当時のサトル先生は勤めていたスタジオを退職し実家に帰り、趣味で写真を撮ってたみたい。

 熊野古道の写真を撮ってる時にタマタマ出会ったのが五人組の若い女の子のグループ。ガイド役とカメラ係を頼まれて大喜びでやったそうなの。そのうえだよ、その日の宿が一緒だったので夕食まで一緒に食べたんだって。

    「その時に加納先生に」
    「そうなんだ。それだけじゃなく、残りの四人はあのエレギオンHDのトップ・フォーだったんだ。後で知ってビックリしたなんてものじゃなかったよ」

 オフィス加納の復活の時にも小山社長はかなり協力をしたで良さそう。そうそうサトル先生は三十八歳で未だ独身。アカネがオフォス加納に入ってからも女の噂一つ立ったことがない。でも、たぶんホモじゃない。古いスタッフ曰く、

    『サトル先生が愛した女性は唯一人、加納先生だけだよ』
 加納先生がサトル先生を弟子にしたのは八十歳の時、その時にサトル先生は二十五歳。この歳の差で恋愛感情なんて普通は生じる余地もないけど、とにかく不老の加納先生ならありうる不思議過ぎる世界。

 加納先生もまたサトル先生に特別な感情はあったと思ってる。だって引退から現役復帰しただけではなく、オフィス加納まで復活させてる。そして八十三歳で亡くなるまでサトル先生のみを弟子として育成されてる。

 それだけじゃない。加納先生の死後にオフィスの経営が危機に瀕した時に。大学を中退してまでオフィス加納に復帰し、経営立て直しに活躍されてる。これは自分が作ったオフィスを見殺しに出来ないだけでなく、サトル先生を見殺しに出来なかったからだと考えてる。

    「サトル先生、やはり今でも」
    「あははは、そうだよ。ボクは加納先生に恋をした。笑っても構わない、母親どころか祖母ぐらい年上の加納先生に恋をした。でも叶わぬ恋だった。でも甦ったシオリ先生なら・・・」

 こりゃ複雑な恋だ。見た目に騙されたとまで言わないけど、五十五歳も年上の女性に恋をした訳じゃない。その女性は死んだはずなのに、他の女性の中に甦ってるのよね。だからまた恋をしてるんだけど・・・まあ、誰を好きになるのも自由だけど、

    「ツバサ先生は二十九歳ですから、行ったらイイじゃないですか。加納先生はお会いしたことありませんが、ツバサ先生も素敵すぎる女性です」
    「今のツバサ先生が素晴らしい女性であるのは言うまでもないよ。でも不安なんだよ」
    「もたもたしてたら、誰かにさらわれちゃいますよ」
    「それはそうなんだが・・・」

 サトル先生の不安は、定番の告白しても相手にされないのもあるみたいだけど、歳も取らないし、こうやって甦ってくる女性の相手として自分が相応しいというか、資格があるのだろうかもあるみたい。

    「でも、加納先生は結婚されてますし、聞く限りでは旦那さんは普通に歳取って死んでますよ」
    「それはそうなんだが・・・」

 ええぃ、煮え切らない。サトル先生は間違いなくイイ人なんだ。男前とまでいわないけど、見た目だってそんなに悪くない。でも優柔不断なのが欠点かも。まあ、それでもなんとなく不安感を覚えるのぐらいはわからないでもない。言い方は悪いけど魔女に恋してるようなものだもんね。

    「おそらくだけど、すべてを知っているのは小山社長の気がしてる」

 及川社長もそう言ってたけど、

    「だったら聞きに行ったらイイじゃないですか。とりあえず知り合いだし」
    「それはそうなんだが、知るのが怖い気がしてる」

 ええい煮え切らん男だな、

    「サトル先生はツバサ先生が好きなんでしょう」
    「そうだ」
    「そこで、どうしても気になるのがツバサ先生の謎なんでしょう」
    「そういうことになる」
    「知らなきゃ、プロポーズ出来ないんでしょ」
    「いや、あの、その、プロポーズというか、まずは・・・」

