ツーリング日和4(第1話)お母ちゃん

 ユリはどこにでもいそうな平凡な女子大生と言いたいところだけど、そうじゃないところがある。とりあえず母子家庭だ。そう片親ってやつ。今どき片親ぐらいと言いたいし、片親なのは別にユリの責任じゃないけどあれこれ言うのはいる。

 ただユリの家はタダの片親じゃない。離婚でも、死別でもなくシングル・マザーの私生児なんだよな。お母ちゃんはユリを産んでるけど、相手の男と結婚どころか認知もされてなく、

「たぶん生きてるんじゃないかなぁ」

 言うまでもないけど養育費ももらってない。この辺はあれこれ複雑な事情がありそうだけど、お母ちゃんは口を濁してあんまり話してくれない。

 あんまり話してくれないと言えば、お母ちゃんの職業もそう。あれはずっと謎だった。まずお母ちゃんはお勤めには行っていない。だったら生活保護かと言えばそうじゃない。それどころか裕福として良いぐらいだ。

 だって住んでいるのはタワマンの三十階で4LDK。リビングだって広いし、ユリの部屋だけでも十畳ぐらいあるものね。小学生でも親の職業に関心あるし、友だちにも聞かれることがあるじゃない。だからお母ちゃんに聞いたんだけど、

「物書きよ」

 小学生にわかるか! 物差しの兄弟ぐらいに思ったもの。そしたら、

「ライターならわかるかな」

 わかるか! ユリは仮面ライダーの親戚か、JTの回し者か、放火犯だと思ったぐらいだった。この物書きなりライターなる職業が文章を書いて売るものだと知って理解したのが中学生になってから。いや理解したと言っても怪しかった。そういう職業が世の中にあるのはわかったけど、間違ってもありふれた職業とは言えないものね。

 ただそういう職業って理解したから、お母ちゃんがマンションの一室を仕事部屋にして籠る理由もわかったし、どこにもお勤めに行かないのもわかったぐらいかな。仕事部屋には入るのは禁じられたし、入ろうにもカギを付けられてて入れなかったものね。


 高校生になったユリは思春期の真っ盛りになっていたのだけど、性への関心も高まっていた。ユリの周囲でも付き合っているとか、キスしたとかの話が良く出るようになったし、なかには初体験を済ませたみたいな話まで出てた。

 初体験の話の真相は不明だったけど、そういう情報に敏感になっていたんだ。そういう情報源の一つがエロ小説やエロ漫画。女の子だって読むんだよ。ほら、BL好きの女の子を腐女子って言うじゃない。

 ユリはBLも好きだったけど、他のエロ小説にも興味が強かったの。エロ小説も様々なジャンルがあるけど、根本に女の子向けと男の子向けは確実にある。BLは女の子向けかな。男の子向けもBLもあるかもしれないけど、そっちになるとガチとか。とも言えないか。女の子が百合が好きだからってガチとは限らないものね。

 女の子向きのエロ小説家でダントツの人気があり、一部ではバイブル扱いまでされてるのが北白川葵。もちろんユリも読んでたし大ファンだった。女の子だけでなく、男の子でも読んでる人が多かったはずなんだ。

 あれはお母ちゃんと買い物に行って家に帰って来た時だった。マンションの玄関で二人の男が待ち構えていたんだ。お母ちゃんを見つけると駆け寄ってきて、

「北白川先生、次回作は是非弊社でお願いします・・・・」

 こんな感じで訴えて来たんだよ。お母ちゃんはメンド臭そうな顔して適当にあしらいながら、ユリを連れてマンションの玄関に逃げ込んだ。誰なんだよあいつらって思ったけど、引っかかったのがお母ちゃんを呼んだ苗字。部屋に帰ってからまさかと思いながら聞いたら、

「あら、ユリも知ってたの? 思春期だねぇ」

 そうお母ちゃんがあの北白川葵だったんだよ。この時にユリの家の秘密がやっとわかったんだ。お母ちゃんは物書きとかライターと言っても雑誌とかに寄稿するのじゃなく、人気作家だったんだよ。あれだけ売れればタワマンだって買えても不思議無い。

