恋せし乙女の物語(第37話)エピローグ

 遺言にも等しい花屋敷さんの話だった。そして四か月を過ぎようとしてるけど今日は告別式。それも生憎の雨。いや生憎じゃない。花屋敷さんの短すぎた人生を悲しむ雨だ。祭壇に飾られた花屋敷さんの笑顔を見るのが辛すぎる。絢美も、涼花も来てるけど、

「結城君は来てないね」

 アメリカだもの。それに誰が結城君に花屋敷さんの死を伝えるかもある。ヒョットしたら明日菜に期待されていたかもしれないけど、どうしても伝える気にならなかった。後で恨まれるかもね。

 読経が終わり、焼香をして、最後のお別れに棺に花を添えて霊柩車は出て行った。親族じゃないから、これを見送れば告別式はおしまい。後は焼かれて骨になるんだよね。絢美と涼音と一緒に帰ったのだけどお茶にした。

 ここで本来なら花屋敷さんの事を偲ぶべきなんだけど、絢美も涼花だって花屋敷さんで一番知っている話は結城君とのこと。やっぱり聞きたいよね。

「明日菜、どうして」

 結城君は追わなかった。花屋敷さんの弱っているところに付け込んで奪いに行く気にならなかったのもあるけど、結城君の心は花屋敷さんにあるはずなんだ。ああいう経過で花屋敷さんの彼氏になったから、付き合い始めた時に明日菜の影はあったかもしれない。

 でもね結城君は花屋敷さんの愛に応えてる。あれだけの愛に染められない男なんかいるものか。それでも花屋敷さんの目に明日菜の影が見えたと言うのなら、それは幻影だよ。そう幻影に怯えていただけ。

 それも違うと思う。明日菜の幻影があったとしても、遅くとも大学に入って結ばれる頃には消えていたはず。あの合コンの時だって結城君は明日菜とわかっていても連絡先の交換さえしなかったもの。

「結城君に最後に逢った時は本当はどうだったのよ」

 結城君に最後に会った夜は本当にヤバかった。ああいうのを焼けボックイに火が着いたと言うんだろ。あのまま流れに委ねていたら告白どころかプロポーズをされたって不思議無かった。

「なのにどうして」
「そうよ、素直になれば良かったのに」

 明日菜には見えたのよ。花屋敷さんの影がね。花屋敷さんの献身を知っているのに泥棒猫みたいなものが出来るものか。

「そういうけど」
「恋ってそういうものじゃない」

 高校の時の花屋敷さんがそうだったかもね。だけどね、明日菜の話を聞いた結城君の反応はホンモノだった。やっぱりって思ったもの。

「明日菜、試したの?」

 あの夜は本当に悩んだんだ。結城君は本気で明日菜をアメリカに連れて行こうとしてた。それぐらいはわかるよ。もし花屋敷さんの話をしなかったらそうなっていたと思う。花屋敷さんの話だって、もっと前に話す機会はあったんだよ。

 あの夜まで話さなかったのは、明日菜の心も揺れ動いていたってこと。あれこそ運命の岐路だったかもしれない。明日菜が黙っていたら結城君と結ばれてた。でもさぁ、そこまでして結城君を取るのは無理がある気がしたんだ。相手に隠し事をしながらの愛なんて偽りじゃない。

 だから腹を決めて試してみた。あそこで花屋敷さんの悲劇を聞いても明日菜を選んでくれいたら受けていたと思う。そんな期待も心のどこかにあったのは否定しないよ。でも結城君が選んだのは花屋敷さんだ。

「結城君は本当はどう想っていたのかな」

 それこそ本人に聞いてみないとわからない。でもね、話はもっとシンプルで良いはず。結城君にとって明日菜は初恋の人だった。その想いを高校の時に燃え上がらせてくれた。あれは本音で言うと嬉しかったし、あれほど人から想ってもらえるのはもう無いかも知れない。というか、まだ高校生だったからあそこまでピュアだったと思う。

 明日菜に想いは通じてたよ。もし告られてたらOKだった。でも明日菜はまだネンネ過ぎた。言葉にも態度にも出せなかった。いや出てたかもしれないけど、それを結城君が読み取ることが出来なかったのがすべての結果。そんな恋だったんだよ。

 まだ青すぎたし初心な時代だった。結城君だっていつまで経っても想いに応えてくれなかったらあきらめるよ。むしろ、あれだけの期間、明日菜を想い続けてくれただけで感謝だもの。だから結城君が明日菜を捨てたなんて思わない。結城君を捨てたのは明日菜だ。

 合コンの後もシンプルじゃない。結城君の花屋敷さんへの最後の未練は、あの時に一応ピリオドを打ったはずなんだ。そんなタイミングで転がっていたのが明日菜だ。だから焼けボックイに火が着きかけた。

 だけど花屋敷さんが結城君から去って行った本当の理由を知って火も消えたってこと。明日菜への想いは、あくまでも花屋敷さんとの恋が終わったとの前提で咲きかけた徒花に過ぎなかった。

