ツーリング日和7(第18話)日新館

 吾妻小富士は十分ぐらいで噴火口に着いて、あとは噴火口をぐるっと回る。噴火口も凄いけど、とにかく遮るものがないから景色が最高。とくに山頂部から見渡せる景色はまさに雄大としか言いようがない。浄土平を一望に見下ろすものね。

 下りてきたらレークライン、ゴールドラインと林間ツーリングを楽しみながら猪苗代湖に。野口英世記念館を休憩がてらに見学していよいよ会津に。今日の最終立ち寄り地点の会津藩の藩校である日新館だけど、よくそんなものが残ってたな。

「いや戊辰戦争の時に焼失してもた。そやから再建や」

 再建だし場所も違うけど当時の図面から忠実に復元したんだって。これだけの学校に通うのなら学費はどれぐらいだったのかな。

「ああタダや」

 日新館は会津藩士専用だったみたいだけど、藩によっては他藩の武士でも入学が許されるとこも多かったんだって。さらに言えば、武士だけでなく町人や農民のための学校を作っとるところもあったそう。

 藩校は廃藩置県の時に消滅してるけど、このシステムを受け継いで日本の学制が作られた面もあるそう。言われてみれば名門高校が藩校由来のとこも多いのものね。だから江戸時代の識字率が異常に高かったのか。

「ちょっと違う」

 江戸時代の識字率があれだけ高かったのは、町人や農民でも読み書きが出来るか否かで、その身分内の出世を左右したのが大きかったのもあるんだって。

「江戸時代の藩校の全貌がわかるのはここだけやと思うで」

 これは立派だよ。江戸時代にこれだけのスケールの学校を作ってたんだ。ここでどれぐらい生徒がいたのかな。

「藩士の息子が全員で千人から千三百人ぐらいやとなっとる。十歳になれば素読所に入って、素読所を卒業したら大学に入学できるシステムや」
「素読所に較べると大学は小さいね」

 江戸時代には多くの藩校が作られたぐらいはユリも知ってる。でもどうしてわざわざ、

「作られた理由として一番大きいのはやっぱり人材育成やろ。藩政を行うにしても優秀な人材が必要やからな。そやけど封建身分制やから外部から招聘は原則的には難しい」
「世襲制はボンクラが育ちやすいものね」

 江戸時代と言えば身分制で世襲制。家老の息子は家老になり、足軽の息子は足軽にしかなれなかったんだって。だけど家老の息子と言っても家老の器量がある訳じゃない。これは今でも世襲の会社はあるけど、息子がボンクラで倒産する話はいくらでもあるものね。

「だから商家は女系相続が多かったのよ」

 ボンクラ息子じゃ家が潰れるから、優秀な雇い人を婿に迎えて継がせるシステムなのか。武家でも養子が多かったのは、純粋に息子がいなかったのもあったそうだけど、優秀な養子をあえて迎えるのもあったそう。藩校はボンクラになりやすい息子どもを教育して、人材を養成するシステムを目指したぐらいかな。

「二つ目の物差しを付けようとしたんやろ」

 世襲制は生まれつきの上下差だけど、学校となると成績による上下差が必ず生まれるものね。成績だけで格付けするのは問題だと言う人は今も多いけど、当時は世襲による格付けが絶対の前提としてあったから、これに風穴を開ける目的もあったんだろう。

「その辺は温度差が大きいけどな」

 幕末の佐賀藩が典型らしいけど、成績至上主義のところもあったらしい。成績が悪ければ藩の役職にも就けず、家禄も削られたそう。逆に成績優秀者は役職を歴任して、家禄も増やされたそう。

 成績による評価はどの藩でもあったそうだけど、やっぱり世襲、とくに門閥は強力で、多くのところは中級の実務官僚ぐらいまでせいぜいだったともコトリさんは言ってた。

「それも当時としては画期的やってん」

 それぐらい身分制と世襲制は絶対だったんだって。今の時代では最後のところがわかりにくいけど、当時の下級武士はいかにして身分と世襲の壁を破るかに苦心惨憺していたみたい。

 会津の日新館も素読所を卒業して優秀なものは大学に進学できて、そこでさらに認められたら江戸に留学も出来たそう。そこまで頑張ったら、出身の身分を越えた役職に就ける道が広がったで良さそう。

「剣術修業が大流行したのもそうや」

 幕末は剣道の黄金時代ともされて、全国の武士たちが江戸の道場に争って修業に集まったそうなんだ。剣術道場で頭角を現せば藩の剣術指南の道が広がるぐらいかな。それだって狭き門すぎる気がするけど、狭くても潜るところがあると目指ししたのがその頃で良さそう。