 でも娘には言いにくい職業だよね。だからずっと口を濁していたのはわかったけど、バレてもあっけらかんとしたもので、

「本にサインでもしてやろうか」

 いらんわ。こっそりエロ小説を読んでいるのは男の子だって隠したいだろうし、女の子ならなおさらじゃない。普通の小説ならサイン本を持っているのは自慢だろうけど、エロ小説なら持ってるだけで恥みたいなものじゃない。

「でも珍しいから、ネット・オークションにかけたら売れるかもよ」

 そりゃ珍しいだろ。お母ちゃんは完全な覆面作家で、顔はもちろん本名も性別も年齢も伏せられてる、。当然だけど本屋でサイン本を売るなんてことはゼロ。つうかエロ小説家が本屋でサイン本を売る話なんて聞いたこともない。

「ところであれは実話なの」
「その部分もあるけど・・・」

 北白川作品の特徴は女性目線での性描写が繊細に描かれていること。エロ小説の王道で、主人公は性の快楽にいつしか溺れて行くパターンが多いけど、ユリも女ならあんなに感じてしまうものなんだと思ってたぐらい。

「なんでも現実と願望はあるのよ」

 お母ちゃんが言うには、あれだけ感じる女性がいるのはウソじゃないらしい。だけど誰でもそうなるかと言うと違うとしてた。

「よほど相性の良い相手に恵まれないと難しいかな」

 エロ小説の主人公はすぐにイクけど、現実はそんなに簡単じゃないとしてた。だから結局のところ男相手にイクを知らないままに終わる女も少なくないって言うのよね。

「でもやったらイキたいじゃない」

 なんつうモロな。話している相手は実の娘で、高校生で、まだバージンだぞ。だけどそうなりたいのは願望だ。

「それを叶えるのが小説の世界だってこと」

 北白川作品でもあるレイプされて性の快楽に堕とされてしまうのも、

「なるわけないじゃないの。あんのもの辛いだけで感じるものか。男と女は違うのよ」

 だったら、だったらと思ったけど、

「あれはね、女の被レイプ願望の投影だよ。ユリにもあるでしょ」

 あるわけないじゃないの。好きどころか嫌悪している男に力づくで抑え込まれて、服を引きちぎられ、絶対に見られたくないものまで見られて触られてしまう。そこにだよ、口にするのも汚らわしいものをあてがわれて押し込まれるんだよ。

 どんなに抵抗しても。鋭い痛みとともに大切に守り続けたものを失ったことを体で経験させられちゃうんだ。でもそんな事じゃ終わってくれないんだ。そんな女の反応を大喜びされながら、イヤらしい行為は続くんだよ。嫌で嫌で自殺したぐらいの嫌悪感しかない行為なのに、ふと気づくと心とは別に体が裏切りかけてるのに気づいてしまうんだ。

 ついにはどうしようもない状態にドンドン追い込まれて行くんだよ。女のプライドにかけて耐えに耐えるんだけど、逃れようもない最後の瞬間が来てしまう。真っ暗な絶望の中で望みもしない女の喜びを感じてしまうんだけではなく、それを男に気づかれてしまんだよね。

 もう屈辱の極みなのに体は完全に裏切ってしまっている事を思い知らされることになる。信じられないけど女の喜びがまた押し寄せて来ちゃうんだ。打ち寄せる波のように次から次にとね。それを受け止めるしかなくなってしまう。

 あまりに強烈な体験に女は戸惑う余裕さえなくなり、いつしか嫌悪感もどこかに消え去り、体が求めるものを心も求めるようになり・・・

「ほ~ら、あるじゃない。ユリも私の娘だね、なかなか才能あるかもよ。でもちょっと気取り過ぎだね。読者受けするためには・・・」

 あのなぁ、これはあんたの小説の受売りだし、エロ小説の添削指導なんか始めるな。あんな恥しいモロの表現を口に出来るわけないじゃないか。白状するよ、興味はあるし、興味があるから読んでるよ。

 でもさぁ、でもさぁ、あんなに気持ち良さそうに書くから、読む方だって助長されるんじゃないか。だから妄想の中だけだけど、そういう体験をしてみたいと思っちゃうんじゃないか。あんたが片棒担いでいるようなものだ。