「花屋敷さんの本当の気持ちは?」

 花屋敷さんと最後に会った時にすべて話すとしてたけど、あれでさえすべてじゃない。あの話でさえ花屋敷さんの心の揺れだったはず。すべての発端は花屋敷さんが体に異変を感じた時から始まっているで良いはずだ。

 どこかの時点で病院を受診をしたのだろうけど結果は残酷過ぎた。子宮頚癌であるだけで十分すぎるほどのショックだけど、治療のために子宮全摘まで必要と言われたはず。そんな頃に政略結婚の話が出たと考えてる。

 わかるのはその話に花屋敷さんが乗ったこと。だけどセレブの娘の宿命とか、それによる人身御供的な話は脚色が入っていると思う。花屋敷食品の内情を知ってる訳じゃないけど、おそらく大規模な業務提携的な話だったはずなんだ。

 ここで業務提携先もオーナー企業なら、婚姻による提携の強化は出て来てもおかしくない。それぐらいは明日菜でも知っている。だけど逃れられない話じゃなく、花屋敷さんが拒否できるレベルの話だったはず。

 花屋敷さんは女として欠陥品になってしまうから結城君と別れる理由、と言うか自分を納得させるために見合い話に乗ろうとしたはず。ここもだけど結婚する気はなかったで良いと思う。そりゃ、治療のために子宮を失うからだ。

 花屋敷さんの計算通りに事は進んだと思いたい。結婚話は花屋敷さんのガン治療のために立ち消えになり、結城君とも別れることができた。でもね、結城君をあきらめ切れない想いをどうしようもなくなったたはず。その想いが話を迷走させたはずだ。

 花屋敷さんはたとえ子宮を失っても結城君なら迎え入れてくれると信じてた。そのはずだの想いがドンドン強くなってしまったと思ってる。これは実際でもそうだったし、こんな欠陥品では、結城君の妻として相応しくないと割り切って別れたつもりでも消し切れなかったんだろうな。

「だったら、素直に復縁してれば・・・」

 その気はあったはずなんだ。でもそれを阻んだのは呪わしい病魔だ。病魔は子宮だけでは飽き足らず花屋敷さんの命まで奪おうとした。再発を知った花屋敷さんはそれでも戦った。戦って、戦い抜いた結果があの合コンだ。

 命を諦めた花屋敷さんは最後に一目でも会いたかった。そりゃ、会いたいよ。あの日だって素直に会えば良かったんだよ。なのに小細工を弄しすぎてる。それは結城君を誰かに託そうとしたこと。

「それが明日菜だったのか」

 でもね、結城君に会ってしまえばどうしようもなくなったんだよ。最後まで伏せるつもりだった自分のガンを、結城君に明日菜を通じて伝わるようにしたんだもの。

「女心だけど」
「素直じゃないね」

 自分の命の限りが見えてしまった人の心なんて明日菜にわかるはずがない。わかるのは、とにかく結城君をこれ以上はないほど深く愛しきっていたぐらいだろうな。だからあれで良かったとは思ってる。

「でもさぁ、どうして結城君は花屋敷さんを日本に残してアメリカに行ったのよ」

 結城君ともあれから連絡を取っていないから、あの後に二人の間に何があったかなんてわからないよ。結果から考えると花屋敷さんは最後のウソを結城君に吐いたと思ってる。再発しこそしたものの、もうすぐそれも完治するぐらい。

 まだ治療中だからアメリカに一緒に行けないけど、治り次第追いかけて行くぐらいじゃないかな。

「結城君は医者だよ。無理あるよ」

 そこを言われると辛いのだけど、あの花屋敷さんだから上手く騙したのか、ひょっとすると結城君はすべてをわかった上で騙されたのかもしれない。どうなっていたのかは、二人しかわからないよ。

「じゃあ、どうして最後に明日菜に会いに来たの?」

 最後の最後に心がまた揺らいだぐらいしか言いようがない。いずれ花屋敷さんの死を結城君は知る事になる。知れば悲しむし、どれぐらい落ち込むかわからない程じゃない。強いて言えば、その時に明日菜が結城君の傍にいて欲しかったぐらいかもしれない。

 これだって明日菜が話しながらそう感じただけで、花屋敷さんの本音はわかんないよ。そうする気持ちがある一方で、結城君を誰にも渡したくない気持ちも入り混じっていた気もする。

 花屋敷さんだって最後はどうなって欲しいとか、どうしたいもわからなくなってた気もするのよね。そんなグシャグシャの気持ちを最大の恋敵にされてしまった明日菜と話したかっただけかもね。

「もし明日菜が高校の時に結城君と付き合っていたら今ごろはアメリカだったよね」

 可能性だけはね。でもそうならなかっただろうな。結城君とは学部どころか大学も違うから逢うのも容易じゃなくなる。そりゃ、三年の前期ぐらいまでは十八時二十分まで講義があったもの。あれもキツかったけど、結城君が通っていた医学部はもっとのはずよ。

