ツーリング日和17(第10話)プロになる才能

 二人同窓会をキッカケに徳永君と飲みに行くようになったんだ。ちゃんと確認したよ。徳永君は独身だ。アリスもそうだから会っても後ろめたいことはないからね。もっとも恋人関係を目指そうって感じじゃなく、懐かしい同級生との異業種交流会てな感じかな。

 二人同窓会の時にも徳永君が口を濁していたことがあったんだ。中学の時の徳永君はイラストが本当に上手だった。画家はともかくイラストレータ―とか漫画家になるんじゃないかと思ってたぐらい。

 高校は別々だったから、そこからどうしたかは知らなかったのだけど、今の仕事はイラストに関係してるような、あんまり関係していないような内容なんだよね。あれからどうしていたかは気になるじゃない。

「人生は色々ありますからね」

 どう色々あったのかを聞きたいんじゃない。アリスにせがまれて仕方なくって感じで話してくれた。徳永君も画家志望はなくて、まず目指したのは漫画家だったのか。わかる、わかる、イラストが得意なら誰でも一度ぐらいは考えるはず。

「その通りなのです。漫画家って儲かりそうじゃないですか」

 本音だよね。ヒット作が出れば億単位なのが漫画家だ。これは貶してるじゃないよ。儲けてお金持ちになりたいと言うのも立派な夢だもの。で、どうなったの?

「漫画とはおもしろい物語を絵で読ませるジャンルになります」

 そうなるよね。小説も漫画も物語を読ませるアートとして良いと思う。小説はテキストだけで読ませるけど、漫画は絵で読ませると言えそう。漫画だってセリフや説明は出て来るけど、挿絵付きの小説とは違うもの。絵とセリフが混然一体となって読者を魅了するのが漫画だ。

「というか、漫画と言う表現手法で読者を魅了する物語を考え出すのが重要になります」

 なるほど根幹はまず物語か。それはわかる。

「漫画の神様とまで呼ばれた手塚治虫は死の間際であってさえ、描きたいアイデアがダース単位であると言ってたそうですが、ボクは引き出しの隅まで漁って一つもありませんでした」

 なるほどね。そんな簡単におもしろい物語をポンポンと産み出せるものじゃないってことか。これは小説家も同じで、それが出来るか出来ないかがすべてみたいなところがある。そういうところは漫画も同じよね。

 徳永君の高校時代は、漫画家を目指しながら、その根幹を為す物語が生み出せないことに苦悩していたのか。そう考えると漫画家って商売は大変だ、小説家並みの創作能力と、イラストレーター並みの作画能力を兼ね備えないと成功しないものね。

「そうかもしれませんね。絵が上手いからって漫画家になれないって単純なことがわかるのに費やした時間だったかもしれません」

 そこでって話じゃないけど、漫画はあきらめてイラストに専念したのか。

「消去法じゃないですが、イラストの才能で夢を追ってみました」

 絵の才能を伸ばして勝負ってことだよね。へぇ、高校卒業後はイラストの専門学校に進んだのか。

「専門学校でイラストは上手くなりました。ですが、絵が上手くなっただけでした」

 そうだったのか。これは辛い経験だ。あんまり話したくなかったのは良くわかる。イラストが上手になるにはあれこれテクニックはあるし、専門学校でも教えてくれるはずだし、そのテクニックを習得できれば絵は上手くなるはず。

 じゃあ、教えてくれたテクニックをすべて吸収すればプロになれるかと言えばそうじゃない。せいぜい素人離れしたイラスト程度に過ぎないのよね。ぶっちゃけ上手なイラストぐらいと言っても良いと思う。

 シナリオライターの世界も同じだけど、イラストレーターも挑むだけだったら簡単な世界だよ。だけどその世界でプロになれるのは、ほんの一握りで、さらに成功者になれるのは、その中のさらにほんの一握りに過ぎない。

 プロのイラストレーターになれるのは上手な絵じゃなくて売れる絵だ。売れる絵を描ける者のみがプロになれる。売れる絵とは習得できるテクニックを極めた先にあるものじゃない。そこから飛躍したものなんだ。

