ツーリング日和7(第27話)日本フェス

 ユリは憤慨してる。ユリの本業は学生だ。勉強が本分だ。ガリ勉じゃないけどそれなりに勉強してる。そりゃ、コウと東北ツーリングも行ったけど、あれだって行けるように勉強して余裕を作った賜物だ。

 四年になって余裕が出て来てるのはそうだけど、そうなったらそうなったでキャンパス・ライフに勤しむのも学生の本分だ。就活だってあるじゃない。

「あら、とっくの昔に就職してるじゃない」

 うるさい。あんなものが就職か。

「特命全権大使は外務省のエリートの仕事だよ」

 日本ではな。でもエッセンドルフは違う。だってだよ在外公館はスイスのベルンと日本の神戸の二ヵ所しかないじゃないか。

「たった二人だからやっぱりエリートじゃない」

 ベルンは掛け値なしのエリートのはずだ。でも神戸の大使館ってこのマンションの、この部屋だけだよ。これのどこが大使館なんだ。ただの家じゃないか。仕事だって無いも同然だし給料だって、

「クレカもらってるでしょ」

 う、うぅぅ、侯爵とセットで使いたい放題のクレカをもらってはいるけど、これが就職か。就職って、インターンやって、面接行って、内定もらって、入社式やって、タイムカード押して、仕事帰りに居酒屋に寄って、部内の飲み会があったり、合コンがあって、さらには社内恋愛が花開く・・・

「だいぶ間違ってるよ」

 エロ小説家は黙っとれ。

「でも正式の大使だから、これは正式の仕事じゃない」

 ハインリッヒが来日した時にエッセンドルフ秘宝展をやってる。そのお返しの意味でエッセンドルフで日本フェスをやるって言うのよね。とにかくエッセンドルフの日本知識は乏しいなんてものじゃなく、未だにユリはカラテとジュウドーとテンプラの達人とされてるぐらい。テンプラは食べ物であって武術じゃないといくら言っても、まさに馬の耳に念仏状態だ。

 だから日本文化を紹介するフェスをやるのは理解する。それ以前に無理やり友好親善を深める意味がある国かどうかの疑問は置いておく。問題はどうしてユリがエッセンドルフに行かないとならないのよ。

「卒業旅行と思えば良いじゃない」

 思えるか! 卒業旅行とは学生時代の最後の思い出に、友だち同士で行くものだろうが。ユリ一人で公式行事のギュウギュウ詰め合わせみたいなエッセンドルフに行ってなにが楽しいんだよ。

「じゃあ、断れる?」

 う、うぅぅ。毎度のことながら御大層で外堀を埋めてきた。またあの二人連れが来やがった。エッセンドルフの外務大臣と日本の外務省の課長。日本代表としてフェスのオープニング式典への出席要請だ。

 でもさあ、でもさあ、おかしいじゃない。日本フェスは外務省も噛んでるから日本代表を送るのは良いとして、こういう時って皇族とかじゃないの。その辺は格の問題もあるかもしれないけど兼任しているウィーンの日本大使館のお仕事でしょうが。

 これでもユリはエッセンドルフの日本の大使だ。日本でエッセンドルフ・フェスをやるから駆り出されるのはまだ理解できるが、日本に派遣されてる大使が呼び戻されるのはおかしいだろう。おかしいと言えば、エッセンドルフの大使が日本代表になるのをどう説明するって言うんだよ。

「そりゃ、ユリは日本国籍だから日本を代表できる」

 実情的にはエッセンドルフが小国なのに尽きるがある。そもそもエッセンドルフ人で日本語がまともに話せる人がいない。つうかエッセンドルフ人が日本語を学ぶ価値がおっそろしく乏しいのがある。

 国が大きければ変わり者が少数でも一定数がいるけど、五万人の国に求めるのは無理がある。勢い、日本絡みになるとユリにオンブに抱っこ状態どころか丸投げにされてしまう。

「使い勝手良いものね。エッセンドルフではハインリッヒ公爵に並び立つぐらいの侯爵だもの。さらに日本人だから、どっちの国からも担ぐとしたらユリになる」

 迷惑千万だ。大使だって滅多に仕事が無いから引き受けたのに。

「そうでもなさそうだから特命全権大使にしたんじゃない。もっとも大使であろうとなかろうと駆り出されるのは同じだから、それだったら大使になってる方がお得だと思うよ」

 ギャフン。つかお母ちゃんはマンションの光熱費モロモロが大使館の経費になってタダになってるのが嬉しいだけだろうが。

「内堀も埋められてるからあきらめなさい」

 うぅぅ、そうなんだよ今回のエッセンドルフ行きはコウも頼んできた。コウだけじゃないコトリさんもユッキーさんもだ。これも良く考えるとフェスの日本代表への黒幕はコトリさんたちに違いない。だけどこれは断りにくいなんてものじゃない。


