ツーリング日和18(第18話)大三島の夜

 旅館の中はきちんと掃除と整備が行き届いていて悪くない。部屋はすべて二階にあるみたいだけどこれは立派な客室だ。本格的な和室なんだけどとにかく広いのよ。だってだって、十二畳プラス六畳って三人には広すぎる。荷物を片付けて一服したら、

「風呂行くで」

 館内にもお風呂はあるみたいだけど、

「どうせやんか」
「温泉じゃなけど外湯も楽しいよ」

 連れていかれたのバイクで三分程のところ。へぇ、海水風呂なのか。それも海水と言っても目の前の海から汲んだものじゃなく沖合四百メートルわざわざ汲んで来たものらしい。ここには大浴場のほかにマッサージバスだとか、ジェットバス仕立ての露天風呂なんかもあるけど、

「展望風呂しかないやろ」

 瀬戸内海の海を見ながらノンビリ疲れを癒すのは最高だ。海水風呂ってミネラル豊富で体にも良いって書いてあるからなんか効いてる感じがする。癒しの時間を存分に楽しんだら旅館に戻った。

 この旅館は部屋だけ見ると高級旅館に見えるけど、サイクリストのための設備もあるし、宿泊だって素泊まりプランがあるぐらいで、素泊まり客のために近所のコンビニの案内まであるんだよね。

「参拝者のための宿でもあるからやろ」

 メインは大山祇神社の参拝客だから、色んなタイプの宿泊客に対応してるのか。

「だと思うよ。こんなところで高級旅館でゴザイで商売は成立しないんじゃないかなぁ」

 かもね。そうこうしているうちに夕食だ。素泊まりプランじゃなかったみたい・・・てなレベルじゃないな。だってだよ出て来たのは船盛だし、そこに伊勢海老がドカンじゃないの。