「さすがによくご存じで。専門学校時代に見せつけられたようなものです」

 上手い絵と売れる絵の間には、溝と言うより広くて深い谷間があると言った方が良いぐらいの差があるとして良い。谷間を渡り、売れる絵を描けるかどうかを決めるのは、

「才能に尽きてしまいます」

 そうなってしまうのよね。売れる絵を描ける人は一味も二味も違うし、それはイラストを知れば知るほどわかってしまうところがある。あれが売れる絵であるのはわかるけど、どうしたら売れる絵を描けるかはわからないもの。

 あれは才能としか言いようがない。描ける人は描けるし、、描けない人はどうしたって描けないものだ。そう、才能がある選ばれた者のみが谷間を渡り、売れる絵が描けるプロとして食べられるようになれる。

 これも正しくないな、谷間を渡った程度では絵が売れる可能性がある程度なんだ。谷間の向こうに行ければプロではあるけど、それは売れる絵が描けるってだけのお話なんだよね。そこから成功するのに必要なのは運だ。

 ブレークするチャンスをひたすら待ち、それを捕らえ、掴んでものにすることが必要だ。いくら売れる絵を描ける才能を持っていても、チャンスを掴める運が無いと燻り、やがて消えて行ってしまう。

 身も蓋もない話になっちゃうけど、こういう世界で求められるのはイチに才能で、二が運に尽きてしまう。さらに才能は生まれつきの天分になってしまうし、チャンスを掴める運だって、努力でなんとかなるものじゃない天運みたいな世界だものね。

 イラストレーターを目指すだけなら自分の意思で可能だけど、プロになるにはいかに努力しても手が届かない。プロスポーツの世界と同じぐらいに考えてもらえれば良いよ。野球なんかがわかりやすいかもしれない。

 今はそれほどじゃなくなったけど、昔の男の子の遊びでありスポーツの王様は野球だった。そこで誰しもプロ野球選手を夢見たんだ。だけど一緒にやってみれば頭抜けて上手い奴がいるのを肌身で感じてしまう。

 そういう上手い奴が甲子園を目指すぐらいだ。いわゆる野球名門校に入るってやつ。だけど入ると驚かされるらしい。中学までは向かうところ敵なしだったのに、そういう連中が集まるから、そこでは平凡な野球部員でしかないと嫌でも気づかされる。

 でもね、その中でも頭抜けた奴がいてレギュラーもなるんだよ。そういうのが集まって甲子園に行くのだけど、

「そこにはさらに頭抜けてるのがいるんですよね」

 甲子園で頭抜けているのがプロになるかと言われたら、これさえ微妙だ。せいぜいプロのスカウトのリストに載れるかどうかで、

「プロに行けるのは怪物と呼ばれる連中になってしまいます」

 甲子園の怪物でさえ、プロに行けば怪物とは限らない。プロはそういう怪物集団の中でさらに頭抜けたのがスターになれる。

「怪物とか化物がシノギを削るのがプロの世界です。これはイラストでも変わりません」

 怪物とか化物は努力でなれるものではない。努力だけで到達できるのは、そうだな、甲子園のレギュラークラスまでかもしれない。いや、あれだって相当な才能がもともとあっての努力で、才能がないものがいかに努力を重ねても補欠どころか野球名門校にさえ入れないもの。

 それでも努力はもてはやされる。あれってね、アリスはお伽話とか教育説話みたいに思ってるところがある。努力はいかに重ねようが才能には追いつけるものじゃない。

「あははは、才能がある者が努力なんてされたら、サボらないウサギのようなもので、カメがいかに努力を重ねてもウサギの後ろ姿さえ見ることが出来ません」

 アリスもそういう世界で生きているから、その感覚は良くわかるよ。才能のある者の二倍いや十倍の努力を重ねようとも追いつけるものじゃないもの。徳永君にとってトラウマになるほどの挫折体験だったんだろうな。

「そんな感じでイラストレーターはあきらめました」

 これは売れる絵が描けなかっただけじゃなく、

「仮にボクに描けたとしてもシビアすぎる世界です」

 だよね。この世界の厳しさは、売れる絵をコンスタントに描けないとならないところもあるんだよ。それが出来る者だけが生き残れる世界だもの。一時的に名が売れても安泰なんてものはなくて、常に競争にさらされると言っても良いと思う。