 引き受けたよ。断る余地がないんだもの。まずは東京に行って首相と会談だ。大使なら外務大臣ぐらいになりそうなものだけど、大使である一方で侯爵でもあるから首相のメッセージを預からされたぐらいだ。

 ほんでもって皇居だ。また松の間に行かされた。こっちは皇室外交の一環で皇室からハインリッヒへのメッセージを預からなきゃならない。陛下から、

「学業に差支えがありませんように」

 同情された。でもって皇居からはスイス大使館からの差し迎えのクルマで成田だ。オーストリア航空でウィーンに行ったんだけど、なんだなんだこの出迎えの多さは、

「ふつつかながら侯爵殿下の身の回りのお世話をさせて頂きます」

 付き人ってやつなのか、それとも執事とか。女性もいるからメイドとか、

「侍従と侍女でございます」

 侍従に侍女って、どこぞのお姫様だよ。

「本来ならば・・・」

 ユリは日本に住んでるけど、もしエッセンドルフに住んでたら、お屋敷が与えられるそう。お屋敷となれば使用人が必要になり、さらに侯爵の使用人だから侍従と侍女になるとか。呼び名がそうなるのはなんとか理解できるが、

「今回の滞在中で御用命があれば、なんなりと仰せつけ下さい」

 ウィーン駅から例の特別列車でエッセンドルフに。この侍従と侍女だけど、そりゃ、あれこれ世話を焼いてくれる。だけどだよ、その代わりにユリになんにもさせてくれないから参った。なんと着替えもさせてくれない勢いなんだもの。

 いくら同性相手でも肌を見せるのは恥しいじゃない。いや肌なんてレベルじゃない、当たり前のように全部脱がそうとしやがる。着替える時に脱ぐのは当たり前だけど、パンツまで脱がしにかかるってなんなのよ。

 特別列車にはシャワー室まであるけど、侍女連中は一緒に入ろうとしやがった。それもさも当然のようにだ。そいでもって洗うとか言い出すんだよ。なに考えてるんだよ。なんとか断ってシャワー室から出たらタオル持って待っていやがる。なんだよあの連中。


 侍従と侍女とバトルしながらシャーン・バルザース駅に着いたら新たなバトルの始まりだ。ハインリッヒが待ってやがって軍楽隊と儀仗兵付きの歓迎。さらにまたもや馬車。それもだよハインリッヒと並んで座らさせるって罰ゲームかよ。

 異母でも兄妹だから問題ないと言われたけど、実質他人だものね。気色悪いったらありゃしない。お母ちゃんに言わせると、ハインリッヒはユリと親密な態度を示すのが重要だそうだけど、肩に手を回すなアホンダラ。

「ユリはエッセンドルフの英雄なんだって。そんな英雄がハインリッヒを支持しているのが肝心だってことだよ。もしユリがハインリッヒと喧嘩なんかしたらエッセンドルフがグラグラになるよ」

 英雄のユリがハインリッヒを支持してるからヨハンを抑え込めるたってやり過ぎだろうが。迷惑の極みみたいなものだ。夜はまたもや舞踏会付きの歓迎晩餐会。堪忍してくれだ。だから来たくなかったんだよ。長旅と時差ボケで半死半生になりながら踏ん張った。泊まったのは前と同じで迎賓館みたいなとこだったけどハンリッヒの野郎は、

「ユリアがエッセンドルフに来る時に住まいが必要だろう・・・」

 そこに侍従と侍女を常駐させるって言われたけど全力で断った。ユリは出来るだけエッセンドルフに来たくないんだって、

「なんと謙虚な事よ」

 住んでもいない家なんか無駄遣いの極みだろうが。さらに日本に派遣するとまで言いだしたから、論外に却下した。不要だし、メンドクサそうだし、そもそもそんな人数が住めるスペースなんかないじゃない。

「ではせめて十人程なら・・・」

 なにが『せめて』じゃ。どんな感覚してるのよ。だから金持ちの貴族ってやつは始末に負えないよ。そう言えば読んだことがある。つうてもお母ちゃんのエロ小説なのが悔しいけど、本物のお姫様には羞恥心がないそう。男の前でも平気で素っ裸になるとか、なんとか。

 都市伝説と思っていたがホントかもしれない。侍女があれだけ付きっきりで世話したら、服なんて立っている間に脱がされて着せてくれるものと思い込んでしまうのかもしれない。いやな想像が浮かんできた、あいつらトイレにも入ろうとしていた。

