ツーリング日和26(第32話)七釜温泉

 たぶんだけど新温泉市街とやらのかなり手前のところで曲がったはずなんだ。それも左と言うか南に曲がったはずだから山の方に向かっているはずと言うか、どう見てもそうだ。民家が途切れて山陰道を潜って、おいおい、どこ行く気だ。

 これって山の中の一軒家の秘湯かと思ったけど、また街というより集落みたいなところに入って来たぞ。コータローがバイクを停めたけど、

「お~い、カグヤ。この辺で曲がるはずやねんけど、お前のナビではどうや」

 コータローはナビを積んでないのよね。ナビなんてクルマなら標準装備だろうし、バイクだってツーリングをするなら載せてない人が少なくなってるのじゃないかな。もっともバイクで専用ナビは少なくてスマホが殆どだと思うよ。

 コータローが載せない理由はケチだから。と言うのもスマホを載せたら振動で壊れることがあるんだって。壊れたらスマホの買い替えが必要になるから絶対に乗せないって。でもさぁ、やっぱり欲しい時があるじゃない。載せようよって言ったこともあるのだけど、

「はなら千草が載せてくれるか?」

 却下だ却下。壊れたらどうしてくれるんだ。スマホの買い替えにいくらすると思ってるんだ。あれだけ払うんだったら迷子になった方が百倍マシだ。ナビを積んでいない理由がスマホの故障が怖いからの説明はこれぐらいにして、ここはどこなんだ。

 四つ角で目の前の古ぼけた二階建てのビルがあるけど、そこの壁には内湯旅館ときわ荘って文字が剥げかけているけどなんとか読める。あれって元旅館だよね。今でも人が住んでいるのは雰囲気でわかるけど旅館としては営業してる気がしないもの。

 右には安楽荘って看板が見えるけど、こっちは新しそうだから営業してそうな気がする。道的にはどっちに行っても道幅はあんまり変わんないかな。それでも左の道はなんか怪しげな気がする。カグヤがナビを確認したみたいで、

「安楽荘の角を入るのが正解みたいです」

 千草の勘はアラームを鳴らしてるのにコータローはカグヤに従いやがった。曲がって見ると、これは道路というより広めの路地だぞ。看板が見えていた安楽荘の正面に出たけど、これってアパートじゃないのか。昔のアパートの名前にいかにも出て来そうじゃないの。

「ちゃんと暖簾もかかっとるやんか」

 ホントだ。すぐに突き当たったけど、これはどっちだ。左に曲がれば小川を渡ってお寺の方にいきそうだけど、真っすぐと言うか、クランクしてまっすぐ進む道はかなりどころじゃないほど怪しげだ。ここは左だろう。そしたらまたもやコータローはバイクを停めて、

「カグヤ、どっちや」
「う~ん、玄関の向きになりますが、たぶん直進です」

 たぶんはやめてくれ。あんな狭そうな道でターンはいくらモンキーでもあんまり嬉しくないぞ。Ninjaならなおさらだろうが。なのにコータローはカグヤの言葉に従いやがった。千草というものがありながら・・・

「ここや、ここや」

 はぁ、ここって民家だぞ。

「看板出てるやんか」

 ホントだ。駐車場は民家じゃなかった旅館の隣の砂利の空き地で良さそうだ。バイクを停めて、荷物を抱えて玄関から入ると、これはちゃんとした旅館の気がする。少なくとも民家じゃない。部屋に案内してくれたけど、ほぉ、なかなかオシャレじゃない。


 ここは浜坂温泉郷の一つの七釜温泉なんだ。温泉郷って言うぐらいだから他にも温泉地があって浜坂温泉、二日市温泉らしい。その浜坂温泉郷の中で一番古いのが七釜温泉だ。もっとも古いと言っても湯村温泉より新しい。

「湯村は平安時代の初期やからな」

 そんなに古いとは初めて知った。だったら七釜温泉は江戸時代からくらいだと思ってたんだけど、

「そこまで古ない。第二次大戦後や」

 一九五〇年代てな話だけど、それでも七十年ぐらいの歴史はある事になる。なにしろその頃は昭和だからな。

「昭和、昭和言うけど・・・」

 シャラップ。昭和の次の平成だって終わってるから問答無用で昔だ。

「ギリギリ平成生まれやんか」

 うるさいわ。コータローもそうだろうが。いかん、いかん、同い年同士が年齢の話で言い争うのは不毛過ぎる。

「まだ禿げてないで」

 ハゲげたぐらいで離婚なんかしてやるものか。その時には中途半端ハゲは見苦しいから、

「カツラか?」

 あのな千草は妻だぞ。嫌でもカツラのない中途半端ハゲを見せられるだろうが。そんなもの見せられたら精神衛生上良くないから、

「剃ってスキンヘッド」

 スキンヘッドになってもらうけど剃ったりするもんか。中途半端に残ってるのは永久脱毛だ。

「おいおい、そこまでする気か」

 するに決まってるだろ。ハゲに散髪代なんて贅沢の極みだ。そうしておけば照明代の節約にもなるじゃない。

「なるわけないやろ」

 コータローのハゲ問題はともかく、七釜温泉を掘り当ててから旅館も増えてるみたいで、なんと十軒ぐらいもあるって聞いて驚いた。十軒もあれば堂々たる温泉街だよ。ついでみたいな話だけど、ゆ~らく館って名前の外湯施設もあって、これが立派なものらしくてなかなか賑わってるらしい。

 ただ旅館が十軒あると言っても有馬兵衛の向陽閣とか、月光園みたいなドでかい宿泊施設はなくて、どこもこじんまりしてる感じかな。ちなみに歓楽街的なものもなさそうだ。どう見たって田舎の集落だったものね。

