恋せし乙女の物語(第36話)花屋敷さん

 お盆も過ぎてやっと猛暑も終わってくれそう。いやぁ、今年の夏も暑かった。若い時はこの夏の暑さがテンションを上げたりしたけど、この歳になると窓越しに見ていてもテンシュン下がるよ。

 それでも帰りの夜道に秋を少しでも感じれるようになってきて嬉しいな。というか、帰り道は夜になってるのに今さらながら気づいた感じ。まあブラックまで行かないはずだけど残業もそれなりにある会社だから、六月でも夜道はあるけど、だいたい定刻に帰っても夜なんだと思ったぐらい。


 今日は九月最後の週末の金曜日。給料日の後だから飲み会があったりも多いのだけど、既婚者組はお盆休みの家族サービスで財布が寂しいとかで無し。若手組に誘われたけど、なんとなく気乗りがせず家にいた。

 一人暮らしの週末は案外忙しいんだよ。平日はどうしたって家事が疎かになる。とりあえず洗濯物が溜まるから洗濯機を回してる。風呂だって洗っておかないとカビが生えて来るし、部屋だって週に一度ぐらいはせめて掃除しておきたい。

 アラサーでも嫁入り前の女の部屋だし、なにかの流れで男が突然訪ねてきたり、転がり込んで来ることだってあるかもしれない。恋愛小説の読み過ぎだとか、ドラマの見過ぎって言われるかもしれないけど、備えあれば憂いなしだ。とにかく溜まっていた家事と格闘していたら、

『ピンポン』

 今日は宅配の予定はなかったはず。モニターで確認するとあれは縦ロールの女。どうして花屋敷さんがうちに。ドアを開けると。

「お邪魔するね」

 上がりこまれてしまった。もっとも拒否するほどの理由もないけど、なんの用だ。

「今日はすべて話すから、これを聞いて判断して欲しい」

 なんだ、なんだ。何を話すって言うの。たったこれだけの前置きで、話はいきなり高校時代に。

「すぐに終わると思ってたのよ。そりゃ、塩対応で有名な風吹さんだったからね」

 もうちょっと説明を加えろ。これは結城君の明日菜への接近の話だな。それにそこまで塩対応じゃなかったはずだぞ。

「でも終わらなかった。終わらないどころか延々と続いたので焦ったのよ」

 そうなった。そりゃ、あれだけ熱心に来られたら無碍に出来ないじゃない。

「あれはわたしはもちろんだけど、学校中が驚いたはずよ。明文館随一の美少女がまさかってね」

 あのぉ、結城君も言ってたけど、なんだよその明文館随一の美少女って。それを言うなら花屋敷さんだろうが、

「風吹さんの欠点はオクテのネンネ過ぎたこと。わたしの事を美人だと言う人もいたけど、風吹さんはそうだね、穢れを知らぬ美少女だからね」

 高校の頃はオクテのネンネだったのは否定しないけど、そんなに人気があったとは信じられないよ。

「そのネンネの風吹さんが結城君に口説き落とされそうになって、わたしも覚悟を決めた」

 そんな関係じゃ、

「そんな関係になっていた。そうだね、後三か月もすれば付き合ってたはず」

 言われてみれば確実に好意は芽生えてたかも。

「だからあなたから奪うことにした」

 そうだったんだ。たしかに喪失感はあったけど、失恋って感じはなかったかな。

「そう言うところが風吹さんらしいかも。わたしは和也の心をわたしのものにするためになんでもやったわ」

 それは聞いた。それで上手く行ったから良かったじゃない。あの病魔さえなければ、今ごろは結城君の奥さんだったはず。

「あの話だけど、ウソを吐いてた。和也と別れたのはガンがわかる前だった」

 えっ、えっ、どういうこと。

「和也をキープ君なんて思ったことは一度もないけど、お見合いをすることになってね、男関係も整理する必要に迫られたってこと」

 お見合い? ちゃんとした彼氏もいて、まだ学生じゃない。それにだよ、家が家だから浮世の義理ってのでさせられるにしろ、結城君と別れる必要なんてないじゃない。お見合いだけして断れば済む話のはず。

「お見合いと言っても形だけでね、事実上の婚約、いや結婚も決まってた。まあ覚悟してたのもあったかな」

 覚悟ってなによ。

「うちの会社の経営が苦しくなっててね、倒産を免れるためには救済融資と業務提携が必要だったのよ。でもさぁ、なかなか交渉が上手くまとまらなかった。そんな時に向こうの社長の息子がわたしに目を付けてくれた」