 たく、イライラする。

    「知らなきゃ、プロポーズ出来ないのなら、知るしかないでしょうが。ツバサ先生だって待ってる気がします」
 そうなんだよね、サトル先生にも女の噂がないけど、ツバサ先生に男の噂がないのは業界の七不思議とさえ言われてるぐらい。だってさ、だってさ、ツバサ先生処女説まであるんだもの。ひょっとしたらサトル先生からのプロポーズ待ってるかもしれないやん。

 そこからサトル先生はグダグダと渋りまくったのだけど、アカネが頑張ってるうちに話が変な方向に転んじゃったのよね。

    「・・・だったら、アカネ君が聞いてきてくれないか」
    「どうしてアカネなのですか、直接の当事者はサトル先生じゃありませんか」
    「いやアカネ君だって当事者だ。そりゃ、ツバサ先生の弟子だもの。アカネ君だって知りたいだろ」

 ここでミスった。

    「そりゃ、アカネだって知りたいですけど」
    「だろ、だろ、だろ・・・」

 はめられた。アカネも知りたい誘惑があったから押し切られちゃった。二週間ほどしてから、サトル先生から連絡があり、クレイエール・ビルに行って欲しいって。そうすれば小山社長に会えると。一階の受付で来意を告げると、

    「渋茶の泉先生ですね」

 渋茶は余計だ、

    「御案内させて頂きます」

 なんか変だなぁ。制服じゃないから本来の受付の人じゃなさそう、歳の頃は二十代半ば過ぎだけど、超が付く美人の上に惚れ惚れするぐらいのナイス・バディ。着やせするタイプみたいだけど、アカネにはわかる。社長秘書さんぐらいかな。エレベーター・ホールに来ると、何人かの社員が待っていたのですが、

    「申し訳ありません。これからお客様を社長のところにお連れしますので、ご遠慮ください」

 なんだ、なんだ、乗り込むのは二人だけとか。なにやらパネルを操作するとエレベーターはどこにも止まらず三十階に。えっ、あの噂の三十階じゃないの。なにやら不安と期待がモコモコ湧き上がってくる感じ。ドアが開くと、

    『コ~ン』

 なんじゃ、なんじゃ、あれって、なんだっけ、竹に水がたまって鳴るやつ。さらに目の前には池があって木橋がかかってる。その橋の向こうに・・・なんでビルの中に家が建ってるんだ。さらに中に案内されると広々したリビング。う~ん、豪華だ。部屋の中には誰かいるけど、まさか、

    「来たね、アカネ。ついにここまで。まったくサトルの野郎も自分で来りゃ、イイのに。そんなんだからオフィスを潰しそうになるんだよ」
    「ツ、ツ、ツバサ先生」

 そうしたらもう一人見知った顔が、

    「いらっしゃい、ローマ以来かな。渋茶のアカネさん」

 だ か ら、渋茶は余計だけど、えっ、えっ、えっ、この人が小山社長だって。

    「あなたは、あの時のユッキーさん」
    「あら嬉しい、覚えてくれていたなんて。ユッキーと呼んでね」
 とにかく驚愕の世界で、三十階まで案内してくれたのが、なんと常務の香坂さん。歳を聞いて息が止まりそうになったけど、七十八歳って冗談だろう。今夜は一体何が起るか、アカネは果たしてこの部屋から生きて出られるのか。衝撃の結末は来週に・・・とはしてくれないよな。

渋茶のアカネ:アカネの課題

 アカネがブレークした及川電機のカレンダーだけど、あれはまだ仕事としては未完成。残り半分をなんとしても完成させなきゃいけないんだ。それこそルシエンの夢なんだよ。でもそれにはツバサ先生の協力が必要なんだけど、これが難物。

