ツーリング日和7(第5話)コウ

 ユリにも恋人がいる。お母ちゃんとの話に出て来たコウだよ。コウはね、そりゃもうの美男子なんだよ。髪は銀色に染めてる。もちろん若白髪じゃないよ。顔は絵に描いたように端正。でもね、男性アイドルの甘いマスクと言うより、クールでキリッとした感じかな。

 背も高い。これもユリ的にはポイントが高い。そりゃ、女は背の高い男が好きだけど、ユリの場合は自分の背が高いと言うのがある。ヤリチン種馬親父の遺伝だ。そんなユリでも釣り合いが取れるぐらいコウの背は高い。

 スタイルはシンプルには細マッチョ。贅肉なんかどこにもない引き締まった体だ。それでいて余計なマッチョ感は一切ない。ここも男に誤解されやすいのだけど、女は強い男が好きだけど、ムキムキ・マッチョ男は避けられるところがある。

 もちろんマッチョ好きはいるけど、ムキムキになるほどモテるもんじゃない。言うまでもないけど、だらしなく肥えてるのは好かれない。そうだな、水泳部の逆三角形ぐらいが一番人気があるかもね。

 コウのスタイルは惚れ惚れするほど素晴らしいけど、見かけだけじゃなく、喧嘩も強いそう。今のコウからは想像もつかいないけどヤンキーでブイブイ言わせた時代があったんだって。ちなみにコトリさんやユッキーさんは、その頃からコウと知り合いだったって聞いた。

 さらにコウは物腰も言葉遣いも品がある。そうジェントルマンなんだ。それも付け焼刃じゃない、筋金入りのジェントルマンだ。これには理由がある、コウの本名は、

『北白川紘有』

 ヒロアリと読むのだけど、今どきの名前じゃない。ユリなんかシロアリの一族と思ったぐらい。こんな古臭い名前の秘密は苗字の北白川にある。お母ちゃんのペンネームと同じだけど、コウの北白川は本物の北白川。

 なんとだよ第二次大戦後に皇籍離脱するまで、北白川宮っていう宮家だったんだよ。つまりは天皇家の親戚。コウはそこの跡取り息子。今は一般市民だけど、やっぱり名門だし、セレブのお家柄。子ども時から礼儀作法は厳しく躾けられたはずだもの。

 そんなコウの職業はピアニスト。ジュリアード音楽院を主席卒業で、今は超が付く有名かつ人気ピアノスト。ラ・カンパネラを弾かせたら世界の何本かの指に数えらえるほどの超絶技巧の持ち主なんだ。だからリサイタルとかコンサートを開くとプラチナ・チケットになるぐらい。


 セレブの家の息子で、世界的なピアノストであるコウと出会ったのは、コトリさんに連れられて行った濁河温泉だった。あの時にユリはもちろんだど、コウも一目惚れ状態になったんだよね。

 そこから交際を深めて今に至るなんだけど、そんなに簡単じゃなかった。コウの家クラスのセレブになると釣り合い問題が途轍もなく大きくなるんだよ。コウもかつて結婚まで考えた恋人もいたんだよ。

 コウが結婚できなかった元カノも社長のお嬢様だったんだよ。世間的に見れば立派なセレブのお嬢様だったけど、ケチを付けられたのが元カノの実家の会社の職種。中堅クラスの人材派遣業だったのだけど、

『口入屋風情の娘』

 口入屋ってなんだと思ったんだけど、江戸時代の人材斡旋業ぐらい。ただし、江戸時代には今の人材派遣会社みたいなところもあった一方で、地方の百姓を騙して娘を安く買い、売春宿に貸し出し売り上げをピンハネする者が横行してたとか。

 そういう商売だからヤーさんとの関係も深くて裏の商売、いかががわしい商売とされてたらしい。だけどさぁ、それって江戸時代の話じゃない。今の人材派遣業と同じにするのはおかしいと思う。

