ツーリング日和18(第15話)憧れの大先生

 腹ごしらえもすんで今度こそしまなみ海道と言いたいところだけど、こんなところからどうやって行くのだろう。

「次の信号でターンして西に行くで」

 この道は国道一八四号ってなってるけど、

「これで尾道までだいだい行けるんや」

 時間は、

「二時間もあったら余裕のはずや」

 簡単そうに言うけど結構あるな。でも走らないと到着しないのがツーリングだ。三次からも当然だけど山間の道を延々と。それでも三次までと違って西じゃなくて南に下ってる分だけテンションが上がるかも。それなりに快適なカントリーロードだけど、

「人生、苦あれば楽ありよ」
「ここでぐっと溜めとくほどカタルシスが大きいで」

 耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、そのたどり着いた先にある一瞬のカタルシスに酔うのが、

「マゾよ♪」

 ギャフン。アリスはマゾでもサドでもない完全なるノーマルだ。仕事が仕事だからマゾ女がテーマのエロビデオのシナリオもけっこう書いたけど、あれって最後のところがよくわかんないんだよね。わかんなくても、あの手の話は類型化されてるし、適当にデッチあげても文句はほとんど言われたことはないのだけど、

「だったら北白川先生に聞いてみたら?」

 聞いていたのを知っていたのか。

「なんか凄い話やったそうやな」
「エロ小説の大先生の話は参考になったの」

 北白川先生は長年の大ファンでずっと憧れていた大先生なんだ。でもね北白川先生はエロ小説を書いてるじゃない。しかも女性だから匿名だし、経歴も素性もすべて伏せられている覆面作家なんだよ。だから直接会って話を聞けるなんて普通ではあり得ないことなんだ。

 それがヒョンなことでお隣さんになったじゃない。もう恐るおそるなんてものじゃなかったけどお話を聞かせて欲しいと頼んでみたんだ。申し込んだ時はドキドキなんてものじゃなかったし、絶対に断られると思ってたんだけどあっさり了承してくれた。

 部屋のリビングに上がらせて頂いたのだけど緊張でガチガチだった。でもね、あれだけの大先生なのに、気さくと言うか、ざっくばらんで親しみやすそうな人でホッとした。もっと怖い先生だと思ってたからね。

 無難な話から入ったのだけど、北白川先生が書かれている作品のジャンルがジャンルじゃない。アリスが長年の疑問に思っていたマゾ女の謎を聞いてみたんだ。ホントに女はああなるのかって。

 北白川先生はアリスの質問を聞いて少し考えておられた。そこからおもむろに幾つも質問をされたんだ。そこまで聞くかと思うような内容だったけど、憧れの北白川先生の質問だから包み隠さず答えたよ。

『それなら理解できるはず』

 とにかくエロ小説の大先生だから話がひたすらモロなのだけど、男とやる目的は女もイクためとまずした。男の場合はどんな相手でもイクに達するそうだけど女はそうじゃない。アリスもそうだった。

『賢者タイムを知ってるよね』

 男に賢者タイムがあるのはアリスも知っている、健一でさえあるからね。賢者タイムとは男がイクへの熱狂が終わった直後に訪れる。イクに達した時に男だって極度の興奮状態なのだけど、イった直後から急激に興奮が醒めるんだよ。

 あれって経験するとわかるのだけど、短時間でウソのように男は醒めちゃうんだ。それこそ隣に裸の女が寝てるのに興味さえ失ったしまった感じになっちゃうもの。男の態度によっては、まるで排泄が終わった後の便器ぐらいに見られてるのじゃないかと思うぐらいなんだ。

『あれは女にもあるよ』

 ある、確かにある。でも男とはかなり違う。男の醒め方はまさに急転直下の急速冷凍みたいな感じだけど、女はイクという頂点を極めてから緩やかに興奮が醒めていくとして良いと思う。あのユックリと醒めていく時間を余韻として楽しんでいるのが女の賢者タイムだ。

『セルフと男とやる時は違うでしょ』

 違う、明らかに違う、セルフは自分が満足するまでやる。モロで言えば自力で昇り詰めてイクまでやる。一方で男とやる時の女はすべて受け身だから男からの刺激を受けるしかない。セルフとの最大の違いは刺激がすべて他人任せの点だ。

