ツーリング日和4(第29話)思わぬ要請

 今日の大学は午前中でおしまい。友だちとランチして、カラオケに誘われたけどレポートも溜まってるから帰ることにした。たく、なんちゅうレポートの多い大学なんだ。取る講座を失敗したかな。

 マンションの前まで来た時にフラッシュバックが走った。黒塗りの大型車が停まってるんだよ。黒塗りのクルマなんていくらでも走ってるんだけど、どうしてもあの日を思い出しちゃうのはしようがない。

 部屋に帰ったのだけど、来客があるようで応接間でお母ちゃんが面談中。あれかな、出版社との打ち合わせだろ。オンラインでするのも多いけど、こうやって担当者が訪問してくるのもあるものね。仕事の邪魔しちゃ悪いから自分の部屋に行って、レポートと格闘しようと思ってたら、

「ユリ、ちょっと来てくれる」

 嫌だよ。打ち合わせてと言ってもエロ小説じゃない。前にうっかり顔を出したら、参考資料ってやつが机一杯に広がっていて、ウンザリさせられた。そりゃ、もうモロも良いところの参考資料だったからね。

「帰って来てるんでしょ。早く来て、それともトイレでウンチなの」

 デリカシーつうものがないんか! 年頃の娘だぞ。これで行かなきゃウンチ中にされてしまうじゃないの。シブシブ顔を出したら、見るからに外国人が座ってる。ついに海外に翻訳されて出版されるとか。それとも外国人が主役のエロ新作依頼か。

「こちらはエッセンドルフ公国外務大臣のエッカルトさんよ」

 エッセンドルフだって。思わず身構えたよ。なにしに来やがった。また拉致騒動をやらかすとか。

「そうじゃなくて招待よ。カールが退位して、ハインリッヒが公爵になる就任式典への出席要請よ」

 そういう話になるとは聞いてたけど、どうしてユリが出席しないといけないのよ。

「私からお話ししましょう」

 これはドイツ語みたいだけど、なに言ってるかわからないよ。たかが第二外国語で取っただけだよ。それだってウィーニスのドイツ語は辛うじて聞き取れたけど、外務大臣のドイツ語は変だ。なんか訛ってる気がする。

 そしたら隣の人が通訳してくれた。それは助かるけど、たどたどしいな。顔つきからしてエッセンドルフ人だろうし、そこの外務省の通訳だろうけど、もうちょっとマシなのがいなかったのか。

 なんとか理解した範囲では、エッセンドルフの三大貴族である公爵家と二つの伯爵家は後継者不足に苦しんでいるらしい。ユリまで拉致されそうになったのは公爵家の後継者の枯渇だし、ウィーニスがナイトから伯爵にまでなったのもそうのはず。

 ウィーニス失脚の経過だけど、やばいと察したウィーニスはイギリスに亡命したそうだ。よほど慌てたみたいで家族は置き去りにされてる。家族にはウィーニスの子どももいたけど、逮捕されたりもなく、爵位を取り上げるもなかったそうだけど、伯爵家の後継者から除外されたんだって。そうなるとデューゼンブルグ伯爵家の後継者は、

「ヨハン様がなられます」

 誰だそいつと思ったけど、クソ親父の次男だ。伯爵家の直系つうかカールの実子だからありか。異母兄弟だからもめなきゃイイけど、同母だってもめるから同じか。まあ他所の国の人事だから口を挟む事じゃないけど、

「式典にはユリア様も是非御出席お願いします」

 どうしてよ。海外旅行が出来るのは嬉しいけど、そんな堅苦しそうな式典への出席なんて罰ゲームみたいなものじゃない。

「ハインリッヒ侯爵殿下も是非お会いしたとの御意向です」

 ウソだ。一応兄妹になるけど、生まれてから一度も会ってないのよ。ユリなんて日本人として純粋培養されたようなものだし、エッセンドルフに愛着なんてないもの。そもそも会ったところで言葉もロクロク通じないじゃない。

 昔から言うじゃない。貧しい家の兄弟は生き抜くために協力するけど、金持ちの家は当主の座を巡ってライバル関係になるって。だからハインリッヒとヨハンの仲だって怪しいものじゃない。

 ヨハンから見れば、ハインリッヒがいなくなれば公爵の座が回って来るからね。そこにさらにユリが加わって欲しいものか。下手すりゃ、エッセンドルフで暗殺されたって不思議無いもの。そしたら、そこまで後ろに立っていた背広の男が口を出してきた。

「国際親善の観点からユリさんには是非出席して頂きたい」

 これは日本語。顔も日本人だけど誰なんだ、

「申し遅れました。外務省欧州局西洋課の柴田です」

 日本の外務省だって!

