翌週になって三人組がやってきて一六〇センチの垂直障害を置いてあるところに馬を近づけて来たんだけど、いきなりシノブさんが挑んだんだよ。それこそギャロップ走ってきて、
『ポ~ン』
飛び越えちゃったんだ。続いてユッキーさんが挑んだけど、
『ガタン』
バーを引っかけちゃったけど、それでも馬を飛ばせたんだよ。あれうちの馬だよ。お父ちゃんは目が点になってた。それでも、これならとばかりに、屋外馬場の一角を仕切って練習用のコースをお父ちゃんは作ってた。
「でも馬があれじゃ」
「そこは手配しといた」
他のクラブに頼み込んで、うちよりだいぶマシな馬を借りて来てた。見てると三人とも上手なんだけど、ユッキーさんの技量が一段落ちるみたい。そのせいか、コトリさんはユッキーさんに付っきり指導してる感じ。
「お父ちゃん、コトリさんの指導はどうなの」
「ありゃ、馬のことを知り尽くしていないと出来るもんやない」
「お父ちゃんより」
「オレなんか話にならん」
もちろんコトリさんはシノブさんも指導してるんだけど、これもまた三人とも本業があるから、週に一度ぐらいしか練習に来ないんだよね。こんなんで間に合うか不安なんだけど、
「コトリさんの指導もたいしたもんやけど、教わるユッキーさんとシノブさんも凄すぎる。あないに簡単に覚えられるもんやないで。あれだけでも神業に近い」
「ところでコトリさんの腕前はどう」
指導にかかりっきりで、ほとんど馬に乗ってないんだよね。お父ちゃんも心配で聞いてみたそうだけど、
『そんな時間があるか! ユッキーとシノブちゃんがもうちょっとマシにならんと勝負にもならへんやろが』
怒鳴られちゃったって。でもコトリさんを始めとする三人組が真剣に取り組んでくれてるのがわかって、嬉しかったもの。エミも聞いてみたんだけど、
「やるからに負ける気はないで」
「じゃあ、勝てる」
「負ける気はないけど、勝てるとは限らん。相手が手強すぎるわ。だいたいやな、貸与馬で大障害Aって無茶な試合がどこに存在するって言うんや。こっちは競技会に出た事すらないんやで」
ごもっとも。
「コトリさんはだいじょうぶなんですか」
そしたらユッキーさんが、
「コトリはだいじょうぶ。ここの馬を使っても楽勝よ」
「気楽に言うな」
「あら、飛べないの」
「それよか、ユッキーがもうちょっと飛べんと勝負にもならん」
エミも気合入って来たから、
『北六甲クラブの勝利を疑う者に食わすメシはない』
こんなデッカイ貼り紙をレストランに貼り出した。そしたら、お客さんが余白に応援メッセージを次々に書き込んでくれて嬉しかった。なんかクラブが一丸になってる気がしてる。休日の練習のギャラリーも増えて来て、お父ちゃんが仮設の観覧席を作って、お母ちゃんが弁当作って、エミが弁当とビール売って回ってるんだ。
「ビール、いかがすっか」
「おう、こっちに二杯」
「こっちはビールと弁当」
それでもって。
『ガンバレ、お嬢ちゃん。オレらがついとるで』
後でコトリさんに、
「まったく、甲子園の外野スタンドとちゃうんやから」
これまたごもっとも。
「できたらコトリも観覧席でビール飲む方に回りたいわ」
御迷惑をおかけしてます。そしたらまたユッキーさんが、
「コトリが本気出した限り、たぶん勝てるわよ」
「気楽に言うな! ユッキーが一番のお荷物なんや」
でもユッキーさんにも感謝してる。そりゃ、三人の中では一番下手かもしれないけど、あそこまで飛べる人はそうそういないんだ。シノブさんが上手すぎるんだよ。でもシノブさんよりコトリさんは本当に上手いんだろうか。