 だけどコウの家だけでなく親戚連中から総スカンを喰らったそう。これでもかのバッシングを喰らった元カノは逃げちゃった。そりゃ、そうだろ。そんなとこに嫁いでも超弩級の嫁イビリが待ってるとしか思えないもの。

 この釣り合い問題になるとユリはマイナス材料の団体さんみたいなもの。片親どころか私生児だし、ハーフで外見はモロ白人。さらにお母ちゃんの商売はエロ小説家。別にセレブの家が相手でなくてもあんまり良い顔なんかされないぐらいはわかる。

 コウは家を捨てて駆け落ちまで口にしてたけど、この釣り合い問題が一挙に雲霧消散したのは、ユリが侯爵になってしまったこと。笑ったらいけないけど、これでユリの方がセレブ連中の解釈では格上になるそう。

 本当にアホらしいのだけど、皇族の出だと言っても今はしょせんは『元』。言い切ってしまえば一般市民になる。それに対してユリはバリバリの正式の貴族。それも小国とはいえ宮廷序列ナンバー・ツーの最高位貴族になる。

 公国だから待遇は王族と同等扱い。まあ、血筋だけは前公爵のカールの娘だし、異母だけど現公爵の妹だものね。ついでに言えば継承順位も二位だ。こんな妙な肩書を持った女なんて日本じゃそうそういないはず。

 ユリにしたら鬱陶しいだけの侯爵だけど、コウとの釣り合い問題を解消してくれた点だけは感謝してる。そりゃ、もう現役侯爵は凄い威力で、コウの実家にも挨拶に行ったけど上座がユリだものね。あいつらの感覚おかしいよ。

 それでもって、ユリのとコウの関係は婚約状態。これはユリがまだ学生だから。卒業を待って正式の婚約発表ぐらいのスケジュールかな。でもさぁ、でもさぁ、婚約してから結婚までも大変そう。

 結婚式の準備も大変だろうけど、北白川家は古い家じゃない。そういう名門旧家は結納とかの儀式もコッテリのはず。つうかひたすら長い儀式になりそう。これは今から覚悟してる。まさか、三日三晩の結婚式なんてやんないよな。


 ここまで深まっているコウとの仲だけど、まだ重要な事が済んでいない。そうなんだよ、お母ちゃんが冷やかしまくるけど、未だにユリはヴァージンのまま。ユリが嫌がってるわけじゃないよ。

 こうなってしまってるユリの原因としては、例のエッセンドルフ訪問に備えて宮内庁に缶詰にされたり、缶詰にされて学校を休んでいた分のレポート地獄に突き落とされたりはある。ついでを言えばハインリッヒ来日のお供も加わる。お母ちゃんに言わせれば、

「ラブホで一時間もあれば済むじゃない」

 かもしんないけど、初めてじゃない。やるのだけが目的ならそれでも良いけど、少しでもロマンチックにしたいんだよ。ヤリマンビッチのお母ちゃんと絶対に違うからな。

「一発目だけの話なのに」

 実の母親が言うセリフか! これにコウの事情も加わる。コウの趣味というか生きがいみたいなものにストリート・ピアノがある。全国各地にあるストリート・ピアノを訪ね歩いてパフォーマンスをやること。

 これに加えてみたいなものだけど、地方での演奏依頼を積極的に受けてるのがある。この各地のストリート・ピアノ訪問と地方の演奏依頼を組み合わせてツーリング旅行をコウは常にしているところがあるんだよね。

 コウほどの人気ピアニストなら、東京とか大阪みたいな大都市のリサイタルとかで収入としては十分なんだよ。だけどコウは地方演奏を重視してるんだ。そうやって本物の音楽を一人でも多くの人に聴いてもらいたいのが信条なんだよ。

 コウの考え方はユリも大賛成なんだけど、結果としてコウは年がら年中、演奏旅行で留守状態になっている。ユリだって大学があるから、コウの演奏旅行に付いて行けないってこと。下手に大学を休めば、あのクソ大学、テンコモリのレポート地獄を用意しやがるからな。