「政府の意向として、今回の事件を契機にエッセンドルフ公国との親善友好を深めていきたいと考えております」

 せ、政府。おいおい、ユリはエロ小説家の娘のタダの大学生だぞ。すると柴田課長は、

「これまで日本とエッセンドルフ公国の間は国交こそ結ばれていますが浅い関係になっています。これについての事情は長くなるのでここでは省略しますが、この機会に政府は関係を深めて行きたいの意向です」

 国同士が仲良くするのは悪いことじゃないけど、

「エッセンドルフ公国で政変が起こったのはご存じかと思いますが、この政変にユリさんが深く関与されておられます」

 深いと言うより無理やり巻き込まれたようなものだけど、

「さらにユリ様は新公爵の妹に当たられます」

 お母ちゃんがやり逃げされて生まれただけだけど、

「政府としてはユリさんを公爵就任式典に日本の代表として出席を要請するものです」

 待ってよ、待ってよ、ユリは民間人だ。

「それは存じていますが、これは貴重な機会なのです」

 エッセンドルフとの関係がどれほど浅くて薄いかだけど、たとえヨーロッパでも王室や公室のこの手の行事なら皇室に必ず招待状が送られるそう。皇室だって王族とか貴族仲間みたいなものだもんね。ところが無いんだって。呼ばれてもいないところに出席できないから、

「日本人で招待されているのはユリさんだけなのです。これは日本とエッセンドルフ公国として初めての事になります」

 ウィーニスも来日したじゃないかと言ったけど、ウィーニスは来日したものの、天皇陛下との会見とか、首相以下の政府高官との会談も一切なかったんだって。たぶんだけど、それよりユリを見つけ出して踏ん捕まえるのに熱中してたんだろうな。

「政府としても、ユリさんのエッセンドルフ公国の公爵就任式典出席へのバックアップを行う予定です。非公式ではありますが、日本国を代表して参加してもらう形を考えております」

 日本の代表ってなんなのよ。もっとも非公式だから具体的には随員として通訳も付けてくれるぐらいみたいだけど、ユリで良いのかよ。

「ですから政府もこれを機会にと考えてるわけです」

 なんか断りにくくなってきた。ユリの血筋だけはカール公爵の実の娘だから、エッセンドルフで認められたら、えっと、えっと、非嫡系だから男爵だったよな。あんな小国の男爵に価値があるとも思えないけど、

「ユリ、良い経験だから行っておいでよ」

 それを言えばお母ちゃんだって、

「締め切りが迫ってるから無理だと納得してもらった」

 逃げるな! 締め切りなんて年中行事みたいに追われてるじゃないか。でもさぁ、考えようかもしれない。エッセンドルフの爵位は辞退できるんだ。ウィーニスだって貴族会議とやらでユリに公爵を辞退させようとしてたはず。

 でも辞退するにはエッセンドルフに行って、貴族会議とやらで意思表明しないといけないんだよね。ウィーニスがいる時に行ったら命の危険まであったかもしれないけど、今の情勢ならシャンシャンで大歓迎のはず。ハインリッヒだって、ヨハンだってライバルが減るから喜ぶだろうし、悪いようにしないはずよね。

 面倒だけど頑張って行ってきたら一連の大騒動にやっと終止符が打てるのか。つうか、行かないとまたぞろ再燃する可能性だってないとは言えないかもだよ。たくどこまで行っても祟りやがるクソ親父の血だ。

 行くとなると不安なのが礼儀作法。貴族ってそれに命かけてるようなものじゃない。ユリは自慢じゃないけど、オークラのレストランでも怪しいレベルなんだよ。服もそうだよ。日本人だから着物で逃げる手はあるけど、とにかくこの白人顔じゃない。下手すりゃ、文化盗用にされかねない。そしたら柴田課長は、

「その点につきましては、宮内庁の式部職の協力を得られました」

 く、く、宮内庁だって! こりゃ、もう逃げられないよ。

「明日から東京で出発までレクチャーさせて頂きますし、式部職員はエッセンドルフにも随員として参加してもらいます」

 服とかアクセサリーは、

「これも準備させて頂きます」

 でもそんなに大学を休めないよ。

「国際親善が優先する旨を文科省に説明して協力して頂きます」

 文科省まで出て来るのかよ。外堀どころか内堀まで埋められて逃げ場なしか。仕方がないからケリつけに行ってくるか。