ツーリング日和19(第24話)加西ツーリング

 加西の道は他所から来た人には手強いんだよ。この辺は加西がとくにって訳じゃないけど、なんとなく苦手なんだよな。

「ちゃんと整備されてるところもあるのだけど・・・」

 整備ねぇ。地方都市でよくパターンだけど、旧市街の周りに新市街的なものが広がって、そこは広い道も整備されたりは良くある。バイパス道路沿いに大型のロードサイド店が立ち並ぶ感じかな。

 だけど旧市街の道との連絡が良くないんだよ、地元の人とか行きなれている人は良いのだけど、観光程度で訪れたら迷いやすいんだよね。観光となると旧市街にだいたい見どころはあるからね。

「三田に近いとか」

 三田も厄介なところがあるけど、それでも国道一七六号が南北に貫いているからまだわかりやすい気がする。さてだけど、

「中国道沿いの道を引き返して古坂って交差点を左折するのか」

 その道は北東に走るのだけど中国道を越えて、その次に別所町の交差点を右折し、さらに和泉って交差点で左折すれば着くとはなってるけど、

「なんか難しそうね」

 はっきり言うと迷わずに着く自信がない。

「迷うのもツーリングじゃない。人生だってそうじゃない」

 人生まで持ち出すのは大層だけど、市街地で迷うと引き返すのも厄介になるのが面倒なんだよな。

「滝野まで引き返してラーメンにするのもあるわよ」

 その手もあるけど、そうなると時刻が問題になってくる。人気店にお昼時なんかに行ったら大行列が待ってるだけじゃないか。迷子になったら結果的に同じになるけど、エエいままよ、迷子になったらゴメン。

「イイよ、イイよ、責任を取ってくれたら」

 どんな責任を取れって言うつもりなんだ。責任問題はともかく最初難関は古坂って交差点だ。道も混んできてるな。こういう時は信号が赤で停まれたらラッキーだけど・・・

「交差点の他の目印は?」

 ナビ上ではドッグサロンとか居酒屋があるとなってる。県道なら三六九号だよ。それほど遠くないはずだけど、

「あったあった、県道三六九号って出てる」

 次の信号ぐらいのはずだけど、古坂ってあるからここを左折だ。

「第一関門突破だ」

 中国道を潜って、万願寺川を渡って、

「池の中を通る道ってこれじゃない」

 みたいだな。だとするともうすぐ県道一四五号と出会う別所町の交差点になるはずだけど、

「右に行けば加東、播磨中央公園って道路案内が出てきたから次の信号ぐらいじゃない」

 道の両側に家が並んで見通しが悪いけど・・・あの信号か。別所町ってなってるから右だ。

「やったぁ、第二関門もクリアだ」

 次は最後の難関の和泉って交差点だ。特徴として右折はするのだけど、かなり急角度で曲がる感じでV字型に近いかな。

「あそこだ。ほら店の看板が出てる」

 ここを右に曲がって、

「あそこが駐車場だ」

 神社の前の駐車場にも見えるけど店はどこだ。えっと、えっと、たしか鳥居の傍にあったはずだけど、

「あそこじゃない」

 なるほどここは第二駐車場で店はこの神社の一の鳥居近くにあって道の向こうか。田んぼの中の道だけどバイクなら行けるから、

「ここなんだ」

 あははは、おばちゃんのでっかい顔の看板がインパクトあるな。それとさすがの行列店だ。もうこれだけ並んでるんだもの。待つことしばしで入店。まだ肌寒い季節だから釜玉うどんと、

「とり天とエビ天のコンビも食べようよ」

 来た来た。讃岐うどんで良いと思うけど、

「美味しい♪」

 こりゃ美味いわ。行列があれだけ出来るのも納得だ。食べ終わったら来て道を少し引き返し、

「あそこだね」

 来るときに確認しておいたのだけど県道二十四号を南下する。県道二十四号は県道七一六号に続きフラワーセンターだ。チサさんと一緒なのに五百羅漢とうどん屋じゃ愛想が無さすぎるじゃないか。チサさんならこういうところに来ないと。

 チサさんは歩く姿も優美なんだよな。昔の歌にあった地上に降りた最後の天使が実在するのならチサさんしかいないとしか思えないぐらい。花とチサさんはピッタリ合うけど花よりチサさんのほうがずっと綺麗だ。

「コウキは発作みたいにお世辞量産機になるね」

 お世辞じゃなくて本音だって。この世に存在するだけで奇跡のようなチサさんと一緒にツーリングをして、夜の会食までさせてもらうなんて夢なんてレベルじゃないもの。この瞬間に天に召されたって、