 ここなんだけど男も自分がイクためにやってるじゃない。つうかそれしか頭にない男の方が多い気がする。男だって女をイカせたいぐらいあるとは思うけど、初心者ほど女をイカせるのはオマケと言うか、タマタマみたいに扱われてしまう。

 女だって男からの刺激で昇ろうとするのだけど、男は女の都合に関係なくイクんだよね。男はイケば急速冷凍の男の賢者タイムに入っちゃうから、男がイッた時点で女がどんなに昇り詰めていようともそこで終わりになっちゃうんだ。ぶっちゃけイケないってこと。

『誰でも通る道ね。でもさぁ、逆も経験したでしょ』

 健一で経験した。あれは驚きの経験だった。まずだけど、男にイカされただけでも仰天ものなのよ。まさか自分がそうなってしまったのが信じられなかったもの。さすがに恥しかったから堪えようとしたけど、最後はどうしようもなくなってイッたもの。

 セルフならイケば女の賢者タイムに入って余韻を楽しむ時間になるのだけど、刺激を与えるのは男だ。男がイカない限り刺激は休みなく続くんだよ。あれってどう言えば良いのだろう。体は興奮の頂点から下ろうとしているのに、それを強引にさらなる興奮に持っていかれる感じぐらいの気がする。

 あそこからの刺激はまさに異次元だった。あれはたまらないと言うか、やめてくれと言うか、こんなもの耐えられないぐらいになってしまうかな。それもさぁ、スタートがイクの頂点に近いところから始まっているようなものじゃない。

 あんなものどうしろって言うのよ。あの時に悶える、そんなレベルじゃないな、悶絶するとはこの事かと思ったもの。ひたすら『もう許して』が頭に渦巻いたし、声に出して叫んでた。そうでもしないと発狂しそうだった。男から見たら半狂乱状態に見えたと思う。

『そうなっても女はイクのだよ』

 そうなった。それこそトコトン悶えまくった後に最初より強烈なイクが来た。

『その原理がマゾ小説だよ』

 えっと、えっと、

『そういう刺激はありきたりの感覚としてあり得ないものであり、受けられるものではない。だからセルフではそこが限界になる。自分では越えられない壁みたいなもの。だけど自分じゃなくて他人ならそれを無理やり超えさせることが出来る』

 たしかに。あんなものは強制でもされない限り無理だ。

『強制であれば、耐え難い刺激であっても耐えるしかないし、忍び難い刺激であっても、忍ぶ以外に出来る事はなくなる』

 そうやって刺激を受け続けた果て悶えまくった末に訪れるのが、

『そう夢のようなカタルシス。このカタルシスの味を刻み込まれたのがマゾ女』

 そういうことか。マゾ小説の定番の奴隷調教も、

『その通り。このカタルシスを体に覚えさせられ、溺れ込む過程の描写だよ』

 理屈はわかったけど現実にあるものなのか。

『少ないだろうね。女の体がそんな単純なものじゃないのは良く知ってるでしょ』

 そうなんだよな。女だってアレは好きだ。大好きとしても良い。少なくとも男と同じぐらい好きとして良いと思う。だけどね、男以上に相手を選ぶところはあるもの。好きな男、愛する男としかやりたくないんだよ。

 男みたいに女であれば見境無しはない。愛し愛された相手のみにしか花開かないのが女のエッチだ。だから好きでもない男にイクどころか感じる事さえあるものか。それが女なんだよ。マゾ女がゼロとまで言わないけど、女の中の例外、それこそ変態だ。

 長年の謎であったマゾ女の解説を北白川先生からして頂いて気分スッキリだったのだけど北白川先生は何か考えておられる様子だった。

『そんな女が多いとは思うけど、女の本当の本性はやっぱり男と変わらないかもしれない』

 女は男みたいに誰が相手でも感じてイケる生き物じゃない。男の究極の夢ってされるハーレムだって、あれは男一人に女がゴッソリいる世界だよ。あれの逆なんて見たことも聞いた事もない。

『少ないが無いこともない』

 だからと言ってハーレムの主になろうなんて思わないよ。でも話はトンデモないことになっていった。