ツーリング日和17(第9話)二人同窓会

 あの乱闘の日から現場主任みたいな人のことは心の底で引っかっていた。歳の頃はたぶんアリスと同じぐらいで、あの作業着は神戸アート工房の人のはず。名前はわからないな。ロケの建設現場にも毎日顔を出すわけじゃないし、あれから顔を見てないもの。

 どこか恋心を抱き始めているのは否定しないけど、これは恋と言うより強い男への憧れだろうな。そこはともかく、いくらアリスが気にしようと既婚者であれば話はそこで終わりだ。いくらなんでも不倫とか、そこからの略奪愛なんてする気もない。

 というよりあれだけの男ならば既婚者でない方がおかしいと思う。そりゃ、どう見たってモテるはずだもの。あれだけの強い男を女が放っておくものか。それにああいう現場労働者は結婚するのも早いはず。

 正確な統計は知らないけど、一般的にそう思われてるし、アリスが知っている範囲でもそんな気がする。そうなれば子供がいて、それも小学生ぐらいになっていても不自然でも、不思議でもない。

 アリスはシナリオとして不倫とか浮気も扱うことはあるけど、本音のところで、どうしてそんな事がしたいのか理解出来ないところはあるのよ。そりゃ、恋人ぐらいなら略奪愛はまだしも、結婚して子供もいる状態でしたいものかねぇ。

 それに不倫の代償は大きいのよ。たとえば妻が誰かと不倫したとする。この場合はまず夫が妻に不貞行為の慰謝料を請求できる。さらに寝とられ男として不倫相手の男にも慰謝料を請求できるんだ。

 これの応用問題みたいなものだけど。もし不倫相手の男が既婚者だったら、不倫男の妻から夫、さらに夫の不倫相手の女にも請求されるんだよ。つまり不倫行為が発覚すれば、

 ・不倫相手の配偶者
 ・自分の配偶者

 この二人から慰謝料が発生するってこと。不倫の挙句離婚して再婚なんてやろうものなら、二人で四人分の慰謝料を払う必要が出てくるのよね。相場的には二人で五百万円ぐらいみたいだけど、再婚するには一千万円以上の慰謝料が必要になるのよね。

 ここまでは不倫家庭同士の話だけど、これにさらにが加わる事があるのが不倫の代償だ。業種に依るけど不倫のために懲戒解雇もある。懲戒解雇までいかなくても自主的な退職を迫られたりもある。

 実質的な解雇に至らなくても社内での肩身が狭くなるのは珍しくもない。不倫をやらかし他人の家庭を崩壊させた人として人事評価が地に堕ちるってやつ。とりあえず左遷ってやつかな。とにかく悪口、陰口を叩かれまくって退職に追い込まれるのだって珍しいとは言えない。

 そんなリスクしかないようなエッチに励みたいかって話だよ。それでも励んでしまうのが女と男と言えばそれまでだけど、独身を相手にしたら良いだけの話じゃない。既婚者だって離婚はするけど、励みたいなら先に離婚が成立してからでエエやんかやん。この辺は経験ないから、これ以上はわかんないけどね。


 そんな日々を過ごしていた時に、オフィス加納の廊下でバッタリって感じであの現場主任の人と出くわしたんだ。そりゃ、出くわしたっておかしくないし、あれからもすれ違ったことぐらいは何度かある。だから軽く会釈して通り過ぎようとしたんだ。その時に突然って感じで声をかけられた。

「ひょっとして四葉さんではありませんか」

 アリスの苗字が四葉ぐらいは、これだけ通っているのだから知っていてもおかしくないとは思う。アリスが妙に気になったのは四葉先生じゃなく、四葉さんって呼ばれたこと。これだって先生と呼ばれなかったのに腹を立てた訳じゃなく、わざわざさん付けで呼んだ点なんだ。

「徳永です。徳永健一、中学の時に一緒でした」

 そんなやつ知らないぞ。だいたいだよ、中学って十五年ぐらい前の話じゃないか。思い出せって言われても正直なところ困るな。それでも、中学の同級生だったから、さん付けで呼んだ理由がなんとかわかった。

 中学の時の徳永って、う~んと、う~んと、なんとなく聞き覚えはあるぞ。あるのはあるけど、アリスが辛うじて覚えている徳永君のイメージと合わないんだよ。そりゃ、中学の時とは変わっていない方が不思議だけど、もっとヒョロガリだったはず。

 それでも徳永君なら思い出して来たぞ。そうそうイラストが上手だったんだ。体育祭の看板だとか、文化祭のパンフレットの表紙も描いてたはず。たしか美術部だったよね。

「思い出して頂きましたか。美術部の徳永です」

 へぇ、変われば変わるものだ。ヒョロガリだった徳永君が、こんなに逞しくなったんだ。こんなもの見ただけで誰がわかるものか。それに比べてアリスはどうかは置いとかせてもらう。

