ツーリング日和18(第16話)男の限界

『女だって男漁りをしてみたい欲望が普遍的にあると考えてる』

 あるかそんなもん・・・と言いたかったけど、そういう女はいるのを知っている。二股、三股当たり前みたいに男を漁りまくるんだよね。よくまあ次から次へとあれだけ男に股を開けるものだ。でもそれはあくまでも例外で、

『男だって誰しも女漁りをするわけじゃない。多くの男は一人の女に満足している』

 むぐぐぐ、それは否定できない。アリスだって健一を含めて四人の男を知ってるけど、付き合っている間に浮気されたことはないものね。でもそれを普遍的と言われても困るよ、

『女は歴史的に社会的制約と経済的制約があったじゃない。もちろん子どもを産むって制約もあるけど、社会的にも経済的にも一人の男の庇護を受けなければならないと縛り付けられてしまってたのよ』

 それがやっとその縛りから解放される時代になったと見るのか。縛りから解放された女はどうなるんだ。

『昔は男の遊び場はあっても女の遊び場はなかった。でも今ならあるじゃない』

 否定できない。わかりやすいものならホストクラブだ。男にとってのキャバクラみたいなものだろうけど、女もホストクラブに単にお酒を飲みに行ってるわけじゃない。お酒も飲むのだけど他にもっと大きな目的がある。

 女がホストクラブでやりたい遊びはホストを買うことに尽きるとして良いだろう。買うために貢いでるんだもの。もちろんホストクラブに行った女のすべてがホストを買うわけじゃない。お酒だけ飲んで帰ることの方が多いはず。

 だけどね、チャンスがあれば買う気がマンマンと言うか、どこかにそれを期待して通ってる。これは男がキャバクラに通う目的とまったく同じとしても良いと思う。

『女用のホテトルだってあるよ』

 むぐぐぐ。そういうのがあるのも知っている。男用のホテトルは本番無しで男をイカせるところだけど、女用のホテトルも目的は一緒なんだよね。そこで女は初対面の男にイカされ満足して代価を払ってる。

 北白川先生の説が正しいのであれば、女も男も一皮剥けば同じことをしている事になってしまう。それが出来る時代になって来たから、ホストクラブどころか女用のホテトルも商売として成り立ってしまっていると見るのか。

 それが新しい時代に対応した女の遊びと言われても複雑だな。ホストクラブ、ホテトルと女用の遊び場が出来てるから、次の遊び場だって、

『女用のソープもあるよ』

 あ、あるのか。まだ女用のホテトルと比べても遥かに少ないらしいけど、女からの需要があれば出来ても不思議無いか。

『ソープとなると男の方が難しいかもね』

 ソープとなると本番になるけど、女ならどんな男相手でも対応可能と言えなくも無いのか。これが男となると、

『とにもかくにも勃たたないと商売にならない』

 モロだけどそうだ。女はローションで男を受け入れられるけど、男はとにかく勃たないと成立しようがない。さらに言えば女を満足させる商売だから勝手にイクことも許されない。男がイケば賢者タイムに入ってしまうからね。

『勃つことに関しては、男ならバイアグラを使う手はあると思うけど問題は他にもある』

 女は一日に何人でも相手が可能だ。それこそ五人でも十人でも、それこそ二十人でも可能なんだよね。これは妄想の世界の話じゃなく歴史的に無数に証明されている。それこそ集団レイプの世界だ。

 商売となると女用のソープの男も何人もの女をこなさないとならなくなる。それも連日連夜のようにだ。女はそれが可能だが男にそれが出来るかの問題になってくるのか。

『集団レイプでよくある設定だけど、たとえば十人の男に回されるとするじゃない』

 女は休む間もなく男の相手をさせられる見せ場だけど、男はタッグマッチどころかリレーだものね。

『これも定石みたいな設定だけど、十人目の男が終わって女はホッとするでしょ。やっと終わってくれたってね。ところがふと見ると最初の男が待ち構えているのよ。女はまた十人の男の相手をしないといけないと絶望させられるシーンだけど、男はまだ二発目よ。三周やっても三発ってこと』

 この逆のシチュエーションを男に出来るかが女用ソープの男の問題か。

『男には二つの限界がある。たとえ強制的に勃たされてもイケば強力な男の賢者タイムが訪れてしまう。もう一つは男のイクの生理的限界だ。男がイクには出さないとならない。出し続ければ必然的に枯れ果てる』