「エンドレス・マラソンをやってるように思えてしまって」

 上手いこと言うな。プロとして食っていくためには常に走ってないといけない。それも常にトップグループを走り続けていないと行けない。でもさぁ、やっぱり好不調はあるし、嫌でも年齢による衰えだってある。あるけど、少しでもペースが落ちると容赦なく追い抜かされる。

「まあ、ボクは書類審査で落ちたようなものですけど」

 エンドレス・マラソンレースに参加するには谷間を渡って売れる絵が描ける世界に入らないといけない。そこに入るだけでも大変すぎるのが現実だものね。その代わり、トップになれば、ゴッソリって感じで儲かる世界でもある。

 でもさぁ、でもさぁ、チャレンジして良かったとは思ってる。チャレンジしたからこそわかったんじゃない。なんか他人事みたいで悪いけど、イラストレータ―にしろアリスがやっているシナリオライターにしろ、目指すにはヤクザすぎる商売だよ。

 だから目指したくても目指さなかった人がきっと多いはず。そりゃ、目指したって殆どはダメなのは知ってるけど、自分の夢を追いかけられただけで幸せな気がするんだ。それだけでも出来る人は少ないはずだもの。

「良く言えばそうですが、回り道だったと思う事もあります」

 そう考えて回避した人を非難する気はないけど、チャレンジできた幸せは絶対にあるはず。それより何より徳永君がエライのはちゃんと社会人として立派な成功者になっている事だ。これはビックリしたのだけど、徳永君は、なんと、なんと、神戸アート工房の専務さんなんだ。名刺をもらって腰が抜けそうになったもの。

「それぐらいの規模の会社ってことです。現実は現場で汗を流してます」

 なに言ってるのよ。業界人で神戸アート工房を知らなかったっらモグリだ。そこの専務なんだよ。同級生として誇らしいもの。

「なんとか頑張ってます」

 あのね、そんなレベルじゃないでしょうが。徳永君の評価がどれだけ高いかも聞いたんだ。今の神戸アート工房があるのは徳永君の功績みたいなものじゃない。だいたいだよ、麻吹先生も認めてると言うのは一流も一流、超一流の証じゃないの。畑は変わってしまったけど、誰に恥じる事もない大成功者だ。


 話は変わるのだけど、徳永君の体はひたすら逞しい。背だって伸びてると思うけど、オラオラ男程度なら赤子の手を捻るぐらいにムチャクチャ強い。どうやったらそんな体になれるんだ。

「こういう現場仕事ですから・・・」

 だから日々の仕事の中で自然に・・・そうなるものか! そうなるんだったら他の作業員も徳永君みたいになってるはずじゃない。

「そう言われても、とくに何もしてませんが」

 ウソだ。なにかやってるはず。そうだな毎日、仕事帰りにジムで筋トレを三時間ぐらいやってるとか。

「ジムなんて入ってませんから、仕事が終われば帰って寝るだけです」

 寝る前に腹筋千回とか。

「するわけないじゃないですか。ホントに帰ったら寝るだけです」

 そうだ、そうだ、格闘技の訓練は、

「やったことないですよ」

 冗談でしょ。それが本当なら徳永君の体こそ格闘技のために与えられた天賦のものじゃないの。さしてトレーニングもしていないのに、それだけの体と格闘センスがあるじゃないの。これにちゃんんとしたトレーニングと格闘術を覚えたら世界一だって夢じゃない。

「格闘技? 人を殴ったり、蹴ったりするのは興味がありません」

 格闘技なんてジャンルで成功するための最も重要な資質を欠いてるってことか。ああいうジャンルに必要不可欠なものは相手にどうしたって勝ちたいのギラギラした闘争心だ。試合ともなれば、相手をぶち殺したいぐらいの気迫になるものね。

 だからそれがない人間には向かない商売なのはわかる。そう考えるとだよ、この世でなりたいものと向いてるものの一致って本当に難しいのかもしれない。