 徳永君とは中三の時が一緒だったんだよ。というか一緒だったのは中三の時だけ。それでも同級生と久しぶりに会うのは嬉しいな。なるほど、こんな気分から同窓会ラブって発生、発展するのだと実感できた気がした。だけど立ち話だから長話は出来ないじゃない、

「四葉さんさえ良ければ、一緒に飲みに行きませんか」

 行きたい、行きたい。連絡先を交換して後日居酒屋に。気分はたった二人でも同窓会だ。

「カンパ~イ」

 中学の時の徳永君はヒョロガリだったけじゃなく、大人しくて目立たない子だった。そうだね、休み時間でも机でイラスト書いてイメージが強いもの。つうか、それしか覚えていないかも。

「四葉さんは覚えてませんか。図書委員で同じでした」

 そ、そうだったよね。もっとも図書委員と言いながら徳永君はイラストばかり描いてたじゃない。

「それを言うなら四葉さんだって小説ばかり書いてたじゃありませんか」

 あちゃ、そうだった。あの中学の図書館は人気がなかったんだよね。狭いわ、暗いわ、本もたいしてそろってなくて、図書委員の仕事はたまに本を借りに來る物好きの相手だけだったもの。だからアリスも小説を書くのに打ってつけと思ってなったぐらい。徳永君もそうだったんだろうな。

「四葉さんは小説に熱中すると、なんにも仕事をしなかったですからね」

 あははは、そうだった。本の片づけとか、整理も図書委員の仕事だったけど、あれっていつの間にか誰かがやっていたのかと思ってたけど。

「ボクがやってました」

 それは悪かった。謝ります。それにしても変われば変わるものだ。あのオラオラ男を一撃で黙らせちゃったものね。

「お恥ずかしいところをお見せしました」

 徳永君のメインの仕事はオフィス加納担当なんだけど、そうだね、オフィス加納のすべての仕事の現場責任者みたいな感じなんだ。だから映画のセットだけでなく、写真のセットも見て回る必要があり、さらには次のセットの打ち合わせとか、そのための手配で大忙しで良さそう。

 だから映画のセットでもあの時しか顔を合せなかったのか。それにしても徳永君にぶん殴られて壁まで吹っ飛ばされたオラオラ男はどうなったのかな。あのまま病院送りになったとか。

「まさか、ちゃんと手加減しています。そもそも殴ったりしてませんし、あくまでも教育的指導の範囲です」

 アリスにはまったくわからなかったけど、徳永君はあの一瞬の間にオラオラ男の体のバランスを崩しておいて、腰のあたりを突き飛ばしたんだって。

「突き飛ばした先もちゃんとクッションがあったでしょう」

 クッションと言うかゴミ集積場みたいになってることころで、梱包材が山積みされてたっけ。えっ、まさかそこを狙って突き飛ばしたとか。

「当然ですよ。セットなんかに突っ込ませたら怪我もするし、セットの修理だって必要になったりします」

 さらっと言うけど、そこまで計算していたなんて。そうだそうだ、あの強烈そうなオラオラ男の膝蹴りは、

「そう言えば膝蹴りを入れてましたね」

 さらっと言うな。あれは誰がどう見てもモロに入ってたぞ。それが平気だなんて、どんな鍛え方をしたらそうなるのよ。そこまで鍛えあげてるのはボクサーやレスラーだっていないのじゃないか。徳永君の腹筋も凄まじそうだけど、今夜はTシャツにジーパンだから見えるんだよ。

 なんて胸板なんだよ。オラオラ男も分厚かったけど、そりよりもっとなんだ。腕だって太いなんてものじゃない。まるで丸太棒みたいだ。あれだったらアリスのウエストより太いんじゃないか。あんな腕でたとえ腰でも突き飛ばされたら、そりゃ吹っ飛ぶしかないだろ。

「ああいう現場は言語によるコミュニケーションが苦手な連中が多くて困ります」

 だからボディランゲージが必要になるから鍛えてるになるだろうけど、どんな鍛え方をしたらそうなるんだよ。でもさぁ、でもさぁ、あれだけ強いのだったら、あんな膝蹴りをわざわざ受けなくても良かったんじゃない。

「あれは最低限の正当防衛の保険です」

 そっか、どんな理由があっても人に暴力を揮えば暴行罪になるものね。だから一発もらっておいて、正当防衛として突き飛ばしたにしたのか。話はわかるけど、それを鼻歌で出来てしまう強さには驚くしかないじゃない。

 ああ、なるほど、徳永君がこれだけ強いのを他の作業員は良く知ってるから、徳永君が現場に姿を現しただけでトラブルは終了ってみんな思ったのか。いやぁ、イイ男になったもんだ。それから中学時代の思い出話に花が咲く楽しい夜になってくれた。