純情ラプソディ:第6話 取り

 取り方は六種かな。まずは基本中の基本の払い手。左右に薙ぎ払って札を吹っ飛ばす。ヒロコも最初はこればっかり練習してたもの。札の記憶時間は十五分だけど、最後の二分は素振り練習が出来るのだけど、そこでもみんな払い手の素振りをやってるぐらい。

 競技時間中も少しでも時間があれば、やっぱり払い手の素振りをやってるぐらいだよ。競技カルタでは取る手も決まっていて、有効手と言うのだけど、

『競技開始後に、最初に札を取った手、もしくは最初にお手つきをした方の手を有効手とする』

 これを競技中に変えるのはダメってなってる。ヒロコは右利きだから左翼の札は左に払い、右翼の札は右に払うことになる。左右どちらでもスピードが変わらないように練習をするのも競技カルタでは重要なポイントになる。


 払い手は横の動きだけど、縦の動きもあってこれを突き手と呼ぶ。払い手の次に多くて、払い手と合わせると九割以上になる。突き手は石村先生によると習熟すれば払い手より早いそうだけど、使われる状況は払い手より限られる。

 払い手の場合は自陣でも相手陣でも使えるけど、突き手は自陣では使わない。だってとにかく勢いよく突き出すから、そのまま相手陣に突っ込んだらお手付きになるもの。だから使うなら相手陣、とくに下段の札を狙う時に使うかな。

 ここでだけど、こっちが突き手で出札を狙えば、相手は払い手で対抗することになる。そう、縦と横の激突が起こるんだよ。この時の取りのルールが払い手同士の時と違うのもある。

 払い手同士なら出札に近い方が取りだけど、突き手と払い手が激突した時には、札を押し出した方向で判定されることになる。つまり競技線の左右なら払い手、競技線の奥、相手の下段より奥なら突き手の取り。まともに縦と横がぶつかったら怪我のリスクも増えるぐらい。


 次はぐっと頻度が落ちるけど押し手。いろはカルタのように真上から出札を抑えてしまう取り方。これは出札を正確に狙う必要があるから、スピードとしては落ちるからあまり使われない感じ。

 使うとしたら、相手との力量の差があって、余裕で取れる時ぐらいにヒロコは思ってる。でも石村先生によると、上級者でも案外使うそう。理由はお手付きリスクの軽減だって。実戦的には十六枚札とかなら、とにかく一文字目時点では候補札が多いのよね。

 とくに序盤戦は多いから、どうしたってすべての札をマーク出来るわけじゃない。目に付いた札をマークするのだけど、相手がマークする札と全然違う時もよくあるんだよ。この辺はまず自陣の札に目が行きやすいものは確実にある。さらに空札の可能性もあるから、ピンポイントで狙う時に使うぐらいかな。

 まああんまり使わないのは他にも理由があって、押え手の時に突き手なり払い手で来られると激突するリスクが高くなるのはあると思ってる。だからこそ払い手や突き手が多用されるぐらいかな。


 払い手、突き手、押え手が基本の三つだけど、ここからはかなり戦術的な取り方になる妙に有名なのが囲い手。ターゲットにしている札を手で覆ってしまう戦術。これも基本は小指側を畳に付けて覆う感じ。逆パターンでも、もちろんOK。

 囲い手が使われるシチュエーションとして大山札がある。大山札は三種六枚。つまり一組二枚ずつになる。その片方がどちらかの陣内にあって、まだどちらも詠まれていないケースなら使われることがあるかな。

 これもさらに使える条件がある。相手より先に見つけるのはもちろんだけど、狙う札の左右のどちらかが空いていないと使いにくいのよね。だって両側に札があれば、他の札に触れちゃうし、空札だったりしたらお手付きになっちゃうもの。もっとも手のひらを浮かしてお目当ての札の上を覆うのも囲い手の一種らしいけど、あれはあんまり効果ない気がする。


 戻し手は動きに戦術性があるものだよ。その前に構えについても説明しておくけど、歌が詠まれる時は、前の歌の下の句が先に詠まれて、続いて次の札の上の句に入るんだよ。

 上の句が詠まれるまでは有効手は自陣の下段より手前で畳に付けてなければならないんだ。頭は前に出せるけど、それも自陣の上段まで。この頭を出すのもトレーニングが必要で石村先生はそこに壁があるイメージで突き出せってしてたかな。