「とりあえずコトリがあこう、ユッキーがおこぜ、アリスは来島鯛にしといたからな」

 伊勢海老もぷりぷりだけど来島鯛も最高だ。あこうやおこぜも食べさせてもらったけど、

「昨日は山の幸やったから」
「今日は海の幸よ」

 他にもタコの唐揚げとか、メバルの煮つけとか、サザエの炮烙焼きとか。ご飯は鯛めしなのか。これこそザ海の幸のオンパレードだ。

「山丹正宗って今治の酒なんか」
「美味しそうじゃない。一升瓶で持ってきて」

 出たぁ、毎度の定番だ。でも日本酒との相性もばっちりだ。話は昨日の続きになっていったんだけど、

「ユッキー、これで終わりって不自然やと思わへんか」
「そうよね、おまじないもしてるのにね」

 なんだおまじないって、

「おまじないとは呪の事じゃない」

 なんだそれ、もしかして陰陽師が使うやつとか。

「あれの民間語ぐらいかな。逆に思いっきり引き上げられたのが真言で良いと思う」

 ノウマク・サンマンダ・バザラダンってやつか、

「それは不動明王真言ね。正式にはその後にセンダマカロシャダ・ソワタヤ・ウン・タラタ・カン・マンって続くのよ」

 なんでそこまで知ってるんだよ。それはともかく、そんなことを聞いてるんじゃないけど、

「あれはメカニズム不明の実績だけのもんやからな」
「まあ、そうなんだけど例外はなかったはずなのよね」

 どうもアリスにかけられたのは幸せな結婚をするおまじないみたいだけど、

「相手がちゃうとか」
「その可能性は残るけど、あれ以上の男が出て来るのかなぁ」
「それはコトリもそう思う」

 健一は良い男だ。アリスをあれだけ喜ばせてくれたし、アリスのゴミ屋敷だけでなく汚部屋の女王からも解放してくれた。

「解放じゃなくてモノグサだっただけでしょうが」
「あそこまでは普通はならんで」

 ぎゃふん。それはそうなんだけど、そんなアリスに渾身の愛を注いでくれたもの。

「ああそうやった。ポートピアホテルの時なんか、あのままやったらホテルが崩壊しとったで」

 あのね、健一の強さは人間離れしてるけど、そこまで出来るわけないじゃない。もっとも越後屋社長の命が危なかったぐらいは認めるけどね。まあ超人ハルクぐらいは強いかも、

「それいつの時代のテレビやねん」
「歳が疑われちゃうよ」

 他人の事を言えるか! あの挨拶の後に健一にはあそこまで言い切ったけど、はっきり言わなくても未練はある。あれだけの男が二度とアリスの前に現れるとは思えないものね。

「それはそうや。あれ程の強さとなると」
「アンドレ・ザ・ジャイアントぐらいになるよね」

 誰なんだよそいつ。なになに史上最強のプロレスラーとも言われていて、身長が二二三センチ、体重が二三六キロって化け物じゃないの。健一はそこまでの化け物じゃないぞ、

「そやな徳永君はお酒に弱いものな」

 あのね、あんたらに比べたら誰だって弱いわ。

「アンドレなら車で八〇〇キロ移動する間に缶ビールを一一八本飲み、到着後さらに一九リットルのワインを飲み干したとされてるものね」
「へぇ、アンドレもけっこう行ける口やったんや」
「生きてる間に一緒に飲んだら楽しかったかも」

 化け物の競演の話はやめてくれ。健一はあの体格だから食べるよ。だけどね、食べる食べると言っても多い目の人並ぐらいなんだ。それよりなにより紳士なんだよ。あれこそ本当のジェントルマンだ。

「わかった、わかった」
「だったらなおさらじゃない」

 今だって健一とだけならなんの問題もない。アリスが夢見てたバージンロードの先で迎えてくれるのは健一以外にあり得ないと思ってるもの。あんなイイ男が他にいるものか。そんな男からプロポーズを受けたんだぞ。大喜びで嫁入りしたいに決まってるじゃないの。

 その気持ちは今だって変わっていない、アリスに健一は過ぎたどころか、過ぎ過ぎた男だ。だけどね、健一の恋人になるのと嫁入りするのがどれだけ違うかを思い知らされた。結婚ってね、愛だけじゃ出来ないの。

 またムカムカしてきた。年齢の事も、職業の事もまだ許せる。若返りするのは無理だし、シナリオライターはアリスの天職だし、他人になんと言われようとプライドを持って仕事してるからね。

 でもだよ、親父ことは絶対に許さない。片親がなんだって言うんだよ、母親に逃げられたのが烙印とでも言う気か。そりゃ、他人に自慢できる話じゃないけど、親父がどれだけ苦労を重ねてアリスを育て上げたと思ってるんだよ。

 ファザコンじゃないけど親父の事は今では尊敬してるんだ。今のアリスがあるのは親父があってこそじゃない。そりゃ、親孝行に励むほど殊勝じゃないけど、親父のささやかな願いぐらい叶えてあげたいじゃないか。

 親父はね、口には一度も出したこと無いけど、アリスの花嫁姿を見たいはずなんだ。それだけって笑いたいなら笑えば良いし、平凡とか、ありきたり過ぎるとバカにするのも勝手だ。だけどね、アリスが花嫁姿を見せるのは親父にとって大事すぎることなんだよ。

 アリスの花嫁姿は親父の人生の集大成みたいなもののはず。アリスが無事嫁入りして親父の子育ては完結するんだよ。それぐらい親父がアリスを育てるのに心血を注ぎ、苦労に苦労を重ねていたのは今のアリスにはわかる。

 それをだよ、会いもしていないのに片親って言うだけであそこまで言われたんだよ。アリスに健一ぐらいの力があれば家ごと粉々にしてやったのに。あんな人間のクズみたいな連中を義理であってもお父さんとか、お母さんなんて死んでも呼べるもんか。

「アリス、ちょっと落ち着きいな」
「気持ちはわかるけどね」

 これが落ち着けるか! 酒持って来い、それも一升瓶で持って来い。生きて来てあんなに悔しい思いをしたのは初めてだ。あんなクズどもに親父の何がわかるって言うんだよ。