ツバル戦記:殖産振興

 中国の強襲揚陸用潜水艦の脅威が迫るツバルですが、コトリ社長に様子を聞いてみました。相変わらずのグルメ三昧もしていうようですが、

「仕事もしてるで」
「潜水艦の訓練ですか」
「貿易収支の改善のための殖産振興や」

 ツバルの歳出入は、ほぼ均衡が取れていますが、貿易収支となると輸出が十億円に対して輸入が四十億円で大幅な入超です。これも仕方がないところがあって、ツバルで売り物になるのは魚介類ぐらいで、ツバル国内に農業と漁業以外に目ぼしい産業はありません。

「その通りや。産業を興そうにも、インフラ無いし、テク無いし、人も少ないし、カネもない」

 観光業にしても、ツバルじゃなくては見れないほどの売り物が無く、地理的にもとても気軽に出かけららるところではありません。観光客が増えないから交通の便は悪く、宿泊施設も貧弱です。これをちょっとしたテコ入れぐらいで何ともならないのはコトリ社長も認めています。

「水道の水は良かったで」

 浄水設備の稼働は順調のようです。ツバルは絶海の孤島であり、ツバルはもちろん、周辺の島嶼国も目ぼしい産業がありませんから、雨水も基本的には綺麗なものです。それをさらに浄水すれば悪いはずがありません。

「最初はこの水を活かそうと考えたんや」
「水ですか?」
「そうや水とタロイモあったら焼酎出来そうやんか」

 そういえばパラオでタロイモ焼酎を作っています。

「酒造りとなるとかなりのノウハウが必要になります」
「そこもネックやねんけど米麹があらへんのよ」

 芋焼酎造りも単純化すると芋に米麹を混ぜて発酵させ、これを蒸留すれば出来上がりです。この米麹ですが古くは酒蔵に自生していたものを使っていました。それが明治の終わりにまず黄麹の分離培養に成功し、大正年間に黒麹、さらに昭和初期に白麹が生み出されています。

「それで麹屋が出来て、高品質の麹を安定して供給できるようになって酒の品質も良うなったぐらいや」

 ここで麹屋が売るのは種麹で蔵元はこれを麹室で培養するのですが、

「温度管理がナーバスでな。今は機械がやっとるところが多いけど、ツバルで機械は使いとうないんよ」

 小国の悲哀みたいなものですが、メインテナンスもハードルが高くなります。発電機もそれで苦労しています。また巨鯨計画でオーストラリア直行便が求められたのもそれがありました。

「そやからショッツルはどうやと思てる」
「魚醤ですか」

 コトリ社長が刺身や天ぷら、豚の角煮なんかを振舞った時に、ツバル人の醤油味への反応の良さからひらめいたそうです。ツバルには大豆も無いので魚醤にしたようですが、

「醤油と違うて麹がいらん」

 醤油は大豆のタンパク質を麹の微生物が分解したものですが、魚醤は魚の内臓の酵素による自己消化です。

「なによりあんまり火を使わんでエエ」

 ツバルで自給できる熱源は薪のみになります。他はすべて輸入です。その辺は日本と同じとは言え、新たな輸入が増えるだけで貿易収支を悪化させます。

「薪の使用量が増えて木を切ったりしたら国ごと沈みかねんへんし」

 いやはや大変な国です。魚醤の製法は焼酎と較べると遥かにシンプルで、塩辛を作るだけです。そう、魚に塩を振るだけで出来ます。要は塩辛の進化系です。

「元が塩辛やから、塩分は醤油の五割増ぐらいやからかなり塩辛い。コハク酸は多いからコクはあるけど、その代わり酸味に劣って、糖分やアルコール分が低いから味は醤油より単調かな」

 それだけでなく匂いも違います。かなりクセがあってミサキもちょっと。

「あの臭みの原因は魚油の空気酸化と、魚油に微生物が作用して臭気成分を作るからやねん。まあ、あれがエエって人もおるけど、鮒ずしとかブルーチーズみたいなもんで、好き嫌いがはっきり分かれるな」

 それでも日本で売っているナンプラーはだいぶマシな気がしますが、

「ああ、それか。魚醤は魚を塩辛にして二年ぐらい寝かすんよ。それから搾るんやけど、最初の奴を一番搾りって言うんよ」
「ビールみたいですね」
「さらに二番絞り、三番絞りってあるんやけど、一番搾りが高級品や。エクストラ・バージンオイルみたいなもんや」

 後になるほど臭みが強くなるようで、日本に輸出されるのはナムプラーの超高級品ぐらいで良さそうです。ちなみに最後最後の搾り滓は肥料になり、ツバルでは重宝されるかもしれません。

 コトリ社長の構想は、まずこれを各家庭で作ってもらってノウハウを蓄え、やがて町工場ぐらいに発展させたいようです。それにしても気が長い話で、安定した品質の魚醤を作り、その味にツバル人に馴染んでもらい輸出まで考えると、

「そやなフィジーへの売り込みがカギになるやろ」

 フィジーと言っても八十五万人の小国ですが、

「ツバルから見たら八十倍以上のビッグ・マーケットや。輸出言うても、そんなに作れるかいな」

 そうだった、そうだった。一万人しかいない国です。でも輸出までたどり着くには、フィジー人にも魚醤の味に馴染んでもらう必要がります。

「そんなに時間かからんやろ。百年ぐらいでなんとかなるんちゃうか」

 椅子から転げ落ちそうになりましたが、女神にとって百年ぐらいは大した時間じゃないようです。

「そのうちミサキちゃんもわかるようになるわ」

 魚醤計画が順調に進んでとしてですが、一本千円で一万本輸出できたとして一千万円です。実にささやかなものとしか思えませんが、

「こんな何にもあらへん国で、何十億円もの産業が起こせたら神業や」

 コトリ社長は神なのですが・・・それはともかく、ほぼツバル産のもので新たな産業が興るだけで画期的なのは間違いありません。


 そうそう魚醤の材料ですけど、シュッツルならハタハタ、ナムプラーやニョクマムならカタクチイワシですが、

「あれも原料でだいぶ変わるで。鮭魚醤は結構いけたで」

 鮭の魚醤まであるんだ。

「出来たら、ツバル人があんまり食べへんけど、数取れる魚がエエんやけど・・・」

 あれこれ試作されてるようですが、

「出来栄えはどうですか」
「そやから二年かかっるって言うたやろ」

 そうだった、そうだった。それにしてもノンビリしてますが、

「そんなん言うても、やることあらへんやんか。時間は有用に使わんとな」

 あのぉ、時間なんて千年単位で余裕であるのが神ですけど。

「その時間と今の時間の使い方はちゃうで」

 どうぞごゆっくり。

「そやそや、電話代は経費で落としといてな」
「交際費ですか」
「そりゃ、政府を代表しとるし」
「だったら、ツバル政府に請求してください」

 こんな調子で強襲揚陸用潜水艦を撃退できるのかな。