 イヤなのも心情的にわかるんだ。でもね、でもね、ツバサ先生は協力する義務があるとさえ思ってるんだ。かえすがえすも失敗だったのは、カレンダー写真が完成して、残り半分の仕事の遂行を迫った時。あの時は後一歩で了解を取れそうだったのに、アカネがぶっ倒れてしまった。

 あれからはツバサ先生も用心してるのか、この話を出そうになるとスルスルと逃げちゃうんだよね。どこかでキッカケが必要なんだけど、今はアカネも一人前のプロだから、同じオフィスといっても、弟子時代みたいに始終顔合わせてるわけじゃないもんね。

 そんな時にビックリするようなニュースが飛び込んで来たんだ。及川さんが入院したって言うのよ。アカネも時間を作ってお見舞いに行ったんだけど。見るからに弱ってた。歳が歳だから、正直なところ危なそうな感じ。

    「アカネ君、わざわざ悪いね。やっと年貢の納め時がきたみたいだ」
    「及川さん、まだ早いですよ。来年のカレンダーも見てもらわないと」
    「あははは、心配しなくとも来年も依頼すると思うよ」
 明るく振舞ってはくれますが、及川氏は寂しそう。及川氏は終生独身。養女が一人いるんだけど、これが交通孤児らしい。どうして独身の及川氏の養女になったか疑問だったんだけど、もともとは及川電機の社員の娘だったらしく、様々な経緯で養女として引き取ったらしい。

 及川氏も及川氏なりに愛情を傾けて育てらしいのだけど、やはり他人。というか、既に小学校六年生だったみたいで、難しいお年頃。親子仲はギクシャクせざるを得なかったで良さそう。

 及川氏の後に社長になった娘婿は養女が見つけて来たというか、娘婿に口説かれてというかのなれそめらしい。要は普通に恋をして結ばれたと言いたいところだけど、娘婿は野心家だったで良さそう。

 及川氏の養女の娘婿になれば、及川電機の社長の椅子が回ってくるぐらいかな。及川氏もその野心は見えてたみたいだけど、堅実な経営の才はあるにはあったらしい。もっとも及川氏の評価は手厳しく、

    「うちぐらいの規模の会社を守りの経営で切り抜けるのは無理だよ。常にイノベーションがないと必ずジリ貧になる」
 これは取締役を解任された時に岡本さんに話したものだそうだけど、その予言通り及川電機の経営は徐々に傾いていき、ついにはエレギオン・グループの一員として再生されるところまで追いつめられたとして良さそう。

 及川電機の経営のことはさておき、娘婿の夫婦仲も良くなかったそうなのよ。それが娘婿の社長解任が決定打になり離婚。子どももいたそうだけど、そういう家庭で育ったものだから、独立してからは家にも寄り付かずみたい。

 及川氏はあの広いお屋敷に一人で住み、入院してからも家族の見舞はなさそう。そのためかアカネが行くとまるで孫、歳の差からするとひ孫かもしれないけど喜んでくれる。

    「及川さん、あのカレンダーの仕事はまだ終わっていません」
    「そんなことはない。あれは立派な仕事だった。あの頃を思い出したもの。加納先生が撮ったカレンダーを見る時のワクワク感と、それさえ裏切る仕上がり。冥土の土産に相応しいものだ」

 どう見ても及川氏に残された時間は長くなさそうなんだけど、

    「岡本社長から聞きました。あのカメラのプロジェクト・コードはルシエンではないって」
    「岡本もおしゃべりだな。そうだミューズだ」
    「でもプロジェクト・ルシエンはあったと」

 及川氏は遠い昔を思い出してるようでした。

    「プロジェクト・ルシエンは私的なプロジェクトで岡本んさんや、ごく限られたメンバーしか内容を知らなかったはずです」
    「あははは、ちょっと思い違いをしてる。岡本ならそう解釈してるだろうが、プロジェクト・ミューズはプロジェクト・ルシエンの最終部分だよ。そう及川CMOSの開発も一部だ」