そして大会当日、会場は野地菊クラブ。甲陵の方は若手のホープ白田選手、中堅どころの県国体強化指名の栗岡選手、そしてだよアジア大会代表の松本選手。うち相手にそこまでやるか。ホンマに手加減無しやで。
「お父ちゃん、甲陵のメンバーって」
「黒田も本気やってこっちゃ」
劣勢なんて予想じゃなかった北六甲クラブだけど、意外なほど健闘してくれてる。ユッキーさんこそ白田選手に敵わなかったけど、シノブさんは栗岡選手に勝っちゃったんだ。減点数は二回戦が終わってなんと同点。会場も意外な展開に盛り上がってるけど。
「お父ちゃん・・・」
「厳しいな。シノブさんのとこで一点でも勝っててくれたら、まだ良かったんやが、同点じゃタイムが・・・一本でも落としてくれへんかな」
今日の試合は荒れ模様だったんだけど、松本選手はまさに危なげなく減点無しで飛んじゃったのよ。さすがはアジア大会代表。
「これで勝つには・・・」
「タイム差が十八秒ぐらいあるんや。エミも腹くくってくれるか」
コトリさんが出てきてスタート。練習中も一度もフル・コース飛んでないんだけど、スピードが全然違う。松本選手も速かったけど、比べ物にならないぐらいの猛烈なスピード。あんなスピードでよく方向転換できると思うけど、まるで馬が勝手に走って飛んでるみたい。
「お父ちゃん」
「トータルで同タイムや。だったら、だったら・・・」
「だったらどうなるん」
「か、か、勝ったでエミ」
その後の表彰式のお父ちゃんが格好良かった。あんなに格好の良いお父ちゃんを初めて気がする。
「黒田、看板はいらん。名前も変えんでエエ。勝利と言う名誉だけ頂く」
ちなみにだけど、うちが負けたらクソ駄馬クラブにさせられる約束だったけど、甲陵が負けたらウンコ・クラブになる予定だったんだ。でもね、別にそうする必要はないとエミは思った。趣味悪いもの。
価値があるのは、あれだけの甲陵のメンバーに勝ったこと。それもこれだけの観客の前での公開勝負で。これで、エミが病気のために馬を売り、貧乏クラブで苦渋を舐めさせられた積年の怨みを晴らした感じかな。ついでにクラブも守れたのも言うまでもないよ。
でも、もっと、もっと大事なのは、この勝利で母ちゃんの黒田への呪縛が解けた気がする。ホントに変わっちゃったんだよ。ああいうのを憑き物が落ちたって言うんじゃないかな。今の笑顔は以前と全然違うもの。それだけじゃないんだ。お母ちゃんが綺麗になった気がする。
エミが見て覚えてるのは肝っ玉母ちゃんしかないけど、きっと甲陵のウエイトレスでも随一と呼ばれたお母ちゃんはこんな感じだったんじゃないかと思ってる。小太りだった体が引き締まって来て、元のナイスバディが出てきた感じ。
「だって、あんな素敵なお父ちゃんに捨てられない様に頑張らなきゃ」
きっと吹っ切れたんだと思うのよ。お母ちゃんがそうなってくれたから、お父ちゃんも嬉しそうに見えるもの。二人が抱え込んでしまっていた、数えきれないぐらいの重荷が吹き飛んじゃったって感じてる。
そうそう、この勝負はプライベートの非公認大会だけど、馬術界ではかなりの評判になったんだ。神戸の甲陵が無名の北六甲クラブに接戦とはいえ敗れてるからね。そのせいか入会希望も増えてお父ちゃんも喜んでた。
自馬を買う人も増えてなんと厩舎が足りなくなっちゃったんだ。相談を受けた広次郎叔父ちゃんがお父ちゃんに血相変えて談じ込んでた。
「兄貴、文句は言わせん。今度はオレが全部作る」
また断るかと心配してたんだけど、
「頼むで。厩舎が壊れて預かってる大事な馬を怪我させたら許さんぞ」
「日本一頑丈な厩舎作ったるわい」
乗馬クラブも軌道に乗りそう。レストランの常連さんも馬に乗ってみたい人が増えたものね。