 だから下の句が始まった時点で対戦者はぐっと前に頭をせり出すことになる。これは相手陣の札に近づくとともに自陣を取りにくくしている意味もあるんだ。最大の目的は相手の下段の札に近づいておくで良いと思う。

 ここも言い換えれば構えとは下の句が詠まれている間の制限の事で、上の句が始まれば解除される。そうでなければ背の低い人が不利になり過ぎるものね。


 そんな状態で使うシチュエーションは狙う候補札が相手陣と自陣にある時。それも左右のどちらか一方に縦に並んでる時に使うことがあるかな。一番使えるのは両方とも下段にある時だと思うよ。

 まず一文字目で相手陣の札を狙うために体も手も伸ばすんだよ。そうしておいて決まり字が出た瞬間に、それが出札なら取りに行くし、自陣が出札なら手を戻して払ってしまう動きが戻し手。

 こういう動きをする意味は、体と手を伸ばすことで自陣の札を取りにくくする意味がある。相手が取るには体と手を掻い潜ってねじ込まないといけなくなるからね。それと自陣の札を狙われると出札がそれじゃないかと思うってしまうのも期待してる。

 難点は手を戻す時かな。札を確認していたら間に合わないからブラインドで払うのだけど、焦ると相手陣の札を触るお手付きを良く起こすんだよね。それと説明ではゆっくりしてる動作に見えるかもしれないけど、現実の時間は決まり字が出るまでの一瞬の動きだよ。


 渡し手は戻し手の横バージョン。左右に候補札があった時に、まず片方を狙って身を乗り出すんだ。戻し手との違いは、候補札がどちらも同じ陣地にあるからお手付きが発生しないこと。

 最初に狙った方が出札なら払うだけだけど、出札じゃなくても払うのが渡し手の特徴。違う方を払っておいて、手を戻して出札を払っちゃうのが渡し手。決まれば左右に札が吹っ飛ぶから豪快だよ。

 渡し手は心理戦でもあると思う。カルタでは決まり字が詠まれる前に取ればフライングになるけど、詠まれてからおもむろに手を出すのじゃなくて、決まり字の前の文字ぐらいには手は動いてるんだよね。

 渡し手が発生するシチュエーションなら、相手もどちらが出札であるか全神経を尖らせてるじゃない、そこで対戦相手が動くと釣られてしまうぐらいかな。相手はその札を払っただけだから、渡し手を狙っているこちらは余裕で払えてしまうぐらい。

 この渡し手も駆け引きが出る事がある。たとえば相手が右側を狙う動きを見せた時にあえて左側を狙うのもある。この場合に取れる確率は五分五分になるけど、自分がリードしている時はそれで十分と考える時もあるのよね。

 逆に接戦とか劣勢であれば、一枚でも取られたくないから、相手が渡し手狙いでもそれを競う選択も出てくる。この場合は双方とも渡し手を意識しているから、左右どちらも火花が飛び散る払い合戦になるぐらい。


 競技カルタの基本は、決まり字を中心とする戦略により出札を素早く特定し、そこから覚えている札の位置に出来るだけ早く手を伸ばす瞬発力とスピードを競うのが本質かな。単純そうに見えて、そういう戦術の妙があるから競技カルタは面白いけど、技量の差は残酷なぐらいに出るのも競技カルタ。

 ビギナーズ・ラックが存在せず、強い方が必ず勝つ競技としてもしても良いと思う。とにかく入り口の決まり字を覚えこむだけでも一苦労だし、それを常に頭の中で利用できるようにするにはトレーニングしかないのよね。

 普通の高校生なら、ヒーヒー言いながら百人一首と作者の名前を覚えたら、二度と御免の世界になるのもわかるもの。競技人口はお陰で増えないけど、その代わりに全国大会への距離が短いのも競技カルタかな。

 そうそう高校カルタの団体戦は強い人も弱い人も混じってやるけど、基本は同等の力量を持つ人が対戦するようになってる。高校カルタでも個人戦ではそうなってるけど、そうしないと試合にすらならないのも競技カルタ。

 それだけじゃなく、上級者になるほどスピードが上がるから、そこにヘタクソがのんびり手を出すと怪我しやすくなるとも石村先生は言ってたかな。上級者同士の暗黙の了解みたいなものがあるとか、ないとか。

 だけど上級者同士の対戦でも怪我は出る。それぐらい取りに出る手のスピードは半端ないって事。だからこそ畳の上の格闘技とも呼ばれてるんだよ。