 ああ、やっぱり。

    「及川さんがルシエン計画を始められたのは、加納先生にカメラを贈る約束をした時じゃないですね」
    「どうしてそう思うかね」
    「人であるベレンはルシエンに恋をします。許されぬ恋の条件にシンマリル奪取を命じられたベレンは片手を失いながらも使命を果たします。ところが、シルマリルを飲み込んだカルハロスによって深手を負わされベレンは死にます」
    「トールキンだね。加納先生をルシエンにたとえ、私がベレンってところだ」

 もう言ってくれてもイイのに、

    「及川さん、いつ知ったのですか。加納先生がエレギオンの女神であることを」

 及川さん顔に凄味が、

    「私は二十六歳の時に急死した親父の跡を継いで社長になった。しかもだ、当時はまだ大学院在学中だった。それも仏文だ。こんな役立たずが、あれほどの業績を残せるのが不思議だと思わんか」
    「そ、それは・・・」
    「経営だけならまだしも、数々の製品開発を行ったが、その基礎知識はすべて泥縄式に習得したものだ」
    「まさか・・・」
    「そのまさかだ。私の正体を知る者はおそらくエレギオンHDの小山社長ぐらいだ。シオリにはなぜか見えなかったらしい」
    「見えるって」
    「小山社長に聞いてみたまえ」

 往年の気迫が甦ったみたいな・・・

    「シオリをルシエンに喩えたのはそうだが、ベレンに喩えたのは山本先生だ」

 アカネの予想さえ超えてる。

渋茶のアカネ:三十階仮眠室にて

    「ユッキー、なんか用か。わざわざここに呼び出しって大層やんか」
    「そうよ大事な用事よ」

 なんやろ。大学や大学院通ってる間はお互いフリーが原則やねん、用事があるとしたら女神の仕事、そうイタリアでやった天の神アンの残党騒ぎクラスや。

    「また変なんが湧いて来たとか」
    「それはだいじょうぶ」
    「だったら」
    「でも、これもある意味、女神の仕事」

 ある意味ってなんじゃろ、

    「シノブちゃんは?」
    「旦那さんの看病で休職中」
    「ミサキちゃんは?」
    「こっちも旦那さんが入院しちゃって」
    「マルコが!」

 あの歳になっても瞬間湯沸かし器は健在みたいやねんけど、怒って滑って転んで骨折。

    「ボケなきゃ、イイけど」
    「ホントにね」

 まさかユッキーの奴、シノブちゃんも、ミサキちゃんも不在だから寂しさの余りコトリを呼んだとか。それなら、それで相手したらなしょうがないけど、ユッキーが宿主代わりの時にはどうする気やろ。

    「クレイエール・ビルも五十年になるのよね」

 そやなぁ、これ建てたんは綾瀬社長の時代やもんな。

    「少々老朽化したのと、さすがに手狭になってきたから建て替え考えてるのよ」
    「もうちょっとだけ待った方がええんちゃう」
    「その辺は考えてるけど、コトリと基本意見を一致させときたいし」

 建て替え時のネックはミサキちゃんだもんな。やるならミサキちゃんが宿主代わりに入った時期しかあらへん。

    「前のプランか?」
    「コトリの意見は」
 前のプランを練ったのは三十年ぐらい前だっけ。エレギオンHDが設立された時に、本社ビルを新築しようってなったんや。三ノ宮の駅前に土地も確保しとってんけど、駅前再整備事業と絡んで消えてもた。

 エレギオン本社ビル新築の話が頓挫した表向きの理由はそれやけど、裏の理由もあって、仮眠室の拡大プランを考えとってん。今のはワン・フロアに建ててるから、平屋やし、屋根も格好悪いやんか。

 ユッキーも玄関を吹き抜けにして大きな階段作りたいっていうし、コトリもあれこれ部屋が欲しかってん。そこで出来上がったのが五フロア分使っての三階建て計画。これやったら二人の希望をほぼ盛り込めそうやってんよ。