 まさか、いや十分にありうる。この貴族連中って、ウンコしても自分で尻を拭いたことないかもしれない。いや、そうのはずだ。オシッコの時も、女なら生理の時だってお世話は全部人任せだ。こういうのを人間の出来損ないって言うのじゃないか。

 そしたらお母ちゃんの話を思い出してしまった。クソ種馬親父も貴族の純粋培養だから、留学なんて庶民の暮らしに耐えられたのかって聞いたことがある。そしたら、

「カールは留学する前に特訓されたって自慢してたよ」

 翌日は疲れを癒す間もなく日本フェスの開催式典だ。オープニングを宣言してテープカットに付き合ったらそのまま視察。へぇ、思ったより充実してるじゃない。それとだけど、伝統文化紹介より現代風俗の方が比重が大きい感じだな。

 ブースを回ってると日本のドラマを放映してる。スケジュールとして鑑賞するとなってるけど、思わず見入っちゃった。ちゃんと字幕入りになってるけど、セリフは日本語。どうもダイジェスト版みたいだけど、なんて切ないラブ・ストーリーなんだよ。

 でもユリでさえ見た事ないよ。いつの時代の作品なんだろう。ドラマはクライマックスに進んで来たけど、挿入曲が素晴らしい。ドラマの進行と完璧にマッチしてるし、とくに歌声がまさに神だよ。これこそ聴く者の魂を震わせるってやつだ。

 ユリも自然に涙が滲んできた。ふと見るとエッセンドルフ人もそうなってる。中には嗚咽を漏らしてるのもいるじゃない。こういう感情は万国共通なのかもしれない。いや、作品と挿入曲のマッチが凄すぎるんだよ。

 あれだよね、真の名作、名曲は国境も人種も越えるってやつ。いや時代さえも飛び越えてしまうのかもしれない。どうでもフルで見たくなったのだけど、ブースの外でDVDを売ってるじゃない。ちゃっかりしてるな。

 お昼は日本食ブースか。エッセンドルフまで来てどうして日本食を食べないといけないか疑問だけど、これも仕事だよね。それにしても、どうしてテンプラがないんだよ。あればテンプラが武術じゃないと説明出来たのに。

 そこからも公式行事が目白押し。こんなに詰め込まなくても良いじゃないの。行くたびにお言葉を考えないといけないから面倒臭いんだぞ。エエ加減ヒールも辛くなってるもの。夕方になってようやくスケジュールは終了。バタン・キューとはまさにこのこと。

 翌日は送別の午餐会。もうエエっちゅうのに。もうエエはまたもや馬車でハインリッヒとシャーン・バルザース駅までパレード。そうそう馬車の前後は騎馬隊がいるんだものね。駅で最後の公式行事があって、やっとこさ解放だ。だから来るのは嫌だったんだよ。

 特別列車でウィーンに戻り空港から日本へ。これがまたクソ長い。それにしても良い曲だったな。でもどこかで聞いたことがあるぞ。どこだったっけ、えっと、えっと・・・あのメロディーはコウが毛越寺のピアノで弾いた曲だ。

 でも随分イメージが違うな。コウは歌が無いと真の魅力はわからないと言ってたけど、まさにその通りだ。あの歌声はまさに神の声だよ。コウが不滅のメロディーと呼んでいた理由がやっとわかった気がする。

 でもさぁ、でもさぁ、この曲って飛鳥井瞬じゃない。飛鳥井瞬の曲も、その曲を使っていたドラマも映画もすべてタブーになっているはず。それをどうして日本フェスで出して来たのだろう。


 そんな事を考えているうちにやっとこさ成田に到着。でもまだ帰れない。首相官邸への挨拶と報告、ほんでもってまたまた皇居の松の間だ。いったい何回目だよ。クタクタになって神戸のマンションになんとかたどり着いた。

「ユリ、お帰り。今日は餃子よ」

 やったぁ。お母ちゃんの手作り餃子はそこらの専門店より美味しいと思ってるぐらい。

「ああ、ちょうど良かった。ラー油が切れてるから買ってきて」

 あのなぁ。ユリはエッセンドルフでヘトヘトになるまで公務をやってたんだぞ。死ぬ思いで日本に帰って来た侯爵殿下にお使いをやらせると言うのか。

「じゃあ、ユリが餃子を包んでくれる」

 ヤダ、つうかヘタクソ過ぎる。

「まさかラー油無しで食べたいの」

 それは許されない。ラー油の無い餃子なんかサビ抜きの鮨みたいなものじゃないか。

「ほんじゃあ、よろしく」

 いっつも、いっつも、いっつも、どうしてお母ちゃんは何かを買い忘れるんだ。餃子にしようとした時に、どうしてラー油を忘れるんだよ。侍従を断ったのは失敗だったかな。