 そういう時代背景がわからないと、幕末のあの時期に下級武士が学問に剣術に争って殺到したのは理解が難しいだろうって。

「言うまでもないけど黒船の影響は多大や。時代の変革期の空気をどこか感じ取ったんやと思うわ。変革期は下克上の最大のチャンスやからな」

 藩校の存在は教育だけじゃなかったそう。学校だからいくら身分制があっても同世代なら同級生になる。そりゃ、生徒間の身分差によるあれこれは発生しただろうけど、

「そういうこっちゃ。同じ釜の飯を食った仲間意識は残るで」

 今でもそうだもの。まあ、今は卒業してしまえば進路はバラバラになるけど、役所や会社によっては学閥が幅を利かすものね。

「藩校が同級生意識やったら、剣術道場は体育会系の部活や。それも学校横断型のスポーツ組織みたいなもんやろ」

 江戸の剣術道場は全国から集まって来るけど、そこで藩を越えての仲間意識が出来たはずだって。そりゃ、出来るよな。剣術修業も厳しかったみたいだけど、そこでの身分差は藩校以上に小さいだろうし、藩校以上に剣術の強弱の差は肌身に染みてはっきりるする。

 それより何より、そういう厳しい環境で切磋琢磨した思い出は強い仲間意識を産むはず。その頃の日本に西洋流の友情と言う概念は乏しかったそうだけど、それに近いものが育まれたって不思議じゃない。

「そういう流れの一つが倒幕になり、会津では白虎隊の悲劇になったとも言える」

 白虎隊の悲劇は日新館の教育が成功しすぎたのかもしれない。幕末の諸藩の殆どは弱かった。死を恐れず吶喊する戦国武者の気風など消え失せ、危なくなれば悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らすように逃げ散るぐらいだって言うもの。

 会津戦争も、あの時点になれば勝敗の帰趨は見えてたはず。勝敗の帰趨だけで言うのなら、鳥羽伏見で見えてるはずだし、江戸開城で誰でも見えるようになっていたはずなのよ。それでも会津藩を挙げて戦ってしまったのが教育の成果になるのかもしれない。

「なんとなく第二次大戦の玉砕を思い起こさせるね」

 単純には比較出来ないけど近い感覚かもしれない。もし本土決戦をやっていたら、日本中で白虎隊的な悲劇が展開したかもしれないよ。

「戦争は嫌いだけど、現実は弱いと見ると、今だって攻めてくるからね」

 ユリだって戦争は嫌いだ。でもさぁ、戦争が嫌いだからって軍隊を放棄するのが正解かと言われると違うと思う。日本だって弱いとみられれば、今の世の中だって攻められるんだもの。どこの国とはあえて言わないけど、ある日突然、

『それはオレのもんだ』

 こんなヤクザの理不尽な因縁みたいなものを吹っ掛けられるもの。

「そこやねん。戦争を回避するのに最も効果的なんは、攻め込んでも到底勝てへんと思わすことや。そやけど軍備を充実させると」
「指導者次第になっちゃうのよね」

 相手が手を出したくない軍備をするのは平和への装置でもあるけど、

「すぐに凶器になる」

 武器と凶器の違いだけど、武器は戦う専用兵器になる。でも凶器は普段は日用品になるの。これじゃわかりにくいかな。プロレスの場外乱闘でパイプ椅子で殴るシーンがあるでしょ。

 パイプ椅子は普段は座るためのものだけど、あれで殴れば凶器になる。戦争抑止のための軍備は戦いを起こさせないための装置だけど、指導者の胸先三寸で戦争のための道具に一瞬で切り替わる怖さがあるもよね。

「もうコリゴリね」
「あんなとこに触れとうもあらへん」

 コトリさんたちにそんな経験が、

「あるで。剣を揮って相手国を消滅させるまで戦ったこともある。逆に軍備が弱体化しきってもて、ひたすら外交の駆け引きのみで国を保たせたこともある。どっちもシンドイなんてもんやなかった」
「そうよ。あれをもう一度やれと言われたらお断りよ。もうお役御免にしてもらうわ」

 二人の顔を見たら真剣そのものだ。よほど苦い思い出があるのだけはよくわかる。

「今日の宿も楽しみね」
「ツーリングに似合わんかもしれんが、侯爵殿下のお宿やからな」

 たくもう。そうそう、この日新館にもなぜかストリート・ピアノが置いてあるし、コウもそれを弾きに来てるのもある。ここで何を弾くのかなって思ってたら、これはショパンの英雄ポロネーズだ。会津で戦った英雄たちに捧げるぐらいかな。でもコトリさんたちは不機嫌そう。

「戦争に英雄なんかおるかい。単なる人殺しや」
「そうよ、単なる戦争犠牲者。それを産み出さないようにするのが真の英雄よ」

 二人の戦争とか軍備に関する思いは相当どころでなく複雑。戦争はこっちだけ回避しようとしても起こってしまうのを知っているリアリストの面もあるけど、一方で徹底的に戦争は忌避してる。戦争がなくなるには地球統一政府が出来る日まで無理だとか。

「そうは行くか! 星が滅亡しそうになるほど戦争やって、統一政府が出来ても戦争やらかして滅びようとするとこもあるんやで」
「そんな単純なものなら、とっくに戦争なんか無くなってるよ」

 この二人に戦争の話題はタブーみたいだ。