 しかしミサキちゃんが大反対。まあわからんでもない。それだけのビル内建築物を建てるとすれば、ビルの構造をよほど強化しないといけないし、仮眠室だけで五フロアも取るのは誰から見ても非常識だし、住んでるのは二人だけだし。

    「さすがに五フロアぶち抜きは拙いんちゃう」
    「コトリもそう思うよね」

 ユッキーの出してきたのは三フロア・プラン。

    「三フロアといっても、ぶち抜きは二フロア分にする。規模は今とあまり変わらないけど、屋根がちゃんと出来るのと、ロフトが作れるよ」
    「ロフトは感じ良さそうやん」
    「それと庭がちゃんと作れるの」

 いまの庭は床の上にうっすら土を敷いた程度。とにかくワン・フロア分しか高さがないから、木を植えるのも大変。

    「なるほど、一階目は社長室とかの役員室やな。仮眠室に入るには一階目からの専用エレベーターってわけか」
    「どう」
    「コトリは賛成やけど、どうせミサキちゃんが宿主代わりに入らへんかったら、手つけられへんやんか」
    「それはそうなんだけど、今回の話ってわたしもコトリも出番がないじゃない」

 たしかに。

    「このままじゃ、出番なしで終りそうじゃない」
    「そんなことは・・・あるかも」
    「でもこれってシリーズものだし、このシリーズの真の主役はわたしだし」
    「違う主役はコトリだ」

 おっとここで喧嘩したらあかん。

    「とにかく飲もか」
    「そうね。そうだそうだ、コトリに飲んでもらいたいビールがあるんだ」

 あれ、缶ビールかいな。それも冷やしてないし、コトリは温いビールはあんまり好きじゃないんだけど、飲まへんのも悪いし。

    「これ、これって、まさか、あの時の・・・」
    「そうあの時のラウレリアのビールを再現したつもり。コトリにもそう思ってもらえたら成功かな」

 懐かしいなんてものじゃない。二度と飲む事なんてないと思ってた。

    「ヒントは?」
    「グルート・ビールよ」
    「でもあれは何となく似てるけど、やっぱり違うで」
    「ダテに九年間も遊んでなかったよ」
    「そういうのを遊んでるって言うんやんか」

 エレギオン黄金時代の掉尾を飾る珠玉のビール。これが現代のエレギオンに復活するなんて。あの頃の思い出が一遍に甦る気分や。

    「コトリ、あの夜に終わっちゃったけど、またここから始めよ。今度こそ二人でエレギオンの平和を守ろう」
    「もちろんや。あんな事には絶対にさせない。コトリとユッキーが組めば世界最強やし、今は主女神だって復活してる。真の黄金時代を思う存分謳歌するんや」

 ユッキー、ありがとう。今日の本当の目的はコレだったんや。あの苦しいアングマール戦のさなかにユッキーが見えた平和な世界まで生き抜いて来れたんだ。後は楽しまないと。

    「ユッキー、ビールはあるの」
    「それがね・・・」
    「・・・わかった、わかった協力する。二人でコンビを組めばすぐに問題は解決」

 山のような試作品が溜まっていて、飲んで処分するのに悪戦苦闘中だって。

    「ユッキー。こっちのはイマイチ過ぎるで」
    「なかなか難しくてね」
    「でも、当時やったら一級品や」
    「あははは、そうとも言える」

 現代のビールも大好きだけど、当時のビールは格別。現代人の口にはあわへんかもしれんけど、これこそが世界で二人しか覚えていないエレギオン時代のビール。

    「コトリ、こっちなんだけど」
    「うん、これは踊る魚亭だよ」
 そう、あそこからの苦しいことを思い出すんじゃなくて、あそこからあの戦争がなく続いて築いたはずの時代を作るんや。来年からコトリも復活だし。