「それは誤解よ。私は夢を書いてるだけ。ユリだって自分で慰める時にそういう妄想やってるでしょ」

 母親が娘に聞く事か! 悔しいけどそういう時はあるし、妄想が段々エスカレートしている部分は否定しきれないよ。言っとくけど、エスカレートするのはあんたの作品のせいだからな。よくあれだけ思いつくもんだ。

「需要と供給よ。よく売れるもの。人はね、より強い刺激を求める生き物なのよ。創作のコツはね・・・」

 そんなもの実の娘に蘊蓄垂れるな。仮にも実の母親だろうが。そうそう、お母ちゃんはそういう職業をやっているせいかもしれないけど、とにかくオシャレ。歳よりずっと若く見えて綺麗なんだよ。実の母親ながら、この歳でもモテそうな気がする。

 でもさぁ、でもさぁ、お母ちゃんは専業主婦じゃないかと思うような暮らしぶりなんだよね。朝は朝食とお弁当をきっちり作ってくれるし、夕食もいつも一緒。部屋は綺麗好きでピカピカに掃除してあるし、洗濯もバッチリ。

 休みの日だって家にいつもいるのは知ってるし、二人で買い物にも一緒に良く行くんだよ。見ようによっては夫こそいないものの絵に描いたような良妻賢母なんだよ。

「ホストクラブとかは?」
「そりゃ、行ったことがないと言えばウソになるけど、あんまり好きじゃなくてさ」

 お母ちゃんが言うには小説家にも2タイプあるとしてた。一つは実際の経験をベースに小説にするもので、もう一つは想像。エロ小説家なら妄想になりそうだけど、経験なしで書いちゃうぐらいかな。

「ああいう話って、類型化され尽くされるのよね。そこにどれだけ新味を加えられるかが勝負だよ。実体験にこだわるすぎるとかえって刺激が薄れると思ってる。だってあそこまで経験するのは大変じゃない」

 あのねぇ、小説で書かれている事を全部実際に体験しようとしたら、えらい事になっちゃうじゃない。新作を書くたびに男にやられまくり状態になっちゃうもの。集団レイプ作品なんか書こうとしたら、どれだけ相手にしないとならないか。

 でもお母ちゃんは今でもあれだけ綺麗なのに男の影がまったくないのはユリでもわかる。そりゃ、ユリが学校に行っている間にやってるかもしれないけど、一緒に暮らしていても、そんな気配さえないんだもの。

 好きな男がいれば入れ込むだろうし、連絡だって頻繁に取り合うようになるのが男女の仲じゃない。相手の男だって社会人だろうから、連絡を取るにしても仕事が終わった夜だとか、休日になるはずだけど、どう見たってないんだよ。

 旅行だってそうで、必ずユリと一緒だもの。お母ちゃんだけが旅行に行った記憶がないものね。だからこそ北白川葵とお母ちゃんが同じだったなんて夢にも思わなかった。そう思う方が難しすぎる。


 あえて言えばユリにはかなり自由にさせてもらってた気がする。放任じゃないよ。あれで世間の常識にはウルサイ人だからね。でも、それさえ守れば何をするのもユリに任せてくれていた気がする。

 でも今から思えば妙なところも多かった。まずユリの家に門限と言うものがない。お母ちゃんが気にするのは、その日の夕食の準備がいるかどうかだけ。友だちと遊びに行くにしても、誰ととか、どこには聞かれたことも無い。

 友だちの家に泊まろうが無関心だし、男友達が家に遊びに来ても、どういう関係か聞かれたことさえない。それはそれで助かったけど、年頃の娘だぞ。干渉はして欲しく無いけど一言ぐらい聞くものだろ。

「あら、聞かれたかったの?」

 聞かれなくてラクだったけど、

「ユリへの教育は失敗したとは思ってないけど、成功とも言えないのよね。一つぐらいネタになりそうな事があっても良かったのに。これからに期待かな」

 自分の娘をエロ小説ネタに使うな。やっぱり普通じゃない。