 コウの留守が多いから、ここまで関係が深まっても同棲にもなっていない。したって留守番ばかりじゃない。留守番ばかりでも同棲したいけど、安易にやりにくいところもある。それはコウが有名人であること。

 コウの人気はそれこそアイドル並み。そりゃ、あれだけ美男子だから熱狂的な女性ファンが多いのはわかる。ユリだって、その一人だったわけだし。そんなコウとの同棲が発覚したら芸能マスコミの餌食になるのは目に見えている。

 そんなものが報道されようものなら、全国のコウの女性ファンから石を投げられる。いや、もう投げられてる。コウとの交際は、いくら隠しても、やっぱりバレてる部分がある。だからユリの家にもその手のストーカーみたいなのが現れた。

 あれは正確にはストーカーじゃないかもな。ストーカーとは憧れの対象への付きまとい行為だから、ユリにされたのは嫉妬に狂ったコウの女性ファンの嫌がらせのようなもの。そういう行為もストーカー行為になるのだろうけど、警察に相談しても実害が大きくならないと動いてくれないところがある。

 これじゃ、誤解を招くな。防犯対策の相談に乗ってくれたり、パトロールを強化したり、一一〇番登録とかはしてくれるけど、ストーカーを見つけ出して踏ん捕まるとかはしてくれない。警察もそこまでヒマじゃないからね。

 この時ばかりはユリが特命全権大使であるのが役に立った。あの治外法権ってやつ。具体的には外交関係に関するウィーン条約二十二条の2だそうで、

『接受国は、侵入又は損壊に対し使節団の公館を保護するため及び公館の安寧の妨害又は公館の威厳の侵害を防止するため適当なすべての措置を執る特別の責務を有する』

 えらく厳めしい文言だけど、ユリの家は正式には大使館で、その家へのストーカー行為は大使館の安寧を脅かす行為になるとか、なんとか。というか。要は日本人同士のストーカートラブルじゃなく、国際問題に格上げされたぐらいで良さそう。

 ストーカー女は張り込み捜査をされ、あっさり逮捕されて一件落着。そりゃ、捕まるよ。ストーカー女が出てくるまで二十四時間体制でエンドレスの勢いだったもの。警察が本気になって動いたら、ああなるって良く分かったぐらい。


 そんなコウから誘われたのが東北ツーリング。五月の終わりぐらいだけど、一緒に行かないかって。こうやって何度も誘ってくれてるのだけど、なかなか行けなかった。でも今回は大学も上手く休めそうなんだ。四年になって少し余裕も出来たものね。頑張って単位取ってるんだよ。

 でも東北と言っても遠いじゃない。飛行機で行くならまだしも、ツーリングとなると、どうやって行くんだ。パッと思いつくのは名神から北陸道を突っ走るだけど、

「新潟まででも六百キロぐらいあるよ」

 ぎょえぇぇ、死ぬ。コウの一七〇〇CCのハーレーならまだしも、ユリの二五〇CCじゃ、事故をしに行くようなものだ。それに新潟まで行ってもまだ北陸で東北じゃない。新潟から山形まで行ってやっと東北だ。

「ボクでも辛い距離だし、ユリにそんな事をさせようとも思わない」

 コウの計画はフェリー利用だった。敦賀から秋田に向かうフェリーが毎日出航してるんだって。フェリーを組み合わせたツーリングってライダーの夢みたいなものじゃない。コウも東北まで足を伸ばすのは珍しいみたいで、

「全部初めてじゃないけど、これまで行けてないとこを中心にツーリングをするつもりだ」

 コウとのツーリングなら、どこに行っても楽しいに決まってるけど、東北はワクワクする。大学のツーリング・サークルでも東北まで遠征しているのは少ないのよね。それに二人で泊まりを重ねたら、当然だけど結ばれない方が不自然だ。お母ちゃんにも言ったら、

「やっとなの。お赤飯炊いて待ってるよ」

 それは初潮の時のお祝いだろ。

「これも忘れずにね」

 コンドームかと思えばピルだった。

「避妊のためもあるけど、生理が来たら悲惨だからね」

 たしかに。これで準備万端だ。