 それも学年が上がるごとに厳しくなり、トドメは卒業後に医師国家試験まであるものね。結城君も五年や六年はかなり苦労したってこぼしていたぐらいだもの。いや三年や四年ぐらいからウンザリするぐらい勉強させられたって言ってたな。

 それに結城君が医学部五年生になる頃には明日菜は就職だよ。社会人の一年目も大変だったもの。そんな中で交際を続け愛を育んでいくのははっきり言って自信がない。長すぎる春みたいなものは、あの黒歴史で経験させられたけど、高校卒業からでも十年じゃない。それを乗り越えられるなんて安易に言えないもの。

「これからどうするの」

 どうしようかな、とにかく相手を見つけないと。あっと言う間に三十路だものね。

「結城君が迎えに来てくれるんじゃない」

 結城君が愛したのは知っている限りだけど明日菜と花屋敷さん。花屋敷さんがいなくなれば消去法で明日菜が残るって話になるけど、どうだろう。明日菜を迎えに来るかもしれないけど、やっぱり縁がない気がするのよね。

 結城君との関係は近づきはするけど、決して交わらない関係とでも言えば良いのかな。どうにも赤い糸ってやつが繋がっていないとしか思えない。このまま花屋敷さんの思い出を心に抱きながら独身のままもあるかもしれない。

 それも話としては美しい終わり方だけど、現実的には数年後には心の傷を癒し、新たな相手を見つけ結ばれるんじゃないかな。それが明日菜になってるとはどうしても想像できないんだよね。

 そうだね、見つけるならアメリカで知り合う研究者仲間だとか、結城君のお母さんがシビレを切らして見合いを強制的にでもさせるとか。結城君も日本人の方が良いと言ってたから、案外見合いで見つけそうな気がする。

「明日菜ほどの美少女でも結婚できないのに驚くよ」

 これは今でも意外過ぎるのだけど、明日菜って周囲からそう思われていたのにビックリした。結城君がそんな明日菜を好きになり、一方で花屋敷さんは結城君を好きになった。これで明日菜があの時に結城君を好きになっていたら三角関係が出来上がっていたとか。

 いや成立しないか。明日菜が結城君に振り向いていたらそこでカップル成立で話は終わりだ。いかに花屋敷さんでも成立しているカップルから彼氏を奪おうとは思わないはずだものね。だから確認のために明日菜を呼び出しまでしてるもの。

 ただ明日菜はよほど手強い相手と見られていたみたい。花屋敷さんがあそこまでラブラブアピールをしたのは、結城君が好きだったのはもちろんだけど、それ以上に明日菜に再び心が傾かないように、それこそなりふり構わず状態だった気もする。

 でもね、それで良かったんだよ。花屋敷さんの愛は結城君に通じてるし、明日菜じゃ、あそこまで出来なかったと思うもの。たとえ高校の時に付き合っても、大学が違うから、疎遠になりフェードアウトしていたとしか思えない。

 そんな明日菜の美少女ぶりは結城君の心をとらえ、ペドフィル変態野郎を招き寄せてしまったけど、さすがにはトウが立ち過ぎてるよ。二十八にもなって美少女はさすがに無理があり過ぎる。どんなに美しい花だっていつまでも綺麗なわけじゃない。

『年年歳歳花相似たり
歳歳年年人同じからず』

 女は花に例えられるけど、やはり人だよ。歳を重ねるごとに旬の時代は過ぎていく。そうなることはわかっていても、自分だけはそうならないと思うのも人かな。だってこの詩はこう続くんだもの。

『言を寄す全盛の紅顔の子
応に憐れむべし 半死の白頭翁』

 もう明日菜も全盛の紅顔の子ではない。だけど白頭翁ならぬ白髪婆までには時間が残されているはず。とは言うものの、この十年間なんだったんだろうか。あれこれあり過ぎたよ。そして掌に残ったのは彼氏さえいない未婚のアラサー独身女。

『女が一番激しく愛するのは、往々にして初恋の人であるが、彼女が一番上手く愛するのは、常に最後の恋人である』

 これはアントワーヌ・フランソワ・プレヴォの言葉だけど、明日菜にとっての初恋の恋人は悔しすぎる黒歴史のペドフィル変態野郎になってしまう。これまた無念だけどあれほど激しく愛する事はもう出来ないかもしれない。

 だけど一番上手く愛せるはずの最後の恋人はまだ現れていないはず。つうかあの変態野郎の次の恋人さえ現れていない。たくどこまで祟りやがるんだ。どうにも明日菜の運命の糸車は変態野郎に寄り道させられたお蔭でもつれまくっているとしか思えない。

 まあそれも運命か。なんだかんだと恋人に近いところまで二度も近づいた結城君はアメリカに行っちゃったもの。なんかもう二度と会えない気がする。たとえ会えても、その時には奥さんが隣にいるはずだ。

 そうなると結城君以外に最後の恋人が明日菜を待ってるはず。そうとでも思わないとやってられないよ。過ぎてしまった時間は取り戻せないけど、まだ恋に恋する時間は残ってるはず。今日はもう家に帰ろう。