 男は集団レイプのような異常興奮状態でもこの二つに縛り付けれてしまうと見るのか。だからかもしれないけど逆レイプ物って少ないし凡作しかない気がする。

『エロ小説は性の極限状態を描くフィクションだけど、リアリティを踏まえないと読む者が没入出来ないのだよ』

 なるほどね、無限に勃って、無限にイカされまくれる男なんて設定はリアリティを踏まえると荒唐無稽すぎて没入できないのかもね。でもだよ、北白川先生の作品もあるじゃないの。あれは女が男を監禁して嬲りつくす話だけど、そう言われて見れば男は最後の最後までイクことが許されず崩壊させられてしまうんだ。あれってもしかして、

『御名答。オードブル部分の拡大版だよ』

 女版の話では寸止め地獄で崩壊させられてしまった女が、

『寸止め地獄の後はイキ地獄が女の定番』

 そうなる。そこから女は次の試練に進んで行くのだけど男版は寸止め地獄までなのか。

『あそこが男の限界になるのよね。男がイキ地獄に行けばすぐに枯れ果ててインポになってジ・エンド。イキ地獄を味わえ、その先の試練に進めるのは女だけの特権ってこと』

 イキ地獄とは連続イキを果てしなく強制されてしまう状態だけど、出さないといけない男のイクではすぐに枯れ果ててしまう。もうちょっと言うと男がイクで感じるためには出すことがセットになっているとして良い。

 枯れ果ててからの強制も可能だけど、空撃ちになるのはアリスも早漏君の時に経験した。あれは形の上ではイクになるのだろうけどイク喜びは失われ苦痛しかなかった。あのトラウマからインポになっていないか今でも心配してるぐらいだ。

 それに対して女のイクは違う。まず女は何度でもイケるし、イク喜びは変わらないどころか大きくなるのだって普通にある。それはどんなイカされ方であってもイクの本質は変わらない。だから女はイキ地獄を味わえ、さらなる試練にも進むことが出来ると見るのか。

『それが女の特権であり美しさよ。男では無様すぎて醜いだけ』

 先生の作品は様々なシチュエーションで性に溺れ堕とされていく女の作品が多い。そんな北白川作品の特徴だけど、堕とされる女がとにかく美しいのよ。あれは美しいなんて陳腐な表現じゃダメだ。まさにその世界で光輝く存在になってしまってるとしても言い足りないぐらい。

 それとね、堕とされていく過程の女の悲しみ、哀れさの描写がとにかく深いなんてものじゃない。これを書かせたら日本一、いや世界一だと思ってる。あれを読んで心を昂らせ、濡らさない女はこの世にいるものか。

 だから性に目覚めた女も男も争って読み、そういう世界に置かれた自分を妄想しながら自分を満足させるオカズにするのよ。北白川作品になるとオカズなんてレベルじゃなく、それこそフルコースの豪華ディナーだ。


 北白川先生はエロ小説しか書かないから軽く見てる人も多いけど、エロ小説だって立派な文学ジャンルの一つなんだ。永井荷風だっているじゃないの。時代が違うから単純な比較は出来ないけど、アリスは北白川先生の方が上だと思ってる。

 そう思っているのはアリスだけじゃない。もし北白川先生がエロ小説以外のジャンルの小説を書いたら芥川賞だって直木賞だって余裕だとする人がどれだけいることか。それぐらいの煌めく文才をお持ちなのが北白川先生なんだ。

 そりゃもうってぐらい強烈なエロ描写に性に目覚めた男も女も魅了され尽くされるけど、凡百のエロ作品のようにそれしかない作品じゃない。あれは不条理劇、心理劇の傑作群でもある。

 だから読んだ者の評価は高いなんてものじゃないし、いまなお新たな読者やファンが次々と量産され、性のバイブルとまで呼ばれてるんだもの。

「さすがは北白川先生ね」
「あの先生がエロ小説に向かわんかったら、芥川賞とか直木賞どころやのうて、ノーベル文学賞かって夢やないと思うわ」

 ジャンルがジャンルだから、話の内容はトンデモだったかもしれないけど、ずっと憧れていた北白川先生とお話が出来た感動は一生忘れない。あの時に先生の著書にサインまでしてもらったけど、これはアリスの宝物だ。北白川先生のサイン本なんてこの世にこれ一冊だけかもしれないじゃない。

 もっともなんだけど、あの時の様子は異様と言えば異様だった。だってだよ話をさせてもらったのはエッセンドルフ公国大使館の昼下がりのリビングだよ。北白川先生だって、あのユリア侯爵の母親なんだもの。ついで言えば紅茶を頂きながらのシラフだ。

「なかなかのシチュエーションでの夢の対談やんか」
「でも良い勉強になったでしょ」

 そりゃ、もうだったよ。