「とりあえず風呂や」

 賛成。カグヤと一緒なのは気に食わないけど、一人じゃないのは嬉しいかな。どれどれどんなお風呂かな。ほぉ、浴槽と床が赤茶けてるけど、これは温泉のせいみたいだ。お湯もそんな感じだもの。

 さてさて、どんな湯加減かな。うん。気持ち良い。ツーリングの後の温泉って本当に贅沢だ。これだから温泉ツーリングはやめられない。

「これは癒されます」

 そのカグヤだけどなんだよあれ。顔が美人なのは見てたけど、スタイルだって抜群過ぎてダイナマイトだ。出てるところはしっかり出てるし、締まるところはキュッとしまって惚れ惚れさせられる。肌だって艶々だ。

 なんか千草の持っていないものをすべて持ってるじゃないの。千草だってね、そうなりたかった。でもだよ、こんなもの生まれつきだし、努力でどうにかなるものじゃないもの。千草だってあれぐらいだったら人生変わってたはずだ。

「千草さんって、コータローの幼馴染なんですよね」

 ああそうだ。知り合ってからなら余裕で三十年を越えてるぞ。なにしろ小さい時には一緒にお風呂も入ってるから、千草のヌードを初めて見たのはコータローになる。その責任をコータローは取ってるよ。

「責任って言いますけど・・・」

 そりゃあるよ。千草だって女だからコータローは、

『なんで千草にはチンチンがあらへんねん』

 そこまで見てやがったんだ。もっとも千草もコータローのチンチンを見てあれは何だと思ったもの。もっとも四歳の時だけど、今から思えば女と男は違う生き物だって知る最初の第一歩だったかもしれない。

 でもさぁ、あの時に千草が見たものが、見られたところに突っ込まれることになるなんて夢にも思わなかったな。これはいくらコータローでも思わなかっただろ。当たり前か、四歳でそこまで妄想出来たら変態の極致だ。

 人生ってホントにわからないものだよ。また一緒にお風呂に入れるようになったし、ましてやベッドで二人が汗水たらして頑張るようになるなんて、世界中の誰も想像すら出来なかったはず。する方がおかしいか。

「中学とか、高校の時は?」

 コータローとは幼馴染ではあるけど、一緒だったのは中学だけ。それも同じクラスになったのは中三だけだ。

「その頃からお互いを意識して・・・」

 してない、してない、中三の時にはホントに何もなかったもの。せいぜい同じクラスだから話をしたことがあるかないかぐらいだったもの。

「高校は別だとして大学でまた・・・」

 カグヤだって知ってるだろ。コータローが行ったのは医学部だぞ。あんなところに天地がひっくり返ったって入れるものか。

「そ、そうでした。なら成人式で」

 この辺は違うところもあるだろうけど、成人式の後って中学のクラス単位でプチ同窓会みたいになることが多いじゃない。

「カグヤのところもそうでした」

 千草もそんな感じで流れて行ったのだけど、コータローの野郎は藤野千草を連れ出しやがったんだよ。

「それは誰ですか?」

 いわゆる中学ナンバーワン美少女だ。成人式の時も綺麗だった。それもだぞ、中三のクラスは別なのに鼻の下を伸ばしてスタコラさっさだ。

「それってナンパだったとか」

 コータローならやらかしそうだけど違うんだよね。その辺の理由はややこしいから置いとくけど、成人式の時の二次会みたいなものは千草とコータローは別々になったんだ。

「では式場で一緒だっただけ?」

 そうだよ。顔は合わせたけど話なんかしたっけ。していてもほんの立ち話程度だったはず。三次会もした連中はいたみたいだけど、着物の千草は苦しくて帰ったからコータローとはそれっきりだ。

「もしかしてコータローとはそれ以来会ってないとか」

 会うはずないだろ。千草は短大出て神戸で就職したけど、コータローの医学部は六年もあって大阪だ。

「でも連絡ぐらい」

 いくら幼馴染と言っても本当に仲が良かったのは四歳までだ。そっか、カグヤは千草がコータローと断続的に幼馴染ラブとか、ラブとまで行かなくても腐れ縁みたいな関係が続いてたと思ってるのだな。

「てっきりそうだと。カグヤが知り合った頃のコータローは・・・」

 その頃って千草がお見合いで三連続轟沈を喰らい、その話をコータローが知ったぐらいで良さそうだ。その頃のコータローは、千草とのお見合い話のお鉢が回って来るのじゃないかと戦々恐々としてたはずだけど。

「千草さんの話はよく聞かされました。故郷のダントツの美少女だって」

 ああそうだよ。ただし故郷は故郷でもコータローの心の故郷の話だ。なにしろコータローの心の故郷に住んでいる女は千草一人しかいなんだよ。一人しか女がいないからダントツもなにも他に較べる女がいないってだけだ。

「だからこうやってお目にかかる日を楽しみにしていました」

 それはさぞガッカリしただろうな。千草は見ての通りの正真正銘のブサイクだ。これも誤解がないように付け加えておくけど、中学とか高校ぐらいで美少女だった時期さえ存在しない。子どもの時からブサイクで、ブサイクのまま成長して歳をとって今に至るだ。

「そんなことは・・・」

 イイよ、取って付けたような慰めはいらない。どれだけブサイクかは千草の人生に刻み込まれてる。なにしろ付き合ったどころか、恋人関係になれた男さえいないからね。

「もしやコータローとは」

 それはさすがにない。こんなブサイクでも経験済みだ。いくつだと思ってやがる。もっともだけど、悪ふざけで口説かれて騙されて、ヴァージンをぶち抜かれて笑い者にされただけだけどね。だからコータローとは初めてじゃなく二回目だ。そろそろ上がろう、腹減った。