 ちょっと待った。それは目を付けてくれたじゃなく、目を付けられたでしょうが。

「いえ目を付けてもらえたよ。そうじゃなかったらうちの従業員が路頭に迷うことになってたもの。経営者が守るべきものはいくつもあるけど、従業員の暮らしを守るのは最重要事項になる」

 そりゃ、そうかもしれないけど、

「それが花屋敷家の娘として生まれた使命のようなもの。わたしが向こうの社長の息子と結婚して救われるのなら喜ぶべきことよ」

 ちょっと待ってよ。そんな話は小説やドラマやマンガなら掃いて捨てるほどある。家のために因果を含められての愛のない政略結婚ってやつだろ。花屋敷さんなら悲劇のヒロインに相応しい美貌はあるけど、そんな話が現実にあってたまるか。

「いくらでもあるよ。セレブとか言われる家の娘や息子なら、そういう時の覚悟を教えられて育てられてきてる」

 なんだよそのセレブの世界ってやつ。いつの時代の話なんだよ。そんなぶっ飛んだ常識が本当にあるのかよ。だったら花屋敷さんはその政略結婚をしたの?

「婚約して業務提携と救済融資は受けることが出来て従業員は救われたよ。でもね、ガンになってるのがわかったのよ」

 命の代償として子宮を失ってしまったのは聞いたけど、

「子どもが産めない欠陥品はいらないって婚約は破棄された」

 うぐぐぐ、そりゃ子どもは産めなくなってるけど、

「向こうの家も跡継ぎ息子が絶対みたいなものだから、そうなって当然よ」

 なにが当然だ。女は子どもを産む機械じゃないぞ。でもだよ、それならまた結城君とやり直せるじゃない。

「付き合っているとわかるのよ。わたしがいくら頑張っても和也の本当の心は風吹さんにあるってね。悔しかったよ。わたしではダメなのかって」

 そう言われても、

「それとね、わたしは和也の運命を歪めてるんだよ。わたしがいなければ、和也は風吹さんと付き合っていたはずじゃない。それを奪えたのは恋かもしれないけど、そこまでしてるのに和也を捨ててるのよ」

 そうとは言えない事もないけど、

「それだけじゃない。和也と付き合えなかった風吹さんはロリコン男の餌食にされている」

 人生の黒歴史だった。でも、でも、すべては結果論。

「そう結果論。その結果としてガンとなり子宮を失った」

 それは強引に因果関係を結び付け過ぎ。花屋敷さんだって、突然の政略結婚話が出て来るなんて考えもしなかったはずだし、ましてやガンになり子宮を失うなんて予想もしてなかったはずじゃない。

「ありがと、そう言ってくれると少しは救われるかな」

 そんなに自分を責めるものじゃないよ。これは結城君次第になるけど、子どもが出来なくたって結婚は出来る。どうしても子どもが欲しかったら養子を迎え入れるのだってあるじゃない。結城君なら真剣に考えてくれはずよ。

「和也はね、子どもを欲しがっていた。それだけでもわたしに資格はない事になる」

 状況が変われば話は変わるかもしれないじゃない。あれっ、花屋敷さんの目に涙が、

「風吹さん。和也に話してしまったのね。だからわたしのところに来たし、風吹さんの予想通りの話をしてるよ」

 だったら、だったら、

「ガンって怖いね。実はね、最初に見つかった時もかなり進行していたのよ。だから子宮全摘になったのだけど・・・」

 さ、さ、再発だって! 冗談でしょう。

「髪はウィッグよ。ここまで頑張ったけどもう限界。医者から三か月宣言を喰らった」

 だから・・・

「女はね、化けるのよ。でもね、日の光にはとっくに耐えられなくなってる。夜だってもう限界かな。風吹さんならわかるはず」

 そ、それは・・・

「あの合コンはわたしの最後のワガママ。一目でだけでも逢いたかった」

 そりゃ、逢いたいよ。でも明日菜をわざわざ呼び寄せたのは、

「和也を風吹さんに託したかったの。同じ男を愛した同志としてね。でもどうするかはあなた次第だよ。ああサッパリした。そうそう和也は再来週末にアメリカに立つからね」