「勝手に天に召されないでよね。まだチサの飢えた体を満たしてないんだから」

 さすがに今すぐはないけど時限爆弾を抱えてる体なんだよな。

「そうだそうだ、癌って言われてショックだったよね」

 そうでもなかったかな。というのも救急外来に飛び込まざるを得ないほどの腹痛だったじゃない。その前から便通が下剤を使ってもなかったから、原因として腸閉塞を考えざるを得なかったんだ。

 腸重積や腸捻転も可能性としてあるけど、痛みの感じが違うから消去法で大腸癌による腸閉塞の可能性はあると考えてはいたかな。もっともそうであって欲しくない思いもあったけど、そうだと言われてやっぱりって思ったぐらい。というかさ、とにかくお腹が痛かったからなんとかしてくれが先だったもの。

 それと原発巣がS状結腸って聞いてちょっとホッとしたかな。だってさ、直腸なら人工肛門を覚悟しないといけないじゃないか。とりあえず切り取って繋げば一段落は付いてくれるって感じかな。

「お医者さんってそうなの? チサならショックで眠れなくなりそうだけど」

 手術まではそんな感じだったかもしれない。でもね、ケモに入ってからと言うより、時間が経てば経つほどタダの患者になっていったよ。医者でなくてもあれこれ調べるじゃない。そしたら段々と鬱な気分になって行ったぐらいだ。

 ボクだって医者だからたくさんの患者を診てきたし、患者の心理をわかっているつもりではいたんだよな。でもあれは実際に患者にならないと絶対に最後のところは理解できないと痛感した。

「そんなものなんだ」

 手術なんかも含めて同意書って取るじゃない。そのための説明を医者はするのだけど、あんなもの患者が完全に理解するのは無理だと思ったもの。これでも医者だからそれなりに理解は出来たけど・・・つうか相手が医者だからって説明に手を抜きすぎだぞ。

 手を抜きすぎだは担当医に失礼だな。おおよその治療手順は知ってたし、そこで起こるトラブルの可能性も見てきた。たとえば手術だって実際に切り始めたら思わぬ事が起こったり、麻酔だってそうだ。

 あんなものは起こる時は確率で起こるものだし、起こしたのは担当医の責任じゃない。誰が故意に起こそうとするものか。ましてや患者は同業者だぞ。同業者だからって贔屓はしないのだけど、同業者には余計な気を使うものなんだよ。

 あの状態で手術しない選択は無かったし、手術をすれば一定確率でトラブルは避けられない。手術で死ななければ、術後にトラブル被害を甘受するしかないのが医療だ。そのトラブルの長い説明を聞くのが面倒だからパスさせてもらっただけ。

 とはいえ基本は完全にお任せだった。だってボクの持っている大腸癌の知識なんて古すぎて役に立たないじゃないか。せいぜい質問したと言うか、興味を持ったのは昔と変わってる点ぐらいだった。

「コウキでそうだったんだ」

 なんでもそうだけど、物事を理解するには、その物事への基礎知識が必要だろ。医療ってなんとなく知ってるつもりの人が多いけど、癌治療なんてその最先端の技術が駆使されるから素人が聞いてその全貌なんてわかるはずがないもの。

「だからお医者様に丸投げが正解だとか」

 エラいとこを聞くな。そういうやり方はパターナリズムと言って良くないとされてるんだ。患者もその病気の知識を十分に持って、自分で判断するようにすべきだが今の医療になる。だけどさぁ、完全に理解するために医学部に通うって訳にはいかないだろ。

「それ以前に医学部なんて入れないよ」

 そこのギャップはずっと問題にはされてるけど、実際に患者になって見て溝がどれだけあるか改めてわかったぐらいだ。これはボクが患者の立場を経験したぐらいで対策や解決法がすぐで出せる問題でもないよ。

「コウキは治るって。再発なんかするものか」

 そう信じてるよ。いかん、いかん、せっかくフラワーセンターに来てるのになんて話題をしてるんだよ。こんな話がおもしろい訳ないじゃないか。チサさんはロマンティストなんだ。花とまつわるもっとオシャレで上品な話題にしないと。そうなだチサさんを花にたとえると、

「桜じゃないね。あれは満開からパッと散っちゃうじゃない。そうだな紫陽花なんかどうかな」

 それって心変わり、

「花言葉はね。そうじゃなくて、紫陽花って散らずに色褪せてしまうのよ。あは、心変わりの末に化石みたいに枯れ果てるなんてチサにピッタリでしょ」

 そんなことがあるものか。チサさんは地上に降りた最後の天使だぞ。

「もしチサが天使だとしても堕天使よ。コウキがいくら言葉を飾ってくれても昔のチサじゃないのは自分が一番よくわかってるもの」

 そんなことがあるものか。

「だったらバツイチのオバサン相手に頑張ってよ」

 それはない。帰ろうか。

「どうして最後は逃げるのよ」

 あのな、まともに